10,一筋の光が差す
約束の2週間が過ぎ、更に1日また1日と時間が過ぎていった。時間の経過とともにどんどん1日の速度は遅く、重くなり、会話は少なくなっていった。予定より4日遅れてやっとやってきたのは、オネットの勤めている騎士団の団長からの手紙だった。メルベイユーはみんなが集まる夕食の場で、手紙を読み上げた。
“騎士オネット殿の御家族様
この度、国王様一行の国外公務において護衛を勤めていたオネット様が、護衛中に負傷し、意識が戻らない状況です。暫くの間こちらの国に滞在することになりそうです。ご理解とご協力程宜しくお願いします。”
全員が息を飲んだ。オネットが負傷、しかも帰国できないほどの重症で意識が戻らない。そんな初夏の夜は、妙に肌寒かった。一人一人が、オネットについて考え、無事であるようにと祈った。この家にいるのは皆オネットから希望や生きる勇気を貰ったものだ。オネットの存在は、何よりも大きかった。エフェメールは文を聞いてからずっと布団の中に潜っていた。メルベイユーが夕食に呼んでも、寝ているのか返事がなかった。
「エフェメール、オネットは絶対この家に帰ってくる。大丈夫だ。」
メルベイユーは聞こえているかもわからない暗闇の中にそう呟いて、誘うのを諦めた。その言葉は自分に言い聞かせているようでもあり、そうであって欲しいという願いのようでもあった。夕食のサーモンのムニエルは、味がわからなかった。いつも通りの電球が眩しく感じて、俯向く事で自分を守った。エフォールは1人いつも通りに振る舞おうとしていたが、皆の空気がそんな余裕を持っていない事を察し、無理に笑顔を作るのをやめた。いつ帰るかも分からない家主を玄関の扉の前で待ち続けるクールの姿が、すごく小さく虚しく思えた。夜は何もしないうちに終わっていった。
翌日の朝、一番に目覚めたメルベイユーがふと横のベッドを見ると、そこに輝くものがあるのに気がついた。横に寝ているのはエフェメールだ。つまりあれは、エフェメールの涙の結晶、アレクサンドライトだ。そう理解したメルベイユーは、慌ててエフェメールのベッドへと続く梯子を登り、その体を揺すった。
「…ぅ。」
小さな唸り声には力がなかった。メルベイユーはエフェメールの布団を剥ぎ取ると、目を見張った。そこにはベッド中を覆い尽くす程の宝石で埋め尽くされていた。
「おい!エフェメール!!しっかりしろ!」
メルベイユーの声にうっすらと開けられた瞼は、今にも閉じられそうなほどに頼りなかった。その瞳には涙が浮かんでいて、すぐに溢れてしまいそうだった。メルベイユーはエフェメールを抱きかかえ、2階へと運んだ。そしていつも剣術を学んでいた部屋とは逆の右側の扉を開いた。そこはオネットがまだ1人で暮らしていた頃に使っていた部屋だった。まだ、命を拾うようになる前。大きな本棚が1つと、机と椅子のセット、そして上質そうなベッドが置かれている。メルベイユーはエフェメールをベッドに寝かせた。
「ちょっと待ってろ。何か作るから、取り敢えず食べろ。」
そう言って部屋から出て扉を閉めたメルベイユーは、閉じた扉に背を付けて、眉をひそめて呟いた。
「早く帰ってこいよ、オネット。」
まだ夜も明けきっていない薄暗い家に、その呟きが重く堆積した。メルベイユーはひとまず寝室へと戻り、エフェメールのベッドの上の煌めくアレクサンドライトを布団で誤魔化した。そしてキッチンに立ってさらさらと食べられるリゾットを作った。まだ暖かいうちに2階へ運び、先ほどの部屋に入る。エフェメールはさっきと変わらない場所に寝て、天井を見つめていた。おしゃれな形をした電気がついている。
「一応リゾット作ったけど。…電気つけようか?」
カーテンを開けていない部屋が薄暗いのに気付き、メルベイユーが提案したが、エフェメールは小さく首を振った。
「…そんな気分になれなくて。」
エフェメールは相変わらず小さな声で言った。その目は疲れたように暫くの天井を眺めていた。それでもメルベイユーの作ったリゾットは頑張って全て平らげた。
「ちょっとは元気になったか?」
メルベイユーの問いにエフェメールは小さく微笑んだ。おそらく、あまり現状に変化はないのだろう。それでもエフェメールは精一杯笑った。それを見たメルベイユーはそうか、と言って同じように微笑み、食器を片付けに部屋から出て行った。階段を降りてキッチンに向かう途中、時計を見てそろそろ他の皆が起きてくる頃だという事に気がついた。朝食の準備をして、エフェメールの様子を見て、今日は暫くしていなかった掃除もしてもらわなければ。そんな事を考えながらメルベイユーは朝食作りを開始した。何をしながらでも、変わらず願っている事はただ1つ。オネットに早く帰ってきて欲しい、それだけだった。皆がちらほらと起きてきた頃、丁度朝食が完成した。今日はトーストにいろいろなアレンジを加えたものだ。ピザトースト、マヨネーズトースト、ジャムトースト、チョコレートトースト、チーズトースト…。いろいろな種類の美味しそうな香りが鼻をくすぐる。
「いただきます。」
誰からともなくぽそっと独り言のように言い、食事が始まる。どれもメルベイユーの力作なので美味しいはずだ。それでも、作った本人ですらよく味がわからず、喉につっかえてうまく飲み込めなかった。ルポゼが一番にエフェメールがいない事に気がついたのは、食事を終えて紅茶を飲んでいた時だった。
「あれ、エフェメールは…?」
きょろきょろと辺りを見回し、不思議そうに首をかしげる姿はこんな時でも愛らしかった。メルベイユーはこんなに早く話す事になるとは、と思いつつ、エフェメールについて話す事にした。
「実は、エフェメールは“宝石の民”なんだ。皆もあのおとぎ話は知ってるだろ?」
メルベイユーの突然の告白に小さく動揺が走った。“宝石の民”の童話は、この国では有名なものだ。しかしスピトゥピットだけはいつも通り平然としていた。スピトゥピットはメルベイユーと目が合うと、いつもよりは元気がないが、少し悪戯っぽく笑った。
「僕、五感と勘だけはいいから。」
つまりエフェメールに剣術を教えていたあの日、エフェメールとメルベイユーの会話は全部聞こえていたし、何故自分をエフェメールと一緒に行動させたのかも、全て承知の上だったということだ。
「でもこれは人に話してはいけない。“宝石の民”は高額で取引される。エフェメールもそういう輩に知られたら、売られてしまうだろう。」
この場にいる全員、何かしら秘密や、知られたくない過去を抱えている。皆が頷いて、口を開こうとする者は1人もいない。メルベイユーが安心したように笑うと、少し場の空気が緩んだ。それからは、少し会話も増えた。エフェメールの様子を順番に見に行ったり、自分担当の仕事を再開したりと、少しずつ余裕が戻ってきた。よかった、メルベイユーがそう感じたのは、エフェメールのことを話してから3日ほど経った日のことだった。皆にエフェメールを守らなきゃという思いが生まれたのかもしれない。それによって以前のようなどんよりとした重い空気が少し軽くなり、息を小さく吸えるようになった。そんなとき、クールが不意に玄関の扉をカリカリと爪で引っ搔き始めた。フレルが不思議そうにクールを覗き込むと、にゃーにゃーと鳴きながら、一生懸命に引っ掻き続ける。その時ガチャリと扉が開いて、クールは引っ掻くのをやめた。家の中に入ってきたのは、額に汗を浮かばせて、白いコートをばさりと脱ぎ捨てた、オネットだった。
「ただいま!」
久し振りに聞くその声は、とても心地よく、懐かしいものだった。オネットはにっこりと笑って、荒い息を整えた。その笑顔は、どんな明かりよりも眩しく、皆が求めていたものだった。オネットが帰ってきた途端空気が一変し、肩のこりとかそういうものが一気に取れた気がした。
「おかえり…!!」
皆の思いが一つになって放たれたその言葉は、今までに聞いたことがないくらい暖かい響きだった。久し振りに、皆の顔に笑顔が見られた。
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