敗北
「少し時間が欲しい」
「ああ、かまわない。しばらく君たちだけにしてあげよう」
男が部屋を出て行って、残された俺たちは顔を見合わせる。
「渡すしかないよな」
それ以外に答えはないと思う。
「悔しいけど、そうね」
「仕方がないと思います」
「あの、シエスは……」
不安そうな顔をするシエスの頭に手をのせる。
「心配しなくていい。シエスのことはどうにかするから。あの指輪以外にきっと方法はあるはずなんだ。じゃなきゃ、ヴァンパイアが現れたことに説明がつかないだろ」
「そうだよね。だいたいヴァンパイアが出たのってすごい大問題じゃないの、あいつら全然信じないけどさ」
「やっぱり78番が手をまわしているんでしょうか?」
「そこは微妙だと思う。俺たちは実物を見たから信じられるけど、普通の人なら結界の中に魔物が入ってくるとは思わないだろ」
「確かにね」
「あのヴァンパイアを捕まえて、方法を聞き出せたら早いんだろうけど無理だろうな」
「ですね」
「じゃあ、とりあえずさっきの男を呼ぶか?」
「あ、でも、この場で指輪を渡したら不味いですよ」
「不味い?」
「シエスちゃんが街を抜けられなくなります」
ネルが気が付いてくれてよかった。
俺だけだったら、うっかり渡してしまっていたと思う。
悪魔の手を差し伸べてきた男を呼び出し、どうにか手渡す場所を街の外にしてもらうことを了承してもらった。逃げられる可能性があるため、しぶしぶという感じではあったが彼にもほかに方法はないと思ったのだろう。
俺たちを犯罪者に仕立て上げて、荷物を押収したとしても指輪だけは絶対に出ないのだ。想像するしかないけども、宿の部屋くらいならすでに手を回された可能性もあると思う。それでも出ないからこそ、俺たちの要求を呑んでくれたのだろう。
競売都市リスベンの外を歩く俺たちの周囲には10人ほどの屈強な男たちが付いてきている。言うまでもなく78番の雇用主の配下の連中だ。
指輪を奪われることは残念だが、男の筋書き通りに事が進むのを止める手段がなかったからだ。それに、ヴァンパイアが襲ってきたこともある。それはつまり他にも結界を抜ける術があることを教えてくれていた。指輪を失うことは最悪ではない。
男たちに取り囲まれたまま街を出るという明らかにおかしな状態であるのに門番が何も言わないのは、手が回っているのだろう。
相手は俺たちがそれなりに実力を備えていることを知っているのだ。
Bクラスの冒険者を返り討ちにして、ヴァンパイアの暗殺も防ぎ切ったのだ。
だからだろう。
崖を上ったところで待ち構えていた配下の数は異常だった。
剣や弓、槍を構えた私兵だろうか、統一された装備に身を包んだ男たちの間からにこにこと笑みを張り付けた男が出てきた。いうまでもなく交渉役を買ってでた男。
「さて、指輪をもらいましょうか?」
兵士たちに混ざって、魔法使いの姿も見える。
すでに魔術回路は完成していつでも発動できる状態にある。俺たちが何か不穏な動きを見せようものなら集中攻撃を受けるのだろう。
思わず苦笑する。
そこまでするかと。
そこまでしてこの指輪が欲しいのかと。
結界を通り抜けるときにはシエスが持っていた指輪を受け取り、俺は男に手渡した。
「これでいいだろ。道を開けてくれ」
「もちろんです。約束ですからね。しかし、獣人の娘に持たせていたとは意外でしたよ」
いささかも意外とは思っていない顔で男は嘯く。取り調べの際中、彼女の顔色が悪かったのは明らかだったのだ。それが魔力欠乏からくるものだと、よほど勘が鈍くなければ気が付く。取り調べをしている憲兵と違って、俺たちがそれを持っていることは知っているのだから。
男が手を上げると、人垣が割れる。
その間を縫うようにして俺たちは歩いていく。
嫌な気分だ。
いくら腕力を鍛えたところで権力には適わない。
それが思い知らされる。
すごく悔しかった。
完全なる敗北。
喧嘩でも試合でも、殴り合いで負けたことは一度もない。
でも、勝てなかった。
これは勝てない戦いだったのだろうか。
悔しくて悔しくて俺たちは連中から離れた後も、無言のまま歩き続けた。