巫女の願い
「やりたいことはないの」
そう言った彼の眼には、深々と燃える焚火の炎が映っていた。
私は思わず言葉に詰まった。
「……やりたいことなんてなにもないよ。だって、私は十分に幸せだったよ、みんなも優しくしてくれて、15年間本当に幸せだった。……カイだってそう思うでしょう?」
頷いてほしい、そんな思いを込めて彼の方を見た。
眉をピクリとも動かさず、少年はいった。
「フィアがそれでいいならいいけど」
私は、顔がこわばるのを感じた。
「なんで、なんで、最後の日にそんなこと言うの?」
目に涙がたまる。
カイとは生まれたときからずっと一緒だった。幼馴染として村で育ってきた大事な親友だ。
でも、今日が話せる最後の日だった。
この村には掟がある。100年に一度、村に、胸に印を刻まれた“巫女”と呼ばれる女の子が生まれる。そして巫女は16歳の誕生日に水竜への生贄となる決まりだ。そうして、村に雨が訪れるとされていた。
そして、その巫女は私だった。
「水竜への贄だかなんだか知らないけど、フィアが犠牲になることなんてないよ」
カイは続けた。
「でも、昔、雨を与えてくれる水竜への恩を忘れて、水竜へ悪さをした村人への呪いだって婆さまが言ってた。私が贄にならないと、この村には一滴も雨が降らず、村が枯れてしまうって――」
「それだって、本当かわからないだろう」
遮るようにカイは言った。
「なにが言いたいの?」
声が震える。最後の日に喧嘩なんてしたくなかった。
「お前の本心を聞いてないと思っただけ。ちゃんと素直に本心を言えよ、そうすれば、ことはいい方向に進むんだから」
何の気のない素振りで言い放つ。その強情さと直球なところが心底うらやましかった。
「じゃあ、また明日」
そういうと、カイは部屋へと戻っていった。
空を見上げると、満天の星空が広がっていた。
ぽつりと、我慢していた涙が頬をつたった。
「明日なんて来なければいい」
そうつぶやいた。
翌朝、村中の人々は大きな池へと向かっていた。そこには水竜が住んでいると言われている。村人の中で水竜を見た者はいないが。
私は、白に水色のラインが入った、村に伝わる巫女の服に包まれていた。2つ結びにした水色の髪によく似合っていた。
ついに今日という日が来た。
自分が今どんな顔をして、どんな気持ちなのかすらよくわからなかった。
村人の中にカイを探した。
見つからなかった。
儀式には全員でなければいけない決まりだけれど、カイは掟をことごとく裏切ってきた。決まり事が嫌いなんだそう。
俺達には自由がある、よくそう言っていたっけな、ふと思いだした。
自由なんて、あると辛いだけだ。
「フィア、さあ、時間よ」
母親の声にはっとした。
母は昨日、泣きはらしたからか、目が真っ赤に腫れていた。
父さんが、「フィアを心から誇りに思うよ」と最後の言葉を口にした。
ありがとう、そう応えた。
一歩、池の前に歩み寄り、手を組んだ。
あたりが静まり返る。
すると、ざああっという大きな音とともに、私の足元から風が吹き荒れる。
立っているのが精一杯だ。
ざばああああん、大きな音がして、目を開くと、水しぶきの中から、大きな口をあけた竜が姿を現した。
私は思わず後ずさりした。
声が出ない。
大きな牙と、黄色の鋭い目に、体が恐怖で固まった。
「あ、あ……」
声にならない声がでる。
走馬灯のように今までの思い出がよみがえる。
母さん、父さん、村のみんな、そして最後にカイの顔が浮かんだ。
そうしてわかった。
ようやくわかった。
私、カイのこと……。
そのとき、すうっと声が出た。
「私、死にたくないっ!」
「おせぇよ、馬鹿」
声とともに、後ろから大きな剣をもったカイの姿が現れた。
だだだっ、勢いよく水竜のもとへと走っていくカイ。
「ぎゃああおおお」
水竜が大きな雄叫びとともに巨体を動かす。
「掟なんて、くそくらえだね」
そういうと、高くジャンプしたカイは剣を大きく振り回し、水竜の首を一筋で断ってしまった。
みんながざわつく中、晴れた空のなか、雨が降り始めた。
「ちゃんと言えたな」
そう言ってほほ笑んだ。
ああ、この人にはすべてお見通しだったんだ、そう思った。
雨が止むと、虹がかかった。
空と空を架ける大きな虹だった。
呪いを解いたカイをみんなは、盛大にもてはやしたけれど、カイはあまり嬉しそうじゃなかった。
そして、カイは言った。
「俺、この村を出ていくよ。もっと広い世界を見る」
自分でも以外にも、そうだと思った、となんだか安心したような気持ちだった。
「そう」
それだけ言った。
私は何がしたいんだろう、そう思った。
答えはもう出ている気がした。
翌朝。
私は、空が暗いころから村の門の前にいた。
寒いなあ、と手に息をやる。
顔は、なんだか、にやにやが止まらない。
ざざ、足音が聞こえる。
振り返った。
驚くカイの顔。
「お前、なんで、こんなところに」
「一人でなんて行かせない、私もついていく。人生救った責任とりなさいよね」
ドヤ顔で言った。
きっと、これが私の願いだった、そう確信した瞬間だった。