第11話 共通の夢と過去
俺は、コンビニで調達してきたメロンパンとサンドイッチを取り出す。自炊はするが、昼食は手軽に済ませることが多い。一人暮らしだと、どうしてもそうなってしまう。
「あれ? 二宮くん、コンビニ飯? もっとちゃんとしたの食べてるイメージだった!」
百合川さんが、目を丸くして意外そうな声を上げる。
「ああ、朝はあまり時間がなくてな。昼はこれで十分だ」
淡々と答えるが、少しだけバツが悪い。隣では、悠貴が「一人暮らしは朝、大変なんだよな」と、絶妙なフォローを入れてくれている。ありがたい。
ちらりと、向かいの天峰の弁当に目をやる。彩り豊かで、栄養バランスも考えられているのが一目でわかる。卵焼き、ミニトマト、ブロッコリー、そしてメインのおかずは何だろうか。丁寧に作られているのが伝わってきて、彼女の真面目な性格が表れているようだった。
「澄香のお弁当、いつも美味しそうよね。中学の頃から自分で作ってたんでしょ?」
沙織が、俺の視線に気づいたかのように言った。
「へえ、そうなのか?」
思わず、感嘆の声が漏れる。
「うん……まあ、母が仕事で忙しかったから、自然と……」
天峰が、少し照れたように俯きながら答える。その仕草が、妙に……可愛らしいと感じてしまう自分に、少し笑ってしまう。
「そうそう! 澄香のお父さんもお母さんもお医者さんなんだよね! すごいよねー!」
百合川さんが、さらに情報を付け加える。
「医者の家系か……」
自然と、尊敬の念が口をついて出た。
「だから澄香も、小さい頃からお医者さんになるのが夢なんだって! 本当にすごい努力家なんだから!」
百合川さんの言葉に、天峰は「そんなことないよ」と謙遜するが、その表情はどこか誇らしげにも見えた。
「え、天峰さん、医者志望なんだ? 何科になりたいとか決まってるの?」
悠貴が、純粋な興味から尋ねる。
「まだ具体的には……。親のクリニックを継ぐとしたら、内科とかになるのかな……。でも、色々な分野に興味があって、まだ迷ってる」
真剣な表情で、自分の将来について語る天峰。その姿は、普段のクールな印象とはまた違い、ひたむきさが伝わってくる。
「へえ、そうなんだ。実はさ、怜央も医者志望なんだぜ?」
突然、悠貴が爆弾を投下した。俺は思わず、飲んでいた水を噴き出しそうになる。余計なことを……いや、待てよ。これは、むしろ……好機かもしれない。
「えっ、 あなたも? 本当に?」
天峰が、驚いたように目を丸くして俺を見る。百合川さんも、「えー! すごい偶然!」と興奮気味だ。
「……ああ、まあな」
努めて冷静に答える。だが、内心では、この偶然の一致に、運命のようなものを感じずにはいられなかった。
「えっと、どんなお医者さんになりたいの?」
天峰が、身を乗り出すようにして尋ねてくる。その瞳には、純粋な好奇心と、そして、ほんの少しの共感が宿っているように見えた。
「……呼吸器内科か、それか、アレルギー関連の小児科医を目指している」
普段なら、あまり人に話さない個人的なことだ。けれど、彼女になら、話してもいいと思った。
「……何か、きっかけがあったの?」
天峰の真剣な問いかけに、俺は少しだけ、遠い日の記憶を辿った。
「……子供の頃、重い喘息持ちだったんだ。今も、完全に治ったわけじゃないんだが……。よく、ひどい発作を起こして、救急外来に駆け込んでたりしてな。ある日、処置を受けて、明け方近く、ようやく帰れることになった時……病院のロビーで、疲れ切った顔で仮眠している医師がいたんだ」
あの夜の、息苦しさ。不安。そして、ぼんやりとした意識の中で見た、白衣の背中。
「その先生が、呼吸器科の?」
「いや、アレルギー領域の小児科医だった。……自分の時間を削って、見ず知らずの子供のために、そこまで必死になれる姿を見て……憧れたんだ。それ以来だな、医者を目指すようになったのは」
語り終えると、天峰は、じっと俺の目を見ていた。その瞳には、深い共感と、そして尊敬の色が浮かんでいるように見えた。
「……大変だったと思うけど……でも、すごく、素敵なきっかけだと思う」
彼女の、静かで、けれど心のこもった言葉が、俺の胸に温かく響いた。
「天峰は……やっぱり、ご両親の影響が大きいのか?」
今度は、俺が尋ねる番だ。
「うん、それが一番大きいかな。でも、小さい頃から、両親が患者さんに感謝されている姿を見てきて……本当に、人の役に立てる、尊い仕事だと思ってるから」
彼女の言葉には、嘘偽りのない、強い意志が感じられた。同じ目標を持つ者として、純粋に、彼女を尊敬する気持ちが湧いてくる。
「医学部って、勉強、めちゃくちゃ大変なんでしょ?」
百合川さんが、現実的な疑問を口にする。
「高校の勉強だけでもヒーヒー言ってるのに……想像もつかないよ」
「まあ、確かに楽ではないだろうな。でも、やるしかないだろ」
悠貴が、サンドイッチを頬張りながら、あっけらかんと言う。
「澄香も二宮くんも、成績トップクラスだから、余裕なのかなぁ?」
百合川さんの羨望の眼差しに、天峰は慌てて首を横に振った。
「私だって、苦手な科目もあるし、毎日必死に勉強しての現状だから」
「天峰の努力は、俺も知ってる。図書室で、いつも一番遅くまで残ってるのは、大抵天峰だからな」
思わず、普段から彼女の姿を目で追っていたことを、口にしてしまっていた。
「……あなたこそ。いつも涼しい顔してるけど、本当はすごく努力してるんでしょ?」
天峰が、少し探るような目で俺を見る。
「……努力というか、やるべきことをやっているだけだ。俺にだって、苦手なことはあるからな」
謙遜ではなく、事実だ。ただ、それを表に出さないようにしているだけで。
「んー、でもさー、二人とも勉強だけじゃなくて、スポーツもできるんでしょ? それって、反則じゃない?」
百合川さんが、拗ねたように言う。
「そういえば澄香、中学の時、トライアスロンで全国大会に出てたのよね?」
沙織が、絶妙なタイミングで話題を提供する。
「トライアスロン?」
俺は、素直に驚きの声を上げた。水泳、自転車、長距離走。過酷な競技だ。それを、彼女が?
「別に、大したことじゃないから。ジュニアの部だし、全然、上位とかじゃ……。走ったり泳いだりするのが好きでやってて、真剣にトップ選手を目指してたわけでもないしね」
天峰が、顔を少し赤くして謙遜する。その反応が、また新鮮で、目が離せない。
「あなたは? 何かスポーツやってたの?」
天峰が、興味津々といった様子で俺に尋ねてきた。
「ああ。……競泳を。専門は、バタフライだった」
「へえ! すごい! バタフライって、一番難しいって聞くけど……」
彼女の目が、わずかに輝きを増したように見えた。先ほど行っていた通り泳ぐのも好きなのだろう。
「怜央はさ、ただやってただけじゃないんだぜ? ジュニアオリンピックにも出場経験あるんだからな!」
悠貴が、またしても得意げに、そして余計な情報を付け加える。
「ジュニアオリンピック!? えっ、何それ、めちゃくちゃすごくない!?」
百合川さんが、目を輝かせて叫ぶ。
「いや、大したことじゃない。名前はすごいが、ただの国内の全国大会だ。しかも、俺は出場しただけで、予選落ちだ」
事実を述べただけだが、少しだけ照れくさい。
「競技人口が多いスポーツで全国大会出場は誇っていいよ」
天峰が、素直な感嘆の声を上げる。彼女のその言葉が、どんなメダルよりも、俺の心を強く満たした。
「そんな大会に出るなんて……相当、練習したんでしょうね」
「まあな。毎日、朝練と放課後、それに休日も、ほとんど毎日水の中にいた。……それは、そっちも同じだろう? トライアスロンだって、相当な練習量が必要なはずだ」
「そう考えると、スポーツと勉強って、どこか似てるわよね」
沙織が、静かに呟いた。
「どっちも、地道な努力の積み重ねが一番大切で、そして、それが一番難しい……」
「ほんと、澄香も二宮くんも、それを両立できてるのがすごいよ……」
百合川さんが、深いため息をつく。
「私なんて、この前の数学の小テスト、悲惨な点数取っちゃって……」
「あら、桜、数学苦手だったの?」
沙織が意外そうな顔をする。
「今回の範囲の応用問題が、もう全然わからなくて! このままだと、中間テスト、赤点かも……補習、絶対やだー!」
百合川さんが、本気で落ち込んでいるようだ。
「ああ、先週の授業、確かに難しかったな」
天峰も、同情するように頷く。
「先生にも、『このままじゃマズいぞ』って言われちゃったんだよね……。もう、中間テストが怖すぎる……」
百合川さんは、テーブルに突っ伏してしまった。
「応用問題か……。私も、ちょっと苦手意識あるかも」
「俺も、数学は得意じゃないな」
沙織と悠貴も、それぞれ苦笑いを浮かべる。
「天峰は、大丈夫なんだろ?」
俺が尋ねると、彼女は少し困ったように眉を寄せた。先日、図書室で一緒に勉強した時、彼女の数学の理解力は決して低くないと感じたが。
「うん、基本問題なら大丈夫だと思うけど、応用になると、ちょっと自信ない……。あなたは、数学、得意なんでしょ?」
謙遜しながらも、俺に話を振ってくる。これは、チャンスかもしれない。
「ああ。数学は、まあ、得意な方だと言えるな」
少しだけ、自信を込めて答える。
「えーー、やっぱり! さすが二宮くん!」
「どうやったら、そんなにスラスラ解けるようになるの? コツとかある?」
百合川さんが、期待に満ちた目で俺を見てくる。
「コツ、か……。強いて言うなら、公式をただ暗記するんじゃなくて、その意味をちゃんと理解することだな」
俺は、自分の考えを簡潔に説明する。
「なぜその計算が必要なのか、どういう理屈でその公式が成り立っているのか。そこを理解すれば、応用問題にも対応できるようになるはずだ」
「なるほど……! すごい、わかりやすいかも!」
百合川さんの目が、キラキラと輝き始めた。
「ねえ、二宮くん! お願い! 私に、数学教えてくれない!?」
彼女の、あまりにもストレートな頼み方に、俺は一瞬面食らったが、悪い気はしない。むしろ、これは絶好の機会だ。
「……ああ、いいぞ。時間がある時なら」
快諾しながら、ちらりと天峰の様子を窺う。彼女も、興味深そうにこちらを見ている。……よし。
「それなら……!」
その時、沙織が、何かを閃いたように、ぱんと手を叩いた。
「みんなで、テスト対策の勉強会、しない?」
評価やブクマをしていただけますと大変嬉しいです。




