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第23話 明日、もう少しだけ素直に

「……澄香。……もしかして、だけど……彼のことが、……好きに、なったんじゃない?」


 桜の、ストレートな問い。私は、持っていた箸を、カタン、と弁当箱の上に落とした。


 好き? 私が? あの男を?


 ここ数週間、彼と過ごす時間が増える中で、確かに、何かが変わった。最初は、ただ気に食わないライバルだったはずなのに。いつの間にか、彼の些細な言動が気になり、彼の笑顔を見ると胸がざわつき、彼の声を聞くと耳が熱くなる。そして、金曜日の、あの雨の日。あの一件が、決定打だったのかもしれない。


「……わからない。……たぶん、まだ、違う……と思う」


 それでも、素直に認めることはできなかった。


「でも……前とは、違うのは確か。もう……『どうでもいい相手』とは、思えなくなってる」


 それが、今の私の、精一杯の告白だった。沙織と桜なら、この複雑な気持ちを、少しは理解してくれるかもしれない、と思ったから。


「うわー、青春だねぇ……。甘酸っぱいねぇ……」


 桜が、うっとりとした表情で、まるで自分のことのように呟いている。


「でも、澄香が、ねぇ……。こんな、少女漫画のヒロインみたいな反応するなんて、正直、ちょっと面白いかも」


「そうね。いつものクールな澄香はどこへやら、って感じ」


 沙織も、くすくすと笑っている。


 うるさい。わかっている。普段の私なら、こんな風に感情に振り回されることなど、ありえない。常に冷静で、理性的で、他人に心を乱されることなどないはずだった。なのに、今はどうだ。彼のことを考えるだけで、胸が苦しくなり、顔が熱くなり、手が震える。本当に、どうかしている。


「でもさ、澄香。あの噂、結局、誰が広めてるんだろうね?」


 桜が、ふと我に返ったように尋ねた。


「さあ……。私からは、誰にも話してない。今、あんたたちに話したのが初めて」


「そうよね……。じゃあ、やっぱり、誰かに見られたのかしら……」


 沙織が、顎に手を当てて考え込む。


「金曜日の帰り道とか、彼のマンションの近くとか……誰か知り合いにでも会った?」


「……いや、特に……見かけた覚えは、ないけど……」


 私は、記憶を辿ってみるが、誰かに見られたという確信はなかった。ただ、あの時は雨が降っていたし、彼の服を着て傘を借りていたという、いつもとは違う状況だったのは確かだ。


「でも、『一緒に帰ってた』とか、『すごく仲良さそうだった』とか、そういう感じの話は聞くわよ?」


 沙織が付け加える。一緒に帰っていたのは事実だが、「仲良さそう」というのは、見た人の主観が入っているのだろう。


「あと、『天峰さんが男の子の服を借りてた』って話もね。これはかなり具体的だけど……」


 沙織が少し言い淀む。その言葉に、全身の血の気が引くのを感じた。それは、もう、事実そのものだ。どうして、そんなことまで……。


「やっぱり、どこかで見られてたんだろうねぇ」


 桜が、諦めたように言った。


「澄香、あの赤いフーディ着て、傘借りてたんでしょ? あの格好、結構目立ってたんじゃない?」


 確かに、彼のぶかぶかの服は、普段の私とは全く違う印象だったはずだ。誰かに見られて、憶測が憶測を呼んで、少しずつ話に尾ひれがついた、ということなのだろう。


「まあ、そういうことにしておくしかないのかもね……。憶測だけで変な噂が広まるのは困るけど、見られたなら仕方ないわ」


 沙織が、ため息交じりに結論づける。


「まあ、別に悪い噂ってわけでもないし、気にしないのが一番かもね?」


 桜が、あっけらかんと言う。


「でも……! 周りの連中が、私とあの人のこと、面白おかしく噂してるのは、やっぱり気分悪い……!」


 私は、弁当箱の中で、ブロッコリーを箸で突き刺しながら、吐き捨てるように言った。


「特に、『王子様』なんて呼ばれてるあいつに、私が釣り合うのか、とか……そんな目で見られるのは、我慢ならない」


「あら、どうして?」


 沙織が、不思議そうに首を傾げる。


「怜央自身が、澄香を選んで、アプローチしてるんでしょう? 周りがとやかく言うことじゃないわ。それに、二人が釣り合わないなんて、誰も思ってないと思うけど?」


「そうそう! 美男美女で、成績優秀で、スポーツもできて! まさに、理想のカップルじゃん!」


「実際、結構みんな、『あの二人ならお似合いだよね』って言ってるわよ? まあ、中には嫉妬してる子もいるみたいだけど、それは仕方ないわ」


 二人の言葉は、慰めなのだろうか。それとも、本気でそう思っているのだろうか。どちらにしても、今の私には、素直に受け止められなかった。


「……でも、私たちは、まだカップルじゃない。ただの、『友達から』の関係だってば」


「でも、澄香の気持ちは、もう変わり始めてる。だったら、その先を考えても、いいんじゃない?」


 桜が、悪戯っぽくウインクする。


 友達、以上……。その言葉の響きに、また心臓が跳ねる。


「……どうしたら、いいのか、わからない……」


 思わず、弱音がこぼれた。


「別に、どうかしなきゃいけない、なんてことはないと思うわよ」


 沙織が、食べ終えたサンドイッチの包みを畳みながら、静かに言った。


「自然に任せて、自分の気持ちがはっきりするまで、待てばいい。怜央も、きっとそれを望んでる。『友達から』って言ったのは、そういう意味でもあるはずだから」


 ……そうかもしれない。彼は、誠実な人間だ。私の気持ちを無視して、強引に関係を進めようとはしないだろう。


「今日みたいに、あからさまに動揺してたら、逆に怜央の方が心配しちゃうかもしれないけどね」


 沙織の指摘に、ハッとする。そうだ、今日の私の態度は、あまりにも酷かった。彼に、嫌われたと誤解させてしまったかもしれない。ただ、私が勝手に意識して、パニックになっていただけなのに。


「……明日は、もう少し、普通に……接するように、努力する」


「うん。でも、無理はしないでね。自然体が一番よ」


 沙織のアドバイスを、胸に刻む。


「あとさー、手が触れたくらいで、逃げ出すのは、さすがにやめた方がいいと思うなー。あれは、さすがに可哀想だったよ、二宮くん」


 桜が、面白そうに、しかし少しだけ同情するように言った。


「……っ! あれ、見てたの!?」


「見てたっていうか、クラス中が見てたみたいだし、光の速さで噂が広まったよ。『天峰さん、二宮くんに触れられて、顔真っ赤にして逃亡! 超かわいい!』って」


 ……もう、本当に最悪だ。羞恥で、顔から火が出そうだ。クラス中の笑いものになっていたなんて……。しかも、「かわいい」とか言われているとは。


「……確かに、あれは……我ながら、馬鹿なことをしたと思う……」


 今思い出しても、信じられない行動だ。けれど、あの瞬間、彼の指先が触れただけで、あの夢の記憶が、鮮明に蘇ってきて……どうしようもなかったのだ。


「それにしても、澄香。……本当に、変わったわね」


 沙織が、感慨深げに呟いた。


「あの日、屋上で怜央から告白された時……『友達から』っていう提案に、すごく戸惑ってたのに。今じゃ、すっかり……」


「すっかり、恋する乙女、って感じ?」


 桜が、茶化すように、しかしどこか温かい目で、私を見る。……否定、できなかった。


「……ただのライバルだったはずの相手が、こんな風になるなんて……自分でも、よくわからない」


 沙織が、ふっと遠い目をした。


「初恋って、そういうものなのかもしれないわね」


 その言葉が、妙に心に沁みた。


「……初恋、なのかな……。これって」


 思わず漏れた呟きに、二人は、ただ優しく微笑んでくれるだけだった。


「放課後は、どうするつもり?」


 桜の問いに、少し考える。放課後……。いつもなら、図書室へ行くところだ。けれど、今日のこの状態で、彼と二人きりになる可能性がある場所へ行くのは……。


「……今日は、真っ直ぐ帰る。……ちょっと、頭、冷やしたいから」


「そうね。それがいいと思うわ」


 沙織が、静かに頷く。


「……ちゃんと、気持ち、整理してから……彼に、会いたい」


 そう言った瞬間、昼休み終了を告げるチャイムが、無情にも鳴り響いた。


「あ、やば。もう終わり?」


 慌てて弁当箱を片付けながら、立ち上がる。


「澄香、焦らなくていいからね。自分のペースで」


 沙織の言葉に、私は、こくりと頷いた。


「……うん。……でも、明日は、もう少し……マシな態度、取るようにする」


 生徒会室を出て、教室へと向かう廊下。私は、何度も深呼吸を繰り返した。昼休みに、親友たちに話を聞いてもらったことで、少しだけ、ほんの少しだけ、気持ちが整理できたような気がする。


(怜央くん……)


 心の中で、彼の名前を呼んでみる。いつの間にか、「二宮くん」ではなく、彼の名前で呼びたいと思うようになっている自分に気づく。……本当に、どうかしている。でも、この感情は、もう無視できない。特別なものだ。彼の笑顔。声。仕草。そのすべてが、私の心を掴んで離さない。どう対処すればいいのか、まだわからないけれど。この、「友達以上」になりつつあるかもしれない関係を、大切にしたい、と……そう、思ってしまっている。


 教室のドアの前で、最後にもう一度、深呼吸。扉を開けると、席に着いていた二宮くんと、視線が合った。彼の瞳に、心配と、そして、ほんの少しの期待が混じっているように見えた。


 私は、勇気を出して、彼に、小さく、ほんのわずかに、微笑みかけてみた。彼も、驚いたように一瞬目を見開き、それから、ふわりと、柔らかく微笑み返してくれた。


 席に着きながら、小さな声で呟く。


「……さっきは、ごめん。……ちょっと、どうかしてた」


「いや、……気にするな」


 彼の、穏やかで、優しい声。それが、ささくれ立っていた私の心を、少しだけ、宥めてくれるようだった。彼は、私の不安定な態度を、責めずに、受け止めようとしてくれている。そのことが、また、私の心を揺さぶる。


 午後の授業が始まる。けれど、私の意識は、もう明日のことに向いていた。明日こそは。もう少し、自然に。もう少し、素直に。彼との距離を、縮められたら……。そして、いつか、この厄介で、けれど無視できないこの気持ちの正体を、ちゃんと見極めて、彼に……。


 そんなことを考えながら、私は、ペンを握りしめた。

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