34 「リュートの本心」
ジャックの奥さんの料理は絶品だった。
あれだけ大量にあった料理がどんどん腹の中に収まって行き、皆それぞれ「よくあれだけの料理が食べられたものだ」と、自分で自分に驚いている者ばかりだった。
最後の最後に食後のデザートと称してアップルパイが出てきた時には、本当に死ぬかと思った位だ。
しかし全員、奥さんの嬉しそうな笑顔を見ていたら食べずにはいられなかった。
必死で胃袋に押し込んで、とりあえず自分の皿に盛られた分だけは何とか全員食べきることに成功する。
満足気な奥さんは、鼻歌を歌いながら後片付けをしていた。
全員お腹を押さえながら食事前の真剣モードに突入しようとしたが、あまりの苦しさにそれどころではなくなっていた。
「はぁ、相変わらずミアの料理は半端ないですね」
眉間にシワを寄せながら真っ青になっているオルフェの、こんな姿を見るのは初めてだった。
アギトはデジカメを持ってくれば良かったと、心の底から後悔している。
「まぁ、それだけお客さんが嬉しかったんだよ。許してやってくれ。でも、お前らありがとな。ミアの料理を残さず食ってくれてよ」
ジャックはそう言ってにっこりと、苦しいお腹を押さえながら無理矢理笑顔を作った。
「……瀕死の状態」
さすがのドルチェも、今回ばかりは無表情ではいられなくなっているのか。
とても苦しそうだった。
「美味かったのはホントだからな、なぁリュート?」
アギトがそう言って隣に目をやったら、リュートはイスにもたれかかりながら意識が飛んでいた。
「リュート? リュートっ!!」
慌てて体に触れようとした矢先、オルフェが口に手を当てながら制止した。
「よしなさい、ヘタにゆすったら中身を全部ぶちまける恐れがあります。今は消化に専念する為に、そっとしておいてあげましょう」
オルフェの言葉に、アギトは心配そうにリュートを見守る。
そんなアギトの様子を見て、ジャックは自然に微笑んでいた。
「この子は君のお友達なのかい?」
「あぁ、オレの大親友!」
アギトは素直にそう答えた。
「そうか、大事にするんだぞボウズ?」
「当ったり前だ!! リュートがいるからオレ、頑張れるんだもんな」
そう言ってアギトは、リュートからジャックの方に向き直った。
「なぁ、オレからも頼むよ!! お願いだからリュートの師匠になってくんねぇかな!?」
突然のアギトの話題の切り替えに、ジャックは目を丸くした。
「しかしなぁ、オレは人に教えられるような偉い人間じゃないし」
頭をぼりぼりとかきながら、ジャックはとぼけたように視線を泳がせた。
ジャックの態度に、オルフェは小さく溜め息をつくとそのまま席から立ちあがる。
「それでは本人とじっくり話し合う、というのはどうですか? リュートがどんな子供で、本当に自分を必要としている子か、そうでないか。判断すると良いでしょう。アギト、ドルチェ、私達は先に部屋で休ませてもらいましょうか」
そう言って、アギトを無理矢理連れて行く。
ドルチェは黙ってオルフェに従い、苦しそうにゆっくりと席を立ってついて行った。
オルフェは奥さんにお礼を言って、どこで休んだらいいのかを聞いた。
二階に客室があることを教えてもらうと、そのままアギトを掴んだまま部屋へと消えていく。
「お、おいっ!!」
ジャックはオルフェを追いかけようとするが、お腹がつかえて思うように動けなかった。
「はぁ……、あいつは本当に。自分がこうだって決めたら、人の話なんざ聞こうともしないで」
ジャックがグチっていたら、奥さんが温かいコーヒーを入れてきて笑顔で話しかけた。
「そこがグリム大佐の良いところじゃない。大佐もね、決断を迫られるような立場の方だから。無理もないんじゃないかしら」
後片付けをようやく終えて、奥さんはジャックの隣に腰かけた。
「あ、そういえばメイサは?」と、奥さんが辺りを見回した。
「さっき寝かしつけておいたよ。食事中あのアギトって子に、思いきり笑わされてたみたいだったからな。楽しくて疲れたんだろ。それにリュート、この子も子供の扱いには慣れているようで随分手伝ってもらったし、助かったよ」
そう言って、ジャックはリュートの方に目をやった。
「この子が闇の戦士だなんてな、皮肉な運命とはまさにこのことだ。この子達はまだ自分達の運命を、何も知らないんだよな」
呟きながらジャックは、悲しそうな瞳でリュートを見つめていた。
そんなジャックを見て、奥さんはふぅっと小さく息をつくと両手を組みながらジャックに告げた。
「ねぇ、なってあげたら? この子の先生」
奥さんの意外な言葉に、ジャックは目を丸くして驚いた。
「何言ってるんだよお前は! オレにはお前と、それにメイサだってまだ三歳になったばかりだろ? そんなお前達を置いて行けるわけがないじゃないか」
そう否定するジャックに、奥さんはテーブルについたジャックの手に両手を添えて、笑顔で説得した。
「あたし達なら大丈夫。それにこの子があなたのことを必要としているのは、あなたにだってよくわかっているんでしょ? グリム大佐が言っていたように、一度ゆっくりとこの子と言葉を交わしてみたらどうかしら?」
「お前、聞こえていたのか」
「さぁ? あたしの耳は都合の良いことしか聞こえないようになっているから」
それだけ言うと、奥さんはそのままメイサが眠る寝室へと休みに行ってしまった。
リュートと二人残されたジャックは、やれやれと困った様子だ。
「全く、どいつもこいつも。オレの意見は無視ですか」
***
しばらくして、リュートが意識を取り戻した。
食事が終わって二時間後のことだった。
「あ、あれ? みんなは?」
リュートはノンキに目をこすりながら、きょろきょろと周囲を見渡す。
ジャックは何杯目かのコーヒーを飲みながら、笑顔で教えてやった。
「みんなもう寝室で休んでいるよ。君はな、ミアの料理の食べ過ぎで気を失っていたんだよ」
何とも情けない、とリュートは一人落ち込んだ。
「あ、すみません……」
「謝ることはないさ。残さず食べてくれたんだから、逆にこっちがお礼を言わなきゃなぁ」
ジャックがそう言って、瞬時に沈黙が二人を襲った。
ムードメーカーでもないのに回りの空気には人一倍、気にするようになってしまっているリュートは、この沈黙がやけに重苦しかった。
しかしジャックはそんな沈黙など、気にも留めていないのか。
普通にリュートに話しかけてくる。
「ところで君、リュート……だったか?」
「あ……、はいっ!!」
しゃきんっと、ジャックに名前を呼ばれて緊張しながら返事をする。
「あははは、そんなに緊張することもないぜ。オレはオルフェとは違って、そこら辺にいる普通のおっさんだからよ!」
そう言われてリュートは、素直にその言葉を受け止めることが出来ない。
……普通のおっさん?
普通のおっさんは、自分の家を訪ねて来た人に向かって、斧なんか投げつけたりしないんじゃ、と思った。
しかしその台詞をジャックに向かって言う勇気など、毛ほども持ち合わせてはいない。
「ところでリュートは、アギトとは随分タイプの違う子のようだが? この世界に来て自分が闇の戦士だと言われて、正直な話どう思った? 嬉しかったか?」
突然そんなことを聞かれて、リュートは戸惑った。
「え? あの……」
「頭にすぐ浮かんだ答えでもいいし、じっくり考えてから答えてくれてもいい。ただオレはリュートの本心が知りたいだけなんだ。男同士、腹割って話そうや。な?」
ジャックに言われてリュートは迷いながら、嘘を言っても仕方がないと思って本心を言うことにした。
もしかして、これはテストなんだろうか?
ジャックの望むような答えを答えなければ、師匠になってくれないということなんだろうか?
そんな風に裏を読もうとも思ったが、ジャックの好みの答えが思い浮かばなかったので、やはり本心しかないと思った。
「えっと、正直なところ信じられなかったし、自分には向いてないと思いました」
「どうしてだ? オルフェはアギトよりもリュートの方が、マナが強力だと言っていたのに」
「それはたまたまで! あの時は暴走してたし、コントロールも出来なかった。結局回りの人達にたくさん迷惑をかけるばかりで、危うくアギトを死なせるところだった。何をやっても裏目にばかり出るし。それならいっそ、闇の戦士になんてならなくてもいいって。みんなが必要としてくれているのなら、力になろうかとも思ったけど。もしみんなにとって不幸を招くような力なんだったら、僕は……」
「みんなが必要だと言うから、今までアギトにくっついて闇の戦士を演じていたのかい?」
どきんとした。
違う……、けど。違わない……。
リュートがバツが悪そうにうつむいたので、ジャックは慌ててさっきの言葉を訂正する。
「あぁ、悪い。別に君を責めようとして言ったわけじゃない。オレはただなぁ、も〜少しだけでも自己主張してもいいんじゃないかって、そう言いたかっただけだよ。君のその引っ込み思案な性格は、回りの意見に流されて自分の本当の気持ちを我慢し過ぎているんじゃないかって思ったんだ。君は自分に自信がなさ過ぎるように見える。自分がこんなことを言ったら、回りはどんな風に思うんだろう? とか。自分がみんなの足手まといになっているんじゃないのか? とか」
当たっていた、全部。
まるでリュートの心を全部見透かされていたようで、リュートの心臓は早鐘を打っていた。
どうしてさっき会ったばかりのこの人は、自分の性格がこんなにもわかってしまうんだろう?
リュートはどう反応していいのかわからなかった。
ただこの人は今まで誰もしなかったことを、しているように感じた。
「どうだろう? オレが見た感じではあのアギトって子は、君のことを否定するような子には見えなかった。むしろあの子に、いつも背中を押されてきたんじゃないのか? だからアギトも君も、お互いが親友同士になれた。もう少し位、自分を信じて前に進んでみてはどうだ? 何かあったとしても、あのアギトって友達が君を支えてくれるんじゃないか? 例え君が、闇の戦士なんてやりたくないって言ったとしても」
「それはないっ!! やりたくないわけじゃないんです!!」
とっさにリュートは否定した。
自分でも驚いた。
自分がこんなにハッキリ誰かの意見を否定したのは、生まれて初めてだったから。
「あの、別に闇の戦士になるのがイヤってわけじゃ……ないと思う。ただ僕はこういうファンタジーな世界に全然詳しくないし、頭も特別いいわけじゃないし。運動だって特別すごいわけでもない。こんな平凡な自分がこんな役目をちゃんと果たせるのかどうか、自信が持てなくて。そんな僕に戦い方とか闇のマナのコントロールとかを教えてくれる先生が出来るかもしれないって聞いた時、すごく嬉しかったんだ!! その先生に色々教えてもらって、一生懸命頑張ればこんな僕でも、アギトみたいになれるかもしれないって。自分に自信が持てるようになるかもしれないって、そう思ったんだ。……です」
スッキリした気分だ。
初めて自分の心の内にため込んでいた感情を、吐き出せたような気がした。
こんなに自分が思っていることを、誰かに話したのは初めてだった。
そしてアギト以外に、自分の話をちゃんと聞いてくれる人はジャックが初めてだったから。
そう……。今までもこんな風に、なかなか自分の考えをうまく相手に伝えられずにいた自分。
自分の言葉をちゃんと聞こうとしてくれる人は、今までいなかった。
いつも言葉がうまくまとまらなくて、結局話すのを諦めていた。
自分がそういう状況を作り上げているのをわかっていたからこそ、余計に話すのが怖くなっていた。
本心を全部吐き出せたことに、満足そうに微笑むリュートを見て、ジャックも満足そうだ。
「そうか、君は自分に自信が欲しいんだな。確かにそれは今の君には、とても必要なもののようだ」
そう言って、ジャックはカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
そしてさっきとは打って変わってとても真剣な、厳しい表情に変わっていて、リュートは心臓が飛び出しそうになった。
「戦う力を身につけることによって、マナのコントロールを学ぶことによって、君は自分に自信が持てるようになると、そう判断したんだな?」
怖かったが、リュートはこくんと正直に頷く。
「ここに来る道中、何度か戦闘を経験しただろうからすでに分かっているとは思うが、戦いとは決して甘くない。自分の命が危険にさらされるし、敵の命を奪うことになる。そしてすぐ横にいる仲間の死を目の当たりにすることもあるだろう。君達が向かう先は、戦場そのものだ。オルフェがどんな説明をしたのかは知らんが、戦士と神子が向かう先には、常に戦いが付きまとう。その戦いの相手は魔物に限ったことじゃない。神子が精霊と契約を交わしてアビスとの道が開かれたら、今度はアビス人と剣を交えることになるだろう。つまり君やオレと同じ、同族と命の奪い合いになるんだ。数十年前の戦争で、オレはレム側についたことによって自分の同族をたくさんこの手にかけてきた。あんな地獄は避けて通れるものなら、絶対に避けてほしい。決して経験すべきことじゃない。だからオレは最初、君の師匠になることを渋った。これを聞いてもまだ、オレに師匠になってほしいか? 自分の自信を取り戻す為に、その手を血で汚す覚悟が今の君にあるのか?」
リュートは愕然とした。
確かにこの世界で戦士として協力するということは、戦争は避けられないことだと。
戦いは避けられないことだという覚悟をしていたつもりだった。
しかし戦いの本当の意味を、こんなにもハッキリと、こんなにも詳しく聞いたのは今が初めてだった。
命を奪うのは魔物だけではない。
いずれは人間をも手にかけるかもしれないと。
そう考えたら恐ろしくてたまらない。
この自分が、殺人を?
いくら戦争とはいえ、人を殺すことは殺人と変わりがない。
ジャックの言う通り、甘かったかもしれない。
考えが甘く、浅かったのかもしれない。
それはアギトもちゃんとわかっているのだろうか?
師匠であるオルフェからちゃんと教えてもらって、それで決断しているのだろうか?
ここに来る途中、命の重さを知った。
武器の重さや、自分の責任の重さ。
それをちゃんと受け止めて前に進むことができるのか。
あの時オルフェはそう言っていた。
アギトだけの問題ではない、自分にだってそれは避けては通れない重さだったんだ。
その問題を今、痛烈に突き付けられている。
自分のエゴの為に、他人を殺すことが出来るのか?
そう言われているようなものだ。
リュートは怖くなった。
自分達に突き付けられた役割の恐ろしさを。
でもその恐ろしさをも乗り越える理由が、自分達にはある。
リュートはどうして戦士になることを承諾したのか。
その理由を思い出そうとした。
リュートだって何の考えもなしに、簡単に協力すると言ったわけではない。
覚悟を決める理由があったから決意したのだ。
それをゆっくりと思いだして、リュートの瞳に光が宿る。
堅い決意という光が。
「僕達は何の考えもなしに、戦士になろうと決めたわけじゃありません。この世界の神子であるザナハ姫が、本当にこの世界を救いたいと言っていた気持ちを僕達は一心に受け止めて、そして僕達がその力になれるならと。そう思って僕達は再び、この世界に来ることを約束したんです。アギトが言っていたことがあります。自分に何か出来ることがあるのに、何もしないのはイヤだって。僕だって同じだ。もし僕にこの世界を救う力があるんだとして、それで一日でも早く戦争を止めることが出来るようになるなら、僕は僕に出来るコトをするんだって!! だから、僕はここまで来たんです。ジャックさんに師匠になってもらいたいから、僕が立派な闇の戦士になれるように!!」
リュートはジャックに自分の本心の気持ちをわかってほしくて、必死になって本当の気持ちをぶつけた。
これでダメだったとしても、何度だってお願いをしにここまで来る!!
そんな思いも込めてリュートは、必死な眼差しでジャックを見据えた。
ジャックも黙って、リュートの言葉を受け止めた。
リュートのこの言葉は、流されて言っているわけじゃない。
本当の気持ちで言っているんだと、そう感じた。
「誰かの為に戦うことが、どれだけ強い力になるか。君はそういうタイプみたいだな」
まるで根負けしたというような表情で、ジャックは優しく微笑んだ。
もうすでに空っぽで冷たくなったカップに触れながら、溜め息交じりに承諾する。
「わかった、いいだろう。今一度戦士の師匠ってやつを、引き受けてやろうじゃないか!!」
その言葉を聞いて、リュートは嬉しさのあまり思わずジャックに飛びつきそうになったのを寸でで堪えた。
「ありがとうございます!! ジャックさん、ありがとう!!」
さっきまでとはまるで違う明るいリュートに、ジャックは笑いながら頭をなでた。
「こらこら、みんな寝てるんだ。静かにしろって!!」
「あ、すみません。つい」
「それじゃ話はまとまったことだし、明日は早いのか? そろそろ寝室に戻って休むか?」
ジャックの言葉に、リュートは少しだけ残念がった。
なんだかジャックには、他の大人とはまるで違ったオーラを感じていた。
ジャックといると、安心するというか。ほっとするというか。
もっと色んなことを話したい気分になっていた。
「あの、ジャックさんが迷惑じゃなかったらもっと色々話したいこととかあるんですけど。ダメですか?」
ダメもとで聞いてみた。
ジャックは時計を見て、そして自分にすがるリュートを見て、またも根負けしてしまう。
「しょうがない、少しだけなら付き合おうか!!」
そうやって、リュートはアギト以外にこんなに色々しゃべったのは初めてだという位、たくさんしゃべった。
いつも聞き役に回っていたリュートは、話したいことが山ほどあったのか。
この世界に関して聞きたいことがたくさんあったのか。
ここぞとばかりにジャックに話しかけていた。
それでもジャックはイヤな顔ひとつせず、ちゃんとリュートの話を聞いてくれていた。
それがリュートには嬉しくてたまらなかった。