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第14話 背中を押す、親友たちの言葉

 重い足取りで、昼休みを迎えた。食欲は全くなかったけれど、何か口にしないと午後の授業に差し支える。私は、彩りのない自分の弁当箱を手に、いつものように生徒会室へと向かった。あの空間なら、少しは落ち着けるかもしれない、と思ったからだ。それに、桜や沙織なら、何か知っているかもしれない、という淡い期待もあった。


 ドアを開けると、予想通り、二人はすでにテーブルについていた。桜は元気よくキャラ弁を広げ、沙織は静かにサンドイッチの包みを開けている。


「あ、澄香! おっそーい!」


 桜が、いつもの調子で私を迎える。その能天気さが、今は少しだけ救いになるような気がした。


「ごめん……」


 力なく謝りながら、自分の席に着く。弁当箱の蓋を開ける気にもなれず、ただ、ぼんやりとテーブルを見つめていた。


「……澄香? どうかしたの? 顔色、悪いみたいだけど」


 沙織の、鋭い観察眼。彼女には、私の内心の動揺など、お見通しなのだろう。


「……別に。ちょっと、食欲ないだけ」


「ふーん? もしかして、二宮くんが休んでるから、元気ないとか?」


 桜が、ニヤニヤしながら、核心を突いてくる。本当に、この子は……。


「ち、違う! そんなわけないでしょ! ただ、テスト明けで疲れてるだけだってば!」


 慌てて否定するが、声が上ずるのを止められない。やっぱり、私はわかりやすいのだろうか。


「まあまあ」


 と沙織が宥める。


「でも、怜央が休むなんて、本当に珍しいわよね。かなり熱が高いって、先生もおっしゃってたし……。一人暮らしだから、心配だわ」


 沙織も、やはり心配しているようだ。彼女は、彼の幼馴染なのだ。私とは違う、もっと深い繋がりがある。その事実に、少しだけ、胸がちくりと痛んだ。


「やっぱり、熱高いんだ……。大丈夫なのかな……」


 思わず、不安が口をついて出てしまう。しまった、と思ったが、もう遅い。桜が、待ってましたとばかりに目を輝かせている。


「やっぱり心配してるんじゃーん! 澄香、顔に全部出てるよ!」


「……っ! うるさい!」


「まあ、心配になるのは当然よ。クラスメイトだし、席も隣なんだし。それに……」


 沙織が、意味ありげに言葉を切る。そして、悪戯っぽい笑みを浮かべて続けた。


「水族館で、あんなことがあった後だものねぇ?」


 瞬間、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。顔が、カッと熱くなる。


「……え? 水族館? あんなことって、何のこと?」


 桜が、きょとんとした顔で尋ねる。どうやら、彼女はまだ知らないらしい。いや、知らないでいてほしい。絶対に。


「あら、桜は気づいてなかったの? あの、巨大水槽の前で……」


「沙織! やめて!」


 私は、悲鳴に近い声で沙織を制止しようとした。だが、彼女は楽しむように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「澄香が、怜央に、こーんな感じで、寄りかかって……。しかも、ちゃっかり手まで繋いじゃって……。ねぇ?」


 沙織は、私に向かって、意地悪くウインクする。


「えええええーーーーーっ!?!? 手!? 手、繋いだの!? しかも寄りかかってた!? いつの間にそんなことに!?」


 桜の絶叫が、生徒会室に響き渡る。私は、もう羞恥で顔も上げられない。穴があったら入りたい。いや、今すぐこの場から消え去りたい。


「ち、違う! あれは、その、人混みで……! ちがう、そうじゃなくて、水槽の前で、ちょっと、その、足元がふらついて……! 手は、彼が勝手に……!」


 しどろもどろな、苦しすぎる言い訳。自分でも何を言っているのかわからない。ただ、あの時の、彼の手の温もりと、彼の言葉が蘇ってきて、心臓が早鐘を打つ。


「ふーん? 足元がふらついたねぇ……。しかも、随分と長い時間、ふらついてたみたいだけど?」


 沙織の、冷静なツッコミ。彼女は、全部見ていたのだ。私が、彼の言葉に動揺し、無意識に彼に体重を預け、彼がそっと手を重ねてくれた、あの瞬間を。


「うわー! マジかー! 見たかったー! っていうか澄香、抜け駆けずるい!」


 桜が、羨ましさと興奮の入り混じった声で騒いでいる。


「……っ! だから、違うって言ってるでしょ! 勝手に決めつけないで!」


 もう、涙目だ。顔はきっと、茹で蛸のように真っ赤になっているだろう。二人に、こんな無様な姿を見られるなんて。


「まあ、落ち着いて、澄香」


 沙織がようやく助け舟を出してくれた。


「でも、見てるこっちがドキドキしちゃったわよ。あの時の怜央、すごく優しい顔してたし」


「……優しい、顔……?」


 私は、俯いたまま、聞き返す。あの時、彼の顔を見る勇気はなかった。彼は、どんな顔をしていたのだろうか。


「ええ。澄香のこと、本当に大切そうに、愛おしそうに見てた。……あんな表情の怜央、私も久しぶりに見たわ」


 沙織の言葉が、私の胸に深く、深く突き刺さる。大切そうに? 愛おしそうに? 私を? あの、二宮怜央が?


 信じられない。けれど、沙織が嘘を言っているようには思えなかった。


「……やっぱり、両想いじゃん! 絶対そうだよ!」


 桜が、確信に満ちた声で言う。


「……違う……。まだ、そんなんじゃ……」


 否定する声に、もう力がない。自分の気持ちが、もう「友達」という枠には収まりきらないことを、認めざるを得なくなっていた。彼が休んでいると知って、こんなにも心配している。彼の優しい表情を想像しただけで、胸が温かくなる。水族館での出来事を思い出して、恥ずかしさと嬉しさでいっぱいになる。これは、もう……。


「……でも、彼は今、熱を出して寝込んでるんでしょ?」


 沙織が、ふっと真面目な声色に戻る。


「一人暮らしで高熱って、本当に辛いのよ。身体も辛いけど、精神的にもね。誰かそばにいてくれるだけで、全然違うものだから」


 その言葉に、ハッとする。そうだ、彼は今、一人で苦しんでいるのかもしれない。いつも完璧に見える彼だって、病気の時は弱気になるはずだ。子供の頃、喘息で苦しんだ経験があると言っていた。その時の記憶が、彼をさらに不安にさせているかもしれない。


「……私……」


 ぽつりと、言葉が漏れた。


「……私に、何かできること、あるかな……」


 それは、純粋な心配から出た言葉だった。彼を助けたい。力になりたい。そう、強く思った。


「できること?」沙織が、私の言葉を繰り返す。「そうね……。例えば……」


 彼女は、わざとらしく少し間を置いてから、にっこりと微笑んで言った。


「お見舞い、行ってみたら?」


 ――お見舞い。


 その言葉は、雷のように私の頭を打ち抜いた。私が? 彼の家に? 一人で? お見舞いに?


「えっ……!? 私が、行くの……?」


 あまりにも突飛な提案に、思わず声が裏返る。そんなこと、考えもしなかった。


「だって、澄香、すごく心配してるじゃない。それに、今日の授業のプリントとか、届けるっていう口実もあるし」


「そうだよ澄香! 行っちゃえ行っちゃえ! きっと二宮くん、喜ぶって!」


 桜も、目を輝かせて後押ししてくる。


「で、でも……! 病人に、いきなり押しかけるなんて、迷惑じゃ……。それに、一人暮らしの男の子の部屋に、私一人で行くなんて……」


 抵抗する言葉が、次々と口をついて出る。行きたい気持ちがないわけではない。むしろ、行きたい。彼の様子を、この目で見たい。何か、助けになりたい。でも、勇気が出ない。彼に、どう思われるか。私の行動が、彼を困らせてしまわないか。そして何より、彼と二人きりの空間で、平常心でいられる自信がない。


「大丈夫よ」沙織が、私の不安を見透かしたように、優しく、しかし力強く言った。「怜央は、そういうことで迷惑がるような人じゃないわ。むしろ、澄香が来てくれたら、……きっと、すごく嬉しいと思う」


「……本当に?」


「ええ。それに、心配なんでしょう? だったら、自分の目で確かめて、安心した方がいいじゃない。何か手伝えることがあれば、してあげればいいし。ただ顔を見て、必要なものを置いてくるだけでも、彼の気持ちは全然違うと思うわよ」


 沙織の言葉には、説得力があった。確かに、このまま何もせずに、ただ心配しているだけでは、何も変わらない。彼はずっと一人で苦しんでいるかもしれない。私にできることがあるのなら……。


「……でも……」


 まだ、ためらいが残る。最後の、一歩が踏み出せない。


「澄香、頑張って!」


 桜が、私の両手をぎゅっと握る。


「恋は、行動あるのみだよ!」


「……恋、じゃ、ないってば……」


 弱々しく反論するが、もう、その言葉に説得力はないのかもしれない。


「大丈夫。あなたならできるわ」


 沙織が、私の背中を、そっと押した。その、確かな温もりが、私の迷いを断ち切る、最後のきっかけになった。


「……わかった」


 私は、深呼吸を一つして、顔を上げた。瞳には、まだ不安の色が残っている。けれど、それ以上に、強い決意が宿っていた。


「……放課後、……行ってみる。彼の家に」


 その言葉を口にした瞬間、心臓が、また大きく跳ねた。これから起こるであろう出来事への、期待と不安で、胸がいっぱいだった。


「よし! その意気だよ、澄香!」


「無理はしないでね。何かあったら、いつでも連絡してきなさい」


 桜と沙織が、それぞれのやり方で、私を励ましてくれる。その友情が、今はとても心強かった。


 昼休み終了のチャイムが鳴る。私は、ほとんど手付かずだった弁当箱の蓋を閉め、立ち上がった。午後の授業は、きっと上の空だろう。頭の中は、もう放課後のことでいっぱいだった。


(……大丈夫。きっと、大丈夫)


 自分に言い聞かせながら、私は生徒会室を後にした。目指すは、放課後。そして、彼の待つ場所へ。

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