20 「無事、帰還」
ドキドキと緊張しながら、リュートとアギトは互いに目配せしながら魔法陣の中心へと歩いて行く。そしてオルフェ大佐、ミラ中尉、ザナハ姫、ドルチェは魔法陣から出て行って部屋の片隅まで下がって行った。
いよいよ異世界間を移動するという未体験、というわけではなくすでにこっちへ来る時に経験はしているのだが、あの時は無意識だったので回数には入れていなかった。
ふぅーっと大きく深呼吸をして、どうにかこの高まる緊張をほぐそうとする。なにも移動することだけに緊張しているわけではない、これから向かう先が自分達の世界だといっても、出てきた瞬間の場所が『廃工場の最上階から落ちている真っ最中の空中』だという、ダイビングの続きをしなければならないという心の準備も、高まる緊張の原因のひとつでもあったからだ。
心拍数が多少下がってきて、緊張もある程度は取り除けた。そのタイミングを見てアギトが合図を送る。
「いいな、リュート?」
「うん、アギト」
お互いこくんと頷いて、そしてアギトは利き手である右手を、リュートも同じように利き手である左手を。お互い隣同士に並びながら、手と手をつないだ。
そして大佐が説明した手順の通りに、二人が従う。
手と手を重ねて二〜三秒程で互いの重ねた手を中心に光が現われて、廃工場の時と同じようにその光から風が渦を巻いて優しくなでるように発生した。
おそらくはアギトのレム属性である『光』とリュートのアビス属性である『風』が干渉し合っているのだと二人は思った。
これで、マナの発動にも成功した。あとは、自分達が移動する場所を頭の中で強くイメージして、移動特定場所を確定させるだけだった。
二人は憂鬱な気持ちになるのを必死で我慢して、廃工場の最上階のーーあの落ちていく瞬間を思い出した。
リュートが足を滑らせて、ゆっくりと後ろ向きに落ちていく姿。
それを追って手を伸ばし、一緒になってダイブするアギト。
落ちていく瞬間の、あの胃がひっくり返るような気持ちの悪い感覚まで戻ってくるようだった。
すると、光と風が二人を中心に小さな竜巻のようにふぉおっと、周辺を取り巻く摩擦音であろうか、静かな唸り声を上げて、ゆっくりと二人の体がほんの少しだけ宙に浮く。
浮遊感を感じ取って、二人は成功したと思った。移動する場所のイメージは完璧に出来たつもりだった、浮遊感さえ感じ取ることが出来ればあとはこの『トランスポーター』が自動的に全部やってくれる。
大佐の説明にはそうあったので、二人の顔に自然と笑みがこぼれる。
足元の魔法陣自体も紅色を発して、地下室全体を眩しく照らし出す。
あまりの眩しさに、大佐達は手で瞳を覆った。
次第にアギト達を取り巻く風が勢いを増して行き、部屋の隅にいたザナハやドルチェが吹き飛ばされる!
ーーと、思った瞬間だった。
ばしゅんっ! と、耳をつんざくような音と共に光と風が魔法陣の中心に収束していって、やがて静かになっていく。風も同じように、フワーッと髪をなでる程度にまで収まっていくと、そのまま何もなかったように地下室の中は静寂さを取り戻した。魔法陣の中に二人の姿はなかった。
「二人がいない」
それを確認するように、ザナハが呟くように声を洩らした。
ザナハの言葉に反応してか、大佐はスタスタと魔法陣の方へ歩いて行き、しゃがんで右手をかざした。口元で何かを囁いているようで、ザナハ達の方へは何を言っているのか聞き取れなかった。
大佐のかざした右手からほんのりと水色の薄い発光が魔法陣の中心に輝いて、またすぐ光は消えてしまった。口の端に小さく笑みを浮かべながら、ザナハ達の元へ戻ってきた大佐が転移の成功を宣言した。
「もともと失敗するような要素はなかったのですから、当然ですね。二人は自分達の世界、リ=ヴァースへと帰還しました」
そう締めくくると、大佐は踵を返して出口へと向かう。
「では私達も上へあがりますよ。次にここへ来るのは五日後になります。それまで私達は私達に出来ることを進めておきましょう」
その言葉に全員が頷くと、大佐の後をついて行き、木製の扉をギィッと閉める。大佐達が出て行ったと同時に、部屋の中にあったランプの炎がすっと消えていき、真っ暗な暗闇と化した。がちゃがちゃと錠前に鍵をかけて、昇り階段のある一本道の石の通路へと戻ろうとした時、ザナハが口を開いた。
「ねぇ、この部屋の鍵をかけたら。もしあの二人が予定日よりも早くこっちに戻ってきた時、出られないんじゃないの?」
ザナハが素朴な疑問を口にした。だが、確かにそれは有り得ないことではなかった。もし何らかの理由で早くこっちへ戻って来た場合、二人はこの部屋に閉じ込められてしまうことになる。
元々ここはレムグランドが所有する別荘のようなもので、普段ここに見張りの兵士を立てているわけではない。二人が現れたことに気付く人間は、一人もいないことになる。
「その心配はありませんよ、姫」
余裕の笑顔で大佐が答える。
ザナハは全くその理由がわからず、きょとんとした表情になる。
「彼らが転移したすぐ後に、魔法陣が起動しないようにロックしておきました」
それを聞いて、大佐が何やら魔法陣に手をかざして何かを囁いていたのを思い出す。あれは魔法陣の機能を停止させるような魔法をかけていたんだと、今初めて把握した。
「勿論、彼らが戻ってくる予定のヴォルトデイの前日には、ロックを解除しておかないといけませんけどね」
それに続き、ミラが補足説明を加えた。
「機能停止魔法は、かけた本人にしか解除することができないようになっています。ですから、例え何者かがここに侵入したとして魔法陣を起動しようとしても、魔法陣が起動することはないのです」
そんな防止策がなされていたとは思わず、ザナハはへぇ〜と浅い返事を返しただけだった。
「それじゃあたし達が次にここへ来るのはノームデイになるわけね? それまでに色々やらなきゃいけないことがたくさんあるから、あたし達はあたし達で忙しい五日間になるわね」
ザナハの言葉に全員が頷いて、そして再び冷たい石の通路を歩いて行った。
***
日曜の夜、誰もいない真っ暗な工場地帯。
鉄筋の組まれたまま工事が中断されて、殆ど廃棄された工場跡の空中に歪みのようなものが生じていく。
その歪みはだんだんと渦巻き状にねじれていって、そこから淡い光が漏れだしていく。
そのねじれた歪みの淡い光の中から人影が二つ、姿を現す。身を縮めた二つの人影は、やがて二人の少年と認識できるまでに色彩を構成していった。体が完全に歪みから出てきた瞬間、二人はそのまま地面へ向かって勢いよく落下していく。
「ああああっ!!」
両目を大きく見開いて、絶叫しながら二人は互いの体を寄せ合ってどんどん落下速度が増していった。
地面に叩き付けられて死ぬと思った瞬間だった。
地面からおよそ三メートル位の高さまで落下した時、突然二人の体は目には見えないマシュマロのような柔らかい物体に、体全体を包まれたような奇妙な感覚におそわれて、瞬間的に二人の体は空中に浮いたように見えて、そしてゆっくりとした速度で地面に無事着地できた。
今のは何だったのか?
これもトランスポーターによる、アフターサービスのようなものなのだろうか? と怪訝に思った。それでも無事に着地できて、なおかつ生きているのだ。これ以上のことはないと二人は安堵のため息をついた。
「こうなるって知ってたら、あんなにビビることもなかったよなぁ〜」
「ホントだよ、大佐からはそんなこと一言も聞かされてなかったからね」
ほっとした二人は、とりあえず安心感からしばらくその場を動く気になれず、地面にへたれこんでしまった。
とにかく色々あり過ぎて疲れたというのが正直な感想だった。異世界旅行っていうのは、こんなにも疲れるものなのだろうか? と、ぶっちゃけ思った。想像していたもの、ゲームやマンガ、そして映画で見たような夢に溢れたものとは明らかに異なり過ぎている。大の字に寝転がったまま、眠りに落ちそうに両目を閉じながら、なんとなしにリュートが呟く。
「早く家に帰んなきゃ。みんな心配してる」
その言葉に、なぜかしばしの沈黙があったが、それも気のせいかアギトの返事が聞こえた。
「……ああ、そうだな」
その声にあまり抑揚はなかった、よっぽど疲れているせいなのだろうか? と、リュートはそう思った。
どちらからともなく、二人は重たい体に鞭打つようにゆっくりと起き上がって、立ち上がった。そして夜空を見上げた。
そこには暗い夜空に、少し欠けた月が浮かんでいた。向こうで見た夜空とは違う。
星が少なく感じた。
「レムグランドの夜空って、宝石みたいにキラキラした小さな光の粒がたくさんあって綺麗だったよね」
夜空を見つめながら、リュートがふと小さく囁いた。
「ああ、本当に綺麗だった」
アギトも素直に答える。
これ以上見つめても、その粒が増えることはない。そう確信して二人はこの廃工場から出て行った。
不良グループに追いかけられて必死でくぐったブルーシートがある場所は、最初にくぐった時よりも荒らされていて、今では普通にくぐれば通れる位にまでなっていた。
おそらく不良グループ達がここに入る時と、出て行く時に乱暴にくぐったせいだろうと、ぼんやりと頭の中で呟きながら、疲れきった体を懸命に前に押し出して、二人は家路へと重たい足取りで帰って行った。
工場地帯から出て行って、ようやく明るい街中へと戻ってきた。
どこをどう見ても、レムグランドとは全く違った光景が広がっていた。
人々や車の喧騒、二十四時間営業されてる店から漏れる明かり、道路には一定の間隔で設けられた街灯。
夜なのに夜だと感じさせない、そんな場所だった。
向こうではランプや月明かりがなければ真っ暗で、やっと見える視界だったのに。
帰って来たんだと、強く感じる。
騒がしいがなんだか落ち着く、以前と何も変わらない光景。ずっとこんな騒がしい街で暮らしてきたのに、心のどこかではぽっかりと穴が開いたような感覚があった。
なんだろう。
こんなにたくさんの人間がいて、たくさんの明かりや建物がたくさんあるのに。
何かが、足りない。
ーーそうだ、そこには自然がなかった。
大きな大木も、ホーホーと鳴くフクロウの声も、虫の羽音や、草が風で揺らめくサワサワとした音も。
家へと向かう二人は今までそんなことは気にも留めなかったのに、なんだか寂しく感じられた。
やっぱり違うんだな、と。
ここは現代の自分達の住む都会であって、あんな自然に溢れた世界とは違うんだ。
ぼんやりそんなことを思いながら、無意識にリュートの家がある方向へと歩いていたら、突然回りが騒がしくなった。
え、なに? と、二人は疲労で落ち込んだ瞳で回りを見渡す。
すると、なぜだろう。
回りの人間が自分達を取り囲むように、驚いたような表情で自分達を見つめていたのがわかった。
あ、そういえばこっちの世界では青い髪は珍しいんだった。
ぼーっとしながら、そんなことを思い出す。そんなに長い間レムグランドにいたわけじゃないのに、自分達が珍しい髪色をしているのを忘れていた。
なんせ向こうでは金髪とかピンク色の髪とか、そんな地毛の人間が普通にいたものだから。
勿論この世界でもそんな色に染めてる人間がいるっていうのに、何をそんなに驚く必要があるんだろうと。
異世界へ行く前とは、全く違う感覚に変わっていた。
それとも、ただ疲れているだけだろうか?
……きっと疲れてるだけだ、そう決めて二人が再び歩き出そうとしたら、目の前に三〜四人位の警官が自分達の元へ慌てて走って来ていた。
回りの人間から奇異な目で見られるのは慣れているとしても、警官にまで干渉される謂われはない!
さすがのリュート達も警官が駆け寄ってきた時には驚いて、一瞬走って逃げようか、そんな思考が働いた。
ビビりながら、二人は互いの身を寄せ合った。
二人を取り囲んだ警官は、怒った風ではなく二人を怯えさせないように精一杯の笑顔を浮かべて手を差し伸べてきた。
他人の笑顔が本心からなのか、それとも作り笑いなのか。大佐のせいで疑心暗鬼になっていた。
「リュート君と、アギト君だね?」
そう聞かれて、二人は小さく頷いた。
警官に向かって嘘なんてつけない、本能的にそう感じて素直に答える。
答えた瞬間、もう一人が無線機のようなものを口に当てた警官が機械に向かって何かしゃべっているのが聞こえた。
「行方不明の少年二名、無事発見しました。二人はかなり疲労している模様で、衣服は泥にまみれ、必死で犯人から逃げてきた様子。繰り返します、行方不明の少年二名、発見」
あ、そういえば。
回りの野次馬達や、警官達がなぜ自分達のことを取り囲んでいたのかこれでようやく判明した。遠くからパトカーのサイレンが鳴り響いて、こちらに向かって走ってくるのがわかる。
「オレ達、行方不明ってことになってるよな、さすがに」
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