第4話 魔道具学の真髄
「か、カナン奥様……」
「……なんだ、急に。」
おろおろとする周囲だが、私としては知ったことではない。あらためて眼前に立つとすごい匂いで気絶しそうにもなるけれど、逆にだからこそ根性で足に力を入れる。
「ですから、その身の上を私に任せてくださいと申しました。無体なことはなさいません。」
「……コーネリアンの娘よ。確かに私は貴殿を妻として迎え入れた。だがその時に提示した約定、条件を覚えているか?」
そう。怪物伯の妻となるにあたって幾つかの約束を提示された。
それが怪物伯と呼ばれる彼、オスカーの望んで出されたものなのか。あるいは怪物伯の怒りを買うことを恐れた国が決めたものなのかはわからないが。
「ええ、存じております。『夫婦間は不干渉』『家のことは基本家令に任せること』『妻としての役割は求めない。求めるのは領土に如何に役立つか』。この三つですね」
家のことを何もせず、妻としての役割も果たせず、不干渉で在り続ける。ただの娘ではとてもではないが耐えられないだろう。
頼みの綱の社交の場とて、辺境在住で……さらには怪物伯の妻としての風評がある中で努めるのは重荷となるはず。
その状態で領土に役に立つなど無茶も良いところだ。だが。
「私はそれら全てを承知して、貴方の妻となるためにここに参りました。たとえ仮面夫婦だとしても、コーネリアン家の名に恥じぬような振舞いをする気概はございます。」
胸元に左手を当てて宣言をする。利き腕の右は大荷物を手にしているので。
「ですがそれとこれとは話が別……いいえ!そもあなたは領主でしょう?ルーンティナの国、その一つの領土を背負う立場である方が、身なりに気を使わないなどとあり得ません!」
王都の一流ファッションを身にまとえなどと無理無体は申しませんが、せめて清潔感くらいは身につけていただきませんと!
「あなたの心証ひとつがこの領土の外部からの心証へと繋がるのです。これもまた領のため。疑うのでしたら後で離縁を宣言するなり不敬罪で裁くなりご自由にどうぞ。けれどもこちらが婚姻を受けた以上、一つくらいはあなたも私の言葉を聞き入れていただけません?」
「……変わった娘だな、お前は。」
高らかに胸を張り宣言すれば、呆れた顔をされました。顔は相変わらず毛だらけで見えませんが、ええ確かに。
とは言え断られないのならば僥倖。左腕でオスカーさまの手首を掴み、右手に大荷物を持って浴室に向かいます。
荷物を持つからとワイマンさんには言われましたが、こちら大事なものが入っていますから。
◆ ◇ ◆
これから旦那となる人を下着一枚を身につけたまま浴室に放り込み、あらかじめその毛を濡らすように声をかける。
……改めて考えるとものすごい不敬を働いている気もしますが、今はそれどころではありません。
「マルゥ!」
「はいはーい。器具と材料の準備は終わってますよ。サボニカルと地猿の皮脂と、ピュアフラワーでよろしいですか?」
「いえ、ピュアフラワーの香りをつけても根本の解決をしなければ何にもなりません。地猿ではなく天栗鼠のものと、それに角天馬の角を。」
「えっ、角天馬の角はすごいレアなものなのに……。」
「この際手段は選んでいられないわ。」
あの悪臭、おそらく一朝一夕のものではない。長年の汗と汚れが積み重なって出来たものだ。
一度きれいにリセットするには、角天馬の力を借りる必要がある。自らの従者に促しつつ器具の準備を進めていく。
私が学院で主に先行していたのは魔道具学。
魔獣や魔法石を素材として全く別種の製品を精製する学問だ。古くは錬金術、魔科学など様々な表現をされていたこともある。
要素分解の術式を唱えて合成の術式を唱えるだけの簡単なものだという人も中にはいるが、使う素材や合成の順番、作業の場の環境でも大きく結果は左右されることもある。非常に奥が深い学問だ。
とはいえ、今回やることはさほど大変なものではない。魔石を使用せずに要素分解と合成のみで作れる簡単なものだ。
「汝は個でなく群である、混ざれ元素」
分解の術を唱えれば天栗鼠の肉が見る見るうちにほどけ、魔力を込めた糸のようなものに変わっていく。
それを今度はサボニカルの樹液へと入れて混ぜ、仕上げに角天馬の角の魔力を付与すれば、透明な液体が生まれた。
ボトルへと詰め込み、似たようなボトルと合わせて手にすれば準備は万端だ。
「オスカーさま。そちらはご準備よろしいでしょうか?精々ご覚悟なさいませ。」
底意地の悪い笑みを浮かべているのでしょう、今の私ときたら!
ええ、ええ。認めましょう。今の私は呆れとともに確かに高揚しています。
久々に魔道具学の神髄を発揮できるのですから。
素材と技術で幾重にも効果が変わるそれを、お見せしてみせましょう。
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