第88話 スイと龍帝
「父上はいらっしゃらないですか?」
「はい、お仕事でお出かけの御様子です」
「いつご帰還されるのでしょう?」
「申し訳ございません、存じ上げません」
「しょうがないですね。あの人は私が目を離すとすぐいなくなってしまって……」
侍女に父親不在を聞かされて不満顔で呟く様はまるで世話焼き女房だ。
龍之宮スイ 十三歳
幼い頃より十歳になるまで父親と山小屋で二人で暮らしていた少女だ。
城に来るまで一応の読み書き、算数は父に習い、ある程度できるが年相応のレベルには達していなかった。
得意なことは泳ぐことと釣りと多少の料理ができることぐらいだ。
それが龍ノ宮城に来てからは貪欲に多くの人と関わり、猛勉強し、二年で同じ年代の子どもより遥かに沢山の知識を吸収した。
「さすがは龍神の子」
それがスイの評価である。
スイは人と接するのが好きだ。
なんせ、ずっと父と二人暮らし(たまに母にも会ってはいたが)だったものだから父と違う人が、正確には父と違う反応、話し方、考え方を見るのが面白くてしょうがない。
このような境遇で育った場合、対人恐怖症になったりコミュ症になったりもするものだが、天性のものだろうか、彼女は短時間でこの地での常識と、自分の皇室での立場などを飲み込んだ。
龍神の子だから、というより根が素直なのと飲み込みが早いのと勘が良いのとが合わさったものであろうが、だがしかし、それこそが神からの贈り物かもしれない。
つまり、この時スイは完全に城の生活に馴染んでいた。
「母様は来てくれるのよね、私の入学式」
誰もいないはずの神社のお堂に向かって声を掛けるとチリンと涼し気な鈴の音が鳴る。
「え~! どうしてなの! 母様が来てくれないなら誰が私の晴れ姿見てくれるのよ!」
まだまだ母親や父親に対しては素の物言いに戻ってしまう。
それよりも初めての学園生活を始めるのに両親が式に来てくれないのは一大事だ。
「一応、レイラ様と龍帝陛下と皇妃様がご参列なさると……」
「陛下が? そう言えば父上は誰の言いつけでお仕事を?」
「……陛下より勅命承った、と伺っております……」
「なるほど、なるほど」
「お、お待ちください! おスイ様!」
石野影アイは影一族のなかではごくごく平凡な少女である。
ただスイと同じ年というだけで彼女の侍女に選ばれた、と本人は思っている。
実際にはサキや庄司が厳選に厳選を重ねて、その平凡を決め手に選んだ人選なんだが本人はそうは思っていない。
とにかく世間の常識をあまりもってなく、同年代の子供と触れ合うこともなく過ごした皇族の子女に仕えよ、という仕事を懸命にこなすだけである。
しかし、自分の主人は型破りすぎた。
言動や行動はともかく、影一族には破天荒な育ちの者も少なからずいるので耐性はあったつもりだが、火の属性を持たず水属性を持つ龍人なんて聞いたことがない。
そのスイの得意技の一つに水圧を極限まで高めて放出する、『水カッター』(龍一命名)がある。
スイの手から放たれるその光線にも似た水線は巨大な岩をまるでバターのようにいともたやすく切断する。
アイから話を聞いたスイは怒り心頭に龍帝の執務室前まで来て、警護兵の制止を振り切り水カッターにてその扉をパズルの様に切断した。
「龍帝陛下! お話があります!」
「皇女殿下! 陛下は只今執務中であります。いくら皇女殿下と言え、いきなり扉をぶち破り、いや切り破り? とにかくこのように駆け込む暴挙はお控え下さい。陛下にお話がある場合はきちんと手順を踏んでいただいて……」
侍従長が龍帝の前に出てスイに咎めるように、諭すように言うのを龍帝が抑える。
「まぁまぁ侍従長良い良い。それでスイ、どうしたかな? 今度な、お前の入学式についてな、服を新調したんだが皇妃とレイラと色調を揃えてだな……」
「陛下!」
先日龍一にぶっきらぼうに話してた龍帝の面影はそこにはなく、可愛い孫にデレデレする好々爺の言葉をスイは遮る。
「な、なんじゃ?」
「その私の入学式になぜ父上はご出席頂けないのでしょうか?」
「それは……公務である。仕方あるまい」
「その公務は陛下より直接指示されたと伺いました。それは私の入学式の後ではダメだったのでしょうか?」
「きゅ、急務であったためだ、決してお前の入学式を蔑ろにしようと思ったわけでなくてな……」
「その通りです、皇女殿下。お父上も非常に楽しみされておりましたが……お聞き分け下さい」
侍従長も龍帝を援護する。
「おスイ様、もう戻りましょう。皆さまお困りになってらっしゃいます」
アイもスイの引き返しを提案してくる。
あ~もう! どいつもこいつも!
スイの怒りが頂点に達した時だ。
龍帝の執務室の壁と天井はいくつ物の定規で引いたような直線が走り、バラバラにされた。
常人には見えなかったろうがスイが一瞬で水線を走らせた仕業だ。
「もういい!」
「ス、スイ様! お待ちください! ……失礼しました!」
どかどかと拗ねて退室して行ったスイをアイは龍帝たちに一礼して追いかけて行った。
執務室は悲惨な状況になったが誰一人、かすり傷負わなかった。
龍帝は血は繋がってはいないがスイのことも大事にしている。
自分達とは違う龍神の子と言う難しい立場ではあるのだが優秀だし素直な性格は好感が持てる。
「やれやれ、しようがないヤツじゃ……」
「仕方ありません。かなりお楽しみにされていたご様子でしたし、皇女殿下のお父上好きを考慮したら少々配慮に欠けていたかもしれません」
「ファザコン、とかいうやつか?」
「そういうのとも違う、と思いますが……ちゃんと学生としてやっていけるところを見て欲しかったのでしょう。なんせぶっちぎりの成績一位で新入生代表に選ばれたのですから」
「後はあいつが式に間に合うまでに帰還できれば一安心なのだが……」
「それは……彼を信じて待つしかないでしょう」
残された大人たちは自分たちが憎まれる損な役割であることを自覚しつつ父と娘がうまく収まってくれるのを願うしかない。




