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麻袋王子の素顔

「エスカ、今度の夜会は一緒に欠席しよう」

「ダルク王子のお誕生日パーティーなのに主役が欠席してどうするんですか」

「ならせめて仮面を用意して」

「わがまま言わないでください」

 この問答をするのも今日だけで五回目だ。パーティー開催日が十日後に迫っているというのに、ダルク王子は腹をくくるどころかこうして私のドレスの袖を引っ張っては共犯者にしようとする。粘ったところでどうにもならないことくらい、彼が一番よく知っているというのに……。いい加減諦めてください、と腕を軽く振れば彼の手は離れていく。けれど納得したわけではない。

「でも」

「魔女がかけた魔法も十八歳の誕生日で切れるようですし、それに王族がいつまでもお顔を隠したままではいけませんでしょうに」

「兄上達は顔がいいからそんなこと言えるんだ! でも僕の顔はすっごく醜いから。赤子の時だってメイド達が倒れて大変だったって……。僕の顔を見たらきっとエスカは失望するんだ! そんなの嫌だよ……」

「それは王子のあまりの美しさに失神者が多発しただけだってお兄様方が」


 ダルク王子が夜会に欠席しようとする理由ーーそれは人前に顔を晒したくないから。


 彼は王家の決まりで三歳の時から魔女の魔法がかけられた特殊な麻袋を被っている。なんでも顔立ちが整いすぎていることが原因で過去に何度か争いが起きているのだとか。判断の効く年齢ならまだしも幼い子どもを争いの種にはしたくないとのことで、王家に生まれたものは皆、三歳から十八歳になるまで顔を隠すしきたりが生まれたらしい。婚約者になったばかりの頃はなんて変な風習なのだろうと思っていた。


 けれど五年前、第二王子争奪戦が起きた時にようやく納得した。あの時の令嬢達は変な薬でも使ったのかというほどの狂いようで、男性の中にも息が上がっている者がチラホラと。彼の婚約者である令嬢が拳を使って退けなければどうなっていたか分からない。だがそれも王家にとっては見慣れた光景らしい。


 そんな彼らがダルク王子の顔は美しいと称するのである。聞くところによると幼児期にあまたの失神者が出たため、麻袋を被るまでの彼の世話はほとんど親戚で行ったらしい。それも顔面偏差値の高い人に限定したというのだからよほどなのだろう。他の王族のように仮面ではなく、頭全体を覆うのはそうでなければ彼の美しさが抑えきれないからだそうだ。だがダルク王子自身、その話を信じようとはしない。

「エスカが婚約者を辞めるって言ったら困るから嘘をついているだけだよ……。僕の顔なんて一生隠しておくべきなんだ。だから欠席しよう?」


 ダルク王子のお顔について話すのは皆、王家の人間ーーつまり絶世の美男美女達なのだ。顔立ちが非常に整っている人達からあなたの顔はとても綺麗なのよと言われてもなかなか信じられないものなのかもしれない。かといって地味顔代表のような私は彼の顔を見たことがない。出会った時から今の今までダルク王子の頭のてっぺんから首元まではすっぽりと覆われているのだ。これでは顔の評価など出来るはずもなく、聞いた話を信じて言い聞かせるしかない。

「丸め込もうとしてもダメです。私が王子の婚約者になってから十年以上経ってるんですよ? 今さら顔を見たくらいじゃ嫌いになったりしませんよ」

「嘘だ」

「嘘じゃないですって」

「僕がどんな顔でも絶対逃げないって約束する?」

「そんなに心配しなくても、私達の婚約には魔法契約書が使われていますから逃げられませんよ」

 そう、私達の婚約には魔法が使われている。ダルク王子の麻袋に魔法をかけた魔女によって作られたそれは王家からであっても一方的に破棄することはできない。他の相手と子どもを作った日にはこの先逃れられない大きな代償を背負って生きることとなる。それも対象が一番苦しむものを。魔法というよりも呪いに近い。

「それは知ってる。けど婚約破棄は出来なくても距離はおけるし、なにより心は縛れない。見られたらもうこの関係も終わりなんだ……」

 契約書に書かれているのは主に不貞行為をしないことである。王子の言う通り、婚約を保ったままであれば離れていてもペナルティを食らうことはない。ならばいっそ距離を置いた方がダルク王子のためになるのではないか。


 王子のことは好きだ。

 好きでなければ婚約者だろうと麻袋を被ったネガティヴ男と一緒に行動したりしない。学園でも社交界でも、休みの日すらずっと一緒。読書を楽しむ時でさえ手を伸ばせば届く距離にいて、ここ一年ほどは屋敷に帰らず王城に泊まることも多い。さすがにまだ婚姻前なので、同じ部屋で寝ることはないけれど陽が昇れば当然のように隣に座るのだ。互いに好意を持ち合わせていない、親同士が決めただけの婚約者の域なんてとっくに越えている。

 なのになぜ伝わらないのだろう。

 私は深く息を吐いてから、しょぼんと肩を落とす王子の肩に両手を置いた。


「ならこうしましょう。王子はパーティーに参加して麻袋を取る。私はパーティーに欠席するし、今後一切あなたの顔を見ない。他人からの評価にも耳を傾けない。それなら今までの関係のままです」


 今から普通の麻袋も用意しておきましょうか、と続ければ、王子は渋々頷いてくれた。善は急げと城の使用人に新たな麻袋を用意するように頼むと彼の機嫌も次第に戻ってくる。馬車を見送る時だって「新しい麻袋、楽しみにしてて!」と上機嫌で手を振っていたほど。


 私が王都を離れようとしているとは想像もしていないことだろう。

 屋敷に戻ってすぐ、父に夜会に欠席すること、しばらく王子から離れるために別荘に滞在したいことを告げると父の顔は曇った。けれど理由を伝えればすぐに仕方ないと納得してくれる。ダルク王子の顔面不安は筋金入りなのだ。



 そして荷物をまとめ、翌日には別荘に移った。人が暮らす町からは遠く離れており、使用人もほとんど連れてこなかった。代わりに大量の本を持ってきた私は一日の大半を読書をしながら過ごし、王子の誕生日にも手紙を送ることさえしなかった。婚約者になった時から毎年祝ってきたというのに節目の年には会えないというのだから不思議な気持ちになる。けれどこれでいい。ダルク王子が自分の顔に慣れるまでは帰るつもりはない。



 卒業式までには戻れるといいのだが……。

 そんな悠長なことを考えていた私の元に彼が現れたのは王子の誕生日から五日が経った日のことだった。


「噂、聞いちゃったんだね」

「あ、ああ……ああああ」

 目の前の男がダルク王子であることは声で分かる。けれど身体はガタガタと震え、いつも通りの対応を取ることを拒否する。

「今までのままだって、逃げないって約束したのにひどいよ。僕はちゃんとパーティーに出席したのに……」

「麻袋、被ってください」

 俯いて目を両手で覆えばやっと言葉を発することができる。それでも長く持ちそうもない。今にでも何かが手を通過して侵食してきてしまいそうな気がする。

「やっぱり麻袋を被っていない僕は醜い? でも約束を破ったのはエスカの方だ。醜くてもちゃんと受け入れてよ」

「受け入れるから今すぐ被って!」

 これ以上の会話は麻袋なしでは無理だ。

「……わかった」

 ゴソゴソと音がなり「被ったよ」との合図でようやく手を外す。彼が被っていたのは新しい麻袋ではなく、今まで被っていたのと同じものだった。

「それ、魔法がとけたら魔女にお返しするんじゃ……」

「持ってていいって。いつでも顔を隠せるようにってくれたんだ」

「そう、だったんですね」

「僕の顔が醜いから夜会は散々だった。バタバタと人は倒れていくし、倒れなくても頭を床に付けたまま顔を上げてもくれない。そんな僕を魔女は哀れに思ったんだと思う」

「あまりの神々しさに思わず失神しただけです。倒れなかった人って王族と近しい関係にある方達や高齢の方が多くなかったですか?」

「そうだけど、でもそれは不敬を恐れただけで……」

「美形免疫の有無の問題ですね! 私も王子のお兄様方のお顔に慣れていなかったらわりと危なかったです」

 話には聞いていたがまさかこれほどとは……眼球焼け落ちるかと思ったわ。今頃王都ではダルク王子の話で持ちきりだろう。神の生まれ変わりとでも呼ばれているに違いない。王都に帰った後の反応が怖いが、私が婚約者に選ばれたのはおそらく子どもの顔面偏差値を少しでも正常値に近づけるためなのだろう。最悪子作りは顔を隠したままでもできるし……。まだまだ先のことではあるが、特殊麻袋を回収しないでくれた魔女に感謝する。

「頑張って慣れますから」

 今はまだ手で隠さないと無理だが、『イケメンも三日で慣れる』をスローガンに頑張っていくつもりだ。イケメンと呼べる域は大幅に越えているので、年単位でかかりそうだが諦めなければどうとでもなる。グッと拳を固めて「とりあえず明日から十秒ずつ増やして徐々に慣れる方向で!」と宣言すれば、彼はおずおずと顔を上げた。

「逃げない?」

「逃げませんよ」

「なら今すぐこれにサインして」

 ダルク王子がバッグから取り出したのは一枚の紙だった。それも今ではなかなかお目にかかる機会のない羊皮紙である。続けてペンとインク瓶も取り出して横に置く。

「なんですか、これ?」

「婚姻届。エスカのサイン以外全部埋めてあるから、王都に戻ったら一緒に出そう」

「気が早いですよ。私は早生まれなのであと一年ほど待ってもらわないと」

「変えたんだ」

「ん?」

「いくら契約書があっても、僕の顔を見たら逃げちゃうかもしれないから。お父様に頼んですぐに結婚出来るように法律を改正したんだ。結婚届も魔女に作ってもらった特別製。この文字もね、僕の血を混ぜたインクで書いてあるんだよ」

「え……」

 法律改正は百歩譲って見逃すにしても、血を使った契約書は古代魔法の一種である。血と血の約束は今世どころか生まれ変わっても解けることはなく、魂が続く限り永遠に続くとされる。あまりに強大な力を持ったその魔法は禁忌扱いされていたはず。それをまさか結婚するために使うなんて。私はダルク王子のネガティブを舐めていたようだ。

「さぁエスカ、君の血が混ざったインクでサインして?」

 ペンとインクをずずいと押し付けられ、私って信頼されていないんだなと思い知らされる。

 インク瓶に入っているらしい血液は一体いつ採られたのだろう。思い当たる節が全くないのだが、過ぎたことは仕方ない。腹をくくって彼からペンを受け取る。

「わかりましたよ」

 それにしてもどうすればこの想いが通じるのか。はぁ……と息を吐いて、ペン先にどす黒いインクを染み込ませる。唯一の空白に自分の名前を書けば、彼を纏う空気が明るいものに変わる。

「これでずっと君と一緒に居られるんだ」

「別にこんなの作らなくても一緒に居ますって」

「そこにあるのが憐れみだろうと、エスカはきっと死ぬまで一緒にいてくれる。でもそれじゃあ、今世だけじゃ僕は満足できないんだ」


 婚姻届を抱きしめる彼に、狂気すら感じる。ネガティブなだけよね? 麻袋で遮られたダルク王子の表情は分からない。けれどわずかな隙間から漏れ出す彼の熱はねっとりと私の身体を包み込む。


「二人の魂が壊れるまで、ずっと一緒」

 うっとりとした声で紡がれた言葉にビクッと身体が反応する。血で結ばれた鎖は信頼されていない証拠なのに、顔が熱くてたまらない。けれど恥ずかしがっているだけでは一生想いは通じないままだ。思わず両手で顔を覆ってしまったが、ここで伝えねば! 女は度胸! と己を鼓舞して、愛の言葉を伝えようとした時だった。


「サインも済んだし、残りは僕が」

「インクは飲み物じゃありません!」


 麻袋の中に運び込まれようとしていたインク瓶を思い切りはたき落とす。瓶はパリンッと音を立てて割れ、インクは床に広がっていく。婚姻届はバッグにしまった後なので無事だが、机や王子の服にもインクが飛び散ってしまっている。


「す、すみません。すぐに洗って」

「勿体ない……」

「は?」

「エスカの血なんて飲める機会早々ないのに……帰ってから飲むべきだった」

「早々ってまさか飲んだこと」

「大丈夫! エスカが傷作った時にしか飲んでないから!」

 傷作った時というが、プリントで指先が切れた時などに血を吸われた記憶はない。つまり彼は私の意識がない時、おそらく就寝中に血を吸っているのだ。傷口に爪や歯を立てて、チウチウと音を立てて吸っている姿を想像して頭が痛くなる。

「人の血を勝手に飲んだり採ったりするのやめてください。知らないところで採られてるのは気分が良くないのでせめて事前に知らせてください」

「許可取ったら飲ませてくれる?」

「私の見えないところでなら……」

「本当⁉︎ じゃあ今度から爪と髪食べる時もちゃんと許可取ってからにするね!」

「え、血だけじゃなく?」

「ささくれとか耳垢とか! ああどんな味がするんだろう。楽しみだな〜」


 どうやら私はヤバイやつと結婚してしまったらしいーーなんて思っていたのは数ヶ月のこと。その頃にはダルク王子の顔にも慣れ、二人でいるときは麻袋を必要としないまでになっていた。人間、わりとすぐに慣れるものである。

 妊娠したと伝えた時、真っ先に彼が言い放った言葉が「羊水飲んでいい?」だとしても、はいはいと流せる程度には適応してしまうのだ。

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