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第12話 一人暮らしのの孤独

 金曜日。


 けたたましく鳴り響くスマートフォンのアラームを、重い腕を無理やり伸ばして止めた。時刻は、いつもより少しだけ遅い午前七時。カーテンの隙間から差し込む光は、すでに眩しいほどに明るい。晴れているのだろう。だが、俺の身体は、その爽やかな朝とは裏腹に、鉛を引きずるような重さと、不快な熱っぽさに包まれていた。


 ――最悪だ。


 喉が焼けるように痛む。昨夜から感じていた違和感は、一晩で明確な痛みに変わっていた。頭も鈍く重く、身体の節々が軋むような感覚がある。額に手を当ててみると、明らかに平熱ではない熱を持っているのがわかった。


「……ゲホッ、ゴホッ…!」


 起き上がろうとした瞬間、堪えきれずに激しい咳が込み上げてくる。胸の奥がゼイゼイと鳴るような、嫌な感覚。これは、ただの風邪ではないかもしれない。子供の頃、何度も経験した、あの息苦しさの入り口に立っているような、そんな予感が背筋を冷たくさせた。


 無理だ。この状態で学校へ行くのは、どう考えても不可能だ。それに、他の生徒にうつしてしまう可能性もある。テストも終わり、気が抜けたところに、溜まっていた疲れが一気に出たのかもしれない。


 俺は、枕元のスマートフォンを手に取り、震える指で担任への連絡用グループLINEを開いた。体調不良のため本日は欠席する旨、そして簡単な症状を打ち込む。すぐに既読がつき、担任からの返信が表示された。


『了解した。熱が高いようだな、無理はしないように。一人暮らしだから心配だが、何かあったらすぐに学校か、緊急連絡先に連絡しなさい。ゆっくり休むように』


 担任は俺が一人暮らしであることを把握してくれている。その気遣いが、今は少しだけありがたかった。『承知しました。ご迷惑おかけします』とだけ返し、スマートフォンをサイドテーブルに置く。途端に、どっと疲労感が押し寄せ、再びベッドに沈み込むように横になった。


 静かな部屋。時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。普段なら、もう制服に着替え、朝食を摂り、慌ただしく家を出る時間だ。だが今日は、その喧騒がない。あるのは、自分の荒い呼吸音と、時折漏れる咳の音だけ。孤独感が、じわりと胸に広がっていく。


(……天峰は、……俺が休んだこと、もう知ってるだろうな)


 ぼんやりとした意識の中で、彼女の顔が浮かんだ。クラスが同じなのだから、俺が欠席していることは、ホームルームで伝わっているはずだ。彼女は、どう思っているだろうか。心配、してくれているだろうか。それとも、ライバルが一人減って好都合だと、内心で思っていたりして。いや、彼女はそういう人間ではないか。


 熱のせいか、思考がうまくまとまらない。朦朧とした意識のまま、俺は再び眠りに落ちていった。


 次に目が覚めたのは、昼に近い時間だった。喉がカラカラに渇いている。重い身体を引きずるようにベッドから起き上がり、キッチンへ向かう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、常温に戻るのも待たずに一気に呷る。冷たい水が、熱い喉を通り過ぎていく感覚だけが、妙に鮮明だった。


 トイレを済ませ、再びベッドへ。体温計で熱を測ると、まだ38度近い。薬を飲みたいが、食欲は全くなく、胃に何かを入れる気にもなれない。今はただ、眠って体力を回復させるしかない。


 眠っては、咳き込んで目を覚ます。トイレに行き、水分を補給し、また眠る。その繰り返し。時間の感覚が曖昧になっていく。窓の外の光の色が、白っぽい昼の色から、オレンジがかった午後の色へと、ゆっくりと移り変わっていくのを、ぼんやりと眺めていた。


 夕方に近づくにつれて、朝のような猛烈な悪寒や節々の痛みは、少し和らいできた気がする。頭の重さも、多少ましになったようだ。だが、喉の痛みと、しつこい咳だけは、依然として残っている。


(……少しは、マシになったか……)


 横になったまま、天井を見上げる。まだ身体は怠いが、意識は少しはっきりしてきた。何か、消化の良いものでも口にした方がいいのかもしれない。冷蔵庫に、ゼリー飲料くらいはあっただろうか。


 そんなことを考えていた、まさにその時だった。


 静かな部屋に、場違いなほど明るいインターフォンの音が響き渡った。誰だ? こんな時間に。宅急便の予定はない。セールスか何かだろうか。無視してもいいかと思ったが、もう一度、音が鳴る。


 仕方なく、重い身体を叱咤し、ベッドからゆっくりと起き上がる。壁に手をつきながら、ふらつく足取りで玄関へと向かう。咳を一つ堪えながら、壁に取り付けられた、インターフォンのモニターに目をやった。


 そこに映し出された映像に、俺は息を呑んだ。


 画面の中には、見慣れた制服姿の少女が立っていた。少し心配そうな、それでいて、何かを決意したような強い意志を宿した瞳で、まっすぐにレンズを見つめている。肩にかかる、艶やかな黒髪。整った顔立ち。


 ――天峰、澄香。


 なぜ、彼女がここに? わざわざ、家まで……?


 思考が追いつかない。ただ、モニターに映る彼女の姿から、目が離せなかった。咳で少し霞む視界の中で、彼女の存在だけが、やけに鮮明に、そして強く、俺の意識に焼き付いていた。

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