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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

パラレル・スーサイド

作者: 布滝

ぜひお読みください。

 いつも通りの朝。いつも通りの学校。そうなるはずだった。しかし、そうはならなかった。朝目覚めると、部屋の真ん中に、ずぶ濡れになって動かない誰かがいた。そしてその誰かの顔は、毎朝顔を洗うときに鏡に映っている顔そのものだった。

 最初はよくできた人形だと思った。だから、俺はそれをそっとつついてみた。指先から伝わる感覚はふやけた肌そのもので、まるでそれが本物の水死体であるかのような感触をしていた。そこで俺は部屋にうっすらと悪臭が広がっているのに気づいた。何かが腐っているようなその臭いは、確かに目の前のそれから放たれていた。こうなると、本物であると考えざるをえない。しかしまだ考える段階だし、第一納得できないことがある。何故、誰がこんなことをしたのか。こんな悪趣味な嫌がらせを受けるような真似をした覚えはないし、自分で言うのはなんだが人に嫌われるような生き方をしてきたつもりもない。そもそも、これが水死体だったとして、一体誰なのか。俺は生きているし、そっくりな双子がいるわけでもない。非現実的だが、実は俺は死んでいて幽霊なのかもしれない。そして今見ているのは自身の死体というわけだ。しかし俺はその考えをすぐ否定した。そんなこと、現実に起こりうるわけがない。超常現象などありはしないのだから。だが、現に死体は目の前にある。そして次に見出だした次の可能性はこれがタチの悪い夢だということだ。俺はそれが正しいか確かめるために何度も自分の頬を叩いたり腕をつねったりしてみた。しかし痛みははっきりとしていて、これが悪夢などではなく現実だということを示していた。ならばなんだというのか。

 俺が次の可能性を思い付く前に、家のチャイムがしつこく誰かが来たことを知らせた。連打されているのである。こんな迷惑な押し方をする奴は、俺の知るところには一人である。俺の幼馴染みであり同級生の沢見ゆりだ。彼女は一人暮らしの俺の身を案じてか、色々なことをしてくれる。正直、なにか恩返しできるようなことがあるわけでもないためできるだけ断るようにしているのだが、大抵失敗する。そのくせ俺から何かしてもらうのはあまり好ましくないようで、彼女は俺をなんだと思っているのか。それはさておき、俺は適当な返事をしながら玄関に向かう。彼女が迎えに来るのは珍しいため、何かあるのではと勘ぐってしまう。だが、そんなまとまりのない思考は扉を開けて聞いたゆりの一言で散った。

「早くしないと学校に遅刻するよ!」

 俺は焦って時計を確認する。針は普段家を出る時間を指していた。俺はいつも、朝の準備にたっぷり時間をかける人間である。そして、いつも通りの時間に起床した。つまり、あの水死体のせいでその時間を丸ごと失ってしまったことになる。いや、そんなことはどうでもいい。今優先するべきは、急いで準備を終わらせて学校に向かうことだ。日常は非日常に対応するのを待ってくれはしない。結局、俺はどうにかして遅刻することなく学校に着くことができた。水死体のことを放っておいたまま。

 午前の授業が終わって昼休み、俺はずっと考え事をしていた。内容はもちろん、例の水死体についてである。一体あれはなんだったのか。あのまま家を出てしまったから、もしかすると腐臭が外に漏れてしまっているかもしれない。そうなれば、事件として俺が面倒なことに巻き込まれるのは間違いないだろう。なるべく面倒なことを避けて生きたい俺にとって、そういう事態になるのはお断りだ。しかしながら、あれが本物の水死体だったとして、放置するなり隠蔽するなりというのも気が引ける。面倒くさがりとはいえ、俺にも良識はあるのだ。それに、下手に隠して後で見つかった方が面倒な気がする。なんにせよ、もう一度あれを確認しないことには始まらない。

 そんなことを考えていると、ゆりが弁当片手に近付いてきた。俺の普段の昼食は大きく分けて二つ、弁当を買って食べるか、ゆりに弁当を作ってもらうか、である。一人暮らしでありながら料理が得意ではない俺は、毎日昼食を買って食べようと考えていた。金銭的な問題はないし、そちらの方が自炊よりも手軽だからだ。しかし、彼女がそれを許すわけもなかったらしく、かなりの頻度で弁当を作ってきてくれている。聞くところによると彼女は自らの弁当も作っているようで、どうせ作るなら一人分も二人分も変わらないそうな。俺からしたらそれでも費やす労力が増えることに変わりないし、材料費だって倍になるため非常にありがたいのだが、本人からすれば大したことではないという。本人がどう思っていようと助かることに変わりはないため、俺はせめて礼と材料費を渡すのを欠かさないようにしている。最初の頃は正確な材料費を渡そうとしていたのだが、それは難しいし断ると彼女に言われてしまった。結局毎日五百円を支払うまで譲歩してもらったが、俺はこれでも安い方だと思っている。いつも食べているような弁当を買えばおそらくこれと同じかもっと高いだろうし、何より彼女の作る弁当はとても美味しいのだ。俺が弁当を作ってもらうのを断るのではなくお礼をすることにしているのも、それが理由である。勿論、それだけでなく俺にできることを積極的に手伝ったり、先回りして行動しておくこともある。だが、そういった行動の大半は既に想定されていて、空回りに終わることが多い。沢見ゆり、恐るべし。

 さて、俺の目の前に座ったゆりはいつもと違って少し元気がなさそうだった。同じクラスで見ていた限り特に変わったことはなかったと思うが、他で何か嫌なことがあったのだろうか。その予想は的中していて、悪夢を見たらしい。俺は今朝のことを相談しようかと思っていたが、やめることにした。話を聞くのが先である。その悪夢は、俺が誰かを助けようとして溺れてしまう夢だったという。そして、俺が沈むところで目が覚めたらしい。自分が溺れる夢ならまだしも、俺が溺れる夢で元気をなくすとは、彼女らしくない。大体、ゆりなら自分が溺れる夢でも恐らく夢は夢だと考えて気にしないだろう。俺がそう尋ねると、嫌な予感がしたから、と言った。彼女はおっとりとしているように見えるし、実際にそんな時もあるが、前向きで活動的というのが長い間幼馴染みをしている俺としての見解である。故に、彼女は嫌なことがあってもすぐに立ち直ることが多い。そんな彼女が予感程度で落ち込むなど、よほど嫌な予感というのが強かったのだろうか?俺は彼女ほど前向きな思考はしないが、予感に不安を感じることはあまりない。それでも、彼女が不安そうなことで俺も少し怖くなってきた。それに、俺の部屋にあったのは水死体ではないか。偶然にしては不自然だが、必然にしても不可能ではないだろうか。俺は落ち着くために卵焼きを口に運ぶ。残念ながら繊細な味覚は持ち合わせていないため細かい味付けはあまりわからないが、美味しい。俺は泳ぐのが苦手というわけでもないし、泳ぐ予定があるわけでもない。そう、だから問題ないのだ。悪夢はしょせん悪夢だし、俺が見たあの死体も帰ったら案外綺麗さっぱりなくなっているかもしれない。自分でも気づかないうちに疲れが溜まっていて、そこにあるはずのないものをあると思ってしまっただけだろう。俺は自分にそう言い聞かせて、礼をして

材料費を忘れずに渡す。

 放課後、俺の中にあった不安は消えていた。午後の授業を終えて、そんなものは最初からなかったかのように元に戻った。ゆりも友達と元気そうに喋っていて、昼休みの表情がまるで嘘のようだ。元気になったようでなによりである。だからであろう、俺は帰宅する途中に土手を通ってしまった。普段下校はゆりと一緒である。俺は悪夢のことも水死体のこともすっかり忘れ去り、来る試験のことで頭がいっぱいだった。俺は頭が悪いというほどでもないが、お世辞にも良いとは言えない。さらに、今回は苦手な教科である歴史の出題範囲が広いのである。暗記はどうにも苦手で、どうせ卒業したら使わなくなるような知識を蓄えるのが面倒なのである。前にそう言ったら、ゆりに苦笑されたのだが、無駄でも覚える必要があることはわかる。しかし頭がそれを拒んでいるのである。だからしょうがないのだ、などと考えていると、目の前で川に自転車が突っ込んで行った。自転車には小学生くらいの子どもが乗っていたようで、水面で必死にもがいている。遊泳禁止の立て札の意味がないくらい、この川が深いのは見てわかる。だから、あの子を助けねばならない。それは分かっているが、ふと昼休みのことを思い出してしまい、足が止まった。思えばそれが間違いだった。この時間帯にしては人がおらず、俺達しかいない状況だったし、溺れている少年は苦しそうだった。そしてその状況において、沢見ゆりが取る行動は予測できたはずだった。それが止められたかどうかは別だが。しかし、少なくとも俺が先に飛び込んでいれば彼女が行くこともなかっただろう。ゆりは比較的早く泳いで、少年に近づいた。俺は彼女に投げ捨てられた鞄をキャッチしたあと、それを自らの荷物と共に足元に置いて、川に向かって走った。

 昔どこかで聞いた話だが、溺れている人を救出するには、自ら泳いで行くよりもロープのようなものを投げてそれを掴んでもらったほうがいいらしい。なんでも、溺れている人は必死なため、掴まれている人のことを考える余裕がなく、一緒に溺れてしまうからだそうだ。何故そんなことを思い出したかというと、目の前でそれが起こったからだ。ゆりは少年にしがみつかれ、沈んでしまいそうになっている。俺には助ける義務がある。俺は思い出した雑学をもとに近くにロープになりそうなものがないか探した。都合よくそんなものがあるわけもなく、周りを見回してもそんなものはない。幸いと言うべきか、ゆりが少年を引っ張ってくれたおかげでこちら側に近くなっている。これならなんとか俺が足の着く所から手を伸ばせばこちら側まで引き寄せられるだろう。俺は川に入り、少年とゆりがこちら側から離れないうちに近づく。そして手を伸ばし、ゆりに掴んでもらう。案外上手くいき、ゆりの足の着くところまで引き寄せることができた。少年もしがみついている相手が安定したからか、無事に浮いている。もうもがいてはおらず、ゆりを掴んでいる。良かったと思い踵を返したその刹那、俺は足を滑らせた。一件落着と油断していたのかもしれない、水が一気に口と鼻の中に入ってきた。水を吐き出そうとしても、上手くいかない。焦ってもがくと、足が地面を蹴ったのがわかった。しかし上に向かうのではなく、さっきまで方向とは逆の方向に進んでしまった。上に進もうとしても、服が重いのか上手くいかない。だんだん意識が朦朧としてくる。そして目の前が真っ暗になった。

 目を覚ますと、まず心配そうなゆりの顔が視界のほとんどを埋めていた。そしてその顔には少し安堵したような表情が広がっていった。俺が起き上がると、彼女が俺の疑問を話すまでもなく解消してくれた。どうやらあのあと俺はすぐに通りすがりの男性に救助されたらしく、気を失っていたのも数分だったということだ。俺は気絶していたおかげでなんの問題もなくスムーズに救出され、その男性によって水をそこそこ吐き出すことができたようだ。そしてその男性はというと、礼は要らないとだけ言いどこかへと去ってしまったらしい。あの少年は俺が起きるのを少し離れたところで待っていたらしく、こちらに駆け寄ってきた。いわく自分にも責任があるから、ということだが、故意に川に突っ込んだならばともかく、あれは事故だった。それなら仕方ないだろう。そう言うと、少年は礼を言った。結局自転車はどこにどうしたのか尋ねると、あのまま川に流されてしまったらしい。探すこともできないことはないが、もうすぐ新しいのを買ってもらう予定があるから気にしないでということらしい。本人がそれでいいならばそれでいいのだろう。とにかく俺は疲れていて、一刻も早く家に帰ってシャワーを浴びたかった。川の水は思ったより汚く、服は絞れるほど濡れてしまっている。つまり、体が臭いのである。その臭いはどこかで嗅いだことがあるような気がしたが、そんなことを考える余裕はなかった。俺は少年に気をつけて帰るように言うと、服をできるだけ絞って鞄が濡れないように気を付けながらゆりと一緒に帰宅した。道中、ゆりが荷物を持とうか尋ねてきたが、そこまで甘えることはできない。大体、ゆりだってびしょ濡れになっているし、随分と疲れているだろう。だから荷物を持つなら俺がゆりの鞄を持つべきだ。そんなことを言ったら、私は大丈夫だから、と言われた。一瞬ひったくって家まで持っていようかと考えたが、恐らく今はそんなこともできないだろう。少しふらつきながらも、俺は無事に家にたどり着くことができた。

 俺は鞄を放り投げ、できるだけ床を濡らさないように着替えを取ると、即座にシャワーを浴びた。途中、強い眠気に襲われてそのまま寝てしまいそうだったが、どうにか持ちこたえた。川の臭いはおおかた取れて、さっぱりした俺は床を拭くことにした。床も臭くなったらたまらないからだ。俺はそこでようやく自室の床も濡れていることを思い出した。水死体のことをすっかり忘れていたが、警察などから連絡が来ていないということは、つまり大丈夫ということなのだろう。そう思いつつドアを開けると、そこには水死体なんてなかった。だがやはり幻だったということもなく、汚れた水溜まりは残っていた。そして、そこからは先程自らの体から落としたばかりの臭いがしていた。そう、川の水の臭いだ。よく見ると色味もよく似ていて、まるで川の水そのもののような感じがする。だがだからなんだと言うのだ。俺はその水溜まりを拭って、使ったタオルを洗濯機に放り込んだあと、ベッドに入り深い眠りについた。明日起きた時、何もなければいいのだが。

読了ありがとうございました。よければ感想を頂けると嬉しいです。

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