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第6話 茜色の空の下で

 気づけば、窓の外の空が茜色に染まり始めている。時計を見ると、下校時刻が迫っていた。図書室の窓から差し込む西日が、テーブルの上に長い影を落としている。


「……そろそろ、行かないと」


 私が呟くと、彼は軽く伸びをして、静かに荷物をまとめ始めた。私も、散らばった参考書やノートを鞄にしまう。閉館間際の図書室は、再び静けさを取り戻しつつあった。黙って席を立ち、音を立てないように図書室を出る。


 廊下に出ると、ひんやりとした夕方の風が窓から吹き込んできた。


(……今日は、思ったより集中できた)


 しかも、二宮怜央と。……いや、だから、それは関係ない。あくまで偶然、隣に座っただけ。そう自分に言い聞かせる。


 校舎を出て、正門へと続く道を並んで歩く。下校する生徒の数はもう少ない。二人で歩いていても、それほど目立たないだろう。……たぶん。昼間の騒ぎを考えれば、誰かに見られたらまた面倒なことになるかもしれないけれど、今はもう、どうでもいいような気もした。


「……さっきは、ありがとう。数学、助かった」


 沈黙を破ったのは、私の方だった。素直に礼を言うと、彼はちらりとこちらを見た。夕陽のせいか、彼の表情はよく読み取れない。でも、ほんの少しだけ、雰囲気が和らいだような気がした。


「こっちこそ。世界史、だいぶ整理できた。感謝してる」


 その返事に、また胸が小さく跳ねる。お互いに教え合うなんて、なんだか変な感じだ。でも、自分が役に立てたことが、少しだけ嬉しいと思ってしまった。成績では負けている相手だけど、私にもできることがある。そう思えたことが、意外にも心地よかった。


「……『友達から』って、言ってたけど。……こういうのも、悪くないかもね」


 自分でも驚くほど、自然にそんな言葉が出ていた。彼は、一瞬、足を止めた。夕陽が彼の横顔をオレンジ色に照らす。その瞳が、わずかに光を帯びて、私を見つめている。


「……ああ。俺も、こういう時間は、嫌いじゃない。むしろ……」


 彼の言葉は、そこで途切れた。その先を、聞きたいような、聞きたくないような。複雑な気持ちが胸の中で渦巻く。でも、今はまだ、その先を知るのが怖い気もした。


 校門を抜け、通学路を少しだけ一緒に歩く。彼の家はこの近くだ。私の家はもう少し先。別れの時が近づく。


「……じゃあ、また明日」


 いつも通りの、短い挨拶。それなのに、今日はなんだか、少しだけ名残惜しいような気がした。


(……なんで?)


 軽く手を振って別れを告げる。彼は、ほんの少しだけ微笑んで、私に背を向けた。普段のクールさとは違う、柔らかい表情。屋上での緊張した彼とも、授業中の真剣な彼とも違う。


(……本当に、いろんな顔があるんだな)


 その背中が角を曲がって見えなくなるまで、私はなぜかその場を動けずにいた。夕陽に染まる彼のシルエットが、妙に目に焼き付いて離れない。


(……綺麗、なんて、思ってない。絶対に)


 一人になった帰り道。気づけば、心臓がさっきよりも少しだけ速く打っている。鞄の重さが、やけに現実的に感じられた。


(……でも、悪くなかった、かも)


 今日一日、彼に振り回されたと思っていたけれど。図書室でのあの時間は、確かに、穏やかで、満たされたものだった。


(……だめだ、私。チョロすぎる)


 告白されたからって、少し優しくされたからって、こんな簡単に絆されて。自分でも呆れる。


 自宅の明かりが見えてきた。家に着いたら、シャワーを浴びて、夕飯を食べて、もう一度勉強しよう。今日の復習をすれば、きっと頭に入るはずだ。彼が書いてくれたメモも、もう一度見返して……。


 そう考えると、また頬が熱くなる。


(……本当に、最悪)


 屋上での告白。「友達から」という提案。それは、こんな風に、彼との距離を少しずつ変えていくのかもしれない。その変化が、今はまだ、怖いような、でも、少しだけ……。


 彼のことを、まだ何も知らない。彼も、私のことを知らない。でも、今日みたいに、隣で過ごす時間が増えていけば。


(……どうなるんだろう)


 ただのクラスメイト。ライバル。そう思っていたはずなのに。今日、彼の違う一面をたくさん見てしまった。静かに集中する姿。丁寧に教えてくれる優しさ。そして、時折見せる、柔らかい表情。


 気づけば、足取りが少しだけ軽くなっていた。街灯が灯り始め、空は深い藍色に変わっていく。


 鞄の中のノートに挟まれた、彼のメモ。それを思うと、胸の奥がほんのりと温かくなる。


(……恋、なんかじゃない。絶対に)


 そう自分に強く言い聞かせながら、私は自宅のドアを開けた。「ただいま」と告げた声が、いつもより少しだけ弾んでいたような気がして、また自分で自分に呆れた。


 これから始まるかもしれない、彼との新しい関係。それがどんなものになるのか、今はまだわからない。けれど、この胸のざわめきは、確かに、今まで知らなかった感情の色を帯びていた。


 ――また明日。


 その言葉の意味が、昨日までとは少しだけ、違って聞こえるような気がした。

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