11,新しい一歩は大きな一歩
ばたん!!
大きな音を立てて部屋の扉が開け放たれた。エフェメールは、オレンジ色の温かい電球に照らされたその懐かしい顔を、目に焼き付けようと探した。入ってきたのは今にも泣きそうな、不安に押し潰されそうな顔をしたオネットだった。
「エフェメール!!…なんで!なんで言わなかったんだ!!」
声色は怒っていても、心配しているのが痛いほど伝わって来る。エフェメールはその姿を瞳に捕らえると、ホッとしたような困ったような顔をして起き上がり、一筋の涙が頬を伝った。そこにまた新たな輝きを生み出す。それを見たオネットは慌てたようにベッドへと駆け寄り、エフェメールを抱きしめた。
「悪かった、わかったから…もう、泣かないでくれ…!」
それを聞いたエフェメールは、また顔を歪めて切なそうな苦しそうな表情をした。しかしそれはエフェメールを抱きしめたオネットには見えない。メルベイユーが扉の向こうからその様子を見つめ、静かにその場を立ち去った。オネットにエフェメールが隠していた事実を告げたのはメルベイユーだった。“宝石の民”は涙が宝石に変わる。それは事実だ。だが、この国では受け継がれていない真実がもう一つあった。“宝石の民”は、涙とともに自身の命を体外に出してしまうのだ。命を出す、というよりは、生きるのに必要な物質を浪費して宝石を生み出し、排出しているのだ。メルベイユーの故郷の国ではそれは有名な話だった。エフェメールは言わないでと言ったが、隠し通すには無理があった。それに、オネットはエフェメールが恐れていたような考えを持ってはいない、と。そう、信じていた。でも、オネットはエフェメールの予想通りの反応をした。それを目の当たりにしたメルベイユーには、もうあの場にいる資格はないと思った。階段を降りながらメルベイユーは小さく吐いた。
「ごめん。」
オネットはエフェメールの涙が乾くまで、ずっと抱きしめたままだった。エフェメールは失望したかのような目で遠くを見つめ、ぽつりと呟いた。
「オネット、なんで言わなかったのかって聞いたよね。私だって隠し事なんかしたくなかったよ。でもオネットがもしこの事を知ったら、私の命を最優先に考えてくれるって、わかってた。だから言わなかったんだよ。」
オネットはそっとエフェメールから離れ、困惑したように瞳を揺らした。
「どういう事…?」
エフェメールの目には再び涙が込み上げていた。オネットは慌てたようにエフェメールの頭を撫でたが、エフェメールは更に傷ついたように顔を顰めた。
「私は…!オネットが涙を、アレクサンドライトを、綺麗だって言ってくれて、嬉しかった…!泣いてもいいんだって、許されたような気がした!だけど、オネットがもしこの事を知ったら、私の涙を命とか、寿命とか、そういうものとして見るでしょう!?私がどんな気持ちでいるのかとか、どうしてこんなに心が痛むのかとか、そういう事は後回しにして、同情とか責任とか、そういう気持ちで私の涙を止めようとする!私はそんな気持ちになって欲しくて泣くんじゃないよ!!それに、やっと自分の感情のままに泣ける場所を見つけたのに、私に泣く事を許してはくれなくなるでしょう…!!」
エフェメールは荒らげた息をいったん深く吐き、呼吸を整えてから低い声で言った。
「それなら私は、最初から泣ける場所を与えて欲しくなんか無かった。」
エフェメールはオネットから逃れるように視線を逸らした。オネットは何か言いたげに口を開き、何も言えずに再び唇を噛んだ。暫くの間時計の針の音だけが、確かに時を刻む音を奏でていた。
「俺は、エフェメールにまだ生きていてほしい。それが、エフェメールを傷つけたんだと思う。でも、本当に、本当にまだまだエフェメールとずっと一緒にいたいし、もっといろんな話をしたい!だから、涙を止める以外の方法が見つからないんだ…!俺は、どうすればいい?」
オネットの叫びに、エフェメールはもう一度その瞳を見つめた。真っ直ぐで一点の曇りもないものだった。エフェメールは顔色の悪かった頬を少し赤く染めて、囁くような小さな声で言った。
「私も、オネットの事が好きだし、ずっと一緒にいたいよ。初めて出会った時から、ずっとずっと、その瞳が好きだよ。」
エフェメールはそういうと俯いた。オネットは微笑んで、エフェメールの頭を優しく撫でた。
「俺もエフェメールが好きだよ。」
その言葉に、エフェメールへ弾かれるように顔を上げた。しかしオネットの笑顔を見ると、その顔は明らかに曇った。オネットの優しい微笑みが、誤魔化すような、逃げるようなものだったからだ。唇を固く結んで震わせているエフェメールから、明らかに逃げるようにオネットは部屋を出て行った。1人残されたエフェメールは、自分の身を守るかのように、膝に顔を埋めた。
エフェメールの部屋の扉を閉めたオネットは、扉の前にピュールが立っているのに気がついた。
「ピュールもエフェメールの様子を見に来たの?」
ピュールはオネットの問いには答えず、じっとオネットを睨んでいた。
「そうやって、また逃げるのかよ。」
歯ぎしりが聞こえてきそうなほどきつく結ばれていた口から、ふとそんな言葉が漏れた。
「オネットは俺たちには本心を見せないよな。大分長いことずっと一緒に暮らしてきたから、分かるよ。オネットは確かに外では騎士っていう強固なお面をつけてる。だけど、家に帰るとそのお面は脱いでくれる。それがずっと嬉しかったんだ。俺たちといるときのオネットは、本当のオネットなんだって思ってた。でもしばらくして、それは違うって気づいたんだ。オネットは自分のことを全然教えてくれない。自分の汚い部分とか、見せたくない部分は徹底的に誤魔化してきただろ。…逃げて、きただろ?」
ピュールはオネットをまっすぐ見つめて言い放った。
「それは、エフェメールの為にはならない!勇気を出して出した答えにまともに返事をしないのは、断るよりも、もっとずっと残酷だ!!ちゃんと自分の気持ちをぶつけろよ!それがエフェメールの望んだ答えじゃなくても、心からの本音なら、絶対間違いじゃない!!」
ピュールはそれだけ言うとオネットの返事は待たずに階段を駆け下りていった。オネットは衝撃を受けたようにその場に立ち尽くしていた。オネットはピュールの言葉一つ一つが鋭い優しさに満ちた刃物になって、自分の心にグサグサと刺さるのを感じた。ピュールは元は貴族の子で、ここに来た頃は我が儘ばかりだった。それなのに、オネットが気づかない間に自分よりもずっと大人になっていた。
「俺も、前に、進まなきゃ…。」
オネットは踵を返し、ノックをしてエフェメールの待つ部屋のドアを再び開ける。一歩踏み出して、大きく息を吸って、もしかしたら生まれてこのかた初めてかもしれない自分の本音をエフェメールにぶつける。
「エフェメール!俺も…!!」
開け放たれたカーテンから覗く満天の星空は、この世界の広さとまだ未知の世界の存在をはっきりと示しているようだった。
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