白紙のノート
僕は彼女の字が好きだった。
白く細い手からは想像も出来ない程太く大胆な字に、何度も鉛筆が折れた跡を残した黒い線。
そのアンバランスさに惹かれたのだ。
初めて字を見たのは国語の授業。書いた詩を誰かと見せ合う授業で偶然僕の隣の席に居たのが彼女だった。
震える手でノートを手渡した彼女は「汚い字でごめんね」と笑った。確かにお世辞にも上手いとは言えない拙い字だが、びっしりと文字が並ぶ光景。そして引き伸ばされた消しゴムの跡が努力の証を示している。けども、肩を強ばらせて僕の目線を確認するその仕草に思わず「僕は好きだよ、この字」なんて柄にでもない臭い台詞を口に出してしまった。
彼女は驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑い感謝の言葉を述べた。
その日は僕にとっての特別な日で。
僕にとっての記念日で。
彼女にとっての命日だった。
あの日、彼女は休み時間に席を立った。珍しいと思いつつ僕はあの字に思いを馳せていた。しかし、彼女が戻ってくることは無かった。心配になるも教室はいつも通りに時が進んでいく。まるで彼女なんて初めからいなかったかのような扱いで進んでいく。だから僕は嫌気が差した。あんなにクラスの中心的な存在の彼女が居なくても平気なクラスメイトを心底軽蔑した。しかし僕が出来ることなんてなにもない、そう思いふと彼女の席を見る。誰も居ない席に陽の光が暖かく差し込んでいる。今日は雲一つもない良い天気だ、なんて呑気に伸びをした僕の視界に影が横切った。
それは彼女だった、彼女は笑いながら僕を見ていた、僕だけを見ていた、僕も彼女だけを見ていた。まるで二人だけの時間のようにゆっくりと時は流れていく。けども一瞬で彼女の姿は見えなくなった。
周りの目なんかどうでもよくて、僕は立ち上がって階段を駆け下りた。廊下の窓から身を投げ出したその先に、彼女はいた。
まるで絵画のようでとても綺麗だった。内蔵も皮膚も分からないぐらいに汚い筈なのに、ソレは神聖な存在のように思えた。そして、彼女の横に落ちたノートがひらりと風に揺られてページを捲っていく。
そのノートには、何も書いてなかった。