自身の連載小説を書き終えて知ったこと、分かったこと
先々週、私が連載を続けている『そうして君は僕を知る』という小説を書き終えました。 書き終えたと言っても、未投稿分を含めて最終話まで書き切ったという話であって、最終話を投稿して物語を完結させた訳ではありませんので悪しからず。
その件に関して、活動報告にも書くには書いたのですが、出来れば今の心境をもっと深く記したいという思いが私の中にあった事から、今回エッセイという形にさせて頂きました。
さて、私がこの物語を書き始めて二年半。 その間に書いた文字数は約百十万字。 物書き界隈においてその数字が大か小のどちらに扱われるのかは分かりませんが、私にとっては程々な按配の数字だったかと思っています。
そうした長期間の執筆を終えて、私は気が付いた事があります。
その発見を、以下箇条書き形式で記していきたいと思います。
その一 『執筆しない事への罪悪感がすごい!』
私の執筆はほぼ休日中に行う形を取っており、毎日欠かさず書いていたという訳ではないですが、それでも週末や祝日などは推敲や添削も含めて一日最低四時間以上、多い時で六時間超の執筆を続けていた事への反動か、執筆を終えてから初めての週末を迎えて第一に感じてしまったのは、執筆しない事に対する罪悪感でした。
学生で言えば提出必須だった宿題にまるで手を付けずに翌日を迎えてしまった時のような、社会人で言えば上司に連絡も無しに無断欠勤してしまった時のような、そういう部類の後ろ暗さを抱かせる罪悪感でした。
更に正直に言うと、このエッセイさえも、その罪悪感から逃れる為の私の中での罪滅ぼしみたいなものです。
そうした感情を抱いた辺り、私の中での執筆という行為は最早趣味を通り越して義務に近いものになっていたのでしょう。 熱しやすく冷めっぽい私が、それをしない事によって罪悪感を覚えるに至るまで一つの物事に打ち込めたという事実は、それだけ物書きに対する熱意が深かったという事でもありますから素直に喜ばしい反面、無意識の内にそれほど自身を追い込んでいたのかも知れないという反省も感じています。
その二 『達成感より喪失感の方が上』
これは私が自身の小説を書き終えた直後に感じた事ですが、もちろん自身の頭の中に思い描いていた物語を文章という形にして書き終えられたという達成感は得られました。 しかしそれ以上に感じてしまったのが喪失感でした。
その喪失感というのも、何と言うんでしょうか、赤子の頃から絶えず成長を見守り続けた我が子たちが日に日に成長を重ね、いつしか大人になり、一人立ちし、やがて結婚して――といったような、いわゆる親馬鹿の類の感情なのでしょうけれど、物語を全て書き切ったという事で『私にはもうこの子たちにしてあげられる事は無いのだな』という事実を突きつけられて、立派に一人立ちしていった子を親として誇らしく思い、しかし自身の元から自立し去ってゆく子の背中に哀愁を感じてしまうのもまた、親として抱いて然るべき感情だったのだと思います。
その三 『明らかな執筆能力の向上』
当初、私が物書きを始めた頃の私の執筆能力はお世辞にも優れていると言えたものではなく、良くて一時間の内に千字、物語の進行に詰まった時などは二、三百字で関の山、という現状でした。
しかし執筆完了間際の頃には一時間の内に二千字は当たり前、調子が良ければ三千字に迫る量の文を書けた事もあり、その辺りの文章量の差異に鑑みれば、文章構成力や内容の良し悪しはさておき、二年半の内に私の執筆能力は自画自賛ながら著しく向上したと言っても良いでしょう。
今ならば、学生時代に書く事を煩わしく思っていた読書感想文などは、提出の最低基準であった四百字詰めの原稿用紙四枚分とは言わず、十枚でも二十枚でも難無く書ける気がします(量を書けば優れているという訳では無いですが……)。
その四 『誰かの為に書いていた作品が、自分の為の作品になっていた』
現在連載中の小説がある、またはこれから自身の作品を投稿しようとしている人が第一に望む事は『一人でも多くの人に自分の作品を読んでもらう事』だと私は思っています。 私も投稿を始めた頃はその願望を抱く一人でした。
しかしながら、今誰かに「あなたは誰の為に小説を投稿しているの?」と聞かれたら、私は迷わず「自分の為だ」と答えます。
そうは言いつつも、一人でも多くの人に自分の作品を知ってもらいたいという欲求は当然今も私の中にはありますし、ブックマークが増えたらモニターに手を合わせて「ありがとうございます」と言いながら拝んでいます。
そうした読者の反応は本当に大切にしています。 その上で私は自分の為に、そして作品の為に投稿し、完結へと向かっていると言い切ります。
いつぞやに見たエッセイだったかネット上の言葉だったかは失念しましたが「物書きをしている人が自身の作品を書いて、何かしらの媒体に投稿を果たすという事は、自身がその作品を面白いと思っているからだ」という言葉が、今もなお私の頭に残り続けています。 言っている事は至極当然な事ですが、中々に確信を付いている言葉だと私は思っています。
それはそうですよね。 「こんな、寝る間際に頭に過った陳腐な設定を寄せ集めてつらつらと書き殴ったような欲望妄想丸出しの物語が面白い訳がない」と自己評価を下しつつ投稿する人は居ないと思います。
現在ここの小説サイトなり他小説サイトなりに自身の物語を投稿している方は、少なくとも自分自身が「これは面白い」と思っているからこそ投稿している筈です。 私自身も、自分の作品が面白いと思っているからここまで投稿を続けてきました。
私の作品は恋愛小説を謳っていますが、作品のテーマが万人受けするものではないので、投稿を始めた直後からあまり評価という評価は貰えないだろうなと覚悟はしていました。 蓋を開けてみれば結果は案の定でした。
それでも、PVが伸びなくても、評価が貰えなくても、思うようにブックマークが増えなくても、不定期ながら月十五話以上は必ず投稿してきました。
PVも伸びず、碌な評価も貰えず、思うようにブックマークも増えず、ならばその投稿に対する原動力は何なのだと思われる方もいるでしょう。
その答えはもちろん私の中にあります。
それは『私自身が私の作品の読者の一人で、ファンだったから』です。
本当に親馬鹿もいいところだと自身を揶揄したくもなります。 しかし、私は本当に私の書いた作品が好きなのです。
自分の想像したキャラクター達に文章を吹き込み、喜び、怒り、哀しみ、苦悩、葛藤、恋、愛を感じさせ、このキャラクター達の生活する世界が平行世界のどこかにあるのではと自身で錯覚してしまうほどに、私は本気で自分の作品と向き合い、自らが執筆し、自らが読者の一人として楽しんできました。
ここの小説サイトには『完結ブースト』なる現象がある事と、未完を嫌って完結済みの作品しか読まない読者も居るという事を聞き及んでいるので、ひょっとしたら僥倖に僥倖が重なり合って、完結後に私の作品が数多くの人々の目に触れる可能性もあるとは思います。 ですが、たとえ完結後にも評価が今と変わらなかったとしても悔いはありません。 今ブックマークを付けてくれている読者の為に、そして、いち読者である私の為に完結まで辿り着ければ、それで満足ですから。
自身の連載小説を書き終えて知ったこと、分かったことは以上です。
その四の思いに関しては、とても恥ずかしい事を書いてしまったような気もしますが、この思いのみ実は小説を書き終えるずっと以前から抱いていた思いで、どの作者さんも自分の作品に思い入れがあるに違いないと思い込んでいた時に『話題性や流行りに任せてランキング上位を狙い、うまく上位に食い込んだはいいけれど、徐々に伸び悩み、読者に見向きされなくなった途端に更新を滞らせてしまう』という作者も居る事を知って驚愕した覚えがあります(言うなれば損切りというものでしょうか)。
無論話題性や流行りに任せたところでそうそうランキング上位には行けないでしょうから、上位に食い込んだ時点でその作者には相応の実力があるという事は確かなのでしょうけれども、それでも私は、たとえランキング上位に上り詰める可能性が高かろうとも、自分の作品が多くの読者の目に留まる機会が高まろうとも、自身の作品をまるで使い捨てのように扱う事は出来ません。
そうした実情があるという事を知っただけで悲しくなり、胸が苦しくなります。 自身の始めた物語の執筆を滞らせた末に未完で終わらせてしまう事は、物語に登場するキャラクター達の未来を奪うも同然ですから。
もちろん、未だ記憶に新しい、私もいち読者だったベルセルクの三浦建太郎氏の逝去など、何らかの病気や事故により志半ばに已む無く執筆を停止した作品もあるでしょうから、一概に『未完作品は悪だ』とは口が裂けても言えません。
ですが、心身ともに健康そのもので、自身の書いた物語に少しでも思い入れがあるのなら、決して偉そうな事を宣える立場でない事は重々承知の上で、是非とも完結を目指してもらいたいです。 その物語の更新を待つ読者の為に、物語を始めた自分自身の為に、そして、物語の登場人物の未来の為に。
――この件に関しての思いはこの辺で止めておきます。 こうした件は深入りすると思わぬ炎上を起こしかねず、私としてもそれは不本意なので。
少し本題と逸れてしまいましたが、その一からその四の思いをひっくるめた上で結論を言うと、『やっぱり私は物書きが好きだったんだな』という単純な事が分かりました。
今は完結に向けて集中しているので新しい作品を書く予定は無いですが、完結を迎えたら、また新連載なり短編なりを書いて、私の想像を文章に乗せたいと思います。
余談ではありますが、私の小説の完結予定日は7/18(日)、その日まで毎日もしくは一日二話更新しており、完結済みしか読みたくない! という読者の方でも安心して最後まで読めるかと思います(私の作品が肌に合うかは別ですが)。 それ以外の方でも私の作品に興味を持たれた方が居たらぜひ一度、目を通していただけると嬉しいです。
最後になりますが、皆さまの作品がよりよいものになるよう、同じ筆の民として心より願っております。
それでは、良き執筆ライフを!