となりの勇者 事例その2
「君は他の大勢とは違う。選ばれた人間なんだ」
あの日、十七歳の僕を迎えに来たセンターの人は言った。
センターの人の話では、やがて地球に飛来する隕石は、僕達が存在するこの次元とは別の次元に生きる生命、『魔物』としか表現できないようなものを連れてくるという。そして、そいつらが持つ能力に匹敵する力を持つ人間がこの世にただ一人いる。
それこそが僕なのだ、と。
僕は彼らがやって来て、その話をしてくれた日のことを今でも鮮明に覚えている。僕の身体は震えていた。それは、恐怖のためではなく、感動からくるものだったんだ。
すまないね。君には解し難い話かもしれない。でも、無理もない。これは一部の人しか知らないことだし、何より君は普通の人間だ。僕達は感動も苦悩も、きっと共有できないだろう。
ああ、力のこと?その力というのは、魔物と相対して初めて発動するらしい。化学反応みたいなものだ。だから、今日の今日まで僕は異質でありながらも平々凡々と生きてこられたのさ。
ところで、僕には二つ下の弟が一人いる。あまり勉強も運動も得意ではない僕と違って、何でもできる弟だ。
弟はテストの後や、運動会の帰り道なんかに、よく、「僕なんてたいしたことないよ。兄さんにしか出来ないことがあると思う」と言っていたな。謙遜?全く違う。そうしているように聞こえるが、僕だけは騙されなかったさ。あえてそう言ってみせることで優越感を感じていたんだ。それから、周りの大人達や友人の感心を得ようとしていた。とんだ小物だろう?僕は全部知っていたよ。
だが、その言葉がまさか、まさか本当になろうとは思いもしなかっただろうな!弟はすごいと手を叩いて喜ぶそぶりを見せたが、内心悔しくて堪らなかったのだろう。でも、僕はアレよりもずっと大人だ。厭味の一つも言わずに、にっこりと微笑んでやったさ。
今まで暇潰しで付き合っていた冴えない連中とも縁を切った。あんなのと一緒にいたら僕のグレードが下がるし、僕だって忙しくなって相手が出来なくなるに決まってたし。それに、もともと僕は一人でいた方が気楽で好きだったから、調度良かったのかもしれないな。
さて、当初の予定では一年後---つまり、僕が十八歳の時に敵は訪れるはずだったのだけれど、センターもいろいろと頑張ったようだ。あれこれと手を打って、隕石が落ちる日をずらしているらしい。おかげでこちらの準備期間が延びた。
え?実際に落ちるのはいつかって?さあ、それは僕にも分からないな。もっとも、僕はいつ来たって構わないのだけどね。負けるつもりはないから。
………僕に電話だ。ちょっと失礼。……………ああ、悪いね。今日のお喋りはここまでだ。そう。センターからさ。まったく、自由なんてあったものじゃないよ。でも、仕方ないことだ。地球を、みんなを守るためなのだから。じゃあ………、また会えたら、ね。
***
小走りで去っていった彼を見送った女性は溜息を漏らしつつ、トングとトレイを片付け始めた。
「あいつ、帰ったの?」
ひょっこりと店の奥から顔を出した同僚に、女性は眉をひそめた。
「仮にもお客様よ。あいつ呼ばわりは感心しないわね」
「あいつは“あいつ”で上等よ」
女性の傍まで歩き、彼女はレジの台を、ぱん、と軽く叩いた。
「いっつもいっつもバイトのレジ打ち捕まえては面白くもない長話してさ。そのくせ、買っていくのは食パン半斤」
ふん、と鼻を鳴らす同僚に、女性は、返す言葉もない、と首を振った。
「その通りよね。仕事中だからって断ったら逆上するし………」
「でしょう?出禁にでもできればいいのに」
女性は、彼女には過剰な表現を用いすぎるとも感じるが、そうしてくれれば確かにどんなに楽かとも思った。
「しかも……、えーっと、地球防衛センターだっけ?ありもしない、意味不明なことばっかり言ってさ」
「宇宙人の侵略から地球を守るんでしょう?」
「そうらしいわね。さっきの電話だって、どうせ自分で仕掛けたアラームよ」
そうだろう、と女性は頷いた。
「あの人、十八歳で戦うはずだったって言いながら、見た目では三十手前みたいだし」
もう何度も聞かされた話だ。本人でなくとも暗誦できそうだと思える程に、である。
同僚の女性もまた同じだった。彼女は彼がこのパン屋に来る頃になると、何かと用事を作って奥に引っ込んでしまう。その割りを食うのはこの女性であった。
「でも、確かに、十三、四年くらい前に隕石が墜落するとかいう騒ぎがあったわね」
「ええ、ニュースで大々的に………。でも、軌道が変わって、結局落ちて来なかったのよ」
その事件は誰でも記憶のどこかにはあるものだった。世間を騒がせ、今更ノストラダムスを持ち出してくる人間まで現れた。ついに実現されることはなかったが。
「ねえ」
「何?」
同僚の女性は、噂話を広げる女の子のように、悪戯っぽく切り出した。
「本当だと思う?あいつの言ってること」
「………まさか、信じてるの?」
女性の言葉に、彼女は何かを言おうと口を開いたが、そこから漏れたのは笑い声だった。
「やっぱ無理!超ウケる!!信じるわけないでしょ?」
「だと思ったわよ」
いつもふざけてばかりね、と呆れる女性を尻目に、ひとしきり笑った彼女は、笑いすぎて涙が滲んだ目を擦りながら言った。
「でも、もし本当だったらすごいな、とは思う。本当だったら、ね」
本当だったら。そこを強調する彼女には、そうね、と相槌を打ったが、女性は少し考えた。
事の真偽は彼のみぞ知ることだ。全ては彼の妄想の産物であるかもしれない。だが、自分達がその世界と関わりがないだけで、本当にどこかで戦いが始まっている可能性もないとは言い切れない。
しかし、彼にとっては、虚実の違いなどもはやどうでもいいことなのかもしれない。それに、もし嘘だったとしても、もう彼には分からないのだろう。
いつも同じトレーナーにジャージ、サンダルという姿で店を訪れ、苦労話とも自慢ともつかない話を店員である自分に延々と話しては帰っていく男性を、女性は少し哀れに思った。
しかし、それもごく僅少なものだ。
彼がどうしたところで、彼と女性は他人である。彼女にとって彼は、やはりただの迷惑な客でしかなかった。
からんころん、と店のベルが鳴った。小さな娘を連れた女性が入って来た。
「いらっしゃいませ!」
条件反射のように笑顔で出迎えた彼女の頭には、既に男のことなど微塵もなかった。