対亀
後ろから悲鳴に近い声が聞こえてきたけど、とりあえず無視する。
街道沿いの兵団もエレファントタートルに向かって突き進む俺の存在には気付いたようだが、”勇者”とまでは気付いていないと思う。そもそも、死んだと思われてるはずだしな。
駆け出した俺は数十秒でエレファントタートルの眼前10メートルほどの距離まで近づいた。
間近で見ると本気でデカい。
おそらく甲羅の直径で20メートルほど、そこから伸びる首や足がそれぞれ軽自動車くらいの大きさがある。
とりあえず甲羅を殴るよりはいいだろうと、俺は間合いを詰めるとエレファントタートルの頭を蹴り飛ばした。皮膚は分厚く硬い。だが、鉄のような金属の硬さではない。そして、当然ながらめちゃくちゃ重い。
頭を揺さぶられたエレファントタートルはようやく俺の存在に気付いたのか、左の前足で踏みつぶそうとしてきた。遠くから見ていた歩みは遅かったが、攻撃しようとするその動きは早い。
とはいっても、俺のスピードの比じゃない。
余裕で躱すと、お返しとばかりに足にけりを叩きこんだ。
大木を蹴ったような反動を受け、俺の攻撃がいささかの痛痒も与えてないことがわかる。
さすがに重量差が厳しいな。
単純な打撃じゃ無理か。
なら……轟流奥義漆ノ型『楡』を使用する。
エレファントタートルの足から鮮血が噴出した。
十分な手ごたえ。
だったら、首を狩ればいい。左前脚から首の下に入り込むと真上に向かって必殺の手刀を叩きこもうとした。だが、エレファントタートルは一瞬で首を引っ込めると、手足もしまい込み甲羅の中に引きこもった。
甲羅の中の顔と目が合うと、エレファントタートルはその大きな咢を開いた。
やばい!!
脳内に警鐘が鳴った。
身をひるがえして、エレファントタートルの正面から身を隠す。
その横を灼熱の火炎が迸る。
おいおい、亀が火吹くのかよ!!
ワイバーンの炎に負けるとも劣らず恐ろしいほどの熱量を持っていた。
手足は分厚い甲羅に守られ、正面の顔を叩こうにも火炎を浴びる。
マジで厄介だな。
とりあえず肆ノ型試してみるか?
動くことを止めて、小さな丘のようになったエレファントタートルの甲羅に駆け上がると天辺で俺は瓦割をするように真下に向かって拳を構える。
分厚い甲羅に守られていて、攻撃を受けるとは思ってないのだろう。相手が動くつもりがないのなら、最大限の力が込められる。
拳を打ち下ろす。
……。
……。
反応はない。
ダメか。
この感触はおそらく空洞か?
それもそうか。頭を引っ込めるんだ、体の中に空洞があってもおかしくない。だが、肆ノ型との相性は最悪だな。鎧越しに衝撃を伝える奥義だが、そこが空洞では衝撃は伝わらない。
だったら甲羅を割るか?対物ライフルでも通じなかったらしいが、果たして俺の力はどこまで伸びている。
「ふぅ」
大きく息を吐き出し息を吸う。
呼吸法により体内の細胞を活性化させる。
相手が攻撃をしてこないというのはいい。
ゆっくりと準備ができる。
身体能力を極限まで引き上げ、最大の力で拳を握りしめる。
真下に向かって正拳を叩きつけた。
ドン
大砲の一撃を受けたような音が響き、ピキっと甲羅にひびが入る。
「グギャアアアアアア」
エレファントタートルが首、手足を甲羅から伸ばして激痛に体をよじらせる。俺は甲羅の上から飛び降り、転がるようにして地面に着地する。
さきほどまでのゆっくりとした動きとは打って変わって後ずさると、俺の姿を視界に収めて火炎を放った。火炎の範囲から逃げ回るが、周りが火の海に包まれる。
炎を掻い潜りながら、エレファントタートルの頭の下に潜り込むと、俺の姿をとらえきれていないエレファントタートルに向かって、手刀の斬撃を叩きこむ。
伸びた首に手刀が当たる。
だが、切れたのは分厚い皮膚のみ。
攻撃を受けた瞬間に、エレファントタートルの首は鞭のようにしなり斬撃を受け流していた。多少の血は流れたが、頸動脈は切断できていない。
そして、しなやかな鞭となったエレファントタートルの首が、反動をつけて叩きつけられてきた。横っ飛びにぎりぎりで躱して上を見上げると、今度は軽自動車並みの前足が俺を踏みつぶそうと襲い掛かる。
攻撃範囲から転がるように飛び出したのだが、前足は大地をしたたかに踏みしめ局所的な地震を起こす。振動は衝撃となり、俺の体は金縛りにあったように身がこわばった。
一瞬の停滞。
その隙をエレファントタートルが見逃すはずもなく、振り下ろした足を思い切り前に出してきた。一歩前に進むようなのっそりとした動き。
すべてははっきりと見えていた。
だが、反応が遅れた俺にできたのは顔を庇いつつ、自由になった体で後ろに飛ぶのが精いっぱい。トラックに正面からぶつかったような衝撃が俺の全身を打ち付け、数十メートル大地の上を転がった。
すぐに立ち上がろうとした俺の眼前に迫っていたのは、エレファントタートルの火炎だった。
間に合わねぇ!!
視界が赤に埋め尽くされるなか、激痛の走る体を鞭うってその場を飛びのこうとすると、ほんの一瞬炎が何かに阻まれ、次の瞬間にはガラスが割れるように透明の幕が砕け散った。
ミリ秒単位の間隙で、俺は炎の猛威から逃れた。
「ネル!!助かった」
視界の端に映ったパーティメンバーに声をかける。いつの間にか近くまで来ていたらしい。彼女の結界では炎を完全に防ぐことはできなかったが、ほんのわずかな時間抑えることができたようだ。
だが、その一瞬で十分だった。
「「早く戻って!!」」
ネルとフランの叫びを聞きながら、俺は口元をゆがめた。
「悪い。二人は戻ってくれ。大丈夫。ちょっと本気出すから」
”あんたの大丈夫は根拠がないでしょうが”というフランの叫びを耳にしながら、俺はエレファントタートルに向かって突っ込んでいく。
甲羅にひびは入っていた。
ソウの作った対物ライフルもおそらくは当たり所が悪くなければ十分に機能したはずだ。甲羅が丸いせいで、当たった時の角度が悪かっただけだろう。
俺の現在のステータスでもエレファントタートルに攻撃を与えられるという確証は得た。エレファントタートルの悲鳴を聞けば、十分なダメージだとわかる。
だったら、もう少し力を上げてやればいい。
再び甲羅の上に上った俺は、振り落とされないように甲羅の上で呼吸を整える。エレファントタートルが俺の存在に気付いたようだが、甲羅の上には首も足も届かない。
所詮は亀。
前足をまげて、後足を伸ばす。今度は逆に後足をまげて、前足を伸ばす。
シーソーのような動きで体を揺さぶり俺を払い落とそうとするが無駄だ。
一度目は予想以上の暴れっぷりに驚いたが、いまは把握いている。轟流を修めた人間の体幹を舐めてもらっては困る。
轟流奥義睦ノ型『梧』
いわゆる火事場の馬鹿力の任意発動。
そして、俺は先ほど罅をいれた甲羅に向かって轟流奥義弐ノ型『椿』を叩きこむ。
ズドン
大砲の一撃を受けたような轟音が鳴り響き、エレファントタートルの甲羅が砕けた。
「ギュルラアアアアアアア」
先ほどよりも大きな悲鳴を上げるエレファントタートルに止めを刺す。分厚い装甲を失った内部に向かって強化された拳で打撃を連続して叩き込み、ついには抵抗をやめた。
巨体が森に沈む。