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第一部 第一章

『この男は一見馬鹿に見えるし、話す姿も馬鹿のようだ。しかし騙されてはいけない──彼は本当に馬鹿なのだ』


書き手: 増田八枝祢

(一)

 お嬢さんは色白でした。その趣味を瞥見すれば凡そ想像がつきますが、外出嫌いのためです。暗い茶色が基調のお部屋で、大抵は揺り椅子か座椅子に座られます。私は調度品等に関心はありませんが、室内には贅沢で高価そうなものしかありません。そして、お嬢さんはゆったりとした生活時間を過ごしておられます。その外面からはあたかも『ウルビーノのヴィーナス』を彷彿とさせるものでしょう。そんな貴族のお世話を任されているのが、私なのです。

 「何故、外なんかに出なきゃならないの?」

さも当然そうに、彼女はいうのです。

「あなたが必要なものを買ってきてくれればいいじゃない。どうせ、その茶渋みたいに焼けた肌なんて、今更顧みたって無駄でしょう?」

私の働く者の腕を、大理石と見誤るほど色白で、練糸のような色艶をお持ちのお嬢さんはにべなく軽蔑されました。

 「早く行ってちょうだいよ、ねぇ」

この方は堪え性も持ち合わせてはおりません。しかしそれは単なる欠点とは言えますまい。もう少し、無視を続けましょう。

「ねぇ、先程のことは取り消すから、行ってきてちょうだい。陽には当たれないの」

その双蛾が宛転と愁眉に転ずる様子を、もう少し先延ばして、窺いたいのですが、機というものはそう長々と待ってはくれません。ちょうど「須臾しゅゆ」を目安にして立ち上がるのにとどめておくべきです。

「行ってくれるのね?早く買ってきてちょうだい」ため息をついて座椅子に沈み直され、お得意のもの思いに耽り始められたところで、買い物に行くとしましょう。

「あと、いつもの画材も買ってきてちょうだい。もうないの」

「ですが…しかし、旅路は長いですよ?」私の忠言も耳に逆らうようで、見向きもせず、頷きもしませんでした。ただ、左手の親指に慎ましく灯る月長石の紺碧を除いて。

 館の外に出ますと、古びた石壁は半ば影に包まれ見えにくいですが、確かに秋の冷感を患っております。縁取りなどはその銀色を褪色させて、あたかも潜んでいるようです。やはり、この涸れた前庭には、何か瘋癲のようなものが犇いて、充溢している気がするのです(いや、ここには翼棟のような大層なものはございませんから、前庭と呼ぶにはあまりに粗末かもしれません)。

 燈籠の燭火はすっかり消えており、なかなか足許も覚束ないのですが、銀と灰とが綯交ぜになった月光を頼りに、買い物に向かうのです。

 外套の襟を少し立て、一歩を出しますと、枯葉を踏み締める音がカサリとたちます。石畳の小径を巡りますと、風は僅かに唸りながら吹き、その声の低さを私の耳朶に触れさせます。館の周囲にあるそば畑を眺めますと、その白い花冠を綽々と揺らしております。そして、見上げますと、若干肥大した三日月が輝いております。今夜の月に多少違和を覚えたのは、その大きさと、脂肪を纏ったように不健康な青白さを湛えているからであり、それ以外は全く健康な散歩に御誂え向きな取り巻きであります。

 暫くゆくと、もう一つそばが咲いております。薄紅の花弁を持ち、露を帯びていて、月の光線を受けて、焼き切れることを切望しているかのようです。「待ち焦がれる」という言葉は、愛おしいものを待機しつづけて、遂には内面と観念が焼け野原になってしまうことですが、恐らくあの紅いそば達は、その内面も美しい炎の海で染められているのでしょう。──ああ、お嬢さんも見にいらしたらいいのに。

 やがて視界が開けますと、左右には亜麻畑が連なり、柔らかくざわめいております。畝と畝間の差異も曖昧にするほど、牧草地の緑は茂っており、夜に溶け込んでいるようです。遠くの草原には野生のエリカが群生しており、遠目には深い藍紫色がモザイクのように夜空と繋がるようでありました。私にはやはり、「移ろう」という現象が好きになれないです。この亜麻も前はきっと、美しい淡い水色の花で映えていたはずなのです。だのに、この時分では見る影もないのですから。

 思えば、言葉と現象とは、お互い繋がれますし、また離反することも可能であって、自由気ままに往来できそうな気もします。その境界はあたかも意のままに扱えるように思えますが、実際それらの振る舞いは、握った手の中にいる蚊に似ております。潰したと思っても、実際開いてみますと元気よく飛び回りつづけている。全然手の握力や握り方に関係なしに。私の感覚も全く例外ではなくて、困惑することが多いのです。

 少し後ろを見やりますと、暗褐色の燻んだ瓦屋根が小さく映ります。そこそこ歩いてきたので、かなり薄暗くなっておりますが、ここからでもその古めかしさはよくわかります。何か鳥のような黒い影が見えますが、流石に遠くてはっきり認識できませんでした。それと、もう一つわかったことに、私の影は非常に薄く長く伸びていました。……それはきっと、お嬢さんが待っているあの家に伸びているのです。この影は私の忠誠心がどれほど強固なものかを、確かに物語っております。

 道すがら、頭上の夜空は高く澄み渡り、厚みのある雲がゆっくりと流れては、薄く素早い雲が三日月の輪郭を時折隠しました。星々の瞬きは当然雲を縫うようにされるわけですが、なぜかどれもこれもかすんで見え、オリオンの三ツ星すらも、この寒気ではない別の亡霊に震えながら、ぼやけて光るのです。──いや、三ツ星は、私の幻視だったかもしれません。まだ、秋だというのに、冬の長い夜を切望する気持ちだけが早るようです。

 私はこの外出の間、一切の心細さを覚えませんでした。なぜなら、向こう、遠くの家々の窓から漏れ出た暖かそうな光が、茫漠と私の視界を彩るからなのです。その集落のさらに遠くには石造りのチャペルの尖塔がぽつりと見えます。その小作りに聳えたものは、暗闇のおかげで猶厳かさはあるものの、どこか浮遊しておりました。──お嬢さんは一度もあのような神聖の匂いのするところへ、足を踏み入れたことはありません。彼女はまるで異教徒のように、簡単に神への信仰を文化的虚妄として斥けてしまうのです。あるいは無神論なのかもしれません。その割には、合理性の信奉者でもないのですが、しかし、大抵の人間の態度など、とりわけその平素においては、一貫性は余り感じられないでしょう。積み重ねる言葉は、まるで砂を掴むようであり、又は晴れ間と雲の微妙な空模様のようです。

 道はやがて、舗装された村道へと続きます。脇には何かの木立が列をなしていました。屋根の重なり合う影と暖かな灯りは近くなっておりました。そうして、ようやく、小さな集落に入ったのです。石畳を迷わず歩き、よく知る店の前に着きました。

 店はもちろん閉店していましたが、閉められたドアの位置を、昼間の記憶で特定します。そして、古びた木のシャッターを音を立てずにゆっくりと、剥がしていきます。すると、店先のガラス窓が一部現れるのです。それを、爪で円く切ってやり、手を入れ、格子戸の錠を握り、その金具を粉砕して、ゆっくりと開けます。そうして、店内の闇に目がなれるのを待ってから、顔料と溶剤を拝借していきます。辰砂や鉛白なども頂いて、お嬢さんの頼まれたものは一通り手にしたので、棚から包装紙も拝借し、入念に包んでから、麻袋にしまい、出て行きます。

 外気は静謐としており、気づけば雲量もごく僅かです。星々は先程と比べ、光量を増しており、瑩徹とした夜空が流れ落ちそうでした。……私は自然の美しさに言いしれぬ徒労を覚えました。そして、過去の記憶があの煌めく星群により、黯く黝い欺瞞の被膜として明け透けに暴露されたのです。いや、そうとしか、私は強く感ずることができませんでした。その心象のまま私は足早に、暖かな灯りが一つまた一つと寝入りつつある街を去るのでした。

 館に帰って、差し入りの飾り棚に袋を一旦、置いておきます。中から生成色の包装紙がのぞいておりますが気にせず。私は外套を脱いで、一息つきます。

 画材を持って、二階のアトリエに行きますと、お嬢さんはそこで制作しておりました。

「…買ってきたの?そこに置いて」

私に一瞥しますと、台に目をやります。仰せのままに、並べますとお嬢さんは不平を鳴らします

「ちょっと、勝手に並べないでちょうだい。あなたの見掛けだけの整頓は雑然としていて嫌いなの。整理は私でするから、早くその煤だらけの汚い手を洗ってきなさい」

そう言い終えると、お嬢さんは「全く」とため息をおもらしになられました。私は回れ右をして、階段を降り、ホールから、台所の水道で手を濯ぎました。

 お嬢さんは絵を描くのが趣味なので、私の遣いは画材道具の補充が大半でありますが、彼女は美容にも、はっきり言って煩いのです。お嬢さんの具合は月の虧盈で変わるのですが、今宵は三日月でしたので、殆ど伏目がちでありました。彼女の筆は遅々たるものです。もっとも、お嬢さんが曰く、御自身の作品の全てに丹精をつくして制作していらっしゃるようなので、それが美しいのか私にははっきり分かりませんが、いつも遅筆であります。それゆえ、寡作ですし、画家として著名という訳でもありませんが、一部耽美的な人が好んでお買い求めになるそうです。

 私は、前々からお嬢さんに自画像をお描きになることを勧めているのですが、彼女はしたがらないのです。あのような美しく不健康で蒼い肌理は、当然キャンバスと顔料如き代物では再現出来ようがありませんが、時を前にして、刻々と褪せてしまう彼女の玉容を、切り取って少しでも永続させねば、私のこの不快な愁眉も治らないのであります。そう思案は滞留したところで、私は二階に戻り、お嬢さんの様子を窺いますと、ふと呟きます。

「そういえば」

 その声にお嬢さんは筆を置いて、不審そうに瞠ります。

「そういえば?」

「なぜ、私は執事なのでしょうか?一体、いつ頃から、お嬢様のお世話を始めたのでしょうか?それに加え、この極端に窓枠の狭い洋館と、その御身に一滴の血はながれておらず、月光のように蒼白な血色をした主人に、縛られている道理も謂れも、何も知らないのです」

 彼女は先の私の譬えから一部、まるでお花を摘むかような鮮やかさで抜き取られ、煙に巻かれました。

「そうね。それは、月明かりの権限よ。あの青々とした美しいあかりのために、命を与えるの。私は月暈の中で生まれた者。この肌付きは夜を総攬する者の証」

 抗する気概が湧いて出ることはなく、月により征服されることは、純としていました。ただ、ですが、月を統べたい、丸ごと領してしまいたい心持ちは、確かにありました。

「あなたがいると、邪念が去らなくて、美を失念してしまうわ。出ていってちょうだい」

「…お嬢さん、貴方はそんな苦労しないはずです。だって、美は鏡をみればそこにあるでしょう?」

「貴方の屁理屈は聞きたくないわ。理屈っぽい人は好きだけど、屁理屈言う人は嫌いよ、特に貴方みたいなの。屁理屈っていうのはね、筋が通っているとか通っていないとかの話じゃないの。つまり、理屈なんてものは所詮、一個の切り口でしかないに、それに謙虚でもなく、やたらと肉付けしていって、言い訳がましくて、言葉の上で肥えた豚になっているのに、そのくせ満足気にしているんだから、本当に鼻持ちならないのよ。」

 私はお嬢さんのお望み通り、下がりました。そして、御夕餉の準備に取り掛かろうと思いました。が、お嬢さんはまだ空腹でないご様子でありましたから、支度は一旦横に置き、喫煙してからにいたします。そうして、煙草の臭いに誘い出されて湧き出でた言葉と、私は戯れます。

 制作の際、お嬢さんは軽いものしか召し上がりません。そして彼女は私の手に相当な穢れが宿っていると信じて疑わないので、彼女の食事は他に相応な者が用意せねばなりません。私の手には、曰く、決して洗えぬこびり付いた脂汚れ、或いは眼にはみえぬ透明な不潔感そのものが、全身に粘着しているらしいのです。顔を顰めてしまうような〈私〉が御食事に付着し、誤嚥され、〈私〉をその一端でも取り込んでしまうことを極度に恐れているのです。

 多大な嫌悪を表明し続けて、私をぞんざいに扱うというのに、今迄ずっと雇い続けてきたのです。理由はさっぱりわかりません。ただ、時折、お嬢さんはお電話をしております。私にはかつて聞いた事の無い、慎重で丁重なお言葉遣いで何方かとお話しされているのです。しかしながら、街に蔓延る劣情だけで生を駆動させるな哀れな雄猿どもとは違って、盗み聞きをする趣味は私にはございませんので、何を話しているかは空想するより他ありません。ですが、彼女はよくお母様のお話を、それは楽しそうにされますから、きっと今されているのは、お母様との長電話なのでしょう。

 お嬢さんの食事は、おっとりとした痴呆の女に作らせます。この文盲で単純な演算すら熟せぬ中年の女は、料理のことだけならば職人級なのです。殊にお嬢さんの好きな割烹料理に精通しているため、一応住み込みで雇われています。彼女は素早い手つきで、本日の軽食を完成させますと、私に台を渡して、地下の寝室に戻りました。そう、彼女は一日のほとんどを眠って過ごすのです。店を出して自分で口を糊するよりも、ここで楽に日々を糊塗する方が、彼女には魅力的なのです。

 私は、彩りの良い御膳を持って、お嬢さんの部屋の前に置いておきました。いつになく彼女は筆を迷わせておりましたが、私の気配に気づくと、恰も鸚哥が啄むように、さっとお奪いになると、不機嫌そうに扉を閉めてしまいました。食事を摂るようです。

 自室に戻り、お嬢さんがお休みになる夜明け前まで、しばらく休んでいました。しかし、この部屋には粗末なベッドと簡易な机と椅子の他に、細い本棚しかありません。本棚には羊皮紙の世界地図のみがひとつ、折り畳まれております。それをとって、眺めました。精密に歪ませた幾つもの線が、当時の世界を象る様は、鮮やかであります。浮かんでいる帆船は、明るい欲望を載せて伸びやかに滑っているのです。現在の知見では、誤りなのでしょうが、この意匠と装飾に満ちた地図は、正しさより確からしさを宿しております。それだけでなく、傲慢と蔑まれてしまう自信を刷っております。この心証は描かれた大海より遥かに雄大な野心に満ち満ちており、私の平生の生活というのが悉く矮小に映じてしまいます。

 それはあたかも、私は一人で月夜の下、櫓より扱い難い櫂のみを持って、潮の織りなす、月桂の揺らめく鱗を頼りに、地の端点、月面へと繋がるであろう縁、或いは月そのものをめざして航行してゆくことに似ています。この暴挙の訳は偏に私において月とは玉蟾であり、願望の成就のためには不可欠であり、純然な執念からきているからでありますが──儘ならないのが世の常でありまして、忽然と、横合いから豪奢な客船が自尊の漲る面持ちで現れるのです。私は先ほど、確かに彼らの自惚れを肯定しましたが、それは彼らの吃水がこの小舟を意に介さず蹴散らさないことを意味しないのです(つまり、彼らは事態に全く無自覚でありますし、たとえ訴えたとしても、その応対は酷薄です。それは又、私もそうでありますから、それが謂わゆる人間の法則というものなのです)。そうして、彼らは私から月影の鱗も奪ってしまいます。月華星彩も排煙に消えて、ただ薄暗い舷側だけが茫漠と現前するのであり、私はけたたましい船笛の厳然な音に、多彩な光色と屈託のない歓声の混じり合った猥雑さのみを覚えて、呆然と眺る他ありません。

 ────このような修辞を弄すると、そのような無駄と徒労に時間を食わせるのではなく、地に足をつかせようと注告する人もいるのでしょう。私に機織りをさせ、実用と経済の中に溶かし込めるよう介抱する介護士すら現れるかもしれません。しかし残念なことに私は紡毛の術すら心得ていないのです。

 それだけでなく、そも私は介抱されること、世話されることを一切求めていないのです。たとえ、私の航海が倫理的な正しさを毀損しており、粗探しせずとも明らかに瑕疵ばかりで、その枚挙に暇がないほどであったとしても、本当に不要なのです。そのような介抱の生温い眼差しは、白痴に対して向けられる軽蔑の温かな視線と、一体全体何が違うのでしょうか。関わり合うことが無前提に良いことで、健康的で文化的で、尚且つ美しいもので、上からの論理で保全し改善されていくべきものだと、何故言えるのでしょうか。彼らの理屈では、必ずお嬢さんも、「眼差し」を受ける対象です。いや、ここには恐ろしく臭気の放つ語彙があるのです。つまり、「対象」──畢竟、お嬢さんというのは会話や対話を通じて肯定的にのみ扱われる「対象」に格下げされるのであります。こんなものはお嬢さんを崩壊させ、何よりこの館の安寧を破壊する侵略行為に他なりません。彼らの腰の低い上から目線では、私のような生活者はほとんど理解できないのでしょう。しかし、それで絶対的に結構なのです。寧ろ、狂人の妄言と扱われる方が、私という存在に蓋をしてくれるのですから、私自身が彼らの矛盾の保証人にもなれるのです。

 私は先の地図と同類の「矜持」を以て、一切の善意をにべも無く断ってきたのです。この拒絶こそ、私の方位磁針に狂いがなく、誰にも曳行されていない事の証左であるのです。

 散々に、海の比喩を広げてきましたが、私の生活には海がありません。少なくとも、お嬢さんしか海鮮料理を召し上がりません。私もあの料理人も魚介や水産物を口に入れないのです。立地が極めて内陸というわけではありませんが、臨海というほどでもありません。とかく、海はないのです。海の不在、すると海はいつだって言葉の上にしかおりません。その空疎な海を焼き尽くすかのように、太陽が昇り降りを繰り返すのです。それが私の生活でありまして、太陽が生活に蔓延っている理由は、偏に言葉の媒介を保たずともそこに在るからであります。

 言葉になるものは全て虚しく思い、言葉にならぬものを言葉にしたいと希うのは、物書きの性でありましょうが、私は執事なのであります。その様な草臥儲けには一切の興趣もわきません。ただただ、お嬢さんに仕えて、生涯を費やすのです。ひとつ、陽光の存在を睨みながら。

 絶え間ない反復という点は、お嬢さんと太陽の忌々しい類似点であります。二者は毳々しいほど相対し、それは恰も陰画と陽画、極彩色と無彩色を想わせるのでありますが、一方で、混ぜれば白か灰かのただ一つの色に帰してしまう補色のような要素もどうしてか、具えているのです。叛服の身悶えは、いや、身慄いは私から余裕を奪いました。掠奪された余裕は、苛立ちや焦りで埋め合わせるほかありません。

 しかし、お嬢さんの指輪は、慈雨のような安息を齎してくださいます。まるで、胃の張り裂けるような疼痛が、補剛され、修繕され、空いてゆく心地です。少なくとも、私の筆調に狗賓の恐れや、染み込んだ汚れのような悪癖の存在は、絶対に皆無であります。素直な「満たされ」であります。

 あの安堵感は、母を思わせるものです。ですが、私にとってお嬢さんは母の模型にはなり得ませんし、そう定義付けたくもありません。私の形而上学では、母には胎盤が絶対的に必要であり、そこには過去の記憶が付随します。ですが、私は心から記憶など欲していないし、それを健全からの転落や、性格の欠陥とも覚えておらず、そして繰り返しますが、その心持ちも単なる痩せ我慢ではなく端的に満足していると、虚しいナルシシズムなどは寸分もなく、純真に考えているのであります。

 更に、もし仮にお嬢さんを、母の模型で捉えるならば、私とお嬢さんの関係は、愛着と応答において幾重もの欠如があることになり、私の敬愛は叶わない理想からの余剰という、否定の形をもつ欲望から来ているものだと示されてしまうのです。しかしながら、私はそのような分析を全て拒否します。それは私の事を述べる論理として、発音からも、排列法からも、文法からも、悉く失敗しているのです。その訳は偏に、私の彼女を愛づる本懐が、全き充溢と多幸に満ちているからに他なりません。不在には元来、毫も価値がないのです。そして、手に入らない願い事は、不幸でない証左として扱われるのです。自身を不憫に思ったことなど束の間もありはしません。又その様な詭術を卑怯に縦横させ、巧偽という塵埃に塗れて憚らぬ詐欺師を、私は最大限の軽蔑を以て睚眥しているのです。

 愛を欠如から見る視点は、本当にどこからでも始められます。それは数直線を描くより容易なことなのです。ですが、私の精神には一つも定規も当てがうことができませんし、常に平穏と狂瀾の判別もつかないのです。ただ揺蕩いの中にあって、線的で静的な要素は、目を晦ます空想の魔術でしかないのです。ただし、私の精神は振り子ではありません。

───

 私は、夜明け前、二階の御自身の寝室で眠るお嬢さんを眺めながら、あるお嬢さんの言葉を反芻しておりました。窓の外を見ても、月はもう見えませんが、夜はまだ統べております。天蓋の皓白は透き徹っておりますが、羞花閉月お嬢さんの色白と芳姿はその中でゆっくりと褪せて薄れて、生き腐れて饐えていくのです。やはり佳人薄命というのでしょうか。お嬢さんの丹花も明眸も皓歯も柳腰も、残念ながら時を超越したものではないのです。私は芳魂など信じてはおりません。どうにかして、お嬢さんの時とその存在の全てを浴びたいのです。

 俄かに私はお嬢さんの細い首へ、手を伸ばしていきました。私は初めて震えを覚えました。これが恐怖なのか分かりませんが、少なくとも驚いていたとは思います。なぜならお嬢さんの首が、酷く冷たいのです。確かに脈動があるのにも関わらず。

 私は部屋の扉脇にひっそりと置かれた緞子の小椅子に腰掛け、しばらく眠ります。微睡のあわい、天蓋の下、寝台の上、横たえられた肉体を見やります。

 お嬢さんは柔らかな濃紫のガウンを着て、その帯は金襴でした。豪奢は彼女に平伏し、伺候するのみなのです。又、華奢という語の持つあの弱さは無論、徹底して屈服させられ、お嬢さんに面映く侍するだけ。美を総攬せるその風体は、全ての美を指し示す語彙を余すことなく受け取れるのでしょう。その姿は恰も金箔を、継ぎ目も判らぬほど貼り付けたようであり、艶やかに仰向けて、朝に備えて閉目しているのです。細やかな指々は胸の前で重ねて静謐を極めており、寝息は夜のしじまに溶けていきます。眠ったままの、一寸も動かぬ彼女にこそ、夜の美のための家がつとまるのです。まるで美の全体が彼女へと柔和な面持ちで帰ってくるようです。月影の満ち欠けを思わせるその胸の律動は、この部屋には差し込むことのない月光を切に冀うようでありました。

 認識とその言葉が揺らぎはじめます。結局、没論理の錯綜に、私は沈んでしまいます。

 お嬢さんの美──その美は野に放つ類のものではありません───もし地下室の中で、永劫に飼育できたならどれだけ───果たして──私の窃盗癖が満たされるのか──あの鴉とみなした、あるいは、いや、とにかく鳥とみなした黒い影は人だったか──焼かねばならぬ─私は妬いているんだろうか──冷たくて静的な美──生命的な躍動──生的じゃないし、性的でもない──静的なら分析できるか、図式に当てはめれば、いくらでも遡及してやること──美ではなく、慾望が燃えている──煙をくゆらせるのは、後悔の反芻と老化と満足した欠伸の動かぬ証拠だ──煙草を嗜むのは、お嬢さんでなくて良い──黎明の訪れを感じると、粟立つ──空から落とされたように、今朝の外気は肌に突き刺さる──焦げている──。

 私の反芻は、明確に流れ出していく──お嬢さんが、私を嫌うのは何故なのか──お嬢さんと私は単なる主人と従者の関係なのか──秋の名月は、空のそらのかがみというようだが、言葉遊びをすれば、空のからのかがみではないか?──空っぽの鏡は何もうつさないから全てをうつす──あたかも、お嬢さんが鏡に映らないことを暗示しているようだ──そして、それが何より、美しい月と論理ではない情念の等号で結びつけられる───お嬢さんは空っぽだ──だからこそ、意味に満ちた私に嫉妬している──確信というのは、掴んだ時、言葉にし難い感触がある─この言葉もその矛盾を孕んでいる───照れ隠しであろう、お嬢さんも小娘である──直に良くなるさ──直に─直に良くなるさ──月は反射していない、陽の光に見紛うのは科学の虚妄──ナイフのように肌を刺す醜い陽光──。

 目覚めると、朝焼けでした。椅子から立ち上がり、お嬢さんを一瞥します。相変わらず、死相のように美しい御尊顔を拝することができます。そして、垂れ幕が朝陽を遮っているため安全です。正面口から出て、外気を浴びると、頬が削られるような肌寒さを覚えますので、戻ったら館の暖炉を焚くことにします。

 丹霞は私の心を癒すものではありません。むしろ疾悪するべきものです。お嬢さんは月が満ちてゆくにつれて、闊達さを取り戻します。そして月の下にあって、健康であります。裏返せば、お嬢さんは陽のもので生き永らうことが、全く不可能なのです。そして、私はその変化が癪です。確かに美しいことは自然から独立し得ぬのですから、お嬢さんはまた、より自然に従属しているのでしょうし、私はその点、美と自然の連関から遠縁で──いや、ひょっとすると対蹠かも分かりません。ですが、私には──お嬢さんの体調の周期を通して、時間というものを実感させるこの朝焼けが憎らしくてたまりません。永劫でないとどうしても、なりません。

 この宿命を一つ飛び越える契機が、何処かしらに存在しているはずなのに、私は未だ失念したままで、情けないのです。あの美の肢体全てを飲み干せるならば、如何なる根拠などは、無用の代物以外の何物でもありません。一切必要無いのです。

 もし仮に、物理学の上から時間を理詰めで抹消できたとしても、私は安寧と悦楽の上に落ち着かないでしょう。そのような学問の真理はお嬢さんに対し、恰も天から奔星が流れ落ちるように伸し掛かりますが、依然現前の美は動揺せられず、瑕疵と逸脱は毫もないのであります。だから、私は告白しないのです。お嬢さんへの愛を開陳しない訳は、つまり、ここに尽きます。

 というのも、理屈から眺めればこの類の愛情は、誇大妄想なのです。大抵の場合、この情念は私的な領域であり、まず真理を映すはずがないとされます。そして、理屈はそれを弁えず言葉だけを跋扈させるのは、「正しさ」を毀損する故に、誠実でないし強制あるいは排斥されねばならないわけです。だから、お嬢さんの美という実在に対しても、理屈の上から、正しさの被膜(彼等は欺瞞の皮膜と呼ぶだろう)を剥がそうとするのです。正しさの被膜の下にあるものは、無限にも永遠にも無であることは、青臭い理屈如きには掴めません。欺瞞というのは自分の内奥にしかないものです。つまり、世界の欺瞞に敏感であるということは、取りも直さず、その臭いが自分自身から立ち込めていることに気づかない最も鈍感な状態なのです。

 その理屈の生硬な内実は、高々理屈に抱かれて、甘やかされただけの理念であります。一見するとその有り様は高潔で潔癖なイマージュを感じさせ、そういう至って正統でヒロイックな正義の執行に映りますが、重装備兵の犇く牙城に、唾だけを飛び散らして、認識という透明な薙刀を振り回し、論点という鏃のない矢を放つように、現実には戦略も計略もない愚鈍な雑兵の、敵の瓦全を夢想する絵空事か、玉砕の現実がわからぬ粗末な突撃なのであります。しかも、爆薬と弾丸を胃腸に詰め込まれる末路に無頓着で、尚且つ瞬く間に衰微する空っぽの腹ごしらえと、快感という白煙で肺を満たすことに終止し、畢竟負け戦に躍起になって、その自覚すらしないのです。

 そして一度でも、理屈に与すると、紛い物の快活な陶酔に耄碌させられ、二度と美を掌握するはおろか、視野の端点に捉えることすら叶わないのは、言を俟たないことですが、とかく中毒になってどんな言葉にもその無為の武具を振り翳そうとするのです。

 お嬢さんの美の観測は、そのような愚かさの湧き出ずる観念から生まれた、醜い裸体を持つくせに、ジャーゴンの高級な衣裳で粉飾するような理知の眼では不可能なのです。

 お嬢さんの美が平伏させられないのは、この醜い太陽だけであります。

 ───私は、部屋のカーテンを全て閉め切り、お嬢さんの頬に陽光が決して触れぬようにします。そうして寝室を出た私は、軽く水を飲み、パンを一切れだけ食べました。これで日没までもちます。

 私は地下室にゆき、日課として、お嬢さんが描き上げてきた油絵を眺めます。お嬢さんの健やかさは月が占領しているのです。どれも満月を描いており、全て同一の視点と構図から、同じ季節、同じ日、同じ時刻に、お嬢さんを唯一支配できるあの月を、彼女を最も放縦にさせるあの満月。

 別の時刻や季節などの、幾つかの差分画は、残らず売りに出してしまったので、ここにはありません。しかし、この一連の条件を満たした絵だけは絶対に売り払わないのです。加えて、お嬢さんの部屋に飾られた写真も、絵と同じ画角であります。

 お嬢さんの視線を一身に受けた存在は、ひとえに満月だけであります。二つ息を吐くと、俄かに私は月を焼き払いたい衝動に駆られますが、その心持ちに襲われてはならないとして、胸の奥で思いとどまりました。もし、月がお嬢さんを確かに征服していたなら、私が月にならぬ限りは、お嬢さんは滅びてしまうかもしれないのです。喪失は、私が最も忌避しなければならない危機でありますから。

 すると、床に一枚の白い紙が落ちておりました。拾い上げ、手にとると、まさしく手紙の体を成しており、暗い朱の蝋封が押されています。封を割ると、中には黄ばんだ便箋がひとつ忍ばれておりました。淡い墨色の文は興味深いことを、紙片の放つ仄かな香とともに、私へ伝達したのです。

 『雲一つない満天の星空と満月の夜に、常闇に揺蕩う月を頂戴しに参上す』

 泥棒の予告状、その字面には自信がありました。そのためか、私はまるでスイカの種を齧った時のような苦味を、頸に感じるのです。彼らの姿が、紙から透かして見えるようです。その影は報われることはない。ですが、執事として多少のお手伝いはできるでしょう。

 私は紙面を眺めたまま、地下室から上がって、自身の寝室にそのまま入り、卓上に手紙を置いて、座ります。この館に物が届くことは、かつてありませんでした。他の家々とそこそこ離れて位置しているためか、誤配すらないのです。

 はじめこそは、お嬢さんに挑む彼らの無謀さに、一縷の愍れみを覚えていましたが、そこに情けをかけることは、ひょっとすれば私に跳ね返り、何か責め立てられるのではないか、という予感が、一抹の不安と共に擡頭したのであります。その愍れみは、自身の苦痛からくるものかもしれないのです。そして、その不安とは、私の憐憫の念が反射されて、お嬢さんに対する憧憬と思慕が、酷く撞着に塗れている有様を照射し、畢竟、お嬢さんの目にも明らかになってしまうことからくるのでしょう。その矛盾の指摘は、私の美の観念が、単に精神に於いてではなく、論理的にも又──いや寧ろ論理が浸透してしまっているという意味での、告発でありましょう。

 しかし、その深読みが通るならば、私の鳥籠の中の文鳥の剥製が、泥棒のお眼鏡に適い、尚且つ視認していることを前提としているのです。そして、その果実を彼は人目に晒すことで腐らそうとしているのか……。しかし、そうならば、私の美の観念は、彼に知られているのだから、すでに腐敗しているはずです。ですが、お嬢さんは冷たく艶やかな四肢を今も横たえております。何某かの予測は立てられますが、一向に釈然としません。若しくはこの感情は全くの杞憂にすぎず、彼らもまた全き愚鈍で、実際にはただこの館の絵を盗もうとしているのか……。はたまた、単に……。

 言いしれぬ違和感を抱えたまま、それを何処か外に放逐することができずにいました。紙に起こそうとしても、どうにも形にならないのです。ただ幾許の不全感を糊塗するために、私は引き出しに手紙をしまうと、とりあえず散歩することにしました。とにもかくにも、もしこの予告が本当で泥棒が侵入してくるのならば、対策を講じなければなりません。蕩揺された心象は、まだ立て直しが効くのですから。

 お嬢さんが未だ眠られていることを確認した後、私は外套を着て外に出ました。乾いた風が吹いて、木々も田畑も駘蕩たる気配を帯びて揺らめいておりました。その気色は、無感動で空疎であり、もし彼らに顔があったならば、皆詮無い面持ちをしていたでしょう。ならば、「駘蕩」としたのは誤りかもしれません。ともすると、芯や支柱がなく流されているように見える。斯様に邪推するなら、これはつまり「散漫」でしょう。軽薄な朝方の道のりは、何故かいつもより短く感じられました。

 街に行きますと、画材屋の前で何かを嘆いている声が耳に入りましたが、私にはどうでもよいことであります。周章する彼らがもし真実に気付いたとしても、彼らの行動は全て蠢動にも満たないのですから。

男は夢を完成させる。しかし、それは欠如の形ではないと、言い張る。それでいて、地獄より深い他者を拒絶している。ただ、その抵抗も単なる演技に堕してしまうのか。


Anseau de May 著

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