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第05話 何だかもやもやする

 翌日。


 吐く息がそのまま凍ってしまうのではないかという寒さに身を震わせつつ私は家を出た。


 意識している訳でもないのに街のあちこちにあるバレンタインのハートマークに目がいってしまう。


 バレンタインデーの前に節分があるというのになぜか私の歩く通りには節分っぽさがない。


 いや途中にあったお店の窓には恵方巻の広告が貼られていたのだけどこれは少数派だ。勢力は完全にバレンタインのほうが上である。


 はい節分さん、もう少しがんばりましょう。


 そんなスタンプをどこかに捺したくなる。


 ……駄目だ。


 老齢の守衛さんに挨拶するところまではどうにか保てた気力が社屋のエントランスに踏み入れた途端に失せていく。やっとの思いでしゃがみ込むのを我慢したが私の足はピタリと止まってしまった。


 ああ、やっぱり今日は休めば良かった。


 そんなことが許されないとわかっているのについ甘えた自分がひょっこりと顔を覗かせる。


 私は頭を振った。


 甘えと一緒に昨夜から私を困らせるおかしな感情も振り払いたかった。


「おはよう、大野」


 背後から元凶に声をかけられ私はびくりとする。


 身体の奥でとくんと音がした。それ違うそれ違うと無言で繰り返す。


 私は振り返った。


 日々の業務で身に染みついた営業スマイルをここぞとばかりに披露する。相手は大嫌いな三浦部長だがひとまずそのことは脇に置こう。


「おはようございます。今日も寒いですね」

「そうだな」


 三浦部長がにこりとしかけ、すぐに険しい顔つきになる。


 ううっ、怖い。


 これ、もしかして怒ってる?


 理由がわからず私は戸惑う。脳内で緊急会議を開いた。議題は「私はどんなミスをしてしまったのか」である。


「朝からまゆかの笑顔が見れた。超ラッキー」


 頭の中の議論が白熱している私には彼のつぶやきなど聞こえるはずもない。


「ところで、あれだ」


 三浦部長がその切れ長の目を鋭くさせる。眼力が強すぎて私の脳内会議は強制的に終了した。今は部長が怒っている原因を探している場合ではないようだ。


「実は知り合いの女性の誕生日が近いんだがいいプレゼントが見つからなくてね」

「はぁ」


 そういえば私の誕生日ももうすぐなんだよなぁ。


 ま、偶然だけど。


 私はもう恒例となったぼっちの誕生日のことを頭の隅っこに追いやった。ぼっちなのは友だちがいないからではなく単に仕事が忙しくてそれどころではないからだ。


 三浦部長の表情がさらに一段厳しくなる。ああ今度こそ何か怒られると私が身構えると怒りと呼ぶには柔らかすぎる声音が降ってきた。


「君なら何が欲しい?」

「えっ、私ですか」


 彼の声が妙に優しくて心音がとくんと跳ねた。あー駄目駄目、これ絶対認めないからねと私は心の中で避ぶ。


 ごまかすように私は答えた。


「そうですね、最近洗濯機の調子が悪いので新しいのと替えたいです。あとエアコンもマイナスイオンとか出る奴にしたいですね。それと今使ってるスマホも機種変したいなぁって思ってまして。あ、部屋のローテーブルも大分傷んできてるんですよ。あれも新調しないと」


 三浦部長がまっすぐに私を見つめてふむふむとうなずく。


 その視線が何だか恥ずかしくて私は耳まで赤くなる。


 逃げ場を求めるように言葉を接いだ。


「そ、それと今年はかなり寒いので新しいマフラーともっと厚手のコートが欲しいです」


 自分のコートに目を落としながら私は苦笑した。


「これも気に入ってるんですけどやっぱり薄いので」

「そうか」


 三浦部長が大きく首肯した。その頬が緩んで見えるのは気のせいだろうか。


「ありがとう、参考になったよ。それで悪いんだがプレゼント選びに付き合ってくれないか? 僕だけでは不安があるし」

「えーっ、また付き合うんですか」


 とは言ったものの前ほど嫌ではない自分がいた。


 いやいやいやいや。


 そこは嫌がるところだぞ私。


 声に出さずに私は自分につっこむのであった。


 *


 夜。


 私と三浦部長は会社の最寄り駅から二つ先の駅と隣接した商業施設に来ていた。


 この商業施設は十階建てで最上階には美術館、九階にはレストラン街、八階には大型書店とホームセンターがそれぞれ入っている。美術館には興味があるのだがなかなか機会に恵まれず未だに行ったことがない。


 今日も用があるのは一階から七階の売り場のほうで美術館はスルーである。


「ええっと」


 エレベーターホールの壁に貼られた案内板を見ながら三浦部長が言った。


「とりあえず三階の紳士服と五階の子供服は無視していいな。見て回るなら二階の婦人服売場か四階の専門店街くらいか。いや、一階の化粧品売り場も観たほうがいいかな?」

「部長がプレゼントする相手にもよりますね」


 私は彼と少し距離をとって並んだ。


 なるべく顔をまともに見ないで済むよう意識を案内板に向ける。


「どんな人なんですか?」

「ものすごく可愛い」


 即答された。


 しかもやけにいい声だ。


「しっかりしているようで実は抜けたところが沢山あって見ていて放っておけなくなるんだ。でも本人はちゃんとしているつもりでいるから僕のことおせっかいだと思っているかもな」

「……」


 ワオ。


 その人、部長にめっちゃ好かれてる。


 というか部長のデレが羨まし……じゃなくて気持ち悪いんですけど。


「ぶ、部長のその人への好意は何となくわかりました。でも、付き合ってるとかじゃないんですよね」


 ちょい気を取り直しつつ質問した。


 聞こえてくる館内BGMが心音と一体化しかけている。私の胸の鼓動はアップテンポの曲と相性がいいようだ。


「僕は付き合いたいんだけどね」


 なぜか彼の視線を感じる。


 とくん、と私のリズムが一段速まった。体温の上昇とともにとくとくとくとくと加速していく。


 落ち着け私。


 部長が付き合いたいのは私ではなくて誕生日が近い他の人よ。


 じゃなくて。


 そもそも私は部長のこと嫌いだし。


 付き合う以前の問題だし。


 軽い目眩を覚えながら私は案内板の文字に目を走らせる。ああ、六階に家具売り場が出来たんだ。ローテーブルとか見ておきたいなぁ。


「大野はいきなり指輪とか贈られたら引くか?」


 三浦部長の声にこつんと意識を小突かれる。


 私は自分の左手の薬指に触れた。何もはまっていない薬指が心許なくて思わずため息が出そうになる。


 冷静さを装って返した。


「そういうのは誰にもらったかによって変わると思いますよ」

「なるほど、それもそうだな」


 三浦部長が納得したようにうなずく。彼は案内板から化粧品の売り場のほうへと顔を向けた。さらに先には香水が売られている。


「じゃあ香水……いや待て、これはもう贈ったか。今のはなしだ」

「……」


 ふーん。


 その人には香水を贈ったんだ。


 でも私だって部長からもらってるもんね。


 私は何だか面白くなくて口を尖らせる。


 胸の奥がもやもやしていた。

 


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