【Break war】
第三話 【Break war】
探偵社Worstには、滅多に姿を見せない所長がいる。正確には特殊な症例により表立って姿を見せることが出来ないのである。
怜「……そういうことで、件の一件は無事解決したことをご報告に参りました。またお暇があれば資料を読んでおいてくださいな」
所長の住まう館の一室。薄暗い中で、怜とWorst所長の弐沙は話をしていた。
弐沙は顔に白い布を被っているので、表情などは読み取れない。
弐沙「いつもすまないな。私がこんな身体でなければ、お前一人に重荷を負わせることは無いのに」
少年のようなボーイソプラノの若々しい声が部屋に木霊した。
怜「いやいや、これでも楽しくやっているので心配に及びませんよ。それに、拾われた恩は返していかないとバチがあたりそうですし?」
怜は冗談めかして言ってはみるものの、相手の笑い声など一切聞こえなかった。
怜「たまには、ニコッと笑ってみてはどうですか? そんなんだから、気分までダウナーになってしまうのですよ」
怜は自分の口角を上げて、笑う仕草をしてみせたが、弐沙は微動だにしない。
弐沙「それが出来たら苦労しない。お前みたいに、転換の早い人間じゃないのでな」
怜「長いこと生きていると、そういう自分を守る知恵が生まれると思うんですけどねー。貴方にはそれがまるでない。まるで、子供のまんまだ」
怜の一言に、周りの空気がピンと張り詰めたような気がした。どうやら弐沙の癪に触れたようだ。
怜「あれ? 怒っちゃいました?」
弐沙「別に怒ってなどいない。こんな子供な私を元に戻すのがお前の仕事だっていうことを忘れてはないだろうな?」
怜「えぇ。覚えていますとも。それが俺の存在意義ですから?」
弐沙「それなら、いいのだが。頼んだぞ、怜」
怜「はいはい、貴方様の仰せのままに」
そう言って怜は、所長の部屋から退室した。
***
怜「ただいまー。って……ん?」
怜が事務所に戻ると、怜のデスク上にうつ伏せの状態で伸びている白い物体を発見した。
白衣姿で床に着きそうな程にボサボサの茶髪をだらーんと垂らしている。まるで毛虫みたいな物体に向けて怜が目を凝らしてみると、探偵社の薬物担当であるイリサ・ティッタだった。
怜「イリサ、俺のデスクで何しているのさ」
怜は容赦なくイリサをデスクから落した。どすんと凄い音を立ててイリサが落下する。
イリサ「あひゃひゃー。れう君じゃないですかー。ひっどいなー、気持ちよく寝ていたというのに起こすなんてー。ありゃ? れうくんがたくさんいるぞー。これは愉快愉快」
イリサが起き上がって怜を見ようとするが、イリサの目の焦点が合ってないのを怜が気づく。
怜「……また変な薬の飲み合わせでも試したのか? 完全にアウトな感じになっているけど、大丈夫か?」
イリサは探偵社の薬物担当であり、薬物中毒である。用法用量を守らないのを始め、酷いときには禁忌の飲み合わせにも挑戦する、決して真似してはいけない奴探偵社の中でナンバー1である。
イリサ「ちがうのらー。開発中の新薬を試させてあげるって言われたから、試しに行っただけにゃのだー。開発に貢献してあげるイリサ君はいい子だから、れうたんは喜んでイリサくんの実験台になるべきなのー」
怜「さりげなく本音を漏らすな。毎回言っているけど、俺と弐沙は実験台になる気は全く無いぞ」
怜が断ると、イリサは上目遣いで涙目になって怜を見つめる。
イリサ「だめなの?」
怜「男にそんな目で見られても嫌なだけだから、却下」
イリサ「チッ」
イリサは舌打ちをして、すくっと立ち上がり怜を睨む。
イリサ「絶対にお前らを実験台にしてやるからな」
怜「そんなくだらない野望なんて捨てて、仕事してくれないかな?」
両者睨みあい、火花が舞う。
イリサ「フン。私は私のやり方でやるのが美学なのだよ。命令されるだけの人形風情のお前に到底理解出来ないだろうがな」
怜「なんだと……」
両者一歩も譲らない状況を纏が目撃し、止めに入る。
纏「はいはい、ストーップ! いい大人が喧嘩しないで下さい」
イリサ「チッ。あーあ、気分が冷めたから、実験室へ篭もる。邪魔すんなよ?」
イリサはそう言って探偵所の最も奥にある、実験室へと向って歩き始める。
怜「誰も邪魔しないよ、バーカ」
纏「先生! 挑発しないでください」
纏はピシャリと怜を叱ると、怜はしゅんと肩を落とした。
怜「ご、ごめんなしゃい」
纏「分かればいいのです。さて、今日は一日暇そうですし、僕は趣味に没頭しますよー」
そう言って、纏は自分の机に意気揚々と座る。デスクは書類と資料、あと塔のように連なっているCDの山があった。
怜「助手よ。また随分CDの数が増えてきているような気がするのですが」
纏「僕のライフワークですから。じゃんじゃんCDの塔を建設しちゃいますよー」
纏は音楽中毒者で、音楽が無いと生きていけないような人間である。なので、資料整理やレポート作成をする時などは、音楽を延々と垂れ流して作業に没頭している。
怜「程々にしないと、塔が崩落するぞーって、もう自分の世界に入っちゃったみたいだ」
纏はヘッドファンを装着し、ノリノリで資料整理を始めていた。しばらくは何を言っても聞こえない。
怜「今日は誰も来そうにないし、俺は甘味三昧に舌鼓しようじゃないか」
怜は再び自分のデスクに戻り、引き出しに入れてあったマシュマロを取り出した。
怜「ん~!おいひい」
マシュマロを幸せそうに食べている怜に、芽衣が特攻してきた。
芽衣「れーいーさーん。向こうで一緒にゲームしない?」
芽衣の突如の登場にマシュマロをのどに詰まらせそうになり、咽る怜。
咽ながら怜が芽衣を見ると、彼女の手にはトランプが握られていた。
芽衣「いいでしょー? ババ抜きしようよババ抜き!」
芽衣が張り切る様子に少々悪寒を覚えた怜は、奥のフリースペースに眼をやる。
そこには、精根尽き果て、机の上でグッタリしている新三郎と空音の姿があった。どうやら、ボコボコに負かされたようだ。
怜「ホント、君って容赦ないよね。ゲームに関しては」
芽衣「なんのことかなぁー? 芽衣、難しいことわかんなーい。さっ、とっとと始めよう!」
怜の手首をガッシリと掴んで、芽衣は二人がくたばっているフリースペースまで連れてくる。
怜「まだ、俺、やるとも言ってないですけど?」
芽衣「細かいことはいいの。さぁ、怜さんも加わったしゲーム再開よ」
芽衣は元気よくトランプのカードを切り始める。
空音「そろそろギブアップという選択肢が欲しい」
新三郎「同意」
ボッコボコにされたダメージが未だに残っている二人からはギブアップの声が聞こえるが、芽衣はそんなことお構い無しにカードを配り始めた。
芽衣「怜さんが来たからには本気にならないとねー。手を抜いたら逆に失礼に当たっちゃうもん」
新三郎「今さっきまでのは本気じゃなかったのかよ!」
新三郎がツッコミを入れると、芽衣はカードを配りながら軽くウインクをしてみせる。新三郎は「いやいや、意味が分からないから」と困惑モード。
怜「一回だけだぞ。俺も忙しいんだ」
芽衣「忙しいって、お菓子食べていただけじゃん。その一回で私に勝てたらやめてあげてもいいわよ?」
芽衣がカードを配り終わり、各々配布されたカードを手に取った。ペアとなっているカードをポイポイと捨てていく。
大体捨て終わって、順番を決めるじゃんけんを行った結果、空音・怜・新三郎・芽衣という順番が決定した。
芽衣「さぁて、誰がジョーカーをもっているのかしら? 空音からスタートよ」
こうして、恐ろしいババ抜きの火蓋が切って落とされた。
空音「ところで、怜さん。養父さんを怒らしたって聞いたけど、本当?」
空音が芽衣のカードを取りつつ訊ねると、怜の身体が硬直する。
怜「うっ。まさか、弐沙本人から聞いたのか?」
空音「そう。あの人は結構繊細な人なんだから、発言には気をつけないと駄目」
空音はそう言って、ペアになったカードを捨てる。
空音はとある事情により、弐沙の養子として招き入れられ、一緒に暮らしている。よって、怜のやらかしたことは全て空音の耳に入ってくるのである。
怜「繊細……ねぇ」
怜は何処かを見たが、すぐに視線を空音の持っているトランプに集中した。
芽衣「所長ねぇ……、所長は滅多に顔を出さないから、顔を忘れそうだわー」
ワザとらしい声で芽衣が呟く。
新三郎「ならば、崇拝用に我が持ち歩いている、あの人の写真でも見せてやろうではないか。すぐに思い出すはすだ」
芽衣「謹んでお断りする。ってか、持ち歩いてるの? 引くわー」
そんな不毛な会話を繰り返しながら、ゲームは進んでいく。気づけば、怜と芽衣が残り数枚であがるというデッドヒート状態に突入していた。
芽衣「やっぱり、怜さんは強いわね。ぞくぞくしちゃう」
怜「それ、別に意味にも聞こえちゃうからやめてくれないかなぁ?」
二人が勝負で燃え上がっている中、間に挟まれている新三郎が悲鳴を上げた。
新三郎「間にいる我の気持ちにもなって! プレッシャーが凄いんだよ、ココ」
怜・芽衣「それは知ったこっちゃ無い」
怜と芽衣のそろったコンビネーションに、新三郎は最早倒れてしまいたい気分だった。それを見た空音は空中で十字を切る。
怜「それにしても、面白くなってきたぞ! 芽衣、絶対倒してみせるからな!」
芽衣「望むところよ、かかってきなさい!」
***
纏「んー。資料整理とレポートまとめおーわりっと。久々に山ほど整理出来たなぁー」
纏はそう言って背伸びをした。時計を見ると、軽く三時間はデスクワークに没頭していたらしい。
纏「やっぱり、音楽を聴いていると集中力は凄いなぁ。……って、あれ?」
纏は、そう言いつつ奥のフリースペースに目を遣ると、怜・芽衣・新三郎・空音が机に突っ伏して寝ている姿があった。
纏「あらら、先生までこんなところまで寝ちゃってる。もう風邪引いちゃいますよ」
纏は毛布を数枚持ってきて、四人にかけてあげる。
新三郎「もう……ババはこりごりだー……むにゃむにゃ」
纏「夢にまで出るババって……こりゃ、相当酷いものだったんだねー。では、皆おやすみなさいー」
そういって、纏はフリースペースの電気を消した。
纏「さぁて、何か新着の依頼が入ってないか確認しないとなぁー」
纏はそう言って、パソコンのメール画面を開くと、新規の依頼が一件入っていた。
その依頼がまさかあんなことになろうとは、今の纏には知る由も無かったのであった。