6,足元を見て空を見て
スピトゥピットの教え方は、驚くほど上手く、エフェメールは半日で剣の構え方や振り方を覚え、なんと無く形にはなった。
「それだと懐ガラ空きでしょ。攻撃するんじゃないよ、身を守りながら相手にプレッシャーを与えるんだ。一撃で仕留めようなんて、致命傷を与えようなんて思っちゃいけない。剣は駆け引きなんだ。時間をかけて、しっかり確実に相手を仕留めなきゃ。」
エフェメールはスピトゥピットの言葉を出来る限り聞き入れ、その通りにしているつもりだった。それでもスピトゥピットの動きについていけない。1つ覚えても新しい事がぽんぽんと出てきて、頭が追いつかない。手にできた豆が痛い、エフェメールがふとそう思った時、部屋の扉がコンコンとノックされ、開かれた。入って来たのはフレルだった。
「お昼出来たって、メルベイユーが呼んでるよ。」
スピトゥピットは構えの体勢からすっと直り、分かったと言った。それを聞いたフレルは扉を開けたまま階段を降りて行った。
「午前の練習はこんな所でお終い!お疲れ様!お昼ご飯食べに行こ!」
木刀を片付けたスピトゥピットはたったったっと出口へ駆けていき、エフェメールも片付けをして後を追う。すると大きなドタバターンという音が響き、エフェメールが階段下を見るとスピトゥピットが頭を抱えながら逆さまに転がっていた。
「落ちちゃった〜…!」
エフェメールは階段を駆け下り、ぽろぽろと涙を零すスピトゥピットに手を差し出した。
「立てる?」
スピトゥピットはこくんと頷き、エフェメールの手を取り立ち上がった。そしてえへへと笑った。
「午後は一回手合わせしよ!感覚をつかむにはそれが1番だと思うから!」
2人がリビングへ着くと、もうご飯はテーブルに完成していた。朝と同じ青いエプロン姿のメルベイユーが人数分のトマトスパゲティの上に粉チーズを振りかけていく。艶々と輝くルビーのようなトマトと厚切りベーコンの香りが食欲をそそる。2人は急いで席に着く。お腹は正直に空腹を言い渡す。
「どうぞ召し上がれ。」
メルベイユーの一言でいただきまーすと一斉に手をつけ始める。ぷりぷりとしたキノコの歯ごたえと噛むたびジュワっと溢れ出すトマトの旨味が口いっぱいに広がり、最後にチーズの深いコクがふわっと香る。パスタによく絡んだトマトソースとベーコンの肉汁の奏でるハーモニーが格別だ。みんな夢中でパスタを頬張っている。その様子を嬉しそうに眺めるメルベイユーに、スピトゥピットが朝同様1番におかわりを求める。
「今日はいつにも増してよく食べるな。」
メルベイユーはそう言いつつもおかわりはしっかり盛ってきた。スピトゥピットはうん!と元気よく頷き、今日は剣をやったから!と言った。そしてメルベイユーを見つめ、何かを思いついたらしく明るく笑った。
「午後はメルベイユーとの手合わせもエフェメールに見てもらおうよ!どういう動きをすればいいのかとか、外から見てた方がわかることもあると思うし!」
メルベイユーは少し唸ってから小さく頷いた。
「別に構わないが、俺相手だと一瞬で勝敗がつくと思うんだか、それでもいいのか?オネットがいる時にした方がいいんじゃないか?」
スピトゥピットは首を振って今日やりたいから!と言った。メルベイユーも了承し、お腹いっぱいになった所で3人は2階へと上がっていった。その後をピュールとルポゼも暇だからとついてくる。メルベイユーはエフェメールの物より15センチほど長い木刀を手に取り、スピトゥピットは先ほどと同じものを持ち、部屋の真ん中で2人は向かい合った。
「じゃあ始めますか!」
スピトゥピットのその声で2人はほぼ同時に構えた。お互いに相手の様子を伺い合い、その瞬間スピトゥピットが戦士の目になった。少ししてスピトゥピットが小さく前に出た。それを合図にしたかのようにメルベイユーも素早く前へ出て木刀を振った。それはスピトゥピットに弾かれ、次の瞬間にはスピトゥピットの攻撃が始まっていた。音も無くメルベイユーに接近し、木刀を振る。しかしそれはメルベイユーの必死の防御に抑えられた。それでもスピトゥピットは攻撃を止めず、暫く木のぶつかり合う音が部屋に響いた。そしてエフェメールが瞬きをしたそのわずかな時間の間に、スピトゥピットは身軽に飛び上がり、小柄な身体は何故かメルベイユーの肩の高さにあった。メルベイユーの肩に手をかけて、そのまま2人で倒れこむ。見ればメルベイユーに馬乗りになったスピトゥピットはその喉元すれすれに木刀を立てていた。
「勝負あったな。」
ふぅ、と息をついて言ったメルベイユーにスピトゥピットは嬉しそうに微笑んだ。メルベイユーの上から退き、スピトゥピットは静かに木刀を置いた。
「負けちゃうかと思ったよ。」
木刀を手放せば、もうすっかりいつものスピトゥピットだ。メルベイユーは嘘つけ、と言ってスピトゥピットの頭を小突く。
「最初っから最後まで余裕だっただろ。」
スピトゥピットは困ったように笑ってエフェメールに向き直った。
「どうだった?」
エフェメールは少し考え込んでから、すごかった、と素直な感想を述べた。
「なんか、スピトゥピットが身軽で、メルベイユーの予想外の動きをしてるんだなっていうのが、見てて伝わってきた。」
それを聞いてスピトゥピットはうんうんと嬉しそうに頷いた。隣にいたピュールも、目を輝かせている。
「いつ見てもスピトゥピットの剣はすごいよな〜、なんでそんなに身体を思い通りに動かせるのか分かんないよ。」
ピュールはエフェメールの方を見て、俺は剣は苦手なんだ、と言って笑った。ルポゼはまだ剣術を教えるには早いというスピトゥピットの判断で、木刀を握ったこともないらしい。たった1つしか変わらなくても、やっぱりそこは男女の差なのだろうか。
「ありがとう!でもエフェメールが気づいたのはすごく大事なことだよ。相手の動きを予想しちゃダメなんだ。予想を立てちゃうと自分の思っていたのと違う動きをされた時にパニックになる。だから感覚を覚えてその場その場で対応した方がいいんだよ。」
スピトゥピットの言葉にエフェメールはしっかりと頷いた。
「じゃあ次はエフェメールの番!見てて思ったこととか参考にしながら軽くやってみよ!」
エフェメールは自分の木刀を手に取り、スピトゥピットに向き合うようにして立った。どちらとも無く静かに構える。スピトゥピットが大きく一歩前に踏み出した。エフェメールも前に出てスピトゥピットの足を狙って木刀を振りかざした。すると何故かスピトゥピットは視界から消え、気がつけば首元に木刀が当てられている。後ろから抱きつかれるような形でスピトゥピットに捕まったエフェメールは、何が起こったのか理解できない様子で、ぽかんとしていた。エフェメールがスピトゥピットの足に目掛けて剣を振ったた瞬間、スピトゥピットが地を蹴って素早くエフェメールの横へと移動し、すぐさま背後を取り、チェックメイトしたのだ。見ているよりも実際に体験した方が、スピトゥピットの身軽さや動きの早さがより鮮明に理解出来た。
「まぁ、最初はこんなもんだよ。」
そう言ってもっとエフェメールに合う武器があるのではないかとスピトゥピットは木刀を吟味し始めた。その時メルベイユーがエフェメールにちょっといいか、と声をかけた。エフェメールは頷いてメルベイユーの後に続き一旦部屋を後にした。
「実は、オネットからエフェメールが“宝石の民”だってことは聞いてる。俺とオネット以外は知らないから、極力隠していて欲しいんだ。もしもばれそうになった時はなんとか誤魔化すから。」
エフェメールは分かった、と言って頷いた。メルベイユーは微笑んで、ここからが本題なんだが、と言い、エフェメールの耳元に口元を寄せて何かを囁いた。エフェメールはビクリと肩を震わせ、勢いよくメルベイユーの顔を見つめた。ひどく怯えた目だった。
「…オネットには、言わないで…。」
エフェメールは小さく震える声で、それだけ絞り出した。メルベイユーは後々オネットを傷つける事になるぞ、と怒ったように言った。それでも頑として首を振り続けるエフェメールに負け、分かった、と小さく頷くのだった。傾いた太陽が、互いに目を合わせられず、それぞれ複雑な気持ちの2人を紅く紅く染め上げていた。
誤字脱字があったら是非教えてください。