18 「帰り道」
しんと静まり返った部屋の中で、ようやく沈黙を破ったのは大佐だった。
「ザナハ姫のおっしゃる通りですね。我々は自分達が一方的に掲げる正義のために戦っているわけではなく、近い将来訪れるであろう脅威からこの国を守る為に、君達の協力を切望しているのです。それだけは、わかっていただけますか?」
そう言ってオルフェ大佐は肩から、金色の細く流れる髪を片手でかきあげながらリュートとアギトを見つめた。
ミラ中尉も黙って二人の返事を待つ。
ドルチェは我関せずといった仕草で、熱いお茶にふーふーと息を吹きかけて熱を冷ましていた。
ザナハの言葉に、ムスッとした表情を浮かべてアギトは黙りこんでしまっている。
恐らく、心を動かされているんだろうとリュートはすぐにピンときた。イエスと言いたいのに、素直に言えないアギトがする仕草が、まさにこの態度だったからだ。
そしてそんなアギトの代わりに答えるのが、いつの間にかリュートの役割になっていたのも承知の上だった。
「正義とか、悪とか。どっちが本当に正しいのか。その物差しを計ることは、今の僕達に出来ることじゃありません。でも、きっとアギトも、僕も。今のザナハ姫の言葉を、守りたいっていう本当の気持ちを聞きたかっただけなんです。だから、僕達はそんなザナハ姫の思いを信じてあなた達に協力したいと思います」
リュートは、決して人前でこんな大胆に発言が出来る性格ではなかった。しかし本当の思いを告げること、それを教わって緊張しながらも、言葉を噛みそうになりながらも、まるでアギトの思ってることがテレパシーで伝わって、頭の中に台詞が浮かんできたように、思ってる気持ちをそのまま言葉にすることが出来た。
これもきっとアギトのおかげだ、とリュートは思った。
「アギトも、それでいいよね?」
横に小さく座り込んでいるアギトに向かってリュートが、顔を覗き込みながら聞く。口をへの字に曲げながら、小さく「おう」と返事をしたのが聞こえてリュートは笑顔になった。
それを聞いたザナハも笑顔になったが、すぐにまた照れくさそうにずずっと一口お茶を飲んでごまかしている。
「そう言っていただけて心から感謝しますよ!」
両手を胸の前でパンッと叩いて、これで一件落着とでも言うようにオートスマイルを見せる大佐。
その作りめいた笑顔からして『心から感謝』しているようには、とても見えなかったのはとりあえず黙っておいた。
へっと口の端を曲げながら肘をついて、大佐とは真逆の方向を向いたアギトは悪態をつくような顔になっている。
そんな二人の様子は放っておいて、リュートは一番気にしていることを聞こうと思った。
多分このタイミングで聞くのは「それが目的か」と思われそうだと感じたが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「あの、ひとつ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
大佐か中尉か、どちらに質問したらいいのかわからなかったが、とりあえず二人とも隣同士に座っていたのでちらちらと、二人に目配せすることで視点をごまかす。
「何ですか?」
アギト達が協力すると確定した途端、なんだか急にミラ中尉の態度が優しくなったように感じた。
それまで無表情で厳しい軍人の顔をしていたのが、今では優しい綺麗なお姉さんのような柔らかい表情になっていたからだ。
リュートは遠慮がちに肩を竦めながら、小さくつぶやくように質問した。
「あの、僕達って、元の自分の世界に帰ることが出来るんでしょうか?」
この世界に来てから、ずっと聞きたかったことだった。
あれから一体どれ位の時間が過ぎたんだろう?
元の世界では、自分達はどういう風な扱いになっているんだろう?
アギトは「こっちでは一日でも、自分達の世界では一秒位の時間の単位」だって言ってたけど、それはゲームやマンガでのことだ、ここでもそうとは限らない。
それにこれも以前にアギトが言ってたことだが、ここでの目的を果たさなければ帰ることが許されなかったらどうしよう。
そんな「どうしよう」が、ずっとリュートの中で渦巻いていた。
リュートの疑問に急にアギトも乗って来てさっきまでの態度から一変、突然青い瞳が輝いて質問攻めした。
「なぁ、やっぱ魔法陣とかで瞬間移動したりすんのか!? それともピンク色のドアがあって、その扉で二つの世界を行ったり来たりすんのか!?」
「まぁ落ち着いてください。自分の世界へちゃんと帰れるのかどうか、それは当然不安に思うことでしょう。単刀直入に言うと、ちゃんと帰れますよ、安心してください」
大佐の一言に、リュートはほっとした。
「しかしそれには条件があります」と、中尉が添える。
「やっぱり敵の首領を倒してから、ですか?」
おどおどと聞くリュート。そうなれば当然、当分帰ることはお預けになってしまう。
実際リュートが面と向かって対決したわけではないが、彼がかなりの手練れであることは、ファンタジーの素人であるリュートにだってわかる。
「いえ、そうではありません。実はここに集まってもらったのも、協力要請の話だけではなくあなた達が自分達の世界に帰る為のいくつかの条件を説明する為でもあったんです」
「んで? その条件って?」
アギトがテーブルの真ん中に置いてあったお菓子をガツガツと頬張って、お茶をすすりながら質問する。
「この洋館の地下に、先程アギト君が聞いたような魔法陣の刻まれた部屋があります。そこが今現在、こちらとあなた達の世界とをつなぐ出入り口となっているんです」
ふんふんと、興味深げにアギトが真剣にミラの話に耳を傾けていた。ようやくアギト得意の『ファンタジー要素』の込められた内容に突入して、興奮している様子だった。
「仮に君達の世界のことを『リ=ヴァース』と称しましょう。この世界の言葉で、『もうひとつの世界』という意味です。君達がこの世界を行き来するには、マナの通り道と言われる力場。『レイライン』を利用しなければいけません」
難しい内容に突入しだして、リュートは急に頭が痛くなってきた。ここから先はアギトの専門分野だと決めつけて、リュートは混乱しない程度に耳を傾けた。
ちらりと隣のアギトを見ると、ゲームの攻略本に食い入る時と全く同じ真剣な顔で大佐の話を聞いていた。
安心したリュートは、とりあえず専門的な説明をアギトに託す。
「このレムグランドには、『火』『水』『雷』そして『光』のマナが存在します。逆に、敵国であるアビスグランドには、『氷』『土』『風』そして『闇』のマナが存在します。これらの属性は、その国にしか存在しません。そしてお互いの国に存在するマナが収束する、エネルギーの帯のことを『レイライン』と言います。レイラインは肉眼で確認することができません。しかし専門用具や専門知識など様々な手段を用いて、レイラインの流れを特定することは可能です。そしてこの洋館が建っている場所、ここもレイラインの範囲内に建てられたものなんです。レイラインの流れに沿った場所であれば、そこに特定の魔法陣を刻むことによって異世界間の移動が可能となるのです。ここまではよろしいですか?」
長い説明をして、大佐は一息つくためにお茶を飲んだ。
つまり、この世界の『マナのエネルギー集合体』が一筋の帯となって流れているものを『レイライン』と呼ぶ。
そのレイラインの範囲内で魔法陣とやらを描けば、自分達の世界を行き来することが出来る、そういうことなのか。
……と、リュートは一生懸命話についていこうとした。
一生懸命といっても、混乱しない程度だ。
今のところは何とかついていけている、それもギリギリだが。
「こっちの世界のレイラインはアンタらが把握してるからいいとして、オレ達の世界ではどうなるんだよ!? そもそもオレ達の世界ではここみたいにマナとか、レイラインとか。そういった自然現象とか超常現象みたいなものは現実的に認知されてないんだぜ??」
つっこんだ質問にリュートは驚いた、というかアギトの理解の速さに唖然とした。自分は今の言葉を把握するのに精一杯だというのに、アギトはそれを即座に理解して、しかも自分達の世界でもそれが通用するのかどうか、その心配までしているのだ。
自分はそんなところまで頭が回らなかった。
帰れる、ただその一言で安心しきっていたのだ。
確かに自分達の世界では魔法とか属性とか、超自然現象なんて一部の人間にしか理解できていない。
いや、理解というよりも解明しようとしている、という段階でしかない。そう考えたらアギトの質問はものすごく重要な内容になってくる。
自分達の世界で、そのレイラインというのが全く関係なくて心配する必要がないというなら話は別だが、今の話の流れでいけばそうはいかないような気がした。
マナのエネルギーを利用して移動するというのだから、自分達の世界でそれを無視出来るというのは考えにくい。
となると、自分達の世界のレイラインにも魔法陣を描かなければいけないんじゃないのか?
結局は、そこに辿り着く。
だが大佐はそれは心配ないとでも言うような笑み(というか始終笑顔だが)で答えた。
「リ=ヴァースでのレイラインなら、もうすでに一か所特定されているじゃないですか」
にっこりと満面の笑顔でそう言い放つ大佐に二人「え……?」となっていた。
「思い出してみてください。君達が最初に異世界間での移動を発動させた時のことを。移動できたということはつまり、その時にいた場所こそが君達の世界のレイラインだったというわけですよ。推測ですが、君達はこの世界へ来るための魔法陣を描いていないのでしょう? ということは、魔法陣で強化する必要がない程の強力なマナの力場だったということが証明されます。これからリ=ヴァースへ帰る時には、帰る場所の特定をその場に設定しておけば何度でも行き来することが可能になりますよ。よかったですねぇ!! いやぁ〜、君達は本当に運が良い!」
え?
ちょっと待って?
二人は一生懸命その時の記憶をたどった。
確か最初に不思議な現象に見舞われたのは、アギトの家で晩御飯を食べて、夜遅くなったからリュートの家に帰るのに二人で夜道を歩いて、そこで運悪く敵対する不良グループと鉢合わせして逃げて、逃げた先が廃工場でそのまま上へ駆け上がって、最上階で追い詰められて。
二人はそこで記憶をたどるのをやめた。
やめたというか、認めたくなかったからだ。
それでも元の世界に帰るためには、この先が一番重要だった。
追い詰められた時、リュートが廃工場の最上階から足を滑らせて落ちて行って。
そこでリュートを救う為に一緒に飛び込んだアギトと手を重ねた時だった。
ちょうど空中だったと思う、まばゆい光が放たれて、そこから記憶が途切れたのは。そして気が付いたら、この世界の森の中に倒れていた。
つまりは、そういうこと?
え? レイラインって、落ちてる最中のあの場所だって言いたいわけ?
二人は即座に元の世界に帰った時のことを想像した。
「ああああっっ!!」
二人仲良く、命がけのダイビング!?
それってつまり、帰ってすぐに落ちてる続きを体験しろと?
意味もわからず二人がだんだんと青ざめていく表情を、大佐と中尉とザナハとドルチェが不思議に思いながら、レイラインの心当たりを話してくれるのを、ただ待っていた。
しかし二人の開口一番はレイラインの場所ではなくあまりの恐怖に満ちた絶叫だった。




