2.憧れの場所へ
「ゆいとくん、起きて!!」
全身が激しく揺れる。重い瞼を開けると、僕の体を揺さぶっている雛さんの姿が見えた。
「ひ、雛さん!?」
僕は飛び上がって目を覚ました。なんで僕の部屋にいるんだ?
「おはよう、ゆいとくん。今日から学校でしょ。早く行こうよ!」
雛さんは今にも準備万端のご様子だった。枕元のアナログ時計を見る。時計は6:00を示していた。
「こんな時間から学校には行きませんよ。もうちょっと寝かせてください」
「えー、もう行こうよ」
「せめて7時半に起こしてください」
僕は布団を被るようにして再び眠りについた。
「もう仕方ないなー」
それから少し時間が経って…
「ゆいとくん、起きて!」
「ひ、雛さん!?」
「その反応2回目だよ」
枕元のアナログ時計を見る。時計は7:00を指していた。
「まだ7時じゃないですか」
「ゆいとくん。何事も十分前行動って言うでしょ」
「ならこれ30分前行動ですよ」
「…」
雛さんは黙り込んだ。
僕は布団を被るようにして、また再び眠りについた。
ジリジリジリジリジリジリジリジリ…
枕元で目覚まし時計の音が鳴り響く。寝ころびながら枕元の目覚まし時計に手を伸ばし、アラームのストップボタンを押す。体を起こし、時計を手に取り時間を確認する。時計は8:50を指していた。
「8時50分…か。ってこれ遅刻じゃねーか!!」
学校の朝礼の時間は8:40から、1限目の開始時間が9:00だ。家から学校まで自転車で最短20分かかる。この時点で遅刻が確定していた。
そういえば雛さんはどうした。7時で起きてたのだからさすがに寝ているなんてことはないはず。起きてるなら起こしてくれてもいいじゃないか。そんなことを思いながらベッド周辺の床にふと目をやる。
「雛…さん?」
そこには床に枕を置いて寝ている雛さんがいた。枕を置いていることから明確な二度寝の意思が見受けられる。
「雛さん寝てんじゃん!!」
「は!? 私はなにを」
僕の声で雛さんが目を覚ました。
「雛さんこれまずいです」
枕元の時計を雛さんに見せる。
「8時50分って7時半超えてるじゃん。私そんなに寝てたのか。いやー、10分だけ寝ようかなって思ってたんだけど…やっちゃった」
「そんなことより早く準備しないと。雛さんも準備してください」
「私はもう準備できてるよ」
そういえば6時の時点で準備万端のような感じだったな。
「てことは準備できてないの僕だけか」
「ゆいとくん急げ!」
「すぐに準備してきます」
現在の時刻は9時10分。場所は家の玄関前。さあここから学校までのタイムアタックが今始まる。最短記録は20分。今日こそ10分台に持っていきたいところ。
自転車に跨り、カバンを前のカゴへと放り込む。
「さあ雛さん、後ろ乗って」
「え、ここに乗るの?」
どうやら雛さんは二人乗り未経験者のようだ。
「そこに乗るんです」
「えーバランス悪そう。あとお尻痛そう」
文句を垂れながらも雛さんは僕の後ろに乗った。
「よし、じゃあ出発しますね」
ペダルに足を乗せる。全体重を片方のペダルに乗せ、それを交互に繰り返す。スピードが出始めればあとは座ってペダルを漕ぐだけだ。
「おー! 進んでる。早ーい!」
雛さんは二人乗りを満喫しているようだった。
「ゆいとくん、もっと早く」
「任せてください」
漕ぎ方を立ち漕ぎへとシフトし、全力でペダルを漕ぐ。
「風気持ちいいねー」
「このまま飛ばしていきますよ!」
と意気込んだのも束の間。しばらくするとさすがに足がパンパンになってくる。
「雛さん、ちょっと休憩」
「すごい汗。ならうちわで後ろから仰いであげよう!」
雛さんはどこからかうちわを取り出し、僕に向けて風を送る。
あー、気持ちいい。汗かいてるときの風ほど気持ち良いものはない!
数分足を休ませ、若干痛みが和らいだ。右足をペダルに乗せ、再度自転車を漕ぐ姿勢に入る。
「よし、じゃあ行きますよっ!」
現在の時刻は9時40分。場所は学校。タイムアタックの結果が出た。タイムは30分。まあ二人乗りなのだから仕方ないか。それより服が汗でヤバいことになっている。それも雨に降られた人のように。
でも僕は有能で賢いのだ。なんとこうなることを見据えて替えのシャツを持ってきていたのだ。雛さんが校舎の方に注意が向いている隙に、僕は濡れたシャツを脱いで新しいシャツに着替えた。
「ここが学校かー。すごい大きいんだね」
僕の学校は中高一貫校で校舎がかなり大きい。入学した頃はよく迷ったものだ。
「さ、早く教室へ行きましょう」
「うん!」
校舎に入り、なるべく先生と遭遇しないような経路を選択しながら教室へと向かった。
「なんでそんなこそこそと動いてるの?」
「先生に見つかったら色々と面倒なんです」
「朝礼出てない時点でもう遅刻バレてるじゃん」
「それでもなんか嫌なんです」
雛さんの言う通りなのだ。だけどなんか嫌なんだ。理由は無いけど。
「ドキドキするね。なんだか悪いことをしてるみたい」
「ですね。これはこれで楽しいでしょ」
何度も道を迂回し、遂に教室の前にたどり着いた。先生が授業をしている声が直に聞こえてくる。
「ここでこの三角形に余弦定理を用いて、ビーの二乗イコールエーの…」
どうやら何かの呪文を唱えているようだった。
「今数学の授業なんだ」
「雛さんこれ分かるんですか?」
「多少はね。学校行ってなかったけど、しっかり勉強はしてたんだよ」
「へえー、雛さんえらいですね」
「もっと褒めてくれてもいいんだよ」
「今の一言で凄さが吹き飛びました」
突如、教室前方の扉が音を立てて開いた。中から呪文の詠唱者が顔を出し、視線を僕に向ける。
「おい大浦。そこで何してるんだ。お前の声が教室の中に駄々洩れだったぞ。って、ん? 大浦ひとりなのか」
「あ、え、あっと、その」
途端の出来事に心臓がバクバクしている。口が思うように動かない。
「まあいいか。とりあえず中に入れ」
先生はそう言って教室の中へと戻っていった。僕と雛さんは顔を合わせ、にやけて笑った。
「怒られちゃったね」
「バレちゃいましたね。またここで話していても怒られるんで、とりあえず中に入りましょうか」
僕と雛さんは教室後方の扉から中へと入った。クラスの皆が視線を僕の方へと向ける。
「おお、大浦くんや。またまた重役出勤ですな」
「うるせぇ、前向いてろ」
最後列に座る友人が皮肉なる言葉を放ってきた。こいつは入院中に一応見舞いに来てくれたやつだ。何かのキャラクターのTシャツを着ていたやつと言えば分かるだろう。
僕の席は窓側の最後列だ。自席にたどり着くまで皆にずっと視線を向けられる。すごく恥ずかしい! こういうときに廊下側の席は良いんだよな。
僕の隣の席には誰もいない空き机がある。雛さんにはそこに座ってもらおう。
「雛さん、隣の机に座ってください」
「ここ座っていいの?」
「そこ誰も使ってないんで」
「やった。ゆいとくんの隣だ」
僕も雛さんが隣で嬉しいよ。これで授業中でも雛さんと話すことが出来る。最高だ。
「ゆいとくん、早くノートと教科書出さないとだよ。授業遅れちゃうよ」
カバンからノートと教科書を取り出し、机に広げた。
「えっとページは…」
「150ページだよ」
雛さんが横から囁いてくれた。
「ありがとうございます」
教科書を開け、書かれている内容を読む。そして数秒と持たずに僕の心がポキっと折れる音が聞こえた。こんなの、人語じゃない!
しばらくボーとしてペンで遊んでいると、横から雛さんにつつかれた。
「こら、ちゃんと授業聞く!」
あ、雛さん真面目なタイプの人だ。横で雛さんが目を光らせて僕を監視していた。
「はい…」
僕はしぶしぶ前を向いて授業を聞く姿勢をとる。横で雛さんは笑顔でうなづいていた。これは授業さぼれそうにないな。
この後も楽しい楽しい授業(監視付き)は続いた。