対ワイバーンⅰ
イチロウ&シエスのパート
ワイバーンが上空を旋回している。
雪が降っていても彼らには何の影響もないのだろう。だけど俺たちは違う。雪の積もった大地では100パーセントの力を出せるとは限らない。だが、春まで待っていられない俺たちはワイバーンの魔石を手にするのであれば挑むよりほかないのだ。
「本当にやるの?」
「やる」
エスタの質問に力強く答える。今の俺たちなら不意打ちで一人一殺は可能だろう。大空を舞うワイバーンは3頭はそれで落とせる。しかし、地上に6頭のワイバーンが何をするでもなく座っている。仲間が殺されればすぐにでも動き出すだろう。不意打ちでない6対3という構図は簡単にはいかないと思う。それでも勝算がないわけではない。
「エスタは旋回しているワイバーンに仕掛けろ。シエスはそのまま待機、ワイバーンがエスタを狙ってきたら返り討ちにするんだ。俺は地上にいる6体に仕掛ける」
「うん。もう、どこから突っ込んだらいいかがわからないんだけど、とりあえずこれだけは言わせて。ワイバーンの魔石は一個でいいんだけど」
「じゃあ、一体だけ引き付けて来いよ」
「それこそ無茶でしょうが。それだったら、ここから一体撃ち落として速攻で逃げるわよ。あとから魔石を回収しに行った方がましでしょ」
「それも結局巣穴の中だと思うけどな」
「9体のワイバーンを相手にするよりマシと思うわ。それにマジックバッグにワイバーン事収納すれば一瞬よ。どちらがリスクが高いか考えればわかるわ」
「エスタのマジックバッグはワイバーン丸ごと入るのか」
「入るわ」
ワイバーンを狩るための最低限の準備は郷でしてきたということなのだろう。エスタの性格からすれば、混戦になった隙に仕留めたワイバーンの死骸を持ち逃げする可能性すらある。一月以上一緒に狩りをしていても、エスタに対して全幅の信頼というのは持ち合わせてなかった。だから、シエスの秘密については話をしていない。
「少なくともエスタなら一体は不意打ちで落とせるだろ」
「……後のことを考えなければね」
「やる価値はある。俺も一体か二体は不意を突けば殺せる。混戦になってもある程度は戦えると思う。無理だとしても森は深い。いざとなれば逃げきれる自信もある。シエスも大丈夫だよな」
「シエスの足はお兄ちゃんより早いですよ」
自信を込めてシエスが言う。
ステータスの数値は全体を指している。仮に俺とシエスのSTRが同じでも筋肉の付き方は別だ。シエスの場合は腕よりも足に重点的に筋肉がついているのだ。
「エスタはどうだ」
「速度はともかく隠形の技術なら二人に負けないわ」
「なら問題ないと思うが、最後の判断はエスタに任せる」
「……わかったわよ」
「よし、さっきの作戦で行く。二人はここで待機。エスタはいつでも射れるように準備だけしててくれ。俺が先行して仕掛ける。攻撃の瞬間、上空のワイバーンの動きに変化が出るだろ。その瞬間、一体落とせ」
「わかったわ」
「シエスも了解です」
「よし」
俺は身を低く落とし足音を立てずに森を疾走する。その背後、雪に吸収されてしまうような微かな声で「死なないでよ」とエスタのものらしいつぶやきが聞こえた。当たり前だろと、俺は心の中で答え聳える木々を躱していく。
ワイバーンのいるあたりまで数百メートル。
雪は深いが足を取られることなく駆ける。蒼の森を拠点に構えてから身につけた新たな走法である。足の裏に魔力を展開し、それを踏むことで雪を踏み抜かずに済んでいる。現状、雪の上に限らず水面でも走れるようになっている。もう少しで空も走れるようになるんじゃないかと思っている。
森を抜けた。
ワイバーンが巣としているのは、草原ではなく岩肌の見える採石場のような場所だった。身を隠すことのできない場所であるので俺は一気に距離を詰める。ワイバーンは肉食獣の例にもれず前方に目がある。草食動物のように360度の視界はない。だから、お互いの巨体が影となるような場所を選び攻撃を仕掛ける。
リスベンで目撃したワイバーン、あるいはスマニーのダンジョンにいたワイバーンであれば今の力量なら瞬殺できる自信はある。
それを確かなものにするべくワイバーンの側頭部を渾身の力で打った。
巨体が浮いた。
おそらく10トンは超えるワイバーンの体がふわりと地面を離れ、そして岩肌を転がった。絶命しているか確認する時間はない。俺の姿を目にした周囲のワイバーンが色めき立つ。
その瞬間、上空のワイバーンの頭蓋が打ち抜かれたのがわかった。
力を失い重力に引かれるワイバーンに、別の敵がいることを悟ったワイバーンたちの挙動が一瞬乱れる。その隙を逃さず一番近場にいたワイバーンを仕留める。
これで残りは6体。
予定通り上空にいたワイバーンはシエスとエスタの方へと向かう。
俺の近くにいたワイバーンは二体が羽ばたき上空へ上がると、残りの二体は俺に向かって火炎は吐き出した。だが、大きく息を吸い込むのを見れば、ブレス攻撃が来るのは容易にわかる。射線に入らないよう素早く移動すると、ワイバーンの懐に向かって駆け出した。
しかし、それを阻止すべく飛び上がったワイバーンが滑空しながら鋭い爪を振り下ろしてくる。カウンターで蹴りを入れようと思うが、流石にそれは難しいらしい。
地上を舐めつくす火炎ブレスに、上空からの火炎弾と爪撃。
攻撃を避けるだけで精いっぱい。
このままならな。
身体能力が上がったからと限界突破も使わずにワイバーン4体と肉弾戦をするのはちょっと舐め過ぎだったか。一瞬の隙をついて全身に魔力を流し、限界突破する。赤いオーラを纏うと、さっきまでの速度を超えてワイバーンに肉薄する。
ブレス攻撃した直後の隙だらけの頭を殴る。
これで三体。
地上にいては攻撃を喰らう恐れがあると悟ったワイバーンは三体とも上空に避難した。時々火炎ブレスを吐きながら地上に接近するが手の届くところには降りてこない。火炎弾、火炎ブレス。さらには爪撃による斬撃を飛ばして上空からの攻撃に徹してきた。
まだ、雪の上は走れても空を自由にとはいかない。
ワイバーンの攻撃を掻い潜りながらエスタとシエスのことを考える。少なくとも二人を狙っていった二体が戻ってこないということは無事なのだろう。そもそも、今の二人が二体のワイバーンごときに後れを取るとは思えない。戦ってみて確信したことがある。目の前のワイバーンはスマニーのダンジョン産のものと違いはなく、その程度であれば二人とも一撃で屠れる。
「でも、やっぱり離れて戦うってのは心配だよな」
ふぅっと大きく息を吐くと、体に巡らせる魔力を瞳へと集中する。それにより赤いオーラが深紅に染まる。
ワイバーンの放つ火球の炎のうねりすら視える。
轟流の奥義伍ノ型『桐』その一、視覚の鋭敏化をスキルとして発動したのだ。そもそも、限界突破自体轟流の奥義の一つに過ぎなかったのだ。だが、この世界に来て発動したとき、それは魔力を使用する形のスキルへと昇華した。
だとしたら、ほかの奥義もまたスキルへと昇華できるのではないかと考えた。
感覚を鋭くする行為は脳への負担が大きい。それを実感したのはヴァンパイアロードとの闘い。今なら魔力が尽きない限り俺の身体能力はどこまでも上昇する。
敵が降りてこないのなら地上から攻撃すればいい。
炎を掻い潜りこぶし大ほどの石を拾い上げる。
それを全力でぶん投げる。
技でもなんでもないただの投擲。
だが、石ころは必殺の弾丸となりワイバーンに突き刺さる。
「ヒギャアアアアアアアアアアアアアア」
大気を震わせるほどの絶叫を上げてワイバーンがきりもみしながら大地に激突する。だが、まだ死んではいない。ギリギリのところで首を反らせたワイバーンの肩を大きく抉っただけである。そのせいで飛翔能力は奪われたが、手負いの獣ほど恐ろしいというようにワイバーンが憤怒の表情で迫る。
走る能力はさほど高くはないが、それは飛翔と比較してという話である。ワイバーンの体を支えるだけの太くたくましい足が飾りであるはずもない。
土煙を上げ地鳴りを轟かせながら迫りくる巨体に対して背後に回り込もうとするが、それを上空の二体が邪魔をする。俺の進路を妨害するように火球の雨を降らせてくる。
たった一つ残されたのは手負いのワイバーンへと続く道のみ。
「いいぜ、やってやるよ」
迫りくる巨体を真正面から迎え撃とうとするが、ほかの二体が邪魔をしないわけではない。斬撃と火球の嵐をまき散らしながら、俺が攻撃の構えを取るのを牽制する。視覚を強化して身体能力を上げている以上、攻撃を喰らうことはない。だが、正しく構えられないというのはきつい。
右に左に動きながら、目と鼻の先に迫ったワイバーンをにらみつける。攻撃の時は一瞬、あいつはたぶんブレスは使ってこない。そんな気がする。怒っているからだろうか、直接噛みつくか爪をたてるかどちらかだろうと想像する。
そもそもブレスであれば息を大きく吸い込むので、その隙に攻撃ができる。その点、爪や牙の攻撃の方が溜めが必要ない分危険だと思う。
ワイバーンが大きく口を開いた。
噛みつきか。
首を斜め上に上げると振り下ろすようにして鋭い牙を突き立ててくる。それを掻い潜る様に首を上げた方へと滑り込む。空打ちした噛撃。その横面を殴ろうとすると、翼を叩き落してきた。それも肩をえぐった方の翼である。
動かないと思い込んでいた俺の心の隙をつく一撃。
寸でのところで持ち上げた腕で翼撃を受け止め、そのまま後ろに飛ぶ。威力を殺し切ったのでダメージはそれほどでもないが、弾き飛ばされ身動きの取れない俺へと追撃が入る。
上空の一体が火球を放つ。
眼前に迫る視界を覆いつくすほどの紅蓮の炎。
それに向かって拳を突き立てる。
空を撃ち、衝撃波が火炎を散らす。
霧散した赤の先に巨大な咢が迫る。火球の陰に身を隠したワイバーンの鋭い牙が襲い来る。身を捩ろうと、手を伸ばそうと回避できない必殺の一撃。