喫茶【memory】
ATTENTION
・完全オリジナルです
・n番煎じネタです
・アンチ、荒らしなどは受け付けておりません
以上がよろしければお進み下さい。
さらりさらりと風で髪が揺れた。
風と髪が頬を撫でる感触に、閉じられた瞳をゆるゆると開けば、雲ひとつない真っ青な空に、芝生や花が広がる大地。目の前には白く細い道が何処までも続いている。
見覚えのない美しい景色。
そこに女子高校生である潮田紬は立っていた。
紬の頭の中は妙に落ち着いていた。青く澄んだ湖の様に、爽やかでスッキリしていた。普通ならば動揺で考えがごちゃごちゃするものだと思う。でもそうならないのは、何か不思議な力が働いているからなのだろうか。
そういえば、ここに来るまでは何をしていたっけ。
いつものように、学校に登校して、授業を受けた...ことまでは覚えている。
それから...どうしたんだっけ。放課後からの記憶が曖昧だ。
とにかく、帰ろう。
制服のポケットに手を突っ込み、スマホを探す。
地図があれば帰れるだろう。そう思ったからだ。
ブレザーのポケットには何も無く、続いてスカートのポケットに手を突っ込んだとき、手に硬いものが触れた。
手で掴むと、四角いものだと分かる。取り出すと、それは自分のスマートフォンだった。
だが、画面の端から端まで割れている。電源ボタンを押すが、カチカチと音がするだけで電源は付かなかった。何度かチャレンジするが、電源は一向につく気配は無い。
諦めてスカートのポケットに戻し、それ以外にも何かないか探したが、何も持ち合わせていない様だ。
さりさりと草木が揺れ、ぴちぴちと小鳥が鳴いている。幻想的な風景をぼんやりと眺めた。
ここにいても仕方ない。歩こう。
そう思い、紬は細い道に足を進めた。
風で草木花が揺れ、小鳥が飛んでいくのを見つめながら歩いていく。時々、自分の黒く長い髪がチラついた。春のような暖かい陽気が紬を照らす。日差しに当てられ、着ている紺色のブレザーが少し暑く感じた。
そんな風景が続く道を少し歩くと、建物が見えた。
今まで同じ風景が続き、建物などなかった場所に、建物がある事を少し不思議に思ったが、そこで何か聞けるかもしれないと思い、近付く。
その建物は、ぽつんと立っていた。
赤レンガ造りで西洋風の外観。
ドアの上には小さく、『喫茶 memory』と書かれた看板が掲げられている。
お洒落な外観に見とれていたその時、カランカランと音を立て、中から男が出てきた。
少し癖のある濡羽色の髪と、髪と同じ色の瞳。
真っ白なシャツの上に紺色のカフェエプロンを付けた男。手に持っているのは掃除道具だ。
店員だろうか。
「おや、お客様ですか」
「ぇ、あ、私は....」
いきなり話しかけられたことに驚いて紬がどもると、男はニコリと微笑んだ。
「いらっしゃいませ、ようこそ『喫茶 memory』へ。どうぞ中へお入りください」
カラン、とドアにつけられているベルが鳴り、ドアが開かれる。にこにこと笑い中へ促してくる男を少し怪しんだが、他に行く宛ても、ここがどこかすらも分からないので中に入った。
喫茶店の中は、外観に似合うお洒落な喫茶店のようだった。内装はアンティーク調な物で揃えられ、落ち着く曲調のBGMがかけられている店の中の雰囲気はどこか懐かしい。
ふわりと香る珈琲の匂いに心が休まる。
そこで自分が思ったより動揺していた事に気が付いた。
なかなか見ない雰囲気に棒立ちになっていると、後ろから来た店主が席に促す。
「どうぞ、お好きな席にお座りください」
「ど、どうも...」
カウンター前にある木でできた椅子に恐る恐る座る。ぎしり、と音を立てるあたり、少し古めなのだろうか。
「あの、ここは何処ですか。貴方は...」
紬の不安そうな声の質問に、カウンターの奥の男はにこりと微笑んだ。
「ここは彼岸と此岸の境目です。この喫茶店は、お客様は彼岸に向かわれるか此岸に戻られるかを決めてもらう店なんです。そして、私はこの店の店主ですよ」
男_店主は微笑みながら答える。
彼岸。此岸。
普通なら理解できない内容は、すっきりとしている紬の頭にすんなりと入ってきた。
「...私、死んだんですか?」
「分かりません。ただ、貴方の命に関わることがあった、という事だけしか分かりません」
さぁっと顔を青くした紬に、店主は仕方ないと言うように苦笑した。
「ここに来るまでのことを思い出せますか」
「.......道を歩いて...?」
「その前です。貴方が、ここに来るまでの事」
ここに、来る前。頭の中で復唱した。この場所に来るまでのことは、どうしても思い出せない。名前や普段の生活は思い出せるのに、ここに来る前の記憶だけは霞かかった様に思い出せないのだ。
無言の紬が何も覚えていないことを察したのか、「そうですか」と店主が言った。
「少しだけ、貴方のことを教えてくれませんか」
「...どうしてですか」
「自分のことを振り返るだけでも、記憶を掘り起こすきっかけになりますから」
「はあ...?」
よく分からないが、この場所に店を構える店主が言えばそうなのだろう。
「大丈夫です。きっと思い出せますよ」
「....ありがとうございます」
在り来りな言葉だが、少しだけ安心した。素直に感謝を述べれば、店主がにこりと笑う。店の中に珈琲の香りが強まった。
「貴方のお名前は?」
「...潮田紬といいます」
「紬さん。いいお名前ですね」
紬の前に、ことりと珈琲が置かれる。驚いて店主の顔を見ると、微笑んだままだった。
「...私、頼んでません」
「頼まれていませんが、私の好意です」
「お金、出せません」
「大丈夫ですよ」
微笑む店主。納得はしていないが、本人が大丈夫だと言うのなら、大丈夫だろう。温かい珈琲の深いコクと苦味は、気分を落ち着かせてくれた。
「お名前はお母様がお付けになられたのですか?」
「...はい。『未来をいつまでも紬げる様に』って願いが込められてる、って父が教えてくれました」
「なるほど。素敵ですね」
『未来を紬ぐ』。これからの自分の選択で、未来を紬ぐかどうかが決まるのだろう。それを考えると、胸がきゅっと痛くなる。
「お母様は、どのような方なのですか」
「...優しい人、でした。いつも笑顔で...私の頭を優しく撫でてくれて...だけど、私が小さい頃に、死んじゃいました」
紬は顔を俯かせて言った。
「...申し訳ありません」
「...いえ、こちらこそ」
店内に気まずい雰囲気が流れる。すぐに、店主がにこりと笑った。
「お父様は、どのような方なのですか」
「…父は…少し心配症で料理上手で、無理するところがあって…でも、誰よりも私を思ってくれる人、です」
優しく困り笑顔を浮かべる父の顔を思い出す。早く帰らなければ、きっと心配するだろう。
「...ご友人は、どんな方ですか」
「.....ゆう....じん....」
それから、紬は黙った。
紬に、友達という友達はいない。学校にも、ネット上にも、友達どころか味方すらいない。
学校でも、教室で一人教科書を読んだり俯き、帰り道は楽しそうな同級生を見て、ただ悲しくなるだけ。
「...何か、良くない思い出がおありですか」
「...友達は、いません」
自分の膝からそっと目を逸らす。窓から見える穏やかな風景は店内の雰囲気とは不釣り合いだ。
「...私、いじめられているので」
俯いたまま、小さな声で言った。
学校は紬にとって苦痛の場だった。他人と一緒に生活する事は、紬にとってしたくないことだった。
「…お嫌でなければ、お聞かせ願えますか?」
「高校に入って、半年ぐらいから...最初は、軽い無視からでした。でもだんだんエスカレートして...最近は毎日毎日、毎日毎日...上履きを隠されて、ノートをぐちゃぐちゃにされて...お父さんが、作ってくれたお弁当が捨てられていたこともあって。
理由は知りません。でもきっと、気に入らないからとか、そんな理由なんでしょうね」
ぐ、とスカートを握りしめる。思い出すだけで、悲しくて悔しくて、涙がこぼれた。
毎日が辛くて仕方がなかった。
でも、父に迷惑がかかることだけは避けたくて、でも頼りにできるような大人もいないから、誰にも言えなかった。
「お父様には、言われたのですか」
「言えるわけないじゃないですか。今でも心配ばかりかけているのに、これ以上お父さんに迷惑も心配もかけたくないんです...!」
思わず少し叫んでしまってからはっと我に返る。
会ったばかりの人に自分の事情をペラペラと喋って、勝手に逆上して。頭のおかしい奴みたいじゃないか。
そろりと顔をあげて店主を見た。店主は、少し悲しそうに微笑んでいる。
罪悪感が湧き上がって、すぐに顔を下げ、奥歯を噛み締めた。悔しさなのか悲しさなのか分からない涙が滲む。自分はいつもこうだ。
人に迷惑しかかけられない。
人と関わることが苦手だった。
自分は昔から、平々凡々で、空気が読めなくて、泣き虫で、父に迷惑ばかりかけてきた。
それでも父は私の手を引いてくれたのだ。これ以上迷惑はかけたくないのに。
「紬さん」
店主に謝ることさえできず、ぼろぼろと涙を零していた紬に、何かが差し出された。
顔をあげると、優しく微笑む店主がハンカチを紬に差し出していた。
「私は貴方の辛さを知りません。貴方の感情を知りません。私では貴方を救えないし、わかってあげることもできません。
でも、紬さんのお父様は違うでしょう」
「...え...?」
カウンターにハンカチを置いて言った店主の言葉に、紬は反射的に顔をあげた。
店主は、優しく微笑んでいた。
「お父様は、貴方のことを何よりも大切に思っていらっしゃいます。それは貴方もわかっているはず。
でもお父様は、貴方が思うより、貴方をわかっていらっしゃるんですよ」
顔をあげた紬の大きな瞳からさっきとは違う涙がまた零れる。
その通りだ。
誰より自分を理解してくれるのは、いつでも母と父だった。
母がいない今、自分を理解し寄り添ってくれるのは父しかいない。
カチリ、と、ぐちゃぐちゃだった心のパズルが、全て正しく直されたような感覚がした。
店主はふ、と微笑む。
「ここは思い出の喫茶店。貴方の思い出の料理を提供致します。ご注文は何に致しますか?」
「....休日に、お母さんが作ってくれたオムライス。お父さんも一緒に、三人で食べたんです。あの頃は笑いあって、幸せだった。
あの頃のオムライスが、食べたいな」
紬は泣きながら何かが吹っ切れた様に笑って言った。
店主は優しく微笑む。
「ご注文、承りました」
_______
店の中に流れるBGMが別の曲へと移り変わった。
BGMに混ざって耳に届くトントン、と食材を切る音が心地よい。
不意に、店主が口を開いた。
「紬さんは、優しい方ですね」
「....いきなりなんですか?」
「自分が辛い思いをしていても、自分の大切にな人のことを思える、優しい方だと思ったんです」
バターの匂いが鼻腔を通り抜ける。
ジュワッと食材を炒める音が耳に優しく響き、先程までなかった食欲が擽られた。
今度は紬が先に口を開いた。
「私の話、聞いてくれますか?」
「ええ。聞きますよ」
「私をいじめていた子達は、元々私が友人だと思っていた子達でした。誰とも話さなかった私に、話し掛けてくれて...。嬉しかったし、最初は楽しかった。でも、それも長くは続かなくて。
きっと私は、人と関わる才能がないんだと思います。だから、こんなに失敗ばかりするんです」
「そんな事はありませんよ。ただ、今は巡り合わせが悪いだけです。貴方を理解し、寄り添ってくれる方に、必ず巡り会えます」
紬は、また流れそうになる涙をグッと堪えた。
まだ店主に伝えたい事があった。
「...思い出したんです。私がここに来るまでの事。
あの子たちに階段で突き落とされた。
落ちて割れたスマホが、床を滑って転がったことだけ嫌に覚えてます。
指先が冷たくて、周りの床が赤く染まってきて。あの子たちは、ケラケラ笑ってました。何が面白かったんだろう。...理解できないし、する気もありませんけど」
「...理解できない方が正しいですよ」
シャカシャカと卵を混ぜる音。それをフライパンに広げ、ジュワァ、と卵が焼ける音。
小さい頃は、母の料理をする音にいちいちワクワクしていた。湯気を立てる出来たての料理に母が微笑み、きらきらと輝く料理を食べて、美味しいね、なんて言って父と笑う。
あの頃は悩みなんてなかった。お母さんも生きていた。楽しかった。なんて思い、紬は微笑んだ。
しばらくしてから、紬の前にことりと皿が置かれた。
「お待たせ致しました。ご注文のオムライスです」
ふわふわの半熟の卵の上にデミグラスソースがかけられた美味しそうなオムライス。
付け合せにはブロッコリーが添えられている。
「...食べてもいいですか」
「はい。どうぞお召し上がりください」
スプーンで端の方を掬って口に入れた。珈琲の味だった舌先に卵の暖かさが伝わる。咀嚼すれば、じわりとケチャップライスの味が口の中で広がりった。大きめに刻まれた歯応えのある玉ねぎと鶏肉が噛む度に存在を主張しているのに、柔らかなご飯の食感を無くすことは無い。
味わい、噛み締める度に目の前が滲む。紬は、このオムライスの味を、食感を、感動を、知っている。
「...なんで...?...お母さんの、味だ...」
ぼろぼろ暖かい涙が溢れ頬を伝う。
バターの風味が強く、ケチャップの味が少し薄い、独特の味。
昔、母がよく作ってくれていたオムライスだ。忘れもしない。忘れられるわけがなかった。自分で作っても、母の味は全く作れなかった筈なのに。
「ここは思い出の喫茶店ですから。思い出の味を再現しています」
「....お母さん...」
涙を流しながら、母の味を噛み締める様にゆっくり食べたオムライスは、とても暖かくて、少ししょっぱかった。
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「ご馳走様でした」
完食した紬は手を合わせ、微笑みながら言った。
涙を流して擦った目元は、少し赤みをおびている。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。...あ、お代って、いくらですか。食べておいてなんですけど、お金は...」
「お金は結構ですよ」
困ったように言う紬に、店主はにこにこと笑いながら返した。
「...え、でも」
「お代は『両親との思い出』。
紬さんの楽しかった思い出の感情が、お代です」
微笑む店主に、紬は驚いて目を見開く。そして苦く笑った。
「...それでいいんですか?」
「ええ。いいんですよ。貴方の思い出は、お金よりも価値がある」
「そう、ですかね」
「そうですよ」
紬の瞳から、また暖かい雫が静かに流れた。目元を擦ると、再び笑う。
カウンターの席から立ち上がった紬は、丁寧にお辞儀をしてから扉を手をかける。
「ありがとうございました。おかげで、大切な事を思い出せました」
「ええ。帰り道は、来た道をそのままお戻りください。...お父様と、仲良く。」
「はい」
紬が浮かべる笑顔は、喫茶店を訪れた時よりも清々しく、優しい笑顔だった。
きっと、父のところへ戻っても、あの表情は崩れないだろう。
カラン、と音がして、紬は店の外に出た。風に乗って黒い髪が舞う。
店の中にはもう店主しかいなかった。
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バックヤードで、店主はクリスタル型の小瓶を大きな棚に置いた。棚には、同じようなクリスタル型の小瓶が沢山並んでいる。
店主が置いた小瓶には、『潮田紬』と書かれた紙が丁寧にラベリングされていた。中には、陽の光を浴びながら輝くアクアマリン色の小ぶりな宝石が幾つか入っている。
その時、カランカラン、と音がして、誰かが店を訪れた。店主は急いでバックヤードを出る。
そこには、一人の男が佇んでいた。
店主が優しげに微笑む。
ここは思い出の喫茶店。
微笑む店主と珈琲の香りが訪れた方を歓迎します。
貴方も、自身の思い出に思いを馳せてみませんか。
喫茶【memory】は、店主と共に、いつでもお待ちしております。
如何でしたでしょうか。
初投稿の作品ですが違和感のある作品ではなかったか、どこかおかしいところがないか、内心縮こまりながらになりながらこの後書きを書いております。
皆様に少しでもいいと思っていただければと幸いです。
此の度はこの作品をお読み頂き、本当にありがとうございました。また別の作品で、お会いできたらお会い致しましょう。