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第09話 同じ会社の新村くん

 喫茶店を出ると私は三浦部長と別れた。


 別れ際彼が少しだけ寂しそうな表情をした気がするけど、たぶんそれは気のせい。


 横断歩道を渡って閉館した商業施設を横目に駅に入る。ピーク時を過ぎているからかあまり混雑はしていなかった。


 駅の柔らかな照明や発車時刻の案内板が妙に綺麗に映る。三浦部長に対してこみ上げてくる想いのせいだろうか。世界が違っているように感じた。


 再び胸がとくんと高鳴る。でも、これは虚しいときめきだ。それは誰かに言われるまでもなく理解していた。


 三浦部長にとって私はただの部下でしかない。


 まだまだ半人前と思われることはあっても恋愛対象として見てもらえるはずがない。私自身彼と釣り合うとは思っていなかった。


 それでも気づいてしまった自分の気持ちをうやむやにするのは嫌だ。


 だからほんのちょっとでもいいから彼に相応しい女になりたいと願った。今すぐは無理かもしれないけどいつかきっと彼の横に並べるような女になりたい……いや、なってみせる。


 小走りに駅の構内を進みながら私はぎゅっと拳を握った。


 *


 私の住むアパートから十五分くらいのところにあるスーパーは遅い時間まで営業している。


 大通りに面した広い駐車場を縦断してお店の自動ドアをくぐった。二重扉の先は賑やかな空間だ。スーパーのオリジナル曲が軽快なリズムに乗って流れている。


 人の姿はまばらだがじっくり商品を選ぶにはちょうど良かった。


 お店の買い物カゴを片手に奥へと進む。普段行かないスーパーの店内は目新しくコンビニに慣れてしまった者としてはちょっとした探索気分だ。


 若干テンションが上がったまま野菜売り場であれもこれもと買い物カゴへ投入する自分がいた。


 買いすぎかな?


 でもまあ、いっか。


 精肉売り場は鮮魚売り場の先にあり、そこには誰もいなかった。商品もほとんど残っておらず売り物のパックの表面にはぺたりと値引きシールが貼られている。なぜか切ない印象があって私はその中の一つに手を伸ばした。


 売れ残り品の鶏肉のパックに値引きシール。


 うーん。


 私もそのうち貼られちゃうのかな?


 見え始めた三十路の三文字が切なさを上塗りしてくる。いや私はまだ大丈夫、あと一年以上あるから大丈夫と自分に言い聞かせた。


 それに三十歳を迎えたとしても女でなくなる訳ではない。


 むしろ女としてはこれからだ。


 ふと三浦部長の顔が浮かぶ。


 現在彼は三十五歳。私とは七つ違いだ。その年の差が大きいのか小さいのか私には判断しかねた。


 七歳の差で結婚するカップルならどこか探せば簡単に見つかりそうな気がする。二桁の開きがあるカップルだって珍しくない。


 うん。


 頑張れ私。


 鶏肉のパックを片手に私は大きくうなずいた。


「あれ、大野さん?」


 不意に横からかけられた声に私はびくりとする。


 聞き覚えのある声のほうへと振り向くとにこにことした笑顔の男性が近づいてきていた。愛想の良い表情の彼はただでさえ細い目をさらに細くして私を見つめている。


 元陸上選手でインカレで優勝したことのある彼は痩せた見た目の割に筋肉がついている。いわゆる細マッチョだ。


 どこで入手したのか一時期うちの会社の女子社員の中で彼の水着姿の写真が出回ったことがある。私も拝見させてもらったので彼の水着姿はしっかりと記憶に刻まれていた。


 その唇で何人の女性を虜にしたのか、形の良い彼の唇が動く。


「大野さんもここをよく利用するの?」

「わ、私はたまたまで」


 不意打ちのショックが尾を引いていて舌がもつれる。値引きシールがついたお肉を買おうとしていたのが急に恥ずかしくなって頬が熱くなった。


「に、新村くんもここで買い物?」

「うん」


 即答される。


 会社の社内環境部人事課に勤める新村健一(にいむら・けんいち)くんは私と同期入射の二十九歳。所属する部署は異なるが社内でよく会う人だった。


 第二事業部に頻繁に顔を出すのは彼の上司で人事課課長の早見優子(はやみ・ゆうこ)さんだがそれと同じくらいの確率で私は新村くんと顔を合わせていた。


 でも社外で会うのはこれが初めてだ。


「会社から帰って夕食にしようと思ったら豚肉がなくてね。買いに来たんだ」

「……」


 へぇ。


 新村くんって自分で料理するんだ。


 女の子に作ってもらってるんじゃないんだ。。


「大野さんは鶏肉にするんだね」


 新村くんが私の横に立ち陳列された鶏肉のパックを一つ手にする。滑らかな動作で彼は自分の買い物カゴへと放った。


 えっ、豚肉じゃなくていいの?


 疑問符を浮かべた私に彼はスマイルを向ける。元スポーツマンらしい爽やかな笑顔だ。これに惹かれた女子はどのくらいいるのだろう。


 いつもむすっとしている三浦部長とはタイプを異にするイケメンである。


「豚肉は今度でいいや。これで大野さんとおそろいだね」

「……」


 新村くん、ごめん。


 これ、三浦部長の分なの。


 わざわざ教えるのもあれなのでとりあえず黙っておく。


 とはいえ半分は練習用にするつもりだからその意味ではおそろいになるのかもしれない。


 私はそう思い至って愛想笑いを返した。


 持っていたパックをカゴに置き、念のためにもう一パック追加する。まともに調理するのは本当に久しぶりだし、三浦部長には失敗していないものを食べて欲しかった。


「ん? 大野さんって鶏肉好きなの?」


 意外そうな顔をした新村くんにつっこまれた。


 私は内心動揺するが表情に出ないよう努める。


「そ、そうなの。唐揚げとか最高」

「そういえば社食でよく唐揚げセット食べてるよね。そっかぁ、大野さんの好物は鶏肉かぁ」

「そうそう」


 何だか引っ込みがつかなくなって半ばヤケになりつつ首肯する。新村くんが「なるほどなるほど」と口にしながら何やら考え始めた。


 数秒ほど間があり、新村くんが「あのさ」と真面目な口調で切り出してくる。


「俺の知ってるところで良ければ今度一緒に行かない? 鶏肉なら何軒かいい店があるんだ」

「えっ?」

「大野さんは和食と洋食のどっちがいい?」

「えっ? えっ?」


 私がびっくりしながら疑問符を増やしていると新村くんがさらに訊いてくる。


「どうせなら週末がいいよね。土日のどっちなら都合つく? あ、金曜がいいならそれでもいいよ」

「えーっと」


 私はいつの間にか顔を引きつらせていた。


 以前なら大して気にせずお誘いに乗っていたかもしれない。新村くんはよく知った同期だし、美味しいものなら私も食べたい。


 でも……。


 三浦部長の姿が頭をよぎる。どこかへ出かけるというなら彼と出かけたかった。平日でも週末でも彼と一緒がいい。


 そんなふうに思った自分が恥ずかしくて、あえておどけた態度で返した。


「や、やだなぁ。新村くんっていつもそんな感じで女の子を誘ってるの? それに私相手にからかっても駄目だよ。もっと可愛い子にしないと」

「いや、別にからかってない……」


 慌てる新村くんに私は笑いながら手を振った。


「じゃあ私行くね。おやすみなさい」

「お、大野さん?」


 私は足早にその場を去る。


 逃げることだけ考えていた私には「うーん、攻めかたを間違えたかな?」と独りごちる新村くんの声など聞こえるはずもなかった。

 


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