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国際大運動大会 超絶暑さ対策

作者: 天城冴

どこぞの国のスポーツイベントと似ていますが、それはおそらく気のせいです。

しかし、そのイベントを仮定してお読みいただくのは、皆様のご自由です。

「うー困った」

「モンリ会長、いかがなさいました」

「ゼコウ君、あれだよ、国際大運動大会の暑さ対策だよ」

「ああ、その件ですね。国際大運動大会実行委員会の長である、会長としては頭の痛いことですな」

「アメリカの放送局のワガママのせいで、夏開催だが、ほれ、トーキョーは毎年気温があがっとる。トーキョーでやるのは無理とか言い出す奴らがいるし」

「共産ニッポンの野党連中が五月蝿い上に、与党ジコウ党からも批判の声があがっております」

「ワシのいた派閥からも開催中止を言い出す奴がおるしなあ。打ち水とか、早朝開催などで手をうっておるが、どうにも」

「会長、今日はまだ七月になったばかりですが、外はもう三十五度を超えております」

ゼコウに促され、モンリは外の様子をみた。冷房の良く効いたオフィスビルのなかではさほど暑さは感じられないが、強い日差しが向かいのビルを反射しているのが見える。外はさぞかし暑いだろう。高層階の窓から下をうかがうと、日よけ傘をさしたり、帽子をかぶった人々がみえた。暑い中外出を控える人が多いのか、都心のオフィス兼ショッピングモール兼展望台を兼ねたこのビルにも訪れる人は少ない。

「暑いと見物も少ない、経済効果もあんまりないと言われるしなあ」

モンリはため息をつく。

「ボランティアも一向に集まりません」

ゼコウが嘆いたが、これは暑さだけのせいではない。国際大運動大会の開催には国、都の予算から合計4兆円近い予算が組まれている。それだけあれば有料で優秀なスタッフがいくらでも雇えそうなものだ。しかし実行委員会は賄賂、ごまかし、公文書偽造、利益供与が暗黙の了解だったジコウ党の元総裁モンリが会長。根回しと称した接待や実行委員会関係者の関係企業に相場の何倍もの金を払って会場建設をやらせるなど使い放題。ただでさえ少なくなった人件費はモンリ会長やゼコウ秘書ら実行委員会幹部の高額すぎる給与に消え、競技の審判を雇う金を捻出するのにも頭をひねる有様。仕方がないので会場誘導や清掃などは無償ボランティアに頼るということにしたのだが。

「企業からも大学からも一向に人が集まらん」

「企業に要請してボランティア休暇をとりやすくしたり、大学の授業を休みにしてくれと通達を出したのに」

不思議がるゼコウ。自分らは金を使いまくり、現場には雀の涙どころかただ働きを強制。あまりにも庶民感覚とズレたこの感覚、当の会社員や学生が聞いたらさぞかし呆れることだろう。

 だいたい少子高齢化で社員自体が少ない。ほとんどの仕事は派遣にアウトソーシング、その派遣先でさえ、女性差別、年功序列、外国人不遇他エトセトラのニホン企業よりも、自由貿易協定でニホンに進出した外国の企業を好む派遣社員のほうが多くなっている。”ニホン企業より韓国、中国企業のほうが時給が高くて待遇もいいのでそっちのほうがいいよー”というのはすでにデキル若者の常識となっていた。

 大学生も人数が減っているので、大学側も学生確保に必死だ。ある大学は政府の要請でボランティアをやれば単位に換算という奥の手まで使ったのだが、”死人が出るほど暑いなかやるぐらいなら、他の大学に転入する”などといわれる始末。ボランティア拒否で転校をもくろむ学生を狙って同程度の偏差値の大学からなら編入試験は面接のみ、しかも学費は割引という条件をだす大学まで出てきた。もっともまともな教授や学長がいる大学はボランティア強制という無茶苦茶なやり方に異を唱え、通達を事実上無視している。

「あーこのままでは開催できない、そうなると使った金を返せとか言われるのか」

「そこまで無茶はいわないでしょうが。来年使う予定のイベント会社やスタッフを派遣する予定のダソナ派遣会社のダケナカへのリベートやらなにやらは全て無しに」

「あーあ、ダケナカの接待屋敷ニンプーリンにいくのが楽しみだったのにのう」

悲しむモンリ。幹部ファースト、現場ワースト主義というか、参加する観客やアスリートのことは念頭にないようだ。

「会長!できました、暑さ対策の究極の解決策です!」

モンリとゼコウのいる部屋に一人の男が飛び込んできた。

「トーキョーイイカ大のサガワ君かね、なんだね大会の医療部門担当の君が暑さ対策なんてできるのかね」

「もちろんです!暑さを感じなくすればいいんです!」

サガワの言葉にモンリとゼコウは目を丸くした。


「心頭滅却すれば火もまた涼し。私はこの言葉をヒントにこの薬を開発しました」

”国際大運動会における究極の暑さ対策発表記者会見”会場。サガワが大勢の記者を前に得意げに錠剤の入った瓶を掲げた。

「サガワ教授、その薬とは」

「これは感覚一時遮断プロトタイプA、通称シャダン君です」

「それはどういう」

「優れた修行者は自分自身の感覚を操ることができます、しかし凡人の我々がすぐにその技を身につけるのは不可能と思われていました。しかし私は研究に研究を重ね、中国の仙人と呼ばれる人にも会い、インドのヨガの達人の体を調査し、そしてついに、ついにこの薬を完成させたのです」

自分の研究成果を力説するサガワだが、肝心の薬の効用はさっぱりわからない。

「それで先生、シャダン君は何に効くんです」

「効くのではありません、感覚を遮断するんです」

「へ?それはどういう」

「つまりですね、暑さを皮膚などの感覚器官が検知して、それを脳に伝え暑いとわれわれに伝える。その感覚を遮断すれば暑いと感じない、暑くなくなるんです」

「そ、それでも体温が上がって危険なのでは」

「私の理論では暑さを感じなければ体内のフィードバック機構も外界が暑いと認識しなくなり、体温の上昇はおさえられます、特に深部体温は通常のままです」

「ですが、長時間は危険なのでは」

「大丈夫です、薬の持続時間は六時間ほどですから、ほとんどの競技は一錠飲めば十分でしょう。続けて別の競技を観覧する場合は一時間ほど間をあければ問題ないと思われます」

会見場から感嘆の声があがる。サガワは得意げだったが

「それ暑さだけを遮断するわけじゃないんですよね」

良く通る女性の声が聞こえた。

「感覚遮断中に事故が起きる危険性はないんですか。痛覚や触覚が遮断されるってことでしょ、怪我してもわからない可能性が」

「き、君は」

「失礼、医者兼医療ジャーナリストのハネマミチヨです、おひさしぶりですねサガワさん」

「ハ、ハネマ君、ここは君のようなものがくるところじゃ」

「ああ、私が大学病院に採用されたときもそうおっしゃって、根回しで追い出そうとしたんですよね。でもこの会見はフリージャーナリスト歓迎のはずですが」

「う、うるさいな、育児休暇で患者を放り出したくせに、これだから女医は」

「はあ?私が治療方針から代理の医者まで決めていたのに、あなたが病院の部長に働きかけて私の患者を無理やり自分が診たんでしょう?あなたの”私、サガワの学説に基づく治療方針”やらのおかげで返って悪化したって、その方の娘さんが泣いてましたよ、まったく」

歯軋りするサガワ。ハネマは気にせず続ける。

「まあ、あなたを庇う病院のお偉方にも愛想がつきましたんで、辞めるいいキッカケになりましたけど。で、サガワさん今度はどんな怪しげな自説を証明するために人を実験台にするつもりなんですか?」

「実験台、そんな私は国際大運動会のアスリートやボランティアのために」

「人で臨床試験はしたの?サルだけではわからないこともあるのよ、だいたい体毛がほとんど無い人とチンパンジーは違うんですから。きちんと計画を練って、試験に臨まないと結果がおかしくなるんだし」

ハネマの言葉に会場がざわついた。怪しげな薬をボランティアやスタッフたち、ましてやアスリートに試すとは、どういうつもりだ、このサガワって男。やっぱりそんな薬は眉唾では。

焦ったサガワはとんでもないことを思いついた。

「くう、確かに人での試験はまだだ、だが、これから行うんだ」

「へえ、どういう計画?」

「実行委員会の面々がこの薬を服用してマラソンコースを歩く。もちろん私も服用して待機する、医者だからな」

とっさの思い付きだったが、サガワにはモンリらを説得する自信があった。なによりマウスでは何事もなかったのだし。

「それを取材すればいいんですね、サガワ教授」

挑発的なハネマの言葉にすっかり乗せられたサガワは

「もちろん、ここにいる皆さんも私達の勇姿を取材してくれたまえ」

というと会見を終えた。


「ワ、ワシも飲むのか」

「仕方ありませんよ、モンリ会長。飲むフリをして誤魔化すんじゃないかって、記者達が騒いでまして。サガワ先生が薬を手ずから飲ましてくれるそうです」

「き、君も飲むんだろうね、ゼコウ君」

「大会成功のためです」

大会イベントの会社にはゼコウの息子がいる。もし、中止となったら会社も危うい。三十歳とはいえ、ろくに仕事ができない息子はリストラか、よくても出世はみこめない。外資系の企業に吸収でもされたら完全にアウトだ。

「お互い大変だのう、薬のこともそうだが、ワシは四十二キロも歩ききれる自信がないよ」

モンリは自分の太ももを軽く叩いた。右ひざがまた痛み出している。

「足のお痛みも感じなくなるそうですし、サガワ先生がついていますから」

不安がるモンリにゼコウは優しく慰めた。


「さあ、いよいよ国際大運動会カウントダウンイベントの開催です!ただいま午前十時、気温は三十三度になっております」

アナウンサーの声にハネマはカメラを構えた。

「イベント最初は、暑さ対策薬シャダン君を服用した実行委員会幹部らによる大行進。早朝の予定でしたが、諸般の事情によりこの時間となっております。実行委員会幹部のほか、参加希望者あわせ四万人でマラソンコースを練り歩きます、みなさん暑さ対策のシャダン君は飲みましたかー」

アナウンサーの問いかけに行進に参加する面々が答える。

「ハーイ」

 参加者たちの能天気な明るい声。

 ハネマはかえって不安になった。

 サガワのシャダン君効果の実証試験とイベントを兼ねた大行進には実行委員会メンバー全員だけでなくボランティア候補や一部アスリートも参加していた。もちろんシャダン君を服用済みだ。

 効能も副作用もわからない怪しげな薬をよくもまあ飲む気持ちになったものだとハネマは呆れていたが、これには理由があった。

 一時的な感覚遮断を謳うシャダン君の効用はネット上で瞬く間にひろまった。知る人が増えるにつれ、効果も過大評価されていき、眠らずに勉強できるとか、痛みをかんじずに走れるとか、呼吸しないで泳げるとか、とてもマトモな薬とは思えぬようなこともいわれた。まるで新種のドラッグである。しかもこれは国際大運動会が認定する薬、おおっぴらに使えるわけだ。

 是非、試してみたい。

 思慮が浅く欲望にあらがえない人々が殺到し行進の参加者は四万人に膨れ上がった。そしてその先頭をいくのが国際大運動会実行委員会会長モンリである。

「このテープを切るのかね、ゼコウ君」

「はい、モンリ会長、テープカット後、行進が始まりますので、沿道の観客に手を振って」

「わかっとるよ、薬を飲んでれば暑い中でも元気で歩けることを示さねばならんのだろう」

そういいながらモンリの手はわずかに震えていた。ゼコウは一抹の不安を覚えながら、

(大丈夫だ、サガワ先生もいる)

と、自分に言い聞かせた。

 「さあ、いよいよテープカット、行進が始まります!」

モンリはテープを切った。

 そのとき、ハサミが手から滑り落ち、

 グサッ

モンリの太ももに刺さった。

 しかし、モンリは何事も無かったように歩き始めた。動脈に近いところに刺さったのか、太ももからは大量の血が流れ出す。普通なら激痛で叫びだすところだが、シャダン君を飲んでいるので感覚がないのだ。運悪く側にいたゼコウも他の参加者もモンリが大怪我を負ったことに気がつかない。

 モンリは太ももから出血しながらしばらく歩いていたが、ついに

バターン

 倒れた。

 「会長!」

ゼコウが駆け寄ろうとしたが、視界がかすんできた。

「み、見えない?」

 モンリどころか、周囲の景色も見えなくなっていく。

ゼコウの場合は感覚遮断効果が触覚だけでなく、視覚にまで及んでいたのだ。シャダン君の効果はサガワが想定していた以上に個人差があるらしかった。ゼコウと同じく目が見えなくなったもの、耳が聞こえなくなったもの、全く効果がみられず暑さで倒れるもの。

 行進開始から十数分で、参加者はバラバラに動き出した。薬の効果なく、暑さに負けて行進から離脱する参加者はまだよかった。闇雲に歩き出しガードレールにぶつかって、骨を折ったこともわからずふらふらと歩く女性。つまずいて大怪我をしたのになお起き上がろうとする人の背中を、目が見えなくなった参加者がわけもわからず踏みつける。暑さで体温があがり熱中症になったのも気がつかず倒れる男性。ひたすら行進を続けようとするが足がもつれている委員達。現場は大混乱に陥った。

 ハネマは取材をやめて参加者の救助を試みた。

「歩くのはやめて!行進は終わりよ、早く休んで」

叫ぶハネマにつられ、沿道の観客達も参加者に声を掛け始めた。

「おい、中止だ」

「休んだほうがいいぞ、危ない」

「皆さん、大丈夫ですか」

聞こえているのかいないのか、参加者達は怪我をしているのにもかかわらず、大半が歩き続けようとする。転んで額から血を流しながら歩くもの、目が見えないのか人にぶつかり、打撲を負いながら進むもの。四十二キロを歩ききるという命令だけを必死で果たそうとするロボットのようだ。

「あんた怪我してるぞ、手当てをしないと」

ハネマの側の男性が参加者の一人に呼びかけた。呼びかけられ振り向いた女性は無表情で、折れた両手を力なくぶら下げながら歩道に近づいてきた。

「う、うわ!ゾ、ゾンビ」

声を掛けた男性は怯えて逃げ出した。それでも女性は黙ったまま、ゆっくり歩道に向かう。

暑さで熱中症にもなっているのだろう、女性の唇は紫色で顔色は土気色、目に光はない。

(失礼ながら、確かにゾンビみたいだわ。人は食べないけど)

ハネマは急いで女性の肩をつかんで、側のビルの一階にあるカフェに引き入れる。

「誰か、お医者さんはいませんか、怪我をした参加者がいるんです!」

駆け寄ってきた店員に女性を任せ、ハネマはサガワを捜すことにした。

(一刻もはやく解毒薬、っていうか薬の効き目をなくさないと大変なことになる。それにはサガワを捜さないと)

沿道には警備もいたが、参加者のゾンビのような様子に怯える観客をなだめたり、参加者を一人ずつ救出するのにせいいっぱいで、とても事態の収拾にまで手がまわらないようだった。

 本来なら主催した実行委員会のお偉方が指揮をとるべきだが、そのお偉方が全員薬のせいでおかしくなっている。モンリなど命も危ない。警察も動いているのだろうが、ハネマはじっとしていられなかった。

「どこよ、サガワの野郎は!」

(そうだ、あいつは確か医療テントに控えているって)

急いでテントに行ったが、サガワはいなかった。

「サガワはどこ!」

ハネマはスタッフの一人に迫った。

「す、すみません、僕もわからないんです、先生は”まだ時間があるから”って行進の前にどっかいっちゃって」

「しょうがない、あなた薬の解毒剤とか、効果を早くなくす方法は聞いてる!」

「わ、わかりません、僕も医学生で、先生の実験を手伝ったりしたけど、重要な分析とかは全部先生がやって」

ハネマは軽く舌打ちした。

(何でも自分の手柄にしたがるサガワのことだから、共同研究者なんていないかもと思ったけど、子飼いの学生にまで秘密にしているとはね)

ハネマのいらだつ様子に学生は言い訳がましく口を開いた。

「で、でもマウスでは成功してたんです。暑くても苦しそうじゃなくて。じっとしてたり、薬が切れれば歩き回ってたりして」

はあ、ハネマはガクッとした。

「あのねえ、マウスと人間にも違いがあるの。特に感覚なんて、聞いてみなきゃわからないでしょ。マウスがじっとしてたのは歩き回ると危険だったかもしれないし。せめてサルぐらいは使ったら」

学生はまだなにか言いたそうだが、ハネマは

「議論は後、とのかくサガワを捜さないと」

「あの、私わかるかもしれません」

別のスタッフとおぼしき女性がハネマに近づいてきた。

「あなたわかるの?」

「はい、多分。先生がその、女の子といくところがあるって」

恥ずかしげにいう女子学生。

(サガワのやつ、女性の仕事を邪魔するだけじゃなくセクハラまで、いい加減にしろおお)

ハネマは怒り心頭だが、今はサガワの悪行を追及する暇はない。

「わかった、あなたは行った事はあるの」

女性は思いっきり首を振って

「ありません!でも途中まで行って逃げた子が教えてくれました。すぐ大学やめちゃったけど」

ったく、落ち着いたら思いっきり追求してやるんだから、と決心し、ハネマは女子学生にサガワがいるらしき場所に案内させる。

 通りを一つ入ったビルの一室、トーキョーイイカ大にも歩いていけそうなところに、サガワは部屋を借りていた。学外研究室と称される部屋はサガワが泊り込みで研究に専念するとの触れ込みだったらしいが、要は気に入った学生とか看護士を連れ込む目的で借りたものだろう。

 憤りを抑えて、そっと部屋のドアノブを回してみると、開いていた。学生を外に残し、部屋に入る。

「サガワ、サガワさん!いるの!」

返事は無い。

「ちょっと、隠れてないで、大変なことに!」

ザーッ。ポタポタ

あれ?

ハネマは水音がするのに気がついた。

(お風呂に入って寝ちゃったのかしら)

バスルームに通じるドアを開けると熱気がもれる。

「ん!」

バスルームはかなりの高温になっていた。熱気であまりよくみえないが、どうやらサガワはバスタブにつかっているようだ。縁によりかかった影がみえる。

「サガワ、サガワさんたら!」

返事が無い。

仕方なく中にはいり、バスタブの蛇口から水が出しっぱなしになっていたのを止めようとすると。

「熱!」

水、いやお湯がハネマの手にかかった。皮膚が真っ赤になる。

「まさか」

熱湯だった。こんな湯に浸かっていたら人間は生きていられない。

もしや、

ハネマはサガワの肩を軽くたたいた。

「さ、サガワさん?」

返事はない。首筋の脈は…ない。

サガワはすでに事切れていた。感覚が遮断されていたため、湯の適温がわからなかったのである。

 「サガワ教授はいらっしゃいますか!至急、参加者の救助を、薬はどうすれば抜けるんですか!」

呆然としているハネマの側に警官達が入ってきた。この混乱を収めるために警察が指揮をとり、薬の開発者であるサガワを捜しにきたのであろう。

「手遅れよ」

「ど、どういうことです」

警官の一人がハネマに尋ねる。ハネマはサガワの遺体を指差し、

「残念ながら、サガワ教授はもう死んでる。薬のせいで危険がわからなくなったの、他の人もそうなってる」

「サガワ教授が死んだなんて、どうしたらいいんだ!」

別の警官が壁を叩く。

「解毒薬はないとすると、薬の効果がきれる六時間先まで、一人ずつ保護するしかないわ!」

ハネマが警官を叱咤する。

「しっかしりて!委員会の幹部が全員薬を服用しておかしくなっている以上、あなたたち警察しか頼りにならないのよ!」

「は、はい、何をすれば!」

「さっきも言った様に服用した人全員、元に戻るまで誰かついてる、怪我したものは手当てする」

「し、しかし四万人も」

「とにかく、やるしかないの!このままじゃほかにも死者がでるわ!」

「は、はい、あの、あなたは」

「私はハネマミチヨ、医療ジャーナリスト兼医者、薬のことも多少わかるから、さあ行くわよ!」

警官達はハネマの勢いに圧され、素直に従った。ハネマは待機していた女子学生と警官を引き連れて混乱のさなかの沿道に向かう。

「全員は無理でも、一人でも多く助けるわよ!」


国際大運動大会カウントダウンイベントでの悲劇から一ヶ月たった。

「我々は協議のうえ、暑い七月のトーキョーでの国際大運動大会の開催は不可能と判断し、開催の中止を決断いたしました」

ゼコウはおぼつかない手でマイクを握っていた。薬の影響でまだ目がよくみえない。

「開催中止によって出た余剰予算は、カウントダウンイベントで使用された薬の後遺症などの治療費に当てられ、残りは速やかに国および県に返却される予定でありまして…」

 目もかすむが舌もよくまわらない。他の委員会幹部たちも多少の差はあれ、後遺症に悩まされている。耳が全く聞こえなくなったものもいた。なかでもモンリは悲惨だった。太ももの傷からの出血多量で手当ても受けられずになくなったのだ。もっとも薬が切れる前であったため、痛みも恐怖も感じずにあの世にいけたのかもしれないが。

「あのシャダン君の被害の補償はどうなるんですか」

「現在、被害状況を確認…えっと」

字が読めないので耳で覚えたのだが、長い文章は覚えにくい。

「あの、ゼコウさん?」

会見に取材にきていた記者の一人がゼコウの様子がおかしいのに気がついて尋ねた。

「いや、以降はハネマさんにご説明いただきます」

 記者達がひそひそと小声で話し始めた。

”ハネマってまさか”

”あの、サガワ教授とやりやった、あの女医さんか”

”ってカウントダウンのゾンビ行進では救助を指揮したんだろ”

”ああ、サガワが死んじまって、あたふたした警察を指導して、被害拡大を防いだって話だが”

”なんでこの会見を”

ゼコウの代わりにハネマが真新しい黄色のスーツに身をつつんで登場した。

「今回のカウンタダウイベントにおける薬害治療担当になりました、ハネマミチヨです。よろしくお願いします」

ハネマは壇上ではっきりと良く通る声で挨拶した。

「まず薬の件ですが、開発者のサガワ教授が亡くなり、副作用の影響などは、ただいま研究中です」

「そんな危ない薬をよく使いましたね、どういった理由で」

「申し訳ありませんが、それは私にはお答えしかねます。なにしろサガワ氏とモンリ会長が主に決定したことでして、その経緯は私にはわかりかねます」

責任をモンリとサガワに押し付けるのか、死人に口無しかよ、会場内で声が漏れた。

「もっとも、サガワ氏の遺された資料により、研究に協力した方々や今回使用された薬を大量生産した企業があきらかになりましたので、決定の経緯や治療方法なども徐々にわかってくると思います。協力した研究者ですがトーダイ医学部の…」

記者達から驚きの声が上がった。ハネマが口にした研究者の名前は有名医学部の教授や、大学病院の主管、ニホン有数の企業など有名どころばかり、つまりこんな怪しげな薬に携わるのがバレたら不味い人間や会社ばかりである。それを堂々と外国メディアも同席している場で発表するとは。

”いい度胸、ハネマさん”

”この女、正気か?医学界に喧嘩でも売る気かよ”

記者たちの声をよそにハネマは続ける。

「彼らにも治療法の解明の協力をしていただきます、なにしろ彼らもこの事態を引き起こした責任があるのですから。そして治療にあたり、女性の医師を大幅に採用する予定です」

記者達は驚愕した。なんでまたそんなことを

「す、すみません、ハネマ先生」

「先生はいりません、何か質問でも」

「女医さんを大量に使う理由は?」

「一つには同じ薬害の患者を大量に抱えているからです。アメリカでの研究であきらかになったように、女性の医師に治療されたほうが、死亡率、再入院率が低くなる。すなわち治りやすいのです。例外もありますが、女性は自分の経験や自説に固執せず、新しい治療法でもうけいれ、患者のためにきちんとやり方を守って治療する。もちろん優秀な男性医師も採用します。ただし、大御所といった方々はご遠慮願うことになるかもしれませんね」

「な、なぜです、まさか」

冷遇された仕返しですか、と言おうとした記者はとっさに言葉を呑み込んだ。

「彼らは自分の経験や理論にこだわりすぎるからです。それが正しいときもあるでしょう。ただし、今回は新奇の薬害であり、実際は未認可の薬によるものです。以前の経験は通用しない場合がある。そんなとき自分勝手な判断をして患者を悪化させるようなことをさせられては困るのです。まして無駄な縄張り争いなぞ、もってのほかです」

ハネマは理路整然と続けた。

「よろしいですか、今回の事態はまさに大御所とよばれる医学界の重鎮の方々が引き起こしたとも言えるのです。第一にこの暑さはスポーツをやるのに不向きどころではない、人体には耐えられない、本当に開催すれば恐らく死者が出たでしょう。それが彼らにわからないはずはない、なのに誰一人それを委員会に進言するものはいなかった。大会で雇われる医療関係者がいるから中止されては困るというのが、その理由です。観客やアスリートの安全よりも、自分たちの利害を優先したのです」

そりゃそうだ、そもそも開催を断念すれば、こんな無茶な暑さ対策はしなくてよかったのだ。

「第二、今回の直接の被害を生み出したサガワ教授はまさに自分の自説、感覚遮断薬による暑さの予防という珍説をとなえ、それにこだわったのです。ろくな臨床試験をしない薬が採用され出回ったのは、大会本番で使用されることを当てにした協力者や企業の後押しがあったからでもあります」

記者達はすっかりハネマの言葉に耳を傾けていた。

「今回は四万人以上の方々が服用し、死者数十名、いまだ後遺症に苦しむ方々が数千人います。大変な被害です。ですが、自説にこだわり大量の死者をだした例は以前にもあるのです。ご存知の方もいるでしょう、森林太郎、いや森鴎外、陸軍軍医の最高の地位にあった彼が脚気は細菌によるものという説にこだわり、大量の犠牲者をだしたことを」

ポカンとしている記者もいたが、ハネマの言葉にうなずくものも少なくない。

「脚気はビタミンの不足、いわば栄養の不足によるものです、しかし当時原因はわからなかった。海軍では玄米を食べることで脚気が防げたという経験から、理由はわからなくても玄米を食べさせて病人をださなかった。それなのに陸軍のほうはそれを無視した、そんなことで治るはずはないとね。現実を無視して、兵士達、将校達が頼むから玄米を送って欲しいといった声を握りつぶした。その結果判明しただけで三万人近い兵士が犠牲になったといわれています、だが彼らが裁かれることがなかったのです」

ハネマは深呼吸した。

「医学界は自説にこだわることにより、二度も大きな過ちを犯したのです。前回の誤りで責任をとるものがなかったせいかもしれません。しかし今回は違う、これだけの犠牲者を結果的に出したことの責任は必ずとっていただきます。さらに三度目の被害をださないように、権威的に自分の主張をふりまわすだけの、患者のことを自分の説を証明する存在のように扱う医者には一切関わらせません、私は何より患者を、今回被害に遭った方々を治したいのです」

ハネマは言葉を切った。これでは会見というよりハネマの演説会だ、しかし文句をいうものもなく、自然と拍手が沸いた。

”あれ、あなたも拍手してるの?”

若い女性記者が隣をみると、同年代の他社の男性記者が小さく手を叩いていた。

”すごいよ、あの女医さん、まあ本当ヤラレタって感じだな”

”どういうことよ”

女性記者は男性記者に尋ねた。

”だってさ、オッサンたちの不正やら間違いを暴きながらさ、自分や他の女医さんたちの立場をあげてるからな、まあ家もなんのかんのと嫁さんのが偉いしなあ、まったく”

そういいながら、ちっとも嫌そうではない。むしろそれが嬉しそうだ。

”本当のことでしょ”

女性記者はちょっぴり皮肉交じりに言った。

”本当のことだけど、なかなかいえないって。やっぱ凄いよ女はさ”

”なによ、それ”

”第一ニホンの太陽の神様は女だもんな、暑さをなんとかするには女神様に活躍してもらわないと”

”女神様、か”

女性記者がハネマのほうをみると、カメラのフラッシュやらを浴びせられ、強い光に照らされていた。

光の中で堂々と前を見据えて答えるハネマは女神というより

”女王、リーダー、うーん、なんだろう、とにかく”

賢くて力強い女性だ。この人なら無茶はしない、馬鹿な暑さ対策もせず、引くときはひくだろう。そんな安心というか頼もしさがあるなあと女性記者は思った。

(記事のタイトルどうしよう、そうだ)

”究極の暑さ対策。暑いときは無理をせず、プライドにこだわらず、無茶はしないが最善の策”

こんなこと絶対ありえないと断言はできないのが、どこぞの国の昨今のご時勢。

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[一言] 韓国 盧武鉉(ノムヒョン)前大統領の言葉 故盧武鉉大統領が在日を語る (03年6月の訪日時TBSのテレビ番組で)   「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、  同胞にはその社会で貢献…
2019/03/20 20:19 退会済み
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[良い点] 遮断君以降の展開が面白かった。 [気になる点] 序盤の説明がややくどいかも。あと、女性にもいろいろいますから、ちょっとステレオタイプかも。 [一言] 他人事としてみれば面白いけど、ちょっと…
[一言] 感覚が麻痺して危険に気付かないでいると、茹で蛙になって死ぬことになるという暗喩ですね。
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