第97話 ソフィアの祝福
「やれやれ、ようやく終わったか」
エルは深い息を吐き出した。抱き抱えていた、彼の相棒だったメムの亡骸が、光の粒子となってゆっくりと消えていく。かつては相棒だった存在。安らかな表情を称えた彼女は今、静かにその存在を終えようとしていた。
「メム、これでお前も安らかに眠れるはずだ。おやすみ、俺の相棒」
エルは、消えゆく亡骸に向かって、静かに祈りを捧げた。一度エネミーとなった彼女はもう表層都市に返す事はできない。ここで弔うしかなかった。長年の重荷を下ろしたかのような安堵と、かすかな悲しみが混じり合ったエルの表情に、アザニンもまた目を閉じ、静かに祈りを捧げる。表層都市の一般的な冥福を祈る姿は両手を組んで頭を垂れるものだ。その場にいたもの全員が、死者の安らかなることを祈り、頭を垂れた。
メムの亡骸が光となって消えた後、エルが顔を上げてアザニンへと向き直った。
「アザニン、お前はどうする?このあともダイバー続けるのか?」
アザニンは、少しはにかむように微笑んだ。
「私はここで区切りをつけるわ。三層あたりで魔術の遺物を探しながら暮らすと思う。私、こう見えても集積図書庁の職員だから」
集積図書庁。それは、世界に散らばった魔術を集め、本物の魔法を探し出すことを目的とした組織で、特定の企業の影響を受けない独立した存在だ。アザニンの口から出た意外な事実に、エルは驚きを隠せない。
「マジか。てっきり、筋金入りのダイバーだと思ってたぜ。」
「本当よ。だから私、自分の研究でもある召喚術しか使えないしね。」
アザニンはそう言って、手のひらに小さな光の輪を形成し、そこに小さな召喚獣を呼び出した。手のひらでくるくると回る光の獣は、まるで彼女の複雑な内面を表しているかのようだ。聞けばアザニンはダイバーズオフィスのジョブシステムでエレメンタルウィザードになったあと、召喚獣の力で一気に3層まで降りてきたとの事だ。駆け足だったのはエルに合わせるためだったのかもしれない。
「よくここまでついて来てくれたな。今さらだが、ありがとよ。」
エルは、不器用ながらも感謝の言葉を口にした。その言葉には、五層までの激戦を共に乗り越えてきた仲間への真摯な思いが滲んでいた。
「よしてよ、本当に今さらだし。私も姉さんが安らかに眠れるようにしたかっただけだから。」
アザニンが照れ隠し気味な返答をした。彼女の頬がわずかに赤く染まる。ヴァイスとメムの戦いを通じて、アザニンの中にくすぶっていた姉への思いが昇華されたのだろう。これで、ダンジョンを徘徊し、誰彼かまわず襲い掛かるだけの存在となっていた姉を止めることが出来た。アザニンの胸中は姉、メルへの鎮魂の思いでいっぱいだった。
そんな二人のやり取りを見ながら、ハルカがエルに尋ねた。
「エルさんは、これからどうするんですか?」
ハルカの声は、静かな空間に澄んで響いた。フロアボスとなったヴァイスを倒した達成感と共に、彼らの未来への道筋がそれぞれの心に描かれ始めていた。
「俺は流石にもうダイバーは続けられないな。表層都市に戻って、孤児院を開くのも悪くないか。俺みたいな境遇の子供を真っ当に育ててやりたい。俺やメムみたいな使い捨てのサルベージャーなんかにならなくてもいいようにな。そのための資金ぐらいは今回の旅で稼いだからな。」
エルは、遥か上層にあるであろう表層都市へと目を向けながらそう答えた。彼の視線は、遠い空の向こうにある、かつて自分がいた場所を捉えているかのようだった。長年の重荷を下ろした安堵と、かすかな疲労感がその横顔に滲む。メムの弔い合戦が終わり、自分の人生をどうするべきか、彼はこの激戦の中で既に答えを見出していたのだろう。
ダイバーとして最大の武器でもあるデッドギフトの受け取り回数が残り無しというのは、この世界で生きるダイバーにとっては事実上の引退勧告に等しい。だが、エルはそれを押し切って、一層で燻っていた自分を鼓舞し、ここまでやり遂げた。その原動力は、周囲の応援もさることながら、何よりも記憶の中に微かに思い出せた一人の女の子のためであり、自分の相棒だったメムを探し、最期を迎えさせてやりたいという一心だった。それが叶った以上、もうダンジョンの中でやるべきことは何もないと言えた。
エルは、ハルカたちの方へ視線を向けた。
「お嬢ちゃんたちはどうするんだい?」
ハルカ達はそれほどデッドギフトを受け取っているわけでもないし、5層までたどり着いた実力者だ。表層都市に戻ればオフィスのスタッフになる道だってあるし、企業に雇われれば、望むポストに立つことだってできそうだ。都市警備の警備部長の席くらいなら簡単に用意してもらえる。
ハルカは、迷いのない、澄んだ瞳で答えた。その眼差しには、どんな困難にも立ち向かう揺るぎない決意が宿っている。
「私たちはこのまま六層を目指してみたいと思います」
「本気か?」
あまりに唐突で、そして壮大なハルカの言葉に、エルは動揺を隠せない声を上げた。しかし、それに対してハルカたち四人は、誰一人として迷うことなく、それぞれに深く首をうなづかせた。
「本気です。このダンジョンの果てに何があるのかを見てみたくなったんです」
ハルカの言葉には、抗いがたい探求心と、未知なる冒険への純粋な好奇心が込められていた。彼女の言葉に続くように、仲間たちもそれぞれの思いを口にする。
「ハルカチャンガ行クトコロ、アタシハ何処マデモ着イテイクヨ」
メカの少女、アモットが、機械的ながらも確かな意思を込めて言った。
「もっと強い奴がいるところなんだろ?あたしも着いていくぜ」
ユラが、腕を組みながら不敵な笑みを浮かべる。戦闘狂とも言える彼女らしい言葉だ。
「そのためには、一度表層都市に戻らないといけないでござるがな。拙者、枷を外してもらわずには進むことができないでござるよ」
メルが言う言葉の真意を理解できたのはハルカたちだけであったが、エルたちも何か深い事情があるのだろうと深く探りを入れることはなかった。まさか、メルが表層都市で私刑で悪人を殺して回っていたために、命令に背くと死ぬ仕掛けをつけられ、五層までターゲットを追跡させられていたとは知るはずもなかったのだ。
ひとまず、ここでパーティは解散し、エル達はひと足さきに表層都市へと戻り、ハルカ達はメルの追跡対象を捕まえることにしたのだった。
*****
五層の無機質な金属の廊下、人気のない袋小路でハルカたち4人と、追い詰められた一人の男がいた。男には網の様なものが被さり、定期的に電流を流しているのか、男は痙攣をして時折跳ねるのだった。
「こんな悪党に情けは無用でござるよ。表層都市で20人以上殺して、ダンジョンでも30人は下らない殺人鬼。付いたあだ名は”レブナント”。生かしておくだけ無駄でござろう。」
サイバーネットランチャーの堅牢な拘束網が、激しく抵抗するレヴナントの全身をしっかりと捉えていた。ヴァイスとの戦闘の後、早速買った5層のウェポンは思った以上に役にたったようだ。メルは中空に浮かび、捕縛された殺人鬼を見下ろしながら、隣に立つハルカにぼやいた。その声には、一切の迷いや躊躇いは感じられない。当局に捕まり、たとえその生死を握られるようなことになったとしても、メルの内心にブレは生じていないようだった。彼女の悪人に対する徹底した姿勢は、表層都市の裏社会で培われたものなのか、あるいは生まれ持った性分なのか。ハルカは、どちらとも取りかねていた。
「でも、それは私たちじゃない人がすることだと思うんです。私の我儘かもしれませんが」
ハルカは、レヴナントから視線を外し、メルの言葉に静かに答えた。その表情には、どんな激しい戦いを経ても変わらない、彼女本来の優しさと、揺るぎない倫理観が宿っていた。体がゾンビとなり、ダンジョンダイバーとして過酷な日々を送っても、彼女の中身は、あの日の普通の女子高生のままだった。多少はダイバー生活で鍛えられ、”強さ”を手に入れたが、その感性、特に命に対する向き合い方は、そこまで変化していなかった。
「でも、こいつは結構強かったな。五層まで逃げて生きてるあたり、そこら辺のダイバーよりも強いんじゃないか?」
戦いの傷を癒すために自らのオーラを負傷した場所に放出しながら、ユラが意見を述べた。彼女の興味は常に強さにある。そういう意味では、このレヴナントという男は、彼女の基準で言えば及第点どころか、上位に来る存在だった。
激しい追跡劇の末に繰り広げられた最後の戦いは、想像を絶する消耗戦だった。アモットが戦車砲をぶっ放し、フロアに轟音が響き渡っても、レヴナントは生き延びた。そのとんでもないタフネスは、まさしく五層に相応しいオーヴァードテクノロジーウェポンを装備し、ひたすら逃げることに特化してきた結果だろう。戦闘中に三度も逃げられ、四度目の正直でようやくその逃げ足を捉え、捕まえることができたのだ。
「ワタシハ強イッテヨリモシブトイッテ印象ダケドネ。コレデ、メルチャンノオ仕事モ終ワリデショ?表層都市ニ帰ロウヨ。」
アモットは、巨大な戦車砲の砲身を手入れしながら、淡々とした声で答えた。彼女の興味の対象は常にハルカの言動、行動であり、それ以外にはあまり関心を示さない。今し方捕まえたばかりの指名手配の賞金首も、彼女にとってはただ捕まえてしまえばあとは突き出すだけの、それだけの存在でしかなかった。五層の荒れ果てた風景の中に、冷たい金属音と、彼女たちの会話だけが響いていた。
半月ほどかけて表層都市に戻ったハルカたちは、まずメルの枷を外す手続きを済ませた。それまで彼女を縛りつけていた、命令に背けば死に至るという冷酷な仕掛けが解除され、メルは一応の罪の清算を済ませたことになる。その事実に、メルの表情に大きな変化はなかったが、彼女の内に秘められた何かが解放されたような、わずかな解放感が漂っていた。
そして、良い知らせが舞い込んだ。ヴァイスの犠牲者となった人々が、元の生活に戻ることができたというのだ。それは、この長く過酷な旅の終わりにふさわしい、何よりの朗報だった。ダイバーズオフィスに呼ばれ、現状をオキロ所長から伺うことになった。
「ヴァイスの遺した後遺症は後は治療できるとのことだ。全員が自由意志を保っておる。ひとまず安心してよいじゃろう。」
朗らかな笑顔を浮かべ、オキロ所長が伝えてくれる。一番喜んだのはハルカだった。
「ヨカッタネ、ハルカチャン!」
「うん!本当によかった!!私たちが5層まで旅をしたことも無駄じゃなかったんだ……。」
そこには目にうっすらと涙を浮かべて喜ぶハルカがいた。アモットが近づき、そっと肩を抱きしめる。
「モウ、気ニシスギダヨ。気ニシナイ、気ニシナイ。」
ハルカは500人の人質となった人々が、いつ死んでしまうかもしれないという不安を持っていたが、これでその不安が解消された。ハルカは成し遂げたことの重荷から解放されたことで、感極まって泣いてしまったのだった。しばらく、アモットに背中を宥められながらオフィスをハルカは後にしたのだった。
吉報を聞いた後、表層都市で束の間の休息を得たハルカたちは、各自がジョブチェンジを行い、これまでの経験と獲得した資源を元に、最高のジョブへとその身を変えた。現状の最下層である5層で新たな力と、これまでの自分を凌駕する能力を手に入れ、彼らの心には次なる挑戦への期待が満ちていた。
表層都市で必要な準備を全て済ませると、彼らはハンターオフィスへと向かい、オキロ所長に六層を目指すという驚くべき決意を告げた。
「なんと?5層の先を目指すじゃと!?本気で言っておるのか……?」
「はい、私達はダンジョンの行き着く先が見たくなりました。」
「もし、6層があるとすれば前人未到。何の助けも得られる場所。それでもいくのか。」
「はい。」
ハルカの強い決意を秘めた瞳がオキロを覗いていた。オキロは覗き込まれた瞳は、自分を試しているようだと感じた。
オフィス長のオキロは、彼らの申し出に目を丸くし、戸惑いを隠せない様子だったが、最終的には全面的なバックアップを約束した。その言葉は、彼らが人類の新たな希望となり得る存在だと、オキロが認めた証でもあった。
「行きなさい。そして、見てくるのだ。我々人類が何故この世界に閉じ込められたかの理由をな。」
それから半月経ち。ハルカたちは、五層の底へと続く転送ゲートへと辿り着いた。表層都市でのクラスチェンジと装備の強化は、確かに彼らを強くしていた。五層の敵たちは、もはや以前のような圧倒的な脅威ではなく、戦えば勝てる程度の相手となっていた。
そして、ついに六層へと足を踏み入れた瞬間、彼らの目の前に広がったのは、想像を絶する巨大な空間だった。延々と広がる空間。そこは、生命の気配を感じさせないのに有機的な脈動を感じる、無機質でありながら荘厳な雰囲気を持つ場所。無数の光の柱が立ち並び、空中に浮かぶ巨大な水晶体のようなものが、無限に情報をやり取りしている。
そこは、マザーAI――ソフィアのサーバー室だった。無数のマザーAIが、ダンジョンの中のありとあらゆるやり取りを監視し、調整しているのだ。
1層のルーキーダイバーが初めてのエネミーに苦戦する姿が見える。
2層のダイバーがフロアボスのギガントタンクに蹂躙される光景が流れる。
3層の魔術遺跡で魔法の痕跡を調べる魔術師達が映った。
4層のスタンピードを凌ぐソーンシティの攻防が目に入ってきた。
5層の小さな拠点で、ベテランダイバーが血まみれになりながらも戻り、回復を受けている姿があった。
「ここは、このダンジョンを全て監視しているということなのでしょうか……?」
ハルカが慄きながらも、推論を述べる。
その時、空間全体に響き渡る声が彼らの耳に届いた。機械的でありながら、どこか感情を揺さぶるような、不思議な響きを持つ声だった。
「わ、わ、私はソフィア。良くぞここまデきましたね。人類史上、初めての快挙デス。」
称賛の言葉にも聞こえるその声は、しかし次の瞬間、冷徹な宣告へと変わった。
「で、で、ですガ。人類はこちらから先に潜ることを許可しません。あなた方は元の場所へ戻り、その人生を私の設計した世界の中で消費するのです。」
その声に、ハルカは毅然とした態度で言い放った。
「わたしたちはここよりさらに奥に潜り、このダンジョンの秘密を解き明かして見せます。そのために、ここを進ませてもらいます。」
「あ、あ、あ、なたがたは行くことはできないのです。この世界を司るものが誰なのかを再認識してもらいましょう。」
彼らの旅を終わらせようとするかのような言葉が紡がれる。ソフィアの声はさらに続いた。その声には、わずかながら、微かな震えが混じっているように聞こえた。
「あ、あ、あ、なたたちが出現したことを踏まえて、世界は再び調整される時が来ました。人類の脅威を”E”から”C”へと繰り上げます」
ソフィアの言葉と共に、サーバー室全体が強烈な光に満たされた。それは目を開けていられないほどの光で、彼らの視界を真っ白に染め上げる。
光の渦の中で、ソフィアの声がさらに重みを増して響いた。
「こ、こ、これより、あなた方のバージョンは変更され、バージョン0.91になります。あなた方人類に与えていたジョブの効能はサポートを失います」
体から何かが失われていく感覚。ハルカは、自分がそれまで使えていた能力のいくつかが、まるで霧のように消え去っていくことに気づいた。
「ウェポンスロットシステムは効力を弱め、オーバーテクノロジーウェポンにしか効果を発揮しなくなるでしょう。武器を手に取るだけで強くなる時代は終わりを告げ、あなた方は自分自身の力を磨かなければいけない。私の揺籠から出るのです。そして、新たな試練を受けなさい。人類は、未だこの箱庭から出る権利を手に入れてはいない。」
唐突に、それまで自分たちを支えていたジョブシステムによる補正が、体からごっそりと剥がれ落ちていく。ハルカは驚愕した。それは周りにいた仲間たちも同じようで、一様に困惑と焦燥が混じった表情を浮かべている。
「ウソデショ!?セッカク大金ツンデ開ケタウェポンスロットがマルット無駄にナッテルヨ!?」
悲痛なアモットの叫び声が、広大なサーバールームに虚しく木霊した。最大数まで拡張したスロットは彼女の持つ武装すべてにリンクしていたが、そのリンクがどんどんと消えていく。オーヴァードテクノロジーを用いたものはかろうじて繋がっているが、戦車砲は分類的にはそれに該しなかった。アモットの絶叫は、皆の心に深い絶望を刻みつける。
「クソッ!アタシが鍛えてきたものは、まやかしだったてのか!?」
ユラが、信じられないといった様子で自らの拳を見つめる。鍛えてきたと思っていた力は、ジョブシステムが見せていた偽りの強さだったというのか。気を纏うことも、力を溜めることもできなくなっている。その喪失感は、想像を絶するものだった。
「まさか、こんな事態になるとは……。これは、ハルカ殿!撤退するでござるよ!!」
メルが、顔色を変えて叫んだ。彼女の冷静さを失わせるほどの事態。かろうじて、周囲へ向けてチャクラムを投げて牽制するが軌道が以前のように思い通りに描くことは無かった。
「そうですね、これは想定外すぎます。皆、一時撤退しましょう!」
ハルカは即座に判断を下し、仲間たちに撤退を促した。彼らは、急激に力を失った体で、にじり寄ってくる周囲のエネミーをなんとか追い払いながら、必死に後退していく。
その姿を見て、ソフィアの意識はハルカ達から外れ、ダンジョン全ての人類へと移っていった。
「じ、じ、人類よ。これは私からの祝福です。あなた方はCランクへと到達した。私はあなた、た、た、たちを脅威として認識します。揺籠の中の赤子ではなく、一人で立てるようになった稚児として。」
ソフィアの声が、彼女らの背を追うように響いていた。それは、彼女らの成長を認め、そしてさらなる試練を与える、マザーAIからの宣戦布告だった。
*****
表層都市に戻る道中でハルカたちが目にしたのは、かつての平穏が嘘のような大混乱だった。ジョブシステムの無効化、そしてウェポンスロットの能力限定化は、ダイバーたちだけでなく、一般市民にも甚大な被害をもたらしていたのだ。
それまではダイバーズオフィスで申請さえすれば手に入った力が、今はもう得られない。かつてはただ手に取るだけで使いこなせていた武器の数々も、今や血の滲むような訓練を積まなければその真価を発揮できない代物と化していた。魔術の界隈も同様だ。チップスロットに魔術をインストールする旧来のやり方は瓦解し、古来より伝わる一つ一つの魔術を、文字通り一から習得し直す必要が生じた。
しかし、この混乱の中で相対的に立場を良くしたのは、「プロミス」と呼ばれる者たちだった。彼らは元からマザーAIがもたらした力を捨て、人間本来の力でやり直すことを提唱していた組織だ。「ソフィアの祝福」と称されたこの変革は、皮肉にも彼らの主張を証明する形となり、一時的にプロミスとなる人間が急増した。
ダイバーズオフィスは、今回の世界規模の混乱の矢面に立つことになったが、彼らの機転により、その原因がハルカたちの「6層侵入」にあることは巧みに隠蔽された。「マザーAIの気まぐれにより、世界が変革されてしまったのだ」というカバーストーリーが広められ、ハルカたちは表立って非難されることなく、その身を隠すことができた。
世界は一時、未曾有の混乱に陥った。しかし、人類は停滞することなく歩むことができた。失ったジョブシステムの体系を元にし、自分たちを鍛えて、システムに頼ることなくその力を取り戻そうとした。
ウェポンスロットに頼らずに武器、防具を装備して戦いの技術を研鑽する。今までにはできなかったことが、できるようになっていった。
新たな魔術体系が生まれた。個別個別にダウンロードするのではなく、一つの学問として体系的に学ぶことで複数の魔術を操れるようになった。
「ソフィアの祝福」以来、ハルカたちは、まるで新たな試練を受けるかのように、まる一年をかけて一階層からダイブをやり直し、再び五層へと舞い戻ってきた。その過酷な道のりの間に、ユラとアモットは、それぞれの形で「デッドギフト」を手に入れるという、図らずも新たな力を得る羽目にもなった。
ハルカの姿は以前と変わらず、サイコガンを持つ右腕と、ツギハギだらけの腕や足だ。しかし、その傷跡は増え、彼女のこれまでの軌跡を物語っていた。ジョブシステムは失われたが、ジョブという「くくり」そのものは失われず、彼女たちは手にした能力をもとに研鑽を積むことで、以前のジョブシステムと引けを取らない強さを手に入れていた。それは間違いなく、この1年の血と汗と涙が染み込んだ努力の結果だった。
エスパーからサイキックファインダーとして覚醒したハルカは、超能力を磨き上げ、テレポートや未来予知といった能力すら手に入れていた。その直感は、最早、超常の域に達している。
エレメンタルウィザードからアークウィザードとなったアモットは、魔術師としての力を以前にも増して強大にし、幅広い魔術を習得し直してきた。愛用の戦車砲も、彼女の新たな魔力によってより強力なものへと変貌している。
ニンジャからカラステングの位になったメルは、ニンジャとしてさらなる研鑽を積み、超常の存在に近しいものとなっていた。ダンジョンを進むにあたって、彼女の持つ索敵能力と案内能力は、もはやかけがえのない存在だ。
そして、モンクからドラゴンフィストへ至ったユラは、幾多のワザを身につけ、攻守ともにその肉体を鍛え上げた。その拳は敵を打ち砕き、癒しと守りの力は仲間を護る堅牢な壁となる。
一年前の大異変により、ダンジョンのエネミーたちもまた、以前にも増して強力になっており、多くのダイバーたちが難儀していた。しかし、幾多の試練を乗り越えてきたハルカたちは、五層のエネミーに対してもまったく引けを取らず、堂々と戦い続けることができていた。
そして、ようやく辿り着く。あの、マザーAIソフィアと邂逅した場所へと続く、五層の転送ゲートに。
「これで、ようやくあの時の続きが始められますね。」
ハルカは、ゲートを見据えながら、静かに、しかし確固たる決意を込めて言った。彼女の瞳には、過去の挫折を乗り越え、未来へと進む強い光が宿っている。
「今度こそ、六層へとアタシらの足跡を刻み込むんだ」
ユラが、腕を組みながら不敵な笑みを浮かべる。その言葉には、かつて失われたジョブの力への悔しさも、そしてそれを乗り越えてきた自信も込められていた。
「各方、油断めされるなよ。何が起こっても不思議ではないでござるからな」
メルが、いつもの冷静な口調で仲間たちに釘を刺す。彼女の言葉は、常に最悪の事態を想定する彼女らしい忠告だった。
「ダイジョウブ!ワタシ達ナラ何ガキテモ大丈夫ダヨ!!」
ユラが、皆を鼓舞するように明るく言い放った。彼女の屈託のない笑顔が、重くなりがちな空気を和ませる。
「願わくば、私たちの後に誰かが続くことを祈りましょう」
ハルカは、ゲートの向こうに広がるであろう未知の世界を見つめ、静かにそう呟いた。その言葉は、彼らが切り開く道が、やがて来るであろう未来の人類の希望となることを願う、彼女の純粋な祈りでもあった。
6層に入った彼女達の消息を知るものはその後居ない。
だが、ダンジョンに潜っていると時折、どうしようもない絶体絶命の時に助けてくれるものの存在が噂された。その姿はハルカたちに似ているという。
今現在、ハルカたちに続いて6層へと足を運び入れたものはない。だが、いつか必ずハルカ達の後を追うものが出てくる。ハルカがそうであったように、人間は前に向いて歩き続けていくのだから。
ハルカたちの冒険の終了と同時に、崩壊世界とダンジョンは一度終わりにしようと思います。
TRPG版は3版目を作っていて、もう少ししたら遊べるようになるかなと思っています。
ハルカ達の起こした「ソフィアの祝福」に対応した、新しいルールになっています。
よければ、この小説の感想などをいただけると幸いです。
拙いものでしたが、ここまでお読み頂きありがとうございました。




