一番の高さ
文明が進んでも金が無ければそれなりだ。便利になった技術を享受できるのはそれなりの金を持つ者だけだ。
貧乏人にはそんなこと何も関係ない。いくら発展した、何々が便利になった、と聞こえてきても、俺達には変わらない毎日が待っているだけだ。
俺が暮らすのはそんな場所だった。路地裏に自然形成されたスラム――それが俺の家だった。
親を失い、生きる術はダンボールに丸まっているホームレスの老人から教えられた。廃棄品や貧民のための配給などの時間、場所、テクニック……そのおかげでこんなガキでも十五になるまで生きることが出来た。
こんな生活にも慣れてきたころ、俺はある建物を特別意識するようになった。
それはこの街の一番高い建物だった。地上の五角形がそのまままっすぐ天に向かって聳え立っている建物――後から知ったところによるとこの辺りの金持ちのための高級マンションだ。装飾はあまりなく別段目を引く仕掛けはない。普通ならよくあるビルとして景観の一部と化すところだろうが、その大きさ故に圧倒的な存在感を放っていた。
これはこの街のどこにいても見ることが出来る。それは逆を言えばこの街にいる限りあのビルの下からは逃れられないということだ。
気に入らなかった。それがそこの住人への怒りだったのか、ただの高いものへの嫉妬だったのかはわからない。もしかしたら、両方が絡み合ってできた感情だったのかもしれない。ただ、俺の中で大きな意味を持っていた。
このあれを見るたびに俺はある決意を固める。
(いつか……)
今はこんなどこの生まれとも知れない身分だが、将来絶対にあの場所を見下ろしてやる。金を手に入れ、力を持って。
あの場所よりさらに高い場所を手に入れる。そして今俺を、この街のすべてを見下ろしているあれを逆に見下ろしてやるのだ。俺の方が上なのだ、と。立場を逆転させてやった、と。
それが今の原動力だった。そのためにあれこれと試行中だ。
俺はいつも通りその建物を睨み付けると、今日をしのぐためにその場を離れた。
金持ちは高い場所を好む――それは元々卑しかった俺でも変わらないようだ。
高い場所を俺はどんどん求め続けた。そして最後にたどり着いたのは……。
そして俺は外に広がる暗闇を見つめた。
決死の努力と一掴みの運であのスラムから俺は這い上がった。故郷を離れ、金と権力を手に入れ、あのマンションよりよりさらに高い場所を手に入れ……そしてとうとう地球で一番高いビルを手に収めた。
そこの屋上から見下ろす。あのときの想像通り、その周辺全てが見渡せた。俺の視線と並ぶもの、それより高いものは何もなかった。
しかし、数十年前、見上げていたいたマンションは見えない。その時とは場所が違いすぎたのだ。国を超え、海を隔てたこの場所では、いくら高くても到底見えるものではない。
この地で最も高い場所を手に入れてなお、あの頃の悲願は、俺をここまで昇りつめさせた原動力は叶わないのだ。
ならば、と俺が次に目を付けたのは……上だった。空、いや足りない。宇宙からなら全てを見渡せるはずだ。
小さな宇宙ステーションを作らせ、そこに住むことに決めた。そしてあの光景を、あの高く聳え立っていたマンションを見下ろす光景を望んだ。
宇宙ステーションが完成し、打ち上げ。そして数日後、移住を終えた俺は荷物もそのままに、その一室に飛び込みんだ。カーテンがかけてられた窓にずんずんと近づく。
「やっとだ……」
カーテンに手をかける。長年の憧れであり、妬みであったあのマンション。それを今、見下ろすのだ。かつてあの街が、俺が見下ろされたように。
勢いよくカーテンを開ける。しかし、そこで待っていたのは望んだものではなかった。 ただ、よく写真に使われている丸くて青い地球が待っていただけだ。
どこを探しても望んだ景色は見当たらない。慌てて部屋を飛び出し、別の部屋から見る。しかし、忌々しいほどに青い地球が映るだけだ。
ここまでやってもあの頃、ドブネズミと大差ない生活を送っていたあの頃の願いを成就することはできないのだ。
俺の人生では決してあのマンションを超えることはできないのだ。
そう悟った瞬間、俺はあのスラムにいる気分になった。あの狭く暗い路地裏に。機械的な新居にも関わらず、アスファルトにゴミと人間の汗の匂いがごった混ぜになったような何とも言えない匂いが漂っている気がした。
結局俺はどうなろうと同じなのだ。超えることはできない。どれだけ場所を変えてもあのスラムと同義なのだ。
窓からもう一度外を見た。しかし、そこには変わらず宇宙の闇しか見えなかった