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第17話 断続的な眠りと、彼女の看病

 その後、俺は断続的に眠り、そして目を覚ますことを繰り返した。目を覚ますたびに、枕元には新しいスポーツドリンクが置かれていたり、冷却シートが貼り替えられていたりした。その度に、彼女が様子を見に来てくれているのだとわかり、胸が温かくなった。


 夕食の時間に近づいた頃、少しだけ食欲が出てきたのを感じ、リビングへ行くと、彼女がキッチンで、買ってきたレトルトの梅がゆを温めてくれていた。


「あ、起きた? ちょうど良かった。これなら食べられそう?」


「ああ……ありがとう。……助かる」


 テーブルにつき、彼女がよそってくれた温かいおかゆを、ゆっくりと口に運ぶ。優しい梅の酸味が、弱った身体にじんわりと染み渡るようだった。美味しい、と感じられることが、素直に嬉しかった。


「無理しないで、食べられるだけでいいからね」


 向かいの席で、彼女は静かに俺を見守っている。その視線が、少しだけ気恥ずかしい。


「……天峰は、夕飯、どうするんだ? もう、こんな時間だし……」


「私は大丈夫。家に帰ったらちゃんとあるから。それより、二宮くんがちゃんと食べられるかの方が心配」


 彼女は、自分のことよりも、俺のことを優先してくれている。その優しさが、また胸に沁みた。


 おかゆを半分ほど食べたところで、満腹感と、再び襲ってきた睡魔に、俺はスプーンを置いた。


「……ごめん。もう、眠くなってきた……」


「うん、わかった。無理しないで。残りは、また後で温め直せるから」


 彼女は、すぐに食器を片付けようとしてくれる。その手際の良さに、少しだけ感心する。


「……天峰」


「ん?」


「……もう、遅いし……。俺はまた寝るから。……あれなら、そのまま帰っちゃっていいからな」


 彼女に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。それに、このまま彼女がここにい続けてくれるというのは、俺にとっても、彼女にとっても、良くないような気がした。期待、してしまうから。


「え、でも……」


 彼女は、少しだけ戸惑ったような表情を見せた。まだ、俺のことを心配してくれているのだろう。


「大丈夫だ。薬も飲んだし、だいぶ楽になった。それに……」


 俺は、少しだけ言い淀んだが、意を決して続けた。


「……玄関の、そこの小物入れに、合鍵が入ってるんだ。……それ使って、鍵、閉めて出て行ってほしい」


 その言葉に、彼女は、息を呑んだように、目を見開いた。合鍵を渡す。それは、この部屋への自由な出入りを許す、ということだ。一人暮らしの男が、年頃の女子生徒にすることではないかもしれない。だが、俺は、彼女を信頼していた。そして、彼女に、安心して帰ってほしかった。


「……鍵は、……急がないから。週明けにでも、学校で返してくれればいい」


 俺の言葉の真意を、彼女は理解してくれただろうか。彼女は、しばらくの間、何も言わずに、じっと俺の目を見ていた。その瞳には、驚きと、戸惑いと、そして、何か別の、読み取れない感情が揺らめいていた。


 やがて、彼女は、小さく、しかしはっきりと頷いた。


「……わかった。そう、させてもらう」


 その返事に、俺は安堵した。


「……本当に、……ありがとうな、天峰。……助かった」


「……ううん。早く、元気になってね」


 彼女は、そう言って、ふわりと、柔らかく微笑んだ。その笑顔が、今日の、一番の薬になったような気がした。


 彼女は、俺が立ち上がるのを手伝おうとしたが、俺はそれを手で制した。まだふらつくものの、寝室までくらいは一人で戻れる。


「……あの、二宮くん」


 俺が寝室へ向かおうとした、その時だった。彼女が、少しだけ躊躇うように、しかし決意を秘めた声で呼び止めた。


「ん? どうした?」


「……その……もし、迷惑じゃなければ……だけど……」


 彼女は、わずかに視線を泳がせ、そして、意を決したように言葉を続けた。


「……明日も、……朝、少しだけ、様子を見に来ても……いい?」


 その、予想外の申し出に、俺は一瞬、言葉を失った。明日も? わざわざ、朝から? 俺のために?


 彼女の琥珀色の瞳が、心配と、そしてほんの少しの不安をたたえて、俺を真っ直ぐに見つめている。断る理由など、どこにもなかった。むしろ、その申し出が、弱った心にどれほど温かく響いたか。


「え……? ああ、……それは……」


 驚きと、込み上げてくる嬉しい気持ちを抑えながら、言葉を探す。


「……助かる、……かもしれない。……でも、……天峰に、無理させるわけには……」


「無理じゃないから。……私が、そうしたいだけだから」


 きっぱりとした、強い口調。そこには、もう迷いは感じられなかった。彼女は、本気で俺を心配し、支えようとしてくれている。


「……わかった。……じゃあ、……頼む」


 俺がそう言うと、彼女の表情が、ぱっと明るくなった。安堵と、そして純粋な喜びが、その顔に浮かんでいる。


「うん、わかった。じゃあ、明日の朝、また来るね。……あんまり早くても迷惑だろうから、九時くらいでいい?」


「ああ、……それで、十分すぎる。合鍵で入ってもらっていいから」


「わかった。……じゃあ、今夜は、これで本当に失礼するね。ゆっくり休んで」


 彼女は、名残惜しそうに、しかしはっきりとした足取りで玄関へと向かった。合鍵を手に取る気配。そして、静かにドアが閉まり、鍵がかかる音。


 俺は、彼女に促されるまでもなく、寝室へと戻った。ベッドに横になると、すぐに睡魔が襲ってくる。ドアが静かに閉まる音を聞きながら、俺は、彼女がこの部屋にいてくれたという事実に、深い安心感を覚えていた。


 そして、彼女が、俺の部屋の鍵を持って帰ったこと、そして、明日またここへ来てくれるという約束。そのことが、俺たちの関係を、また一つ、決定的に、そして甘く、特別なものにしたような気がした。


(……おやすみ、天峰)


 心の中で、もう一度、彼女の名前を呼んだ。その響きが、今夜は、昨日よりもずっと自然に、そして愛おしく感じられた。


 彼女への、抑えきれない想いを胸に、俺は、穏やかな眠りへと、再び落ちていった。

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