第一部 第二章
『Ma per fortuna è una notte di luna, e qui la luna l’abbiamo vicina』
今回は日中のことである
書き手: 増田八枝祢
(二)
昨晩入った画材屋の店主が、くだらない世間話に盛っているようです。
「また、盗みに入られた。まるで、獣か何かにやられたみたいだ」
「しかし、画材を盗る動物なんていないよなァ。俺の店は、獣が好みそうな肉を置いてるが、盗みなんて一回もねえや。少なくとも獣の仕業じゃねえな」
「……人間か。まあ、嗜好品を盗るなんて所業、人間をのぞいては、居ないな」
「やっぱり、隣町と同じように、頑丈なシャッターを使わないといけない。しかし、これ以上は、むしろ損しちまうだろうな。まったく、態々こんな田舎の店を狙わなくとも、隣町でやってくれればいいのにさ…」
「しかも、ここん所じゃ、警察なんかも、あんまり頼りにならないからなあ。この僻地にも、絵描きさんで著名な方々が居られたんだけれど、殆ど亡くなられてから、ここも落ち目だなあ。よその人からだけじゃあ、立て直せないし、治安も駄目になってきた」
「むしろ、よその人が来るからじゃないのかい?」
「そんなことは、ないだろうけどさ。アンタの店は食い物で、生肉だから、大した恩恵はないだろうがよ。こっちはそこそこ助かってんだ。まあ、いずれにしても、犯人をとっちめたいよ。それにしても、息子たちも馬鹿なことばかりやっているから、ここんところはため息ばかりだ」
「……凋落していって、俺たちには何が残るんだか。でも、よっぽど俺たちは良心的じゃないか?」
「……アンタは盗まれてねえから、そんな呑気なこと言えるんだよ」
「いやさ、それを言われると弱っちまうが、俺だって、いつ狙われるか知ったもんじゃねえよ。画材より食い物の方がひもじい時はァ、危ねえんだし……そんな中でも、やっぱり、街行く奴らの顔は呑気だし、俺たちも結局店を開きっぱなしだろう?……俺は、こういう良習はぶっ壊されちゃ危ないと思うだがなァ。お前さんところの、探偵かなんかだったか?頼んじまえばいいんじゃねえか?」
「そんなことアイツらに出来るわけねえよ。だいたい…」
(奥から店主の妻の声が届く)
「あなた!油売ってないで、早く警察の方を連れてきてちょうだい!荒らされた片付けも終わってないんだから!」
「…あ、ああァ、すまねえ。じゃあ、またな」
「おうよ、まあ、また幾らか融通してやるよ」
私は、煙草を喫みながら、この脳の悪い会話を聞き流していました。やはり、この街の人々は知能が高くない。だが、残念なことに、文明人どもはこの評価を悪いものとして受け取る嫌いがあるが、それは悪しき思考習慣でしょう。知能は往々にして生き残る道具に化けますが、知恵者は飢えると、知恵をもって自身を慰めて、信念という薄っぺらい言質を翻して、刷新や再建の名の下に、文明を続けようとします。文明人は、ただ楽をしているだけでありまして、彼らが幾ら寛濶にみえても、内実は打算の効かない脳の悪い者達より、遥かに小心者であることが多いのです。だから、合理的な判断を下せないものを嗤う者たちは、単に出来の良い風見鶏が関の山でしょう。
それにしても、私の悩みは外を歩くと確かに矮小化されるわけですが、一度でもお嬢さんの露出というものを想像すると、身震いを覚えるのです。お嬢さんへの愛は、欠如の形を取りませんが、肯定的な欲望を独占している状態は、ずいぶんと稀有なことだったのかもしれません。ですが、私はこの生活が徹底的に内向きであることを知っています。独我論に傾いていると告発されてもその点では驚きません。ですが、誰が気にしましょうか、我々の生活を。そして、なぜ私は勘繰るのでしょうか、そのような闖入者の来訪の予兆を。私は他を排斥する為に種々の方策を講じてきたのです。居住地に敢えてこの町外れを選び、館を重苦しくさせ、住めるのは私、お嬢さん、料理人の女、これだけに絞り、存在を許した因果は数える程であります。自由を突き詰めることは全く美に適うことではないのです。私においては、美しいしがらみこそが快事なのであります。是非も知らずに転び入る客人は空想の生き物であります。そして、私は単に知られることを恐れているのではありません。お嬢さんが私の手中から逃げ去るなど、先の展望に際しては極めて楽天的で、恐怖は毫もありません。彼女に世を渡る術など備わっている筈がないのですから。又、お嬢さんの美が本物であるか否かとか、私の使用する修辞は確かに言麗しいか否かとかの、真偽の問題にも、美学の問題にも、とんと眼中に無いのです。正確を期すれば、それらは揺蚊の蚊柱より不快を明瞭に呈しますが、本質ではないのです。ただ、本質など最も役立たない転落した汚穢に他なりませんが。
「ねえ」
…私の内にはない、新鮮な声が聞こえた気がします。散歩にはぴったりの、川沿いの河畔林を目指していたのですが…
「ねえってば、おっちゃん、聞いてる?」
…どうやら、幻聴が聞こえるようです。しかし、幻聴をそれと認識していることは、私の耳はこの双眸と同様に明晰さを保っているのです。
「おォい、どこ見てんのさ。聾なの?目は開いてるのに…」
…おお、とうとう幻が、その姿をはっきり伴って、現れました。しかし、私にはそれが現のものではないことがわかります。この矮小な、肌の浅黒い餓鬼は、可愛らしい呆れ顔を向けています。狆くしゃとした面立ちです。
「目は見えてるんだな。早く、返事してよ、おい」
せっかくなら、この幻視を楽しむとしましょう。
「どうしたんだ。親は」
「やっと口利いたと思ったら説教?勘弁してよ」
なんと不遜な餓鬼でしょう。その二つの目玉の代わりに溢れるほどの真珠を敷き詰めてしまえば、多少見やすくなるのですが。
「朝方から大人に絡むなんて元気な子だ」
「朝って、もう昼前じゃないのかしら。もしかすると、その格好からして浮浪者だったりするかな」
「そういうことだから、君は早く親御さんのところに行ったほうがいい。浮浪者の中には人間を装う化け物がいるかもしれないから」
「化け物って、こんなに痩せ細ってるのに?」
「敢えてしているんだ。汚らしい身なりだと、文化を享受する大人達には疎まれて丁度いい。要人の護衛と保護には適っている。時折り向こう見ずな子供は好奇心だけで近づいてくるが、子供の若い血肉は、美味いから歓迎している。成長するはずの生命を掠め取るから、満足感もひとしおさ」
「変なおじさんだなあ。そんな馬鹿みたいな嘘で子供を騙せると思ってるの?」
「別に信じて貰わなくて結構…」
「はいはい、もうその話はいいからさ。こっちの道行くってことは、アヴェン川を散歩するんでしょ?着いてくよ」
無体なことを言う餓鬼であります。しかしこの類は放置をすればよろしいのです。
「君は、猪豚だ。この渾名が相応しい。君の名乗りなど聞かん。甚だ傲慢だ。君には贅沢すぎる」
「僕はマエルだよ。立派な名前があるんだから、いのぶたって奴じゃないよ」
私は、林の中に入り、苔むした道々を進み、川沿いを歩いていました。少年の抗議を黙殺しつつ、川べりの小道に入ると、まず緑の天蓋が現れました。ブナとカシが伸びやかに枝を広げ、梢越しの光が水面に斑点のように落ちて、また遊歩道にも葉影の絨毯が敷かれておりました。時折、道沿いの花崗岩の丸い巨礫に水が当たり、茶色がかった川面にゆらめく反射が走るのを目の当たりにしました。ここは、巨礫の間を抜ける川と、老樹と思しき並木がこの場所の風景をつくっているようです。
林床は涼やかで、苔やシダなどが占めております。私の気質からして、こういう日陰の方が心をしずめさせてくれます。ただ、川だというのに、どこか潮のかおりがするので、面妖に感じるのです。
しかし、この土地に若干潮のかおりが届こうとも、私の生活には海がないのです。これは即ち、海が不在なのです。ただ薄っぺらい情報としてのみ海を知っているだけなのです。ここから南の方にあるのは確かですが、私の生活には毫も関係しないし、そこに関心もありません。私に可能なのは単に海を想像することだけ、イマージュの領域にのみ、私の海は存在しているのです。しかし、想像を弄ぶのは執事の職務ではありません。たとえ、津波がこの館に悍しく押し寄せたとしても、既に海を知る頃には、私は滅んでおりますし、お嬢さんも言うまでもありません。共に死滅すれば、何も知られることはないのです。
主観の美が動揺するのは常に、邪な思案に沈む時のみです。考えを巡らすと、人は必ず回答を得ようとしますが、主観の美の問題に対しては、往々にして、「実践」だとか「行動」だとかの、他と必要とし、また進んで接触しに行こうとするかたちの解が典型であり、また広く一般的なのです。しかし、主観の及ばない領域での解決など、問題の焦点をずらして姑息な慰撫に耽っているに過ぎないのです。私が占領している美とは、漏れなく月夜の世界に小さく座り込んでいるのです。彼女たちは冷たい夜の底で、何の伴奏もなく、㷀然と踊り続ける氷のバレリーナなのであります。どうして、醜悪な他人という太陽などと、手を取り合って和やかに接することができましょうか。凡ゆる方策を講じても、ついに思案に落ちることはありません。
友情などは、あまりに酷い醜貌をしていて、近づくだけで青ざめてしまいます。確かに友達が成立した瞬間は、誰であれ官能の喜びを覚えるでしょうが、その裏に隠蔽された矛盾に目を遣ると、総毛立つような心地さえするのであります。それはつまり、惸独の約束を裏切ったからなのです。孤愁こそが、至高であるはずなのに、友情という欺瞞の歓待に惑わされて、蹌踉めいて、鞍替えし、挙げ句の果てには手前勝手に友情と孤独の境界線の上で、体躯を堂々と横たえているのです。野放図に孤独と友情の価値を、都合に合わせて自在に、何の後ろめたさもなく行き来しているのです。私は、友情を嫉悪しているのです。
また私は、二元論的思考を哀れむ人間の眼差しを徹底的に侮辱しています。彼らが知的に二元論を捨てて脱出できる裾野は高々、飽くまでの引用及び言葉遊びと、絶えず運動して読み取られない晦渋さのみであります。解体屋たちの言葉は、これもまた私に届くことは決して、ないのです。
気がつくと、少年は大人しくベンチに座っていました。私が長いこと苔むした岩肌を眺めていたからでしょうか。すでに抗議する気概も失せて、私の真似をしたように、小川のせせらぎを神妙に聴いておりました。
足元から観察すると、ワラビやオシダの類いのシダが群れており、視界を上らせていきますと、岩や切り株は苔に覆われて柔らかい縁取りをしているのがわかります。私もベンチに座り、安静なる自然に深く囲まれました。
たまに風が抜けると、ブナの葉が紙片のようにカサッと鳴り、カシの濃い緑は重く揺れ、そよと私の耳に触れました。道はしばらく川に寄り添い、静かな瀬音が続き、私の腸が静かに蠕動したような気がします。息をひとつ、深く吸い込むと、しっとりと湿り気のある空気が、樹々のかおりと共に鼻腔に充ちてゆきました。
「ねえ、おじさん。こういう時にさ、子供を感心させるような話をしてよ」
少年は先程までの生意気な調子ではなく、純粋に教えを乞うように尋ねてきました。
「感心させる……なぜ」
「僕は知ってるんだよ。東洋人は空想ばかりしているって。
おじさんの細い目、東洋人みたいだ。それに、お父さんが好きな作家の本に書いてあったよ。東洋人の目が細いのは、内面で空想とか存在しないものをこれでもかってくらい考えているからって。西洋人は僕みたいな大きな瞳を、カッと見開いて現実を見るけど、東洋人は妄想とか想像とか、お話の中に逃げ込んでばっかりなんでしょ?
でも、僕はあんまりお話を知らないからさ。知りたいんだよ」
私は、彼のいった「東洋」という語彙に引っかかりました。私が思うには、もっとも広く侵攻される物語を書いたのは東洋人ではなく西洋人ではないのか……いや、重要なのは、そういう細々とした論点での、詮無い反論ではありません。そんなものは所詮、相対の中に溶け消えてしまうのです。私の違和の根は、確実にそこではないのです。
「東洋」というその語は、私にとって起源であり、何か盲点であったような気がします。単なる東方趣味とは少しも連関しません。……すると、私の口から、自ずから音が洩れ出づるのでした。
「…一つ、ここの紫陽花を見るたびに思う。我が身の上がどうしてこうなのかという、かすかな疑念だ。アジサイが身に着けた花を夏に見ても、葉のみになった体を秋に見ても、かつての記憶の周縁にある紫陽花とは終ぞ重ならない。私は、梅雨に濡れたアジサイしか触れぬ。醇深な紫陽花などどこにも見当たらない。今年も同じように、アジサイが群れ、青から退色して渋い赤紫へ移ろいはじめた房がやがて萎れてゆくだろう。しかし、真に渇き切り枯れ切っているのは、私の内奥の砂漠である。その不毛の荒地には、いかなる草木とて生きながらうこと能わず。恐らく仙人掌までもが末枯れるだろう。だが、紫陽花は決して到来せず、また咲かない。残酷なことに、神か自然か、あるいはそれが纏う崇高は、私に一掬の水を注ぐことすら罷り赦さなかったのだ。
だが、肉体には徴憑と思しきものがある。私にはどういう訳か、細い目があり、小さな鼻がわずかに脹れて、胴長短足のままである。加えて、これは母国語(佛蘭西)だという言うのに、方言ではない奇妙な訛りがある。そうなると、ますます東洋の人間であるように思える。それに、私の観念の中にある紫陽花は、一切が西洋的でない寺院の境内にて、その花盛りを迎えていた。少なくともそのように記憶しているのだ。その紫陽花の向こうには、遠く海があり、ごみごみと街が並びて、山までも望める。私の内面にだけ存在する、その見事な景勝地は、その一場面のみを切り取っており、他には何の映像もない。ただ、東洋の何処かである。
そうなると、私は中国の人間か。いやどこか違う。東洋人の間にある差異に、私は敏感だ。そこには截然たる差がある。そのため極めて感覚的に、中国でもインドでもないと分かる。つまるところ、極東であろうか。その蓋然性は高い。ただし、温暖な土地だ。この執拗な推論を俯瞰するに、私は恐らく日本へ強く執心しているのだろう。だが、日本国の事柄を何か伝え聞いても、私の精神は何も感じることがない。唯、紫陽花がどこにも居ないことを観ずるばかりだ。
だが、そうはいっても、日本という音素、語彙には、一つの夢物語を覚知させられている。だからといって、日本を訪れたいと望んだことは一度もない。つまり、当然ながら、日本国と一枚岩ではないし、観念が疑いないかどうかも、直観を除けばわからない。
蓋し、私の太陽への厭悪は、同極の磁石が相反するのと似ていて、同じ根にあることの拒絶だったのかもしれない。だが、そのように単なる同族嫌悪だと思い做しても、黄金の国は余りにも美しく觀照してしまうため、徒労千万である。ただし、中つ国は幾ら思索したとしても、観念の中にあり、それは紫陽花と同じなのだ。
ここに明らかな倒錯があるのだ。つまり今の私には、日本国の紀行文を読み耽って、可能性という語彙のもとに、戯れることはできても、実際に旅行して、日本の陽射しを体に受けることは耐えられないのだ。けれど、私の肉体は、端的に私が異邦人であると徴証している……」
不思議なことに、私は一度も吃らずに話し終えました。しかし、下手な役者が台詞の本意掴まずとも、役を演じることができるのと同様に、口から出た言葉が、瞬時に意味も残さずに蒸発していくのです。私はすっかり、何を話したのかを忘れ切ってしまいました。
「おじさんの話は、長くて、間延びしてて、何が言いたいのか、さっぱりだよ。どういうことなのかな。日本に行きたいってことなの?」
悉く忘失していた私は困り果て、答えに窮するのでした。
「え?」
少年は面食らったような顔をして、大きな瞳を一際開けて見つめてきました。
「もう森林浴は結構だな」
そういうと、私は居心地が悪くなって立ち上がり、この林道を後にします。
「ちょっと、結局あの話は何だったの…」
私はしばらく、言葉が霧散した状態で歩いていました。
「ねえ、礼拝堂の方には行かないの?」
「ああ、船着場の方に行く」
道はしばらく川に寄り添い、静かな瀬音が続きます。私と少年も川に沿ってゆきます。
「やっぱり、おじさんは変な人だったね。僕の勘は正しかったよ」
「さあ、どうだろう。変な人は危ないからな」
「太陽が出てるんだから、おじさんは全然元気じゃないんでしょ?僕は日に焼けたってへっちゃらだけど、おじさんは陽を浴びるのが怖いんだ。さっき言ってたじゃない。だから、危なくないよ」
「そうかい。じゃあ、日が暮れて、月が出たら?」
「僕には門限があるからね。その前にうちに帰ってるし、何も怖くないよ」
「それで、俺は何か変なことを話していたそうだが、何を話していた?」
「……ううん、なんだろう。何かの花が本当は嘘で、それでどうだとか、神様は水をくれなかったとか、絵本みたいなことを言ってたのに、バラバラでよく分からなかったよ」
「それだけか。内容は、それで全部か」
「…他にも変なこと言ってたけど、わからない気がする……」
「なら、それでいい。そもそも、大したことを言ってないからな。すぐに忘れるさ」
「……うん…」
森の小径を抜けると、河の水音が一定の拍でついてきました。その残響は未だ頭の中にこびりついており、歩みの速さとは対照に、思考は遅々たるものでありました。足を前に出し続けて、次第に観念の淀みが解けてゆきました。そうして観念に付随した体験が、ゆっくりと言葉を洗練し、もう一度反芻されるのです。
町の中心からすぐの河畔林は、ブナやカシの梢が重なって光をこま切れにし、川面へ斑の反射を投げておりました。あの様は、私の心にもある一種の静謐をもたらしてくれました。そして、執念深い晩夏の湿りを含んだ空気が、苔とシダの匂いをわずかに立ち上らせ、岩の間を縫う水は透明で、底石の茶や灰が確かに見て取れました。久しぶりの散歩はなかなか良いものでして、予告状に関する案じ事も、程よく忘れられて、回復したような心地がするのでした。
しかし、ベンチに座ってからが、あまり定かではありません。少なくとも、少年に対して私は何かを語ったそうなのですが、それが不明瞭なままなのです。少年自身も、私の語りの中身をうまく咀嚼できておらず、どうにも合点がいきません。ただ、彼の言葉の端々、および身振りから推しはかると、どうやら私は何か人生に対する不満を愚痴り、又しきりに花が偽物だと嘆いていたそうです。
恐らく、私の観念は、少年の幾許かの言葉を契機に、動揺したのでしょう。そして、日頃の思索の数々が一斉に放出された。それは生理的な問題で意志による統御は効きません。ですが、幸いなことに、それらの弁舌は狂瀾怒濤の激烈さを伴いながら、大して意味がないことを、長々と捲し立てただけだったのです。それゆえに、少年は意味をほとんど掴むことができなかった。そもそも、私の意識の内にない、極めて無内容で空っぽな発話だったのですから。
しかし、もし少年にお嬢さんのことを話していたらと思うと、ぞっとします。やはり、他人とは全く制御できぬものであって、内観の過程において、最も邪魔で姦しいものです。たとえ私が、一切の意図なく「お嬢さん」と発したとしても、この少年がどのような了解や解釈を示し、又広めるかは絶対的に不明で関知できないのです。すると、「お嬢さん」は所与のものではなくなり、私のあずかり知らぬ間に、変形され歪められてしまうのです。そうして、正統は消え失せる。
私があらゆる宗教を信仰し得ないのは、いかに偉大な感銘を受けたとしても、それが純粋な正統として存在し得ないからなのです。つまり、ある宗教を信じることは、既に他に信者がいることを意味します。教祖もまた信者でありますから。だからこそ、いけないのです。自分以外に信者がいるというのは、矛盾なのです。何もかもが瓦解するほどの撞着なのです。こうなると、二進も三進も行きやしません。他人という暴力的な思考の持ち主が、私と名目上同じ「最高善」や「絶対」や「神」を崇め奉るのですから、ここで正統が観念の中で、複数化してしまうのです。
この困難を回避するためには、自分が開祖になり、信者を設けないことです。そして、真理の持続のために、一人だけ、教典も知らせず、同意も得ずに、供犠として囲い込むのです。
しかし、無知の少年を相手に、ここまで油断をしてしまうとは、私にはまだまだ慎みが足りないのでしょう。
「船着場に何しに行くの?」
「いや、特に何もしない。ただ船を何艘か眺めるだけだ」
「それ面白いの?僕は、おじさんに着いていって、変なことを吹き込まれた以外には、あんまり楽しいことがないんだけど」
「嫌なら、家に帰って母や父と遊べばいいじゃないか」
「…まあ、家は詰まらないからなぁ」
「なんだ、何か問題でもあるのか?」
「…おじさん、訊いてきてばかりでずるいよ。僕の質問には何にも答えてくれないのにさ」
「答えたくないなら構わない」
「僕がついてこなくても構わない?」
「ああ、寧ろ助かる。人と歩くのは好みではない」
「まったく、おじさんは、子供と接したことがないの?冷たくしちゃってさ。口下手だし、ほっそい目で、鼻は潰れてるしさ。性格も酷いね」
「だから、退屈な家の方が気分が落ち着くんだろう?」
「いいや、おじさんを不愉快にしたいからついて行くよ。おじさんだって、僕がいる方がピリピリするんじゃない?」
「…そうか」
「普通、子供の前では見栄張ってくれて、人生の事なんか語ってくれるのに、おじさんは口開いても、あんなんだしなあ」
一つ安心したことに、少年は私の語りの半分も理解できていなさそうでした。また私も自身の素性を、一切口走っておらず、暴露したことといえば、高々、花に対する平素から持っている審美学程度でしょう。その他のほとんどは修辞を縦横させた譫言に近しいもので、私の懸念は杞憂に過ぎませんでした。
森を後にして、舗装に変わると路地名が「愛の森通り」になりました。左手に川を感じながら下りますと、やがて遊歩道に合流します。歩道は柵付きの木製デッキや可愛らしい小さな橋でつながり、両岸を渡り返しながら町の背面を静かに貫いておりました。道端には古い洗い場らしきものが石段になって川へ降り、かつての水車や取水口の跡を示す水門や越流堰がところどころに残っていました。花に飾られた欄干越しに、家並みの石壁と流れが同じ律動で続き、散策路の一角には詩人を記念する銘板もあるようです。私は、ほとんど、木葉を茫と眺めて、迷わずに歩いておりました。針葉と広葉の違いにすら、気に留めず、流すように足を運びます。
川はときどき花崗岩の丸い巨礫にぶつかって白く泡立ち、流れの向きがわずかに変わっておりました。町は「十四の水車、十五の家」と言い習わされたほど水力の恵みで栄え、今も水車場の位置を示す銘板や記憶が点々と残ってはいるのですが、私にはとりたてて興味がありませんでした。渇いた石垣の目地からは、アイビーが緑を伸ばしつつも、草臥れた様子でした。軒先のアジサイは青からくすんだ紫への退色期で、幾つかの花弁はもう散っており、寧ろまだ咲いているのかとさえ思われるほどでした。流れに身を乗り出す家屋の下を、川はカランと音を立てて通り抜けてゆきます。葉叢の揺らめくのも聞き流して、私は、一つの観念の円を思い描いていました。それは、あの予告状についての思索であります。
……『常闇に揺蕩う月』とは、何でしょうか。こそ泥の節穴では、お嬢さんと月を混同してしまうのか。それほど脳が弱いのか……。
いや、ならばなぜ月、即ちお嬢さんを狙うのか。私にはやはり、皆目見当がつきません。
さて、月とお嬢さんを混同するがために、導かれてしまう認識の過ちはなんでしょうか。おそらく、月がお嬢さんを支配している事実は、私の考えを一切補助しないどころか、的外れでしょう。予告状の主人はまず、お嬢さんの健康の周期を知り得ないのですから。むしろ、月とお嬢さんが、彼らの中でどういう文脈に置かれているのか、に一瞥する方が結論を導き出せるでしょう。
すると、月は皆に知られ見られているのです。よく晴れた宵に月を鑑賞してしまう経験は万人にあり得る事です。少なくとも、月の光が瞳に差し込んだことを知らないと言って、自分自身までも騙せる人はそうそういません。では、瞽の場合はどうなるのか。生得の者ならば、月の光を知覚することはできません。しかし、〈月〉という語彙、その音韻、周りの者の扱いは知ることができ、想像ができるのです。ですが、瞽は、当然私が瞽ではないのですから、お嬢さんを知り得ません。なので、想像が膨らむこともないのです。もし、その人が絶対的な絶世の美女の容姿を空想したとしても問題はありません。その観念はお嬢さんに類似した言葉で縁取られていくのでしょうが、お嬢さんそのものに辿り着くことは決してないのです。このお嬢さんとは、何の連関もない、孤独な夢想に過ぎません。しかし、お嬢さんの声が録音されて、その人の耳に入って了えば、事態は変わるでしょう。そうなると、お嬢さんは、肉感的な美に満ちた存在として、知られてしまう……。
ただ、この予告を出した者が、単なる悪戯で、お嬢さんのことなど知らずに宣った、いわゆる出まかせである場合も、捨てきれないのです。もし、悪意があるのならば、その被害は甚大になるのでしょうが、未だ合点が行きません。
遊歩道の終盤、足もとに川砂が混じり始めました。潮が差す時間帯なら、水はゆっくりと逆流の気配を見せ、淡水の匂いにほのかな塩気が重なるのですが、だんだんとそれがわかってきました。といっても、汽水にはまだ遠いのですが。
耳を澄ますと、遠くでマストの金具が小さく触れ合う音を感ずるような気がします。少なくとも、港が近いことを、予感として教えているのでしょう。小さな橋を一つ渡り、視界が開けると、左手にテオドール=ボトレル河岸通りとポン=タヴァン港の係留場が現れました。
港は大河の河口のような喧噪ではありませんでした。満ち潮には小型艇が鏡のような川面に揺れ、引き潮には船体がやや傾いて泥の皿に安らぐ──ここは干満で干上がる小さなマリーナで、潮汐により一日の表情を決めております。今は、その水嵩は程よく満ちて、川面には陽差しの光沢が塗され、蒼く静かに揺らめいておりました。岸壁の石は貝殻と藻で鈍く光り、クレープ屋の甘い匂いが風に混じることさえありました。舷側をこつんと押す波と、対岸の木立の陰影の向こうで、町の時間はゆっくりと回っているようでした。
振り返れば、さっきまで歩いてきた川筋は、幾つかの巨礫を刻みながら森のほうへ遡っております。画家たちが好んだ構図は、あれらのことなのでしょう。それは港からでもなお読み取れました。
道中、人通りが少なくなかったことも思い出されました。見る限り、観光客らはまちまちの服装をして、この田舎をそこそこに堪能しているようでした。彼らは普通都市圏に翕然としているだろうと、素朴な偏見がありましたが、この光景を受けて、確かに夏場はこの小さな村にも集結していることを思い出しました。
なんとなく、石の段差に腰掛けますと、背後には黄色いハルシャギクに似た花がおりました。
向こう、岸壁の対岸側には、アジサイらしき叢も見え、毒草か何かのロゼッタもありそうでした。私の知るような毒草は、ケシとラグワートくらいしかなく、岩垣あたりを彩る鮮やかさに対して、的確な蘊蓄を一つも垂れることができないのです。少年は先ほどから、私の蟠りには無頓着で、クレープ屋を見つけて俄かに興奮しているばかりでした。
彼にガレットとクレープを与えて、テラスで休んでいると、秋の午後の終わりは、空の色をゆっくりと深くして、私に夜の到来を告げていくのでした。ただ、まだ夕方には早く、この無垢というには既に塵まみれ過ぎた少年と向かい合わせに会話するのです。
少年は卓に置かれた皿の上にある菓子をまじまじと見て、いったん紙ナプキンを広げてから、カトラリーを少しばかり上品に操って食べていました。薄く大きな生地は、幾つか焦げ目をつけて、軽く四つ折りにたたまれておりました。彼に向けられた焼き菓子には、砂糖が塗されております。ナイフで生地の端を切ると、皿の肌と金属が触れ、かすかな擦過音がし、彼は切れ端を口に運びました。
「おじさん、そんな小汚いのに、お金持ってたんだね。クレープ一つ買えないかと思ってたのに。駄目で元々、お願いしてみるもんだね。ありがとう」
「そうか」
二口目からは、大胆に切って食べるようになった様子から、大して美味くないのでしょう。
「その焼き菓子は、随分と茶色いが、本当に美味いのか。焦げていて不味そうだ」
「いや、そうでもないよ。まあ普通だね。別に悪くないし、甘くて美味しいし……というか、おじさん、いくら持ってるの?」
「だいたい二食分ほどだ。住み込みで働いているから、いつも手持ちは少ないが、焼き菓子くらい買える」
「へえ、そう。本当にお金あるのかな。まさか、食い逃げしないよね?」
「無銭飲食する理由がないだろう。するにしても、君が邪魔で難しい」
「なら良かった。…でも、おじさんは何も頼まないんだね」
少年は、私を吝嗇家だと誤認しているようでした。ただ、加えて、私は酒も嫌いなのです。
「甘味は好まない。特に、砂糖は駄目だ」
「別に、甘いものじゃなくても、海鮮料理とかあるのに……それに、飲み物も水だけって、なかなかいないよ」
「帰れば食事は用意されているからな。それこそ、君も親が夕食を作っているんだろう?」
「まあ、そうだけど。いつも足りないから、丁度いいの」
「早く食べた方がいい。そろそろ、門限だろう」
「うん、まあ別にちょっと小言を食うだけで、そこまで大層な決まりじゃないんだ。殆ど、形だけだしね」
少年は、その幼顔をわずかに傾かせ、濃やかな睫を半ば伏せたまま、左手の川面を流し目に眺めておりました。その瞳には微かな翳が添うており、その年端に似つかわしくない、憂いを帯びた様子で、歎息を一つ洩すのでした。
「あの林の中で、おじさんの言っていたことが、わかったかも知れない」
「まさか。私の轗軻不遇は、君には分からない。不具の現実に対して、懸命に拮抗する私の意志も計り知れない。少なくとも君の想像しているそれは、私の苦難には遠く及ばない。截然たる差がある」
「…でもそれは、そもそも、在るか無いかもいえないじゃない」
「存在している必要はない。想うことで既に、平素の私の心は安らいでいる」
「騙してるだけじゃないの」
「君のいうことは、私を指していない。理屈と思い込みでつくった、私に似た人形を指して文句を言っているだけだ」
「…めちゃくちゃだよ。どうして不安にならないの?」
「常に仕える者であるからだ。また荒れ狂う情緒は、すべて不安の蓄積に根ざしている。美に奉仕していれば、そんな邪念もなくなる。ただ、その様を見られてはいけない…」
そういうと、少年は黙り込んでしまいました。最初こそ、このちっぽけな子供に、口舌じみたことを挑まれ、不愉快でありましたが、少年の細い腕が目に留まり、お嬢さんの手首と、あの蒼白い脈動を想起し、次第に腹の虫は鎮まりました。一方、美への憧憬はふたたび募り、観念の瑞々しい蔦が背に絡む感触を覚え、内想へと誘い導かれていきました。
ここには碇泊する船は一艘もありません。皆、係留しているのです。私もまた、動力を持っているわけではありません。孤独で栄誉ある曳航など、ありはしないのです。しかし、この少年は、気分的に自力で航行できぬから、私に阿諛し、媚態を呈して、曳航の便益だけを漉し出そうとしているのです。しかし、曳航するに切り替えた理由など、極めて気分的なもの以外あり得ません。
私の港には、海を目指さない舟だけがいて、禍福もなく、ただじっと淡水の上に座しているのです。この一艇は、新月の夜に姿を消して、はたと人々から忘れられ、月の海を舟遊するのです。しかし、そのおかげで、月とだけは、戯れることができるのです。そこには、何の孤独もありゃしません。主観の美は濃密に、月の瞳の中に成就しているのです。
これは、決して友情ではありませんし、心の通いあった円満な愛情でもありません。絶対に、友情などという汚らしい言葉とは違います。まるで違います。なぜなら、夜の征服という私の大願を込めた花火は、彼女の睛眸の内にて、鮮烈で華々しく、満艦飾で、咲き誇るのであって、その美を見届けた後に、私が滅しようと、あるいは彼女の視力が喪失しようと、また彼女の内心に酷い傷を負わせようと、構わないのですから。つまり、友情に付随した、くだらない配慮や、気遣いなるものは、微塵もないのです。
私が何の躊躇いもなく内省の大伽藍に酔いしれるのは、誰の理解も了解もいらない美の成立を心得ているからであります。それゆえ、自分を弱者だと規定し、湧き出ずる憤慨と不満に耐えかねて、ヒエラルキーに虚しく吠えることもありません。肉叢に纏綿するあらゆる瑣末事は、私を躓かせるに足らないのです。ただただ、心象は花やぐばかりです。また、
ただし、私にナルシシズムは、その片鱗すらもございません。私が申したのは、従うべき主人のいない、哀れな美の騎士が、揺曳する炎のような美への特攻、冷然たる月への蹶起、能う限りの怨念を込めた叛逆をする時、それは美との主従を夢想すらできなくなったことを意味するという、至極冷静な分析なのでございます。決して、これが美に通じる一般解だとは言いません。もしそうならば、私はお嬢さんを殺さねばならないのです。確かに、私自身、このような終点も何処かで空想しますが、お嬢さんの現前する麗しさをひと目見れば、そのような邪な計画は、すぐに霧散するのです。つまり、あれは最終手段として、理論的にあり得るだけなのであり、実際には、お嬢さんに仕えることで、十分満足しているのです。
ただ、この無辜の少年は、まだ言葉や理屈を心得てありませんから、このような美の論議を一遍に聞かされたら、ひょっとすると気がおかしくなるのではないかと、そんな気持ちが湧き上がります。しかし、そんな心配をよそに、彼は不吉なことを言うのです。
「うん。やっぱり、僕にもおじさんのことは多少わかったよ」
「まだいうのか。ありえないと言っただろう」
「いいや、わかる。僕もおじさんみたいな話をすれば、絶対に納得するよ」
すると、彼は人が違ったように、懐かしい目をして語り出しました。
「僕はロシヤに行きたいんだ。国立のボリショイ劇場に行ってみたいよ」
「それはまた、どうしてだ」
「声が届いているのを確かめたいんだ。こういうと、大抵おませな子だって窘められるんだけど、僕はもう、大人が望んでいるものより、ロマンティークじゃないんだ。だから、そこで歌いたいなんて思わない。ただ、劇場の本物の暗さを感じたいんだ」
「ずいぶん、パテティークな物言いだな」
「幕の揚がらない夜の歌劇場に、僕一人の声はどこまでも届くんだよ。それこそマリア・カラスなんて比じゃないくらいに。でも、お客さんは蚤すら入ってやこれないんだ」
少年は、空を見上げて、まるで叶わなかった夢を追懐するように言うのでした。
「…でも、僕はそれでちっとも構わない。僕の声だけが反響して、僕と舞台だけが関係を結んでいれば、空っぽの席が僕に拍手をくれるんだ。だから、僕はちっとも悲しくないし、虚しくない…」
すると、少年は顔を下ろし、にやにやと言います。
「どう?おじさんの真似だよ?」
「……真似。いや、風体だけの猿真似だろう」
「いやいや、全然違うよ。一応、中身は本心で言ってるよ。僕は歌うの好きだし、お母さんの部屋から漏れ聞こえるマリア・カラスも好きだし、ロシヤにもいつか訪れたいって思っているから。思いつきじゃないでしょ?
それに、文体なんておじさんの完全なコピーだよ。むしろ、おじさんの方が自覚してないって点で粗悪かもしれないけど」
「なら、何を自覚しているんだ、君は」
私のこの質問は、完全に失敗するのでした。
「…ううん、ちょっと難しいけどさ。おじさんをみていると、自分に酔うっていう事がどういうことなのか、なんとなく理解できるんだよ。
おじさんは、僕が悩んでいることを何一つ乗り越えないで、ここまで来ちゃった人なんだよね。だって、いつまでもあり得たかもしれない自分とか、本当は日本人だったかもしれないとか、見てきたアジサイは全部偽物なんて、変な妄想しているんだもん。
僕自身も、どうしてあの家に生まれたんだろうとか、不思議に思うことはあるけど、そんな馬鹿みたいなこと、いつまでも引き摺らないよ。神様は何でもかんでも、望むものをくれないし、救われるまで頑張るんだよ。それなのに、おじさんは、住み込みで、そんな汚れちゃう仕事をしながら、自分だけが持っている何か特別なものみたいなのを、いつまでも飽きないで、探しているんでしょ?
すごいよ、なかなかできないもん。僕のお父さんみたいに、全然毎日の仕事はダメダメ。それで、僕のお母さんみたいに、遊び呆けてるのに、いつかは大金持ちになるってうそぶいてる。おじさんは、遊んではいなそうだけど、ずっと黙って変な妄想ばかりしているんだ。そんな人見たことない。
そうしてる間に、ヘンテコな喋り方しかできなくて、僕みたいな子供相手にも、威張り気味に接しちゃうなんて、悲しいよね。その努力をいつもの仕事に向ければいいのにって、思っちゃうよ。
それで、そんな可哀想な様を見てると、僕はまだ余裕があるし、幾分明るいんだって、それこそ自分に酔えるんだ。おじさんのお陰で、等身大の僕っていう小っぽけなものに苦しまないで済むんだ。おじさんっていう濃厚な悪酒で悪酔いして、自分の身の上が美酒になった気分だよ!ありがとうね!
あ、でも、勘違いしないで、僕はおじさんのこと好きだよ。だって、僕がこんなに自由に何かを言っても怒らないで聞いてくれるんだもん」
私はしばらく呆気に取られておりました。彼の言うことが、的を射ているとは思えませんでしたが、反射的に怒ることも、理詰めで言い返すことも出来なかったのです。頭は鈍器で殴られかのように働かず、反応できないでおりました。
そのまま、会計の対応を済ませて、店を出ると、私は少年を家まで送り届けることになりました。道中、少年と交わした会話は、店での言葉と同様、あまり頭には残らず、彼が何を話したか、歩いているとほとんど抜けていってしまいました。思い出そうと、つとめて記憶を巡らせるのですが、どうにも語彙が霞んでいるのです。ここまで忘失するのかと、愕然たる思いを抱えたまま、少年に同行しておりました。ただその間、少年はにこやかに喋っていたように記憶しております。
夕刻が迫ると既に、空は高曇りしており、観光客の足取りも疎らになりました。葉陰はそれと分からなくなり、港も夕闇に犯されており、人の顔も暗く均質でありました。やがて誰が誰だか知れなくなりました。夜が忍び足で接近しているのでしょう。それに従い私の気分は静かに高揚していきました。ただ一つ、少年の言葉が曖昧に残響しており、胸裡のかすかな痞えは下りぬままでした。川は仄明るい街灯の暖かな光を、その面に映しております。
「じゃあね、おじさん、ばいばい」
「君にはもう会わないよ。猪豚」
「僕は、マエルだよ。またね」
扉が閉まり、少年が帰宅して、私はようやく、解放されました。思えば、あの予告状について思案するべく、外出したのでした。それが、なぜあの子供に振り回される羽目になったのでしょうか。おかげで、何の策も練られておりません。ただ、館には物が多く、まだ満月まで日にちがあるので、焦らずに工夫をこらせばよろしいでしょう。しかし、今日はいつもより疲労しているようで、肩と首に若干の重さを感じます。
帰り際、彼の実家の軒先に壺が置かれているのを見つけました。興味本位で覗いてみると、大鉢には緑色の滓が澱んでおり、その奥に紅い金魚の姿を、一瞬認めました。生きているのかという驚きを覚えたままに、しばらく見つめていると、肥えた魚は深緑の濁りから、背鰭の一部を現しては隠すのを繰り返しました。その様はまるで、星のまばたいているようで、私はお嬢さんの月長石の光を連想しました。あの石が封じ込めた内光にいち早く会いたい。夜の足音がはっきりと聞こえ、急く気持ちに拍車がかかりました。長庚への祈りを捧ぐためにも、私は足早に帰るのでした。
自身の幸福も不幸も、誰かの睛眸の中で、全き相対主義に溶かし込まれてしまうことは了解無しに起こることである。虚しいことと頑張らねばならないことは、全く両立してしまい、ニヒリズムといっても逃れたことにはならない。はたして、文は慰撫の域を出ていくだろうか。いや、蒙を破ることは起こり得ない。
Anseau de May: 著




