人の形をするモノ達
歩き始めてしばらくすると、虹のような形をした灰色の門が見えてきた。道中、色々と聞きたいことが青年にはあったが、鼻歌を歌いながら楽しそうに歩くノイトの様子になかなか質問できずにいた。
「あれは……もしかして、街?」
「そうです。『クラナイ』って言うんですよ」
見るからに「入口はここですよ」と主張するアーチには大きくクラナイと刻まれていて、門の横側には同じく灰色の壁が見える。壁は横に広がっており、その先はカーブして見えなくなっていた。
(この壁、街を囲んでいるのかな? いや、それより……これが、街かぁ)
青年がそんなことを考えていると、もう街の入口までたどり着いていた。遠目に見ていた門と壁は彼が思っていたより大きく、青年がノイトを肩車してもまだまだ届きそうにない。門の向こう側に伸びる道の両脇には店と思われる建物が立ち並び、騒がしい声が聞こえる。そこにはたくさんの『人』がいた。
ようこそ! 私たち『人形』の世界へ!
ノイトに言われた言葉が思い起こされた。
(あの人たちのなかにも、人形がいるのか)
青年は未だにその言葉が真実とはを実感できずにいた。今、白い長髪を揺らしながら自分の右手を握り歩いているこの少女が言ってた通りに、お店で真剣な顔で野菜を眺めている老齢な人も、その隣でつまらなそうにしている緑の髪を持つ少女も自分とは違う人形というやつなのだろうか?
青年にはもう一つ疑問があった。自身の記憶のことだ。
過去の記憶が全くと言っていい程ない。ここに来るまでに何度も思い出そうとしてみたが、頭にもやがかかったように記憶が呼び起こされてこない。目覚めてから今まで彼の頭のなかはひどく混乱していた。
「着きましたよ」
ノイトに声をかけられ、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。彼女は変わらない笑顔で青年を見つめていた。
たどり着いた場所は街の入口の喧騒とはかけ離れており、静かで薄暗かった。見上げると、壁が近くに見えるため、街の端に位置しているのだろう。
「さて、記憶ない旅人さん。中へどうぞー」
そう言って、石造りの綺麗な、恐らく2階建の建物の扉を開ける。相変わらず手は強く握りしめられていたが、もう手の冷たさや硬さには慣れてしまっていた。
ノイトに促され中へ入ると、そこは一種の酒場のような場所に見えた。誰もいないが、丸いテーブルとそれに合わせた椅子が何セットかあり奥には細長いテーブルで仕切られた向こう側にビンがたくさん並んでいた。
しかし、ノイトに連れられてきたのは酒場部分の一階ではなく二階にある一部屋だった。
「ささ、座ってください!」
ようやく右手を放され、青年は痺れた手を振る。その手の平は血が渇き、少し薄い赤で大部分が染まっていた。
もしかして彼女にもついてしまったのではないか?
そう考え、青年はノイトに声をかけた。
「あの、ノイトさん。手、汚れてない?」
「ん? 平気ですよ。後で洗うので。それより……」
ノイトは、血の付いた自身の左手を見つめ、妖しい笑顔を浮かべる。
「知りたいですよね? この世界の事。人形(私たち)のこと」
先程よりいくらかトーンダウンした声にはなぜか迫力を感じさせ、青年は黙って頷くのみだった。彼女はそれを見て、軽く息を吐いてから改めて青年の目を見つめた。
「この世界に、あなたを除いて人間と呼ばれる存在は居ません」
人間はいない。
青年はその言葉の意味を理解できるまで黙るしかなかった。数瞬の後、彼はこの世界で目覚めてから初めてこの笑顔を浮かべる人形に敵意に近い感情をむけた。
「どういう意味だよ」
「昔、この世界にも人間はいました。でも、自然災害でみんな死んでしまったんです。一人残らず」
目の前の少女が吐きだす絶望に愕然とする青年をよそにノイトは続ける。表情は変わらず不気味なくらいの笑顔で、声も先程の明るい調子に戻っていた。
「それで、あなたは記憶喪失なんですよね。多分なんですけど、こことは別の世界から来たんだと思います」
淡々と言う少女と現実離れしたその言葉の内容に青年はめまいがした。
額に手を当て、彼女の言葉を理解しようとする。しかし、ノイトはそれを許さない。笑顔がより一層輝いた。
「伝説があるんです。『ここと似た異世界から、血の通う人の形をしたモノがやってくることがある。それが私たちの創造主である人間だ』と。まさか本当に出会えるなんて思ってもみませんでした。いやー、運が良いですね! それと、記憶が無いのは元の世界への未練を断ち切るためだそうです。ここに来る人は、元の世界でひどい扱いを受け、逃げ出してしまいたいと強く願った方なんですって!だから物の名前とかは憶えてるはずですよ」
「……そっか」
楽しそうに、少し早口になって聞いてもいないことを語るノイトに対して、青年は適当な相槌を打って思考を停止した。今彼女の言葉を全て理解しようとするのは無理だと判断したのだ。
「ノイトさん。少し、寝かせてもらってもいい?」
「あー、人間って疲れるんでしたっけ? 良いですよ。そこのベッド使ってください。」
ありがとう、と返事をし、疲れ切った頭と体を休めるためにベッドに体を預ける。ノイトはその様子を見届けると、部屋から出て行こうと立ち上がる。
「あ、そうだ」
出ていく直前、ノイトは青年に振り返る。
「私のことは呼び捨てでお願いします。そっちのほうがしっくりくるので。後、『みんな』と夕食を取るときまでにあなたの名前を考えておきますね」
青年は何か言いたげに口を動かそうとしたが、それよりも早く睡魔と疲労が青年を暗闇へと落とした。
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ノイトは1階のカウンターテーブルのさらに奥で夕食の準備をしていた。
突然の客人の分も作っていたため、いつもより少し遅れてしまったが、ともに夕食を摂る仲間たちも未だここ『ヒバリ酒場』には帰って来ていなかった。
(みんな何やってんだろ。早く紹介したいのに)
今日、迷い込んできた人間。今まで伝説でしか聞いたことのなかった存在に出会えた。なんとなく雰囲気が自分たちとは違うと感じていたが、初めはただ旅人として振る舞っている人形かと考えた。しかし、
(あの人は本物だ。『これ』があるんだから間違いない)
包丁の動きを止め、彼の血が付いた右手を見つめる。
『血は、人間であることの最も確実な証明なんだ。私たちにはない、とても大切なものなんだよ』
恩人の言葉がふと思い起こされる。
血は鉄の臭いがするとノイトの読んだ本に書いてあったが、彼女の嗅覚ではそれを判別することはできなかった。軽く臭いを嗅ぎ、今度は舐めてみる。人と変わらない濡れた舌が乾いた血痕の輪郭をなぞるように動き、いくらか唾液と混ざる。口の中で転がして人間の証を味わった後に飲み込むが、結局自身の唾液を飲むのと何ら変わりなかった。
(味しないなぁ。もっとたくさんじゃないとわかんないかも)
「ノイト、何やってんの?」
「ヒィッ! スティアン!? なに、え、ちょっとソースの味見を! って、ただいまくらい言ってくださいよ!」
「はっはっは! どうしたノイト。帰ってきたのに気づかないなんてお前らしくない」
急に話しかけられ、ノイトは手に持っていた包丁を落としてしまった。玄関口に立つ緑髪の少女は呆れたようにため息をつき、その隣の男性は困惑するノイトと少女を見て愉快そうに笑っている。
「グランツのお人好しのせいで遅れちまった。野菜屋の店主から畑の魔獣退治だってさ」
「まぁいいじゃないか。ナスにレタス、なによりトマトもこんなにもらっちまった」
スティアンと呼ばれた少女は目にかかる前髪をうっとおしそうにかき分けながら隣の男を親指で指す。その表情からはせっかくの買い物を夕飯の買い出しのみで終わらされた不機嫌さがうかがえる。対して隣の男―――グランツは依頼の前受報酬という名目でおまけしてもらった野菜を四角いカゴいっぱいに抱えて上機嫌だ。ノイトの艶のある白い髪とは違う、灰色に近い白髪を短く立たせた姿は外見の年齢より若さを感じさせる。
そんな二人がいつもの会話を続けている内に、ノイトは包丁を拾うついでにカウンター下にあるタオルで血をふき取った。まだ少し赤みがかっているが、血だとばれる心配はないだろうと安心した。
「もうすぐお夕飯できますから、二人はそこで待っていてください。」
夕食の作業を再開させる。もうすぐ完成だが、のんびりやっていい理由にはならない。
「はいよー。そうだ、団長見てない? 先帰ったはずなんだけど」
「いえ、見てませんよ。あの人のことだからつまみ食いしようと裏口から入ったのかも……って」
ノイトは再び包丁を落としてしまった。
その数秒後、どこからともなくひどく悲痛な叫び声が聞こえてきた。