3,玉結びは簡単には解けない
「私の名前は、エフェメール。」
エフェメールはそう答え、じっとオネットを見つめている。オネットは、はたと自分の失態に気がついた。
「失礼しました。名前を聞いておきながら自分で名乗らないとは、無礼にも程がありますね。私はオネットと申します。」
エフェメールはこくりと頷いて口の中で何度かオネットの名を呼んだ。もうすっかり日が傾いて、茜色に染められた街を歩く。街ゆく人たちはこの2人の組み合わせを不思議そうに眺めていた。騎士がフードを深くかぶった子供の手を引いて歩く姿は、確かに普通ではさなかった。しかしその騎士がオネットであると分かると、何の不安もなく皆は家路に着いた。この光景は、皆もう見慣れていた。
「どうぞ、ようこそ我が家へいらっしゃいました。」
エフェメールはぽかんと口を開けたまま、開け放たれた木の扉の前で立ち尽くしていた。中からは眩い明かりが漏れ、玄関を入ってすぐの所に木造の大きな長方形の長机と椅子が置かれていた。そしてそこには6人の子供達が腰掛け、こちらを向いている。
「も〜、遅いよオネット!お腹減った〜!」
「あ!またオネットが新しいやつ連れてきたぞ!よろしく〜!!」
「オネット!もうクールのエサが無くなりそうだから明日買ってきて!」
賑やかな家の中にエフェメールがなかなか足を踏み入れないのを見て、オネットは首を傾げた。
「どうかしましたか?入らないのですか?」
「オネットは、ここは騎士の住む寮だって言った…。」
やっと口を開いたエフェメールは、オネットの方を見もせず、只々家の中を見つめている。そんなエフェメールの足元に白とベージュのトラ猫が擦り寄り、足にじゃれついた。思わず視線を落としたエフェメールは、次にばっと顔を上げ、オネットの顔を見つめた。
「…部屋を間違えてると思う!」
その言い分にオネットは思わず頬を緩める。
「長年愛用してきた我が家を間違えるわけないですよ。ここが私の家で合ってます。」
オネットは、とりあえずお入りくださいと、エフェメールを中へと招き、木の扉を閉じた。ぱたん、という木独特の音を奏でて扉が閉まる。するとオネットはコートを玄関脇に置いてあったハンガーにかけ、フックに吊るした。そう、まるでその自然な動作と一体化したかのように、オネットの“騎士”という肩書きも完全に脱がれていた。
「ちゃんといい子にしてたか?」
子供達の頭を端からぽんぽんと撫でながらそう呟くオネットの瞳は、兄そのものだった。子供達はだいたい皆6歳から9歳くらいだろうか。1人だけ、大人びた子がいた。子供達につられてか、オネットの笑顔もいつもの大人びたものではなく、あどけない素直なものになっていた。そしてエフェメールは長机の前にあるスペースに連れて行かれ、全員の顔が見える位置に立った。
「今日は新しい家族を連れてきたぞ〜!エフェメール、自己紹介してくれる?」
エフェメールは状況に混乱しながらもひとまず自己紹介をした。
「えっと、エフェメールです。歳は12歳です。…よろしくお願いします。」
そして何故か動揺を隠しきれず、隣のオネットがエフェメールを向き直った。
「…12!?」
エメラルドグリーンがこれでもかというほどに見開かれ、口からは唸り声が漏れる。
「幼くて可愛い顔してるし、背も低めだからてっきり一桁だと思ってた〜!」
オネットが頭を抱えてしゃがみ込む。
「そういえば、名前を聞いた時に年齢だって一緒に聞いちゃえばよかったのに、何で聞かなかったの?」
エフェメールが頭に浮かんだ疑問をぶつけると、オネットはきょとんとして、当然のことだよと言った。
「女性に年齢を聞くなんて、失礼すぎてできないよ。」
女性…。慣れない扱いにエフェメールはそっとオネットから視線を反らした。オネットはあまり気にせず子供達の方へと向き直った。
「じゃあ次!いつも通り時計回りに自己紹介してくぞ〜!」
椅子に座った子供達は少しそわそわしながら笑っている。
「まず、俺はオネット!14歳で、騎士をやってる。今はこの家でエフェメール以外の合わせて6人と一匹と一緒に暮らしてる。ちなみに趣味も特技も剣術!」
よろしく!と言ってオネットは人懐っこい笑顔を見せた。エフェメールもつられて小さく微笑む。すると1番手前に座っていた男の子が椅子から立ち上がった。柔らかそうな金の短髪とグレーがかった蒼色の瞳がバランスを取り合ったような容姿。割りと細身で、茶色いワイシャツを着ている。
「俺はピュール!歳は9歳で、1番最初にオネットに拾われて、それ以来ずっとここに住んでる。この中で1番長いから、分からないこととかあったら、何でも聞いてくれ!掃除担当で、わりときれい好きだ!よろしく!」
そう言ってピュールは再び椅子に座った。次に立ち上がったのはその隣に座る女の子。少し高めの身長にすらりと長い手足が、幼いながらもスタイルの良さを感じさせる。ピュールよりも明るいレモンイエローの髪を頭の後ろで複雑に編み込んで束ねている。蒼の瞳がエフェメールを見つめる。白いワンピースのスカートが、ひらりと揺れた。
「私はフレルっていいます。10歳です。担当は装飾で、細かい作業が好きなので、裁縫とかもやります。よろしくお願いします。」
そう言うとフレルは静かに椅子に腰掛けた。するとその隣の眼鏡をかけた男の子がゆっくり立ち上がった。オネットと同じくらいか、もう少し長い山吹色の髪に、明るい水色のような眼を持っている。白いワイシャツの上にベージュとこげ茶のベストを羽織っている。
「えっと、エフォールです。9歳です。担当は創作です。よろしくね!」
エフォールは終始おっとりとした口調で話し、最後にエフェメールに向かってにっこりと笑った。その笑顔はまるで金平糖のように甘いものだった。エフェメールも微笑み返した。次に立ち上がったのは戻って1番手前、すなわちピュールの向かい側に座っていた男の子だった。黒色のシャツにベージュのズボンを履いていて、少し目つきは鋭い。そして、他の子達と決定的に違ったのは、髪の色。ツヤのある黒髪をオネットとほぼ同じくらいの長さにカットしてある。前髪は目にかかるくらい長い。そして瞳の色も、黒と見間違えてしまうほど深く、濃い群青だ。この国には金髪青眼がほとんどで、オネットのような緑眼の人もごくわずかで珍しいが、黒髪の人はほとんどいない。オネットは、その容姿を見つめるエフェメールに囁いた。
「彼はこの国の出身じゃないんだ。ここから遠く離れた国が故郷なんだよ。」
エフェメールが小さく頷くのを見て、オネットは微笑んだ。その時黒髪の少年は口を開いた。
「俺はメルベイユー。13歳。担当は料理だ。
よろしく。」
その声は凛と澄んでいて、どこか人を惹きつけるものがあった。ひどく心地いい声だった。メルベイユーが椅子に座ると、次に勢いよく立ち上がったのは隣に座る小柄な男の子だった。薄い金色の髪は少しくるくると癖があり、タレ目がちな青い眼をしていた。しかし勢いをつけすぎたあまり、椅子はバタンと後ろ向きに倒れ、慌てて椅子を起こそうとした男の子は椅子の足に小指を思い切り打ち付け、あっという間にその蒼い眼に涙を溜めていた。オネットが慌てて男の子に駆け寄り、背中を撫でながら声をかけた。
「だ、大丈夫か…?」
男の子はこくんと頷き、やっと自己紹介が始まった。
「スピトゥピット、6歳です。担当は、剣術です。お願いします。」
涙目のスピトゥピットは、鼻をすすりながら自己紹介をした。ボーダーのシャツに短パン姿のスピトゥピットはゆっくりと椅子に戻った。最後に立ち上がったのは、煌めく金髪をボブに切り揃え、澄んだ青い瞳をぱっちりと開けた女の子だった。
「ルポゼです!5歳です!まだまだ未熟ですが、担当は助手です!よろしくお願いします!」
えへへっと笑ったルポゼの笑顔の破壊力は凄まじかった。言うなれば、『効果は抜群だ!』という感じだった。
「それで、この猫が、クール!みんなが来る前から一緒に暮らしてた家族!よろしくな!」
オネットに抱かれたトラ猫はゴロゴロと喉を鳴らして、クリクリの目をエフェメールの方に向けた。こちらも効果は抜群だ!ひとまず全体の自己紹介が終わったところで、オネットはにこにこと手を叩いた。
「今はとりあえず自己紹介だけにして、いったん夕飯にしよっか!お腹減っちゃった!」
その一言で自己紹介は終了し、皆で一緒にご飯を食べるべく食卓につくことになった。オネットは子供達の姿を見つめながら、優しく、幸せそうに微笑んでいた。
今回分量が多くなってしまってすみません。