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人間とキュウリ

 視線の先に転がっているモノに向かって、白髪の少女が声をかけた。


「あのー! 大丈夫ですかー?」


 モノは返事を返さない。うつぶせになっているためその表情はうかがえないが、しばらく見つめていると、左手の指がピクリと動いた。


(なーんだ、寝てるだけか……)


 それを見て少女は一気に興味を失い、ため息をついた。が、無視するわけにもいかない。近寄り、おやつに持ってきた食べかけのキュウリで頭をつつく。

 反応は無い。

 あからさまにテンションの落ちた声で再び声をかける。しかし、営業用の柔らかな笑みと穏やかさを感じさせる雰囲気は崩さない。



「ここは寝心地悪いですよー。宿屋まで案内するんで早く起きてくださーい」


 彼女は刺激を求めていた。

 周りの仲間たちはとても楽しそうに(表面上は)毎日を過ごしている。彼女もトレードマークの笑顔を絶やさずに退屈で幸せな日々を送っていたが、ふと時々そんな街の喧騒を離れて少し離れたところにある荒れ地まで散歩に出かけている。かれこれ5年は続けている彼女の習慣だった。

 散歩の途中、ふと地面に腰を下ろし、空を見上げた。特に理由は無かったが、強いてあげるとすれば『何か面白いもの降ってこないかな』だろう。目にかかった白い髪を手で軽く避け、神様からの刺激的なプレゼントが落ちてこないか目を凝らす。

 一面の曇り空。今はお昼前だったはずだが、分厚い雲は太陽の光を遮りこの場所全体に影を落としている。灰色に濁ったそれはこれから雨が降るだろうということを予感させる。

 雨に濡れるのはマズイが、もう少しだけ……

 そんなことを考え二時間も費やしたが、贈り物は全く降ってこなかった。いい加減に帰ろうと立ち上がった時、この荒れ地に一本だけ生えた木の側に何かが落ちているのに気付き、近寄ってみたのであった。


 最初は求めていた刺激的な何かかと思ったが、その姿と様子を見て、彼女の興味は早々に『今日の夕食をどこのお店で食べるか?』に移された。


「う……」


 うつぶせだったモノがゆっくりと立ち上がった。その様はまるでたった今この世に生まれてきたかのようなおぼつかなさを感じさせ、少女は心配そうに顔を覗く。

 黒い髪は短く、鼻や眉の形ははっきりとしていた。この曇り空には似合わない爽やかな男、という印象を普通は受けるだろう。しかし、


(私とは正反対の顔ねぇ。顔色と表情以外は)


 青年の表情は今にも死にそうだという無言の訴えを全力で表現しており、少女の髪色と同じくらい白い肌も青年の爽やかさを幾分か損なわせていた。


「ご、ご飯……水……」

「え?」


 少女は驚き、立ち尽くしてしまった。恐らくご飯と水が欲しい、という意味だろうが、なぜそんなものを求めるのかが理解できない。そんなもの、

 『そんな真剣に求めるものじゃないのに』

 青年の視線は呆然としている少女をよそにその右手に持っているキュウリに釘付けになっていた。僅かに残った理性で盗みはいけないと戒めるが、目の前の白髪に青い目を持つ少女がかじったであろう面から漂う野菜独特の香りにそれは軽々と吹き飛んだ。

 さっきまでの死人のような様子からは想像もつかない早業でキュウリをもぎ取ると、「きゃあ!?」と声をあげた少女に目もくれずに咀嚼し飲み込んだ。


「し、死ぬかと思った」


 少しだけ生気を取り戻した青年は少女に向き直り頭を下げた。


「あの、ありがとうございます!本当に助かりました」


 感謝の言葉を述べた後に青年はしまったと思った。いくら緊急事態だったとはいえ、他人のものを盗んでしまったのだから先に言うべきは謝罪の言葉だろう、と。案の定少女から返事はなく、青年は恐る恐る顔を上げた。少女は自身の右手を真剣な表情で見つめていた。見知らぬ青年にもぎ取られ、わずかに根元が残った、自らの命を救ってくれた緑の果実が収まっている左手を。慌てて忘れていた謝罪の言葉を言おうとする。


「すみま―――」

「ねぇ」


 深く頭を下げた青年は頭上から投げられた言葉に反応し、再び頭を上げる。


「これって……『血』ですよね?」


 そういって少女は折られたキュウリの面をこちらに向けてくる。それを持つ手、その親指の関節付近にはまぎれもなく血が付着しており、それを見た青年の顔色は急速に死にかけの状態に戻っていった。

 他人のものを奪い食べただけではなく、傷までつけた。


(立派な強盗じゃないか!)


 謝って済む問題ではないと判断した青年は、諦めて少女の行動に身をゆだねることにした。

 白い髪、あまりに白い肌。それとは対照的にその深く青い目が、これから罰を受ける事を覚悟した男の右手を捉えた。青年もつられて右手を見ると、少女と同じように血が付着していた。と同時に、青年は僅かながら痛みを感じる。どうやら、血が出ているのは青年の方で、少女のはそれがついてしまっただけだと予測できた。

 少女もそのことに気が付いたらしい。しかし、白髪を風に揺らす少女はなぜか満面の笑みを青年に向け、そのまま出血している右手を掴んできた。

 そこで初めて、彼は少女に対して感謝と謝罪以外の気持ちを持った。


(冷たい……!それに、なんでこんなに硬いんだ)


 彼女の手は、穏やかで温かみのある人柄とは裏腹にあまりに冷え切っていた。まるで死体のようだ、と青年は感じたが、当の本人はそんなことは気にせずに顔を彼の耳元に近づけ、一言囁いた。


「あなた、『人間』ね」


 その顔はまさに、欲しいものを見つけた喜びに満ち溢れていた。青年は何も返事ができず、少女はそのまま続ける。


「ようこそ!私たち『人形』の世界へ!」


 人形。

 青年はその言葉を知っていたが、自身の持つイメージと一致しない。彼の中では、人や動物の形をしていて糸で操ったり眺めて愛でるモノを一般に人形と認識していた。決して、感情豊かに笑い耳をくすぐるような息遣いと共に言葉を発したりはしなかった。しかし、目の前の少女が土やら木やらで作られた人形だとすれば、あの冷たく硬い手も納得がいった。


「『人形の世界』?」

「んー。今説明してあげてもいいですけど、もっと落ち着いた場所で話しましょうか。私はノイト。あなたは?」

「え?俺は、えっと……」


 少女人形――ノイトに促され、青年も名乗ろうとしたが発するべき言葉が出てこない。それどころか、自身に関する最も新しい記憶は今ノイトと名乗ったこの人形(自称)に助けられたというものだった。頭に手を当て、必死に思い出そうとするが、ぼんやりと誰かと話しているようなイメージがある以外に脳裏に浮かぶのは自身よりいくらか背の低い可憐な少女からキュウリを強奪した光景のみで、青年はショックを受けた。


「大丈夫? 何か名乗れない事情があるみたいですね。まぁ、じゃあ、とりあえず行きましょうか!」

「行くって、どこに?」


 うなだれた青年の質問に暖かい笑みで返答し、ノイトは血がつくのを気にせずにこの世界に迷い込んだ名無しの人間の右手を取り歩き出した。

 その笑顔を見て、やはり青年はノイトが人形であるとは信じられないと改めて思った。手は冷たくて硬いが、笑ったときに目の周りにできるシワや右頬に浮かぶえくぼは彼の記憶にある『人間』の顔と全く同じであった。

 記憶のない彼はそれしら確証を持てなかったが。


 少し目を凝らせば見える距離に存在する町。一人と一体はそこに向かって歩き続ける。いつの間にか空は晴れ、太陽が顔を出していた。


(やっと見つけた。面白いモノ……! これで、退屈な日常はもう終わりね)


 青年の少し前をひっぱりながら歩くノイトの笑みに、先ほど彼に向けた暖かさはもうなかった。

読んでいただきありがとうございます。もしなにか思うところがあれば感想にてぶちまけていただけるととても幸いです。

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