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第1話 屋上の告白

 天峰澄香。


 風が吹き抜け、彼女の艶やかなミディアムボブがさらりと揺れる。

 その一瞬、覗いた琥珀色の瞳に、俺は思わず息を呑んだ。まるで世界から音だけが消えたような、静かな衝撃。


 容姿端麗、というありふれた言葉では到底足りない。けれど、その完璧すぎるほど整った顔立ちと、どこか人を寄せ付けないクールな雰囲気は、彼女の周りに見えない壁を作っているようにも見えた。入学当初から、告白が絶えないと噂には聞いていた。まあ、当然だろう。俺自身、彼女が視界に入るたびに、無意識に目で追ってしまうことがあるのだから。


 高校二年生に進級し、偶然にも隣の席になった。最初は、ただそれだけのことだったはずだ。綺麗なクラスメイト。それ以上でも、それ以下でもない、遠い存在。


 だが、近くで彼女を見るうちに、その印象は少しずつ、しかし確実に変わっていった。


 授業中に考え事をするとき、無意識にペン先で下唇を軽くつつく癖。教科書のページをめくる、どこか丁寧な指の動き。誰も見ていないところで参考書を読みふける、真摯な眼差し。


 周りが騒ぎ立てる『完璧な天峰さん』という偶像だけではない、彼女自身の持つ、不器用なまでの実直さや、ひたむきさ。隣の席になって初めて知ったが、彼女は自分の信念に驚くほど忠実だ。誰に頼まれたわけでもなく教室の備品を整頓したり、困っているクラスメイトがいれば、さりげなく、けれど的確に手を貸したりする。感謝されたいわけでも、目立ちたいわけでもない。ただ、彼女の中で「そうするのが当然」だから、そうしているだけ。そんな潔さが、彼女の佇まいにはあった。


 そして、人知れず努力を重ねる人だということも。放課後の図書室、参考書に向かう真剣な横顔。黙々とペンを走らせる姿には、付け焼き刃ではない、確かな積み重ねが刻まれている。中学時代にスポーツで全国大会に出たという噂も、日々の鍛錬の結果だろうし、定期テストで常に上位にいるのも、見えない場所での努力の証左に他ならない。


 彼女は天才ではない。少なくとも、本人はそう思っているだろう。ただ、誰よりもストイックに、自分自身と向き合っているだけなのだ。


 そんな彼女の、脆さのようなものすら感じるひたむきさに触れるたびに、俺の中で何かが静かに、けれど確実に育っていくのを感じていた。


 気づけば、目で追っている。この感情が何なのか、最初は戸惑った。けれど、もう誤魔化せない。この胸の高鳴りは、紛れもなく「恋」なのだと。


 そして今日、ゴールデンウィーク明けの澄み渡った空の下、五月の陽光が降り注ぐ校舎の屋上で、俺はその想いを告げる覚悟を決めた。


「最初は……正直、他人事だったんだ」


 声が、自分でもわかるくらいに震えている。柄にもなく緊張していて、指先が冷たい。いつもは冷静沈着でいられるはずの自分が、こんなにも脆いものだったとは、新たな発見だった。


「入学した頃、綺麗な子がいるって噂で聞いてたけど、ふーん、くらいにしか思ってなかった。遠い世界の住人だって。でも――」


 天峰の、深い森の湖面を思わせる琥珀色の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。その強い眼差しに吸い込まれそうで、一瞬、頭の中が白くなる。それでも、ここで引き返すつもりはない。計画してきた言葉ではなく、衝動に近い、ありのままの言葉を紡ぐ。


「隣の席になって、君のことを知るうちに……どんどん惹かれていった。君の真面目さも、努力家なところも、少し不器用なところも……全部。気づいたら、目で追ってた。こんな気持ちになったのは初めてで、戸惑ったけど……もう、確信してる」


 心臓の音が、やけに大きく鼓膜を打つ。


「俺は……天峰のことが、好きだ」


 言葉にした瞬間、不思議と心が軽くなった。ずっと胸につかえていた重い何かが、ようやく形を得て、解放されたような感覚。眩しい光が彼女の白い頬を淡く照らし、その表情は読み取りにくい。だが、俺は続けた。これが、俺なりの誠意だった。


「……だから、」


 一呼吸置き、俺は本題に入る。これが、俺が連休中に練り上げた、最善と信じる「プラン」だった。


「いきなり、付き合ってほしい、とは言わない。俺のことをよく知りもしないのに、そんなこと言われても、困るだけだと思うから」


 必死に言葉を紡ぐ俺の表情は、きっと見たことがないほど真剣だろう。その瞳に映る俺は、今、どんな顔をしているのだろうか。


「俺は、天峰のことをもっと知りたい。そして、俺自身のことも、ちゃんと知ってほしい。だから――」


 彼女は、ただ黙って俺の言葉を聞いている。その静寂が、肯定なのか否定なのか、判断がつかない。


「俺と……友達になってくれないか」


 これが、俺が出した答え。好きだからこそ、焦らず、関係を築きたい。彼女の気持ちを無視した自己満足にはしたくない。



 二宮怜央。


 いつも涼しい顔で何でもこなしてしまう彼が、今は珍しく、わずかに手を震わせている。その意外な姿に、少しだけ、ほんの少しだけ、心が動いたのを自覚した。


 女子たちが「王子様」なんて呼んでいるのを耳にする。確かに、整った顔立ちに、爽やかな雰囲気。勉強もスポーツもそつなくこなし、誰に対しても物腰が柔らかい。入学以来、告白されている場面を何度か見かけたこともある。

 首席で入学し、常に学年トップを維持する秀才。私にとっては、いくつかの科目で一位を争う、厄介なライバルでもある。そんな彼が、こんなにも緊張を露わにするなんて。少しだけ、人間らしいところもあるんだな、と思った。


 今日の昼休み、「話がある」と彼に呼び出された時点で、まあ、そういうことだろうという予想はついていた。告白されること自体は、もう慣れたと言ってもいい。けれど、まさか相手が二宮怜央だとは、さすがに予想外だった。しかも、こんな人目のある屋上に呼び出すなんて。彼らしくない、大胆な行動。


『好きだ』――そのストレートな言葉には、驚きはしたが、嫌悪感はなかった。むしろ、彼の真剣さが伝わってきて、少しだけ胸がざわついた。今まで、数えきれないほど告白を受けてきた。そのほとんどが、私の外見や、周りが作り上げた『完璧な天峰澄香』というイメージに向けられたものだったように思う。けれど、彼の言葉は、どこか違う響きを持っていた。


 そして、続く言葉はさらに予想外だった。

『俺と……友達になってくれないか』


 は?


 思わず、小さく息を漏らす。告白からの、友達。予想外の展開に少し面食らったけれど、同時に、胸の奥がさらに微かにざわつくのを感じた。


「……友達、ね」


 私が繰り返すと、彼は真剣な表情で頷いた。


「ああ。まずは、一緒に過ごす時間を作って、お互いのことを知りたい。その上で、もし君が俺のことを受け入れてくれるなら……その先のことを考えてもらえたら嬉しい」


 彼の言葉には、駆け引きも、下心も見えない。ただ、まっすぐな誠実さだけがそこにあった。アクセサリーのように私を欲しがるのではなく、一人の人間として向き合おうとしてくれている。そんな気がした。


 心が、揺さぶられる。

 普段はクールで完璧に見える彼が、こんなにもストレートに想いを伝え、そして「友達から」という不器用な提案をしてくる。そのギャップが、私の中に小さな波紋を広げている。


「……わかった。友達……からなら」


 そう答えると、二宮くんは、張り詰めていた息をふっと吐き出して、柔らかく微笑んだ。まるで、厚い雲間から陽射しが差し込んだような、穏やかで、少し照れたような笑顔。


 この完璧な優等生にも、こんな顔があったんだ。その発見が、私の心をさらにざわつかせる。


「ただし」


 と、私は付け加える。ここで釘を刺しておかないと、後々面倒なことになりそうだ。


「友達の範囲を超えてきたと思ったら、そのときは……容赦しないから」


 私が少しだけ睨むように言うと、彼は少し慌てたように、けれど真剣な表情で頷いた。


「もちろん。迷惑をかけるつもりはない。……俺は、俺が君の隣に立つにふさわしい人間なのかどうか……それを、君と一緒にいる時間の中で、見極めたいだけだから」


 こういう言葉を、照れもせずに真正面から言えてしまうのが、二宮怜央という人間の強さなのだろう。自分を飾るのではなく、本当の意味で相手と向き合おうとする姿勢。それが、私の心を静かに揺らす。


 その素直な反応に、少しだけ、彼を信用してみてもいいかもしれない、と思った。というか、正直に言えば、少しだけ、面白そうだとも感じていた。この、完璧な優等生が、私相手にどんな風に関係を築こうとするのか。


 これが、世間で言う『恋』というものなのかどうか、今の私にはまだわからない。けれど、あの二宮怜央をこんな風に行動させてしまう感情が、確かにここにあるのだろう。


「ん、わかった。……じゃあ、そろそろ戻ろう。あんまり長くここに二人でいると、面倒な噂になりそうだし」


 そう言って、私は屋上の扉に向かって歩き出す。そのとき、自分でも気づかないうちに、口元がほんの少しだけ緩んでいるような気がした。いつもの無表情な私とは、少し違う顔。そんな自分に、ほんの少し嫌悪感を覚える。


 流れに飲まれて、友達とはいえ了承してしまったことに、少し後悔をする。そう想いながら――。


 現時点で、彼に対して恋愛感情があるとは、まだ言えない。けれど、これから彼と過ごす日々の中で、私たちがどう変わっていくのか――その答えを探すのは、少しだけ、楽しみかもしれない。

評価やブクマをしていただけますと大変嬉しいです。

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