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夏風に薔薇②

 東京駅は夏休みということもあって、夏休み中の家族連れや、外国人観光客でごった返していた。人混みをかきわけ、駅構内で迷子に鳴りながらも新幹線の改札へとたどり着き、23番線ホームに停まっていた当駅始発の秋田新幹線こまちに乗り込む。車内はすでにほぼ満席で、キャリーバックを荷物入れの隙間に押し込み、窓際にある自分の指定席に腰掛ける。小さくため息を尽きながら携帯を取り出すと、サークルのグループラインの通知が来ていることに気がつく。会話の流れを見ると、どうやら今月下旬に予定している夏合宿の話題らしかった。そして、窓から新幹線のホームへと視線を移す。そういえば。私はふと思い出す。二年生のときには参加していなかったけれど、確か一年のときは片岡さんも夏合宿に参加していたんだっけ。


 一年生のときに夏合宿の光景が思い浮かんでくる。文芸サークルのみんなで山中湖のコテージに泊まって、お酒片手に各々が自分の好きな作品について語り合う。いつも部室でやっていることと同じではあったけれど、とても楽しかったことを今でも思い出せる。合宿中、カレーをみんなで作ろうという話になって、一年生である私や片岡さん、それから他の一年も含めたみんなで和気あいあいと料理をした。その時、私と片岡さんはたまたま台所で隣通しになって、二人で黙々と野菜を切る係になった。


「片岡さんは……どういった小説が好きなの?」


 それまであんまり一対一で話したことのない片岡さんに、私はそんな無難な質問しかできなかった。それから私と片岡さんは野菜を切りながら、好きな本について話したけれど、正直会話の内容は覚えていない。規模の大きな文芸サークルだからこそ、中には趣味嗜好が違う人も結構居て、その時の私も会話をしながら、ちょっと好きなジャンルが違うなとか、他の子のところに行きたいなってぼんやりと考えていた気がする。それでもやっぱり同じ一年生で、同じサークル仲間だったからこそ、私は彼女と仲良くなろうと思っていた。みんなで夕食を食べて、ワイワイと飲み会をしている中、私はぽつんと端っこでグラスを傾けている彼女のもとに近寄って、こっちにきておしゃべりしようと誘いかけた。


「ありがとう。でも、こうしてみんなが楽しそうにお喋りしているのを見ているだけでも楽しいから。気を使わせちゃってごめんね」


 それが彼女の本音だったのか、それとも強がりだったのかはもう今となってはわからない。それでもその時の私はそういう子もいるんだと納得して、彼女を残して元のグループのへと戻っていった。一時間経ってふと彼女が座っていた席の方を見るとそこにはもう片岡さんはいなくて、翌朝聞いた話では、さっさと寝室に戻っていたらしい。


 彼女は寂しかったんだ。もっと強引にでも誘えばよかったんだ。そう言うことができたらすごく楽だったんだと思う。私も、そして片岡さんも。でも、私にはどうしても一人が寂しいから彼女が自殺したとは到底思えないし、彼女のがあの日言った言葉がまるっきりの強がりだとは到底思えなかった。


 合宿最後の夜に近場の湖のほとりで皆で花火をして、騒いではしゃいで、一人の先輩が花火の音に驚いて盛大にひっくり返ってそれをみんなで笑った。その時、私は偶然横にいた片岡さんの方へと視線を向けた。湿った夏の風に乱された髪をかきわけながら、すごく楽しそうに笑っている表情を、私はなぜか鮮明に覚えている。


 私は楽しみと一言だけつぶやいてからスタンプを投稿し、スマホをかばんにしまう。すでに新幹線は出発していて、四角い窓の枠の中を都会の町並みが右から左へと流れていく。結局、片岡さんが自殺した理由は誰にもわからないままだった。大学に親しい友人がいたという話も聞いたことないし、誰かと付き合っているとかいう噂も聞いたことはない。だけどそれは彼女に友達とか恋人がいなかったということではなくて、ただただ私がそのことについて知ろうとしていなかっただけのことだった。彼女が秋田出身だということも、彼女の実家に電話した後、そういえば新歓でそんなことを話していたなと思い出したくらいだった。


 私は彼女と全く会話をしていなかったわけではなかった。新歓でも、先輩の送別会でも彼女はたまに参加していて、同じテーブルに座った時なんか、複数人でおしゃべりをしたことなんていくらでもある。だけど、同じ飲み会に参加していても、会話をしていても、彼女について何かを知っていたとしても、彼女が生きている間、私は彼女と仲良くなることはなかった。何を考えているのとか、辛いことがあったのとか、そういったことを尋ねられるような関係を、私は彼女と築けていなかった。私の方は関係を築こうと思ってすらいなかった。でも、片岡さんは? 片岡さんはどうだったの。片岡さんは私と、ほんの少しでも仲良くなりたいと思っていたの? 決して返ってくることのない問いは、新幹線が走る音にかき消され、消えてなくなった。


 四時間近くかけ、ようやく新幹線は秋田駅に到着する。秋田駅には観光客の他にも、地元の人や高校生たちで賑わい、活気に満ちていた。彼女の家へは明日の午前に向かう予定で、今日は市内に一泊するつもりだった。ホテルのチェックイン時間にもまだ少しだけ時間があったので、私は荷物をロッカーに預け、少しだけ駅周辺を散歩することにした。


 西口へと向かい、そのままアーケード街へと出る。東京と同じくらいに秋田の街もまとわりつくような暑さと湿気に包まれていて、夕方にもかかわらず、歩いただけで少しだけ汗ばむほどだった。駅周辺にはビルが立ち並び、人々が忙しげに歩いていく。部活に向かうのか、それとも夏期講習か。アーケード街には制服を着た高校生の姿が見えて、私の視界の端っこで仲睦まじげにおしゃべりをしている姿が見えた。


 私はそのまま直進し、アーケード街の外へと出る。下り坂となっている真っ直ぐな道の上には、青紫色のうろこ雲が北の空へ向かって大きく伸びていて、その右隣りには燃えるような夕日が浮かんでいる。突き刺すような西陽に私は手をかざしながら、暮れなずむ秋田の街の夕暮れを見上げた。彼女の実家は田舎にあって、高校生のときは親元を離れて寮に住んでいたらしい。私はふと新歓で聞いた話を思い出す。片岡さんも高校生の時、今の私と同じように、こうやって人の波をかきわけながら、駅を抜け、友達とともに街にへと歩いて向かったのかもしれない。私の高校時代と同じように、他の人の高校時代と同じように。湿った夏の風がビルの隙間から吹き込んでくる。かつてこの街を歩いていた人間が一人この世界からいなくなってもなお、空は高く、晴れ渡っていた。

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