1-32 僕にできること
リセアさんの施術を終えて彼女を見送った後、僕は1人部屋の掃除をしていた。
掃除といってもそう大層なものではない。毎度マッサージが終わるたびに行っているオイルを拭いたり、布を交換したりとかそのレベルの話だ。
「…………」
無言で掃除を行う。当然この部屋にはゴシゴシとタオルの擦れる音のみが響く。その中で、僕の脳内には先程リセアさんから掛けられた1つの言葉が反芻していた。
「僕ならできる……か。やっぱりリセアさんは僕を買い被りすぎてるよ」
色々と情報が開示されて、少しずつアナさんのことを知っていく中で、僕の心にはこれ以上踏み込むことへの恐怖心が存在している。
知らなければ解決することなど不可能なのに、それを知ることにすら二の足を踏んでしまうのだ。
もし踏み込んで彼女を傷つけてしまったら。もし踏み込んで彼女と険悪な仲になってしまったらと。
結局のところ、僕はリセアさんの言う通り面倒臭い人間なのだろう。
人との適切な距離感を取るのが苦手だったり、アナさんが自身の過去について話してくれるまでゆっくりと待てばいいと考えながらも、いざその核心に迫れば迫るほど知るのが怖いとすら思ってしまったり。
前世も含めて思い出すのすら恥ずかしくなるほど、僕にはいくつも面倒臭い要素が、一般論的人として劣っている部分がたくさんある。
── だから友達がいなかった。だから恋人がいなかった。そういう風に考えてしまう思考も含めて、だから僕は自分のことが嫌いだった。
……でも、今は違う。いつからかは明確ではないが、僕はそんな自分が昔ほど嫌いじゃなかったりする。
だってそうだろう。きっとそんな僕だから、あの日アナさんと出会うことができた。今こうしてマッサージ店を経営したり、リセアさん、ウィリアムくんやコラドさんなどたくさんの知り合いができた。
心の底から楽しいと、充実していると思える日々を過ごせているのは、間違いなくこの僕だから成し得たことなのだ。なんでもできる完璧な僕でなく、足りないものだらけの僕だからこそ。
「……僕にできることか」
買い被りすぎだと思いながらも、踏み込む恐怖心を抱きながらも、リセアさんが言うのなら僕にできることがあるのか? と、あまりにも単純だが、いつの間にか僕の思考はそちらへと移っていた。
「リセアさんは言ってたなぁ。僕とアナさんが似てるって」
それ自体に特に異論はない。アナさん自身がどう思っているかはわからないが、少なくとも僕も同様の感想をこれまでに何度も抱いていた。僕と彼女はどこか似ていると。
「たとえば自分ばかりが貰いすぎている状況を嫌う所とかそっくりだよなぁ」
双方にメリットがなくては頷かない。この辺りはある意味頑固だといえるし、リセアさんから見ても面倒臭いと感じる部分であろう。そして僕とアナさんの共通点でもある。
「似てる……そんな僕だからできること。リセアさんにはできなくて僕にできることってなんだろ」
正直未だアナさんの過去を知らない僕には、その具体的な答えなど出るはずがない。
ただ1つだけは明確にしておきたかった。リセアさんが僕なら解決できるかもと判断した理由は何か。それを踏まえて、僕はこの後どう行動するべきなのかを。
考えて考えて、ふとある意味では当たり前の事柄に気がついた。
「……相手の立場になって考えられる?」
きっとそれ自体は、やろうと思えば誰しもができることであろう。
だがもしも似たような思考を持つ相手の立場になって考えたのならどうなるか……それはきっと今の僕の行動を決定する重要な要素となるはずだ。
「僕が彼女の立場なら何が嫌で、どうすれば納得するかか……」
その答えはもうすでに僕の中にある。
「それを踏まえて僕の取るべき行動は……」
結局それは至極単純なことだ。
「アナさんの憂いに触れる勇気を持ち、知ろうとすること……なんだろうなぁ」
くどくどと考えながらも、結局はそこに行き着く。
アナさんが話すまで待つのか、自分から聞き出すのかの違いはあれども、そのスタートは変わらない。
そしてこれ以上考えても、堂々巡りになるだけできっと同じ結論へと辿り着くのだろう。
あとはそれがわかった上で僕がどうするかだ。
「……こわいな」
これまで人間関係を深めた経験がほとんどない僕には、この先にどういった結末が待っているかわからない。だから怖くて仕方がない。
でもその恐怖と同じくらい、いやそれ以上に僕には彼女の憂いを取り払ってあげたいという思いがある。
どれだけ時が経とうとも、この世界においての全ての始まりは彼女で、今こうして充実した日々があるのも彼女と出会えたからであることは紛れもない事実だから。
──ここで掃除が全て終わった。つまりこれからの時間は僕にとっては自由時間となる。
「……よし」
言葉と共に、僕は掃除に使用したタオル類をまとめる。そしてそれを手にしたまま、いつも通りに203号室の外へと出た。