第十七話 冷笑に秘す 終幕
舞台『冷笑に秘す』のあらすじを話そう。
とある貴族の美しい娘・アナスタシアが平民の青年・ミハイルと恋に落ち、身分に隔たりのある関係に悩み、紆余曲折あって恋人になり幸せに過ごすラブストーリー。だが、当然話はここで終わらず、アナスタシアは父が貴族という身でありながら仕事で不正をしていること、そしてそれがもう取り返しのつかないところまでいってしまっていることに気づいていた。名も名誉も忘れ、恋人ミハイルと駆け落ちでもしようと考えたが、子供の頃の優しかった父や死んでしまった実母の代わりに愛情と厳しさをもって接してくれた乳母を捨てきれず、父と共に地獄に堕ちることを決めた。
彼女は奔走する、屋敷の使用人やコックその全員が安心して新たな仕事に就けるように。父の汚職に巻き込まれ、彼らの名前が汚れないように。
そして、彼女は最愛の恋人と別れるため、わざと嫌われるように接する。
「母さんの病気は絶対直すから! 母さんを元気にしてそれから君に───」
「死んだって何も変わらないわ、あんな老いぼれ。山にでも捨ててきたら?」
アナスタシアは酷く美しく、冷たい笑みを浮かべた。最初は自分が何かしてしまったのかと思っていたミハイルも、彼女の口から出る罵詈雑言に嫌気がさし、二人の関係は終わる。
そして、数日も経たぬ内に父の悪行が明るみになり、アナスタシアは父と共に斬首刑に処される。
元恋人が処刑されるを聞き、全てを理解したミハイルは今にも殺されそうな彼女の元へ走る。処刑場の見える広場に行くと、首を押さえつけられたアナスタシアと思われる見窄らしい服を着た女と、斧を振りかぶった処刑人がいた。
「ナーシャ!!」
ゆっくりと面を上げ、光を失った瞳でアナスタシアは笑う。
「酷い人」
って感じなんだよね。
うん、そうバッドエンドなのよ、この話。二人とも救われないし、ミハイル異変に気づけよって感じだし、アナスタシアも言えよって思う。スッキリしない、悲劇の恋人達の話。でも、この話二十年位前には爆発的にヒットしたんだよ。だって、昔はハッピーエンドしか無かったんだもん。物凄く前衛的で、且つ貴族目線ということもあり、観客の貴婦人達は多いに感動した。
まぁ、ストーリーだけで言ったら、そこで終わりなんだけどこの作品は男性にも大変高評価だった。ヒロインのアナスタシア役のラゼンテさんがそれはもう美しくて、怪演と言えるほどの演技力を発揮したからだ。
いや、ほんとラゼンテさん美人なんだよ。未来の私と同じくらい。ね、ほら、どれだけ美人かがわかったでしょ。
亡くなってしまったのは、本当に残念だがあの人の名が廃れることはないだろう。きっとこれからも、この世から舞台が消えるまで語り継がれるであろう名女優。
勿論、私が今見ている舞台の主演は彼女ではない。ステラミア・ゲーテ・アルストさんという、最近ドラマでよく見る綺麗な女優さんである。彼女は、舞台が決まったときに「私はラゼンテさんを越せない。越せない所か、代替品にすらなれない。あの作品はもう既に完成している」と語った。え? すごい格好いいね、そのセリフ。アスリート並みの負けず嫌いで、ドラマの裏話でも現場にいる誰よりも良い演技をしてみせると言っていた彼女が、だ。
だから、彼女は彼女なりのもう一人のアナスタシアを見いだした。
完全降伏はしたものの、そのまま這いつくばっていてやるものか、と言わんばかりの彼女特有の名演技で、なんとか爪痕を残そうとしているハングリーさがまた魅力だ。見ていて感動するし、ラゼンテさんの完成された『冷笑に秘す』とはかけ離れすぎていてもはや別の名作を見ているようだ。
「酷い人ね、全く」
ラストが全然違う。
ラゼンテさんのアナスタシアは恋人に見捨てられ、最終的に戻ってくるミハイルに光を失った瞳で涙を溢し、無理矢理歪ませた口で「酷い人」と笑うのだ。なのに、ステラミアさんのアナスタシアは見窄らしいぼろ布を纏った女とは思えないほど、上品に嫣然と幸せそうに笑う。
ミハイルを罵倒したときのあの冷笑にはこんな彼女の美しい笑顔が隠されてしまっていた、とでもいうように。
終幕を迎えると、割れんばかりの拍手が会場に響き渡る。
凄かった。観に来られて良かった。イセラさんにちゃんとありがとうって言わないと。あ、スタンディングオベーションだ。私もした方がっ──。
「……ぁえ!?」
感動でぼんやりとしてしまうほどの高揚感を味わっていると、肩を乱暴に引かれる。見ればイセラさんが、今までに無いくらい怖い顔をしていた。どうしたんですかと聞く暇も無く、感動のラストに沸き立つ会場を後にする。
「ちょっ、い、イセラさんっ!! どうしたんですか!? まさか、警察に見つかりました!?」
「そう、かなりヤバい。見つかった所じゃない、俺らの席の周りにいた70人くらいは全部警察」
「え!? え、でも、誰も追ってきて──」
「当たり前でしょ、下手に動いて俺に狂偽ちゃんが殺されたら困るもん」
駄目だ、状況が理解できない。どういうこと、私達は警察に狙われてる……?
イセラさんは私を抱きかかえながら全速力で走る。そのせいで脳が揺れて、イセラさんの言ってることが理解できない。
「今、俺らを追ってきてるのは日本の警察。しかもあいつの部署っていうのが面倒くさいな。兎に角、一人を除いては狂偽ちゃんに攻撃は出来ない。このまま大通りに出るよ!」
「は、はい!!」
いつもより顔も声も厳しいイセラさんに少し怯える。イセラさんが恐いんじゃなくてこのあとのことが恐い。何か、何かもっと嫌なことが起きてしまいそうな。
「動くな!!」
ビルの路地裏を走っていた時、突然上から声が降ってきた。見ると何処にでもいそうな服を着た女が私達に銃を向けている。
ちょっと! 私が殺されたら困るから、下手に動かないんじゃないの!?
「これ以上、ご息女様に触れているようならば異能を──」
顔色一つ変えずにイセラさんは胸元から銃を取り出し女の右肩に容赦なく弾丸を撃ち込む。
「んぐっ“……!」
銃持ってたんだ……、知らんかった。
この間、公園行ったときも持ってたのかな。なんか、胸元固いな、胸筋どうなってんだとか思ってたのに。
私がそうやって現実逃避している間にも、一般人に扮した警官達が次々とイセラさんを襲う。そして、倒されていく。イセラさん、異能持ちの人より強いってどういうこと? いや、イセラさんも異能持ちだけど、見た絵に限りなく近い絵が描けるっていう滅茶苦茶平和な異能よ? 別に百発百中撃った弾が当たるなんて異能じゃないんだよ。絶対、贋作絵師にその戦闘力いらないだろ。
「クソっ! いつ出てくんだよっ!!」
苛立った彼に一体何が出てくるのか、なんて訊けない。否、訊く暇もないのだ。相手の数は多く、装填する時間すら無くもう一丁の銃を取り出す。というか、そこ間も私を抱きかかえていて大丈夫なんだろうか。邪魔じゃない?
「邪魔だよ! 退け!!」
そんな言わなくても!! あ、いや、敵に言ってたのね。
「狂偽ちゃん!!」
「はいっ!」
「コートをかぶって!! それ丈夫だから!!」
「了解!」
コートが妙に
言われたとおりにコートを頭からバサッと羽織る。
防弾式ということは、イセラさんは私が襲われる可能性を視野に入れていたわけだ。
やっぱり、私達にはいつだって危険が訪れてもおかしくなかったんだ。
イセラさんもイヴァンさんもそれは分かっていた。
自覚していなかったのは、私だけだ。
「……っ“」
「ぁ……!」
弾丸がイセラさんの頬をかすめた。ロシア人らしい白い肌に鮮やかすぎる赤が走る。その瞬間、足場が無くなったような不安感に襲われた。イセラさんが顔に傷を付けた所なんて見たことがない。それどころか、彼が傷を付けた所なんて見たことがない。
相手が強すぎる? 否、こちらが不利過ぎるだけだ。
イセラさんの銃の腕前を以ってしてでも、苦戦を強いられるのはこの路地裏という死角の多すぎる空間故である。しかも、相手は四方から囲んでくる。
完全に私が重荷だ。私さえ居なければ、この場所から出ているし、そもそもこんな死角の多いルートを選ばない。
カチリ
と、小さなプラスチック製の固い音が聞こえた瞬間。
「──う“っ!」
腹部に突進されたような鈍い痛みが広がり、足が宙に浮く。
「耳塞いでっ!!!」
急いで耳と目を反射的に塞ぐと、塞いだ耳からでもうるさいほどの轟音がした。そうか、あのカチリって音は爆弾の音か。
イセラさんに担がれて裏路地の続く灰色の道を駆け抜ける。
体感にして数分、実際はもっと短いのかもしれないが、それほどにイセラさんは走った。彼の息が荒い呼吸音からヒューヒューという過呼吸のような音に変わった頃、人の多い賑やかな通りに出た。そこでようやく地面に降ろされる。
「イセラさん……」
「……ハッ……ハッ……!」
肩を揺らして息をするイセラさんの顔には、この雪景色には似合わない汗ほどのが流れていた。銃を使い過ぎたせいかいつも通りの冷たい手は痙攣している。その手を引くと、ようやく私が呼んでいることに気づいたようだった。
「狂、偽ちゃ」
「イセラさん」
「大丈夫! 大丈夫だよ! 俺は──」
随分と酷い顔をしている、子供のように今にも泣き出しそうな目、下がった眉。それなのに、私を安心させようとしているのか口元だけは歪な弧を描いていた。
「イセラさん、私達もう一度あの家に帰れますよね……?」
「ぇ……」
スッと表情が消えた。凍ったと言ってもいい。
それ程に、この人は追い詰められているんだろうか。
彼は苦虫をかみつぶしたよう顔をしてから、私の前で膝をついた。
「狂偽ちゃん」
「はい」
「聞いて」
「はい」
「ごめんね、俺達はもう二度とあの家には帰れない。
イヴァンともきっと会えなくなる」
「え……?」
「ごめん、ごめんね。
俺が手放すタイミングを逃したから、俺が自分勝手に君をここに呼んだから、余りにも幸せで浸ってしまって、今日も明日も変わらないって勘違いしていた。ずっと……、酔ってた」
「イセ、ラさ……」
彼は泣きながら私に謝っていた。溢れた涙が血と混ざり流れて雪を赤く染める。
「でも、大丈夫。もうちゃんと覚めた、から。
君を、俺の寂しさの為に利用してごめんね。凄く幸せで、人に喜んで貰ったのも、存在を肯定してくれたのも、俺だけの絵を褒めてくれたことも、 全てが嬉しくて、幸せで、大切で、久しぶりで……」
「やめて、ください。そんな」
やめてよ、そんな
「頼むよ、もう最後なんだ」
「わたし、大きくなったらまた戻ってくるって、、」
ぎゅっと強く抱き締められる。
「だ、だめです!」
「俺の生きる理由になってくれてありがとう」
「聞きたくない!」
「俺に勿体ない位の幸せをありがとう」
「イセラさん!!!」
「Еще увидимся.Ни пуха ни пера……」
Ни пуха ни пераは直訳すると、羽根も毛も獲れませんように。
だけど、貴方の幸運を願うという意味にもなります。




