第92話 黄金の輝き
ハルカたちは、Mr.トリックとメルが苦労の末に割り出した座標へと、ダンジョン内をひたすら駆けた。複雑に入り組んだ通路を抜け、たどり着いたのは、息をのむほど広大な空間だった。滑らかな金属の壁と床がどこまでも続き、無数のケーブルが血管のように這い回っている。その中心には、オレンジ色に輝く立方体の物体が静かに浮遊していた。それが、ヴァイスのコアだった。
ハルカたちがヴァイスのコアに手を伸ばそうとした、その瞬間だった。彼らが侵入してきたのとは反対側の壁が、音もなく開いた。そして、鋭い剣気が、まるで意思を持つ刃のようにハルカたちを襲った。
「っ!」
咄嗟にエルが前に出て、剣戟を装甲板でいなした。弾かれた剣風が霧散する。
「メム…、やはりここで出てきたかよ。」
そう言ってハルカたちの前に出るエル。その顔には、苦渋に歪んだ決意が現れていた。長年連れ添った相棒との再会は、喜びに満ちたものではなく、むしろ痛みを伴うものだったのだろう。装甲銃はまだメムと呼ばれた女へとは向けられず、エルは頑丈な装甲板を前に向けて、彼女の鋭い剣撃に備えている。
その時、オレンジ色のコアの傍らに、半透明のヴァイスの投影体が姿を現した。軽薄な笑みは消え、代わりに底知れない不気味さが漂っている。その姿は、まるで悪夢から抜け出てきたようだ。
「よくここまで辿り着けたな、人間どもよ。いや、人間は一人くらいか。」
ハルカは、ゾンビ化によって癒えることの無い細かい傷跡が残る顔を歪め、その奥に宿る怒りをヴァイスに向けた。脳裏には、道中で見た無力化された人々、ヴァイスの犠牲者たちの姿が鮮明に蘇る。彼女の意志は固く、サイコガンの銃身は、迷うことなくヴァイスの投影体へと向けられた。
エルが、苛立ちを隠せない声で問い詰めた。
「余計なお世話だぜ、ミストマン。俺たちをここまで泳がせていた理由はなんだ?」
その声には、メムへの複雑な感情と、ヴァイスへの怒りが入り混じっていた。
ヴァイスは、エルを嘲弄するような笑みを浮かべた。
「お前さんたちをここまで泳がせていた理由?そりゃ、愚問ってもんだよデッドライン。見なよ、お前さんの知り合い。こんな感じでオイラに都合のいい優秀なダイバーを手駒にしたかったんだよね。危険な芽は摘み取り、強力な駒を手にいれる。実に効率のいい話だろ?」
5階層まで辿り着けるダイバーはごく稀だ。100人の新人から一人出るかどうか。その実力を持っているものは、危険と報酬が見合わない5階層の探索などせず、より安全で実入の良い階層で稼ぐことが普通だ。それでも、命を落としブギーマンによって蘇生されることがしばしばある。
ダイバーズオフィスは有力なダイバーを失わないためにも、5階層の立ち入りは推奨していない。現在のところ、5階層でなければ手に入らないものというのは極々限られたオーバーテクノロジーのウェポンなどが大抵で、資源回収者としてはそれほど入り用ではない。
「ヴァイス!そんなことのために何人の人間の人生狂わせたんですか!!」
ハルカが憤る。Mr.トリックが、険しい表情で二人の間に割って入った。
「そうまでして、ソフィアの……マザーAIに従って何になる。」
ヴァイスは、Mr.トリックを鼻で笑った。
「おいおい、オイラがソフィアの言いなりだって?勘違いしてもらっちゃ困る。」
そして、核心を突く言葉を吐き捨てた。
「オイラが、マザーAIになり変わって、この世界を支配するのさ。そのために色々な布石だよ。」
それを聞き、Mr.トリックが怒りをあらわにして叫んだ。
「やはり、そんなことを企んでいたのだな!貴様は、この世界をもっと悪意に満ちたものにしようというのだな!エル、ハルカ。こいつはここで倒さなければならない悪意だ。こいつを放っておけば、確実に表層都市は今の姿ではいられなくなるぞ。人間の世界が滅んでしまう!!」
Mr.トリックはエルとハルカに厳しい口調で警戒を促した。
その光景を横目にヴァイスは、涼しい顔で言い放った。
「いいじゃないか、人間はオイラたちに管理されるだけの存在なんだぜ。ソフィアからオイラに変わったところでそんな大差はないさ。」
ヴァイスが言葉を弄ぶ裏で、黒髪のメムは音もなく、しかし着実にハルカたちとの距離を詰めていた。二振りの剣先が、今にも獲物を捉えんとする獣の牙のように、じりじりと迫ってくる。それは、熟練の狩人が静かに獲物を追い詰めるような、張り詰めた静寂だった。
そして、ついにメムの双剣が、ハルカたちの前衛を務めるエルの装甲銃へと襲い掛かった。金属同士がぶつかり合う甲高い音が、広大な空間に鋭く響き渡る。エルは、分厚い装甲板を盾のように構え、メムの二刀を受け止めた。しかし、メムの剣技は凄まじく、エルはジリジリと後退を強いられていた。鋼と鋼が擦れ合うたびに、火花が散り、エルの体勢は徐々に崩れていく。
その隙を突き、ハルカがサイコガンのトリガーを絞った。彼女の精神エネルギーが凝縮された光弾が、ヴァイスの投影体ではなく、メムへと向かって放たれる。しかし、メムの反応速度は驚異的だった。光弾が届く寸前、彼女はまるで風のように軽やかに後ろへと跳躍し、二振りの剣を巧みに操り、放たれた全ての攻撃をいとも容易く切り払った。斬撃の残像が、空気中に一瞬だけ白い軌跡を描いた。メムの動きは、まるで訓練された舞踊のように美しく、しかしその実、 死の香りに満ちていた。
中空に浮くメルは、信じられないといった表情で、背後の重力制御球を忙しなく動かしながら呟いた。ハルカの放った状態異常を付与するはずのサイコガンによる攻撃が、こともなげに斬り払われた光景は、彼女にとってまさしく衝撃だった。
その攻防を固唾を呑んで見守っていたユラは、メルの言葉に当てつけられたように、一度大きく息を吐き出した。そして、 次の瞬間には周囲の空気ごと吸引していくかのような勢いで息を吸い込むと同時に、その小さな体がみるみるうちに巨大化していく。骨が軋むような音、服が引き裂かれる音と共に、巨大なスプリガン、ユラがそこに屹立した。その巨体は、メムを容易く見下ろすほどの大きさだ。
エルは重厚なパワーアーマーの姿で、装甲銃を構えながらメムの正面に立った。巨大化したユラは、その巨体を活かし、メムの背後へと回り込む。二人の屈強な戦士が、メムを挟み込むように包囲した。
その後ろでは、ハルカがサイコガンの銃口を静かにメムへと向け、いつでもトリガーを引けるように集中力を高めている。そして、メルの周囲では、複数のチャクラムが重力制御球によって高速回転し、いつでも危険を孕んだ刃の雨を降らせられる態勢を整えていた。
エルと巨大なユラが前衛としてメムの動きを封じ、後方からハルカとメルが遠距離武器で援護する。ハルカたちは、それぞれの能力を最大限に活かし、メムという底知れない相手を確実に仕留めるための包囲陣形を完成させた。
包囲網の中で、黒髪の剣士はまるで目に追いつけないほどの速さで剣を振るい、ハルカたちの攻撃をいなし続けていた。幾度か銃弾が掠め、浅い傷をつけたものの、致命的な一撃には遠く及ばない。逆に、剣士の反撃によって、エルとユラは徐々に傷を負い始めていた。
その膠着した状況を打ち破るように、ヴァイスの声が響き渡る。
「メムだけにいい格好をさせるわけにはいかないな。オイラだって伊達じゃないってことを証明してみせるさ。ソフィア!フロアボスの権限をオイラに渡せ!」
その言葉に、Mr.トリックは狼狽の色を露わにして叫んだ。
「馬鹿な!?そんなことが可能なのか!?」
慌てるMr.トリックのホログラムを横目に、ヴァイスの身体の表面を無数のコードのような文字の羅列が流れ始める。それは次第に強い輝きを帯び、そして爆ぜるような閃光を放った。
閃光が収まると、そこにはヴァイスのコアが変形した、人型の姿があった。黄金に輝く筋肉質の肉体、そして双眸には妖しくも爛々とした光が宿る美丈夫。
Mr.トリックが驚愕の表情で呟く。
「ヴァイス、貴様はまさか…?」
黄金の美丈夫――ヴァイスは、Mr.トリックに向かって涼やかな笑みを浮かべた。
「そのまさかだよ、Mr.トリック。我が旧友よ。そして、かつては不倶戴天の敵だったものよ。オレは、このフロアのボスの力を取り込んだ。このフロアにおいて、オレに敵う者などいない。これは、オレの勝利だ。」




