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第03話 今だけは魔女か呪術師になりたい

 三浦部長と映画を観てから数日経った。


 *


 これはなるべく離れていたほうがいいよね。


 私こと大野まゆか(おおの・まゆか)は会社のデスクで電話をしている人物を見ながらそう思った。


 ダークスーツを着た一八〇センチの大きな身体だとごく平均的な事務椅子では窮屈に思える。長めの黒髪は一昔前に流行ったドラマの主人公を連想させた。切れ長の目は書類を睨んでいる。不機嫌そうにへの字に曲げて彼は受話器を片手に話をしていた。


 ルックスは良いのでもう少しにこやかにしてくれれば印象も違っているのだがこの数分間にこりともしていない。むしろその表情の険しさは増していた。


 あーあ、どっかに行ってくれないかなぁ。


 彼、三浦拓也(みうら・たくや)第二事業部部長と同じ空間にいるというだけで何だか気が滅入ってくる。


 私はため息をついて彼から目の前のノートPCへと視線を戻した。画面には今日中に仕上げなくてはならない企画書が書きかけのママになっている。


 左右に頭を振って鬱屈を追い払うと私はカチャカチャとキーを叩き始めた。


 三ページ目を入力し終えて次の文章を考える。中空に視線を走らせながらああでもないこうでもないと頭を巡らせていると聞きたくない声が意識を小突いた。


「大野」


 私は一瞬びくりとし、声の主へと顔を向ける。むすっとした三浦部長がおいでおいでと私を手招きしていた。


 さっきの電話の怒りがまだ残っているのだろう、耳まで赤くなっている。


 勘弁して欲しい。


 しかし、上司の呼び出しをシカトできるほど私は図太くない。


 逃げ出したいほど嫌だがそれを悟られぬよう腐心しつつ立ち上がった。


 自分の席から三浦部長のデスクまでがやけに遠く感じられる。


 一体私はどんなミスをしでかしてしまったのだろう。


 ずうんと心に鉛を乗せられたような気分になる。別に怒られると決まった訳ではないが私にとってこの道のりは処刑台に続くそれと大差なかった。


 うーん、まだ企画書を出してないからかなぁ。


 思い当たるのはそれくらいしかない。


 でも、あれって今日のうちに提出すればいいんだよね?


 三浦部長のデスクの前に立つと彼はじっと私を見つめてきた。


「……」

「あの、何ですか?」

「うん、可愛い。癒される」

「えっ」


 ぼそっと彼が早口でつぶやいた声は私には聞き取れなかった。


 えーと、どうしよう。


 聞き返してもいいのかな。


 私が判断に困っていると三浦部長はコホンと咳払いした。彼の顔の赤みがさらに濃くなる。


 あ、これはかなりお怒りだ。


 私、そんなに怒られるようなことしたかな?


 必死に記憶を辿りつつ、それでいて焦りを面に出さぬよう私は努める。企画書が遅れたくらいでここまで怒るとは思えなかった。


 「実は新しく接待に使おうと思っている場所があってね」

「はぁ」


 いきなり予想外の話をされ私は戸惑う。お小言マシンガンは火を吹かないんですか?


 もちろん声にはしない。


 そんなヘマをするほど私は愚かではない。


「しかしだ、いきなり良く知りもしない店を接待に利用するなんて無責任なことはしたくない」

「はぁ」


 少なくとも怒られる訳ではないのはわかった。


 けど何、この展開。


 私、ついていけないんですけど。


 思わず目をぱちぱちさせてしまう。


 頭の上に大量の疑問符が浮かんでいても不思議ではなかった。


 三浦部長がごくんと唾を飲み、告げる。


「ということで君も付き合ってくれ」

「え?」


 自分でも間抜けな声だったと思う。


 私はすぐに言い直した。


「ど、どうしてそうなるんですか。接待の下見くらい一人でやってください」

「いや、そこお一人様お断りの店だし」

「……」


 何それ。


 そのお店、独身者にケンカでも売ってるの?


 私が黙ると三浦部長が拗ねたように口を尖らせた。


「この前は付き合ってくれるって言ったじゃないか」

「そ、それはそうですけど」


 そう。


 新年早々、私は三浦部長と映画を観るはめになったのだ。


 そして、その後寄った喫茶店で私は三浦部長に付き合うことを了承してしまった。


 でもあの後「付き合うってどこに行くんですか」って訊いたら、部長のテンションがものすごく下がったんだよね。


 何でだろう?


 お腹でも痛くなったのかな。


「考え事をしているまゆかも可愛いっ」


 私が数日前のことを思い出しているともごもごと声がした。はっきりと聞こえなかったので内容は不明だ。


 ま、どうせ私への悪口なんだろうな。


 無視無視。


 私が華麗にスルーしていると三浦部長がとんとんとデスクを指で叩いた。


「どうせ君はいつもコンビニ弁当で済ませているんだろ? たまにはまともな食事をとったほうがいいぞ」

「……」


 わあ、何この人。


 確かに毎晩コンビニ弁当だけどそんな言いかたしなくたっていいじゃない。


 嫌味なイケメン上司を引っぱたいてやりたい衝動をどうにか堪えて私は苦笑する。両手を後ろに回して自分で手の甲をつねった。痛みで部長への怒りをごまかすのはこれが初めてではない。


 こんなの日常茶飯事だ。


 堪えろ私。


 三浦部長の口撃が続く。ほーら来ましたよお小言マシンガン。


「腹さえ満たせばそれでいいと思っているならそれは大間違いだぞ。食事はきちんと栄養のバランスをとって食べないと駄目だ。だいいちコンビニ弁当はカロリーが高い。そればっかり食べていると太るぞ」


 うん、と一つうなずくと三浦部長は付け足した。


「まあ、僕は少しくらい君が太っても気にしないがね」

「……」


 どうしよう。


 こいつ、殴っていいかな?


 私は頬を引きつらせながらぎゅうっと手の甲をつねる力を強める。これアザになったら部長のせいだ。


「多少太っても可愛さは変わらないだろうし」


 ぼそりと漏らした声は小さすぎて私には聞き取れない。


 でもきっと悪口に決まってる。


 本当に最低な上司。


 この人がうちの女子社員に人気なのは見た目のせい。みんなイケメンが好きだからルックスに騙されて彼の本性に気づかないのだ。


 実際はゴキブリ……いやミジンコ以下のクズ上司なのに。


「わかりました、お供します」


 油断したら言葉ではなく胃の中身を吐きそうだったがぎりぎりで踏み留まる。胸の中で「ここはブラック企業、これは仕事」と呪文のように繰り返した。


 いっそ三浦部長に呪いでもかかればとも思うのだが残念なことに私にはそんな力はない。


 私はただのOL。


 けど、今だけは魔女か呪術師になりたい。


「よし、とりあえず食事に誘えたぞ」


 密かにガッツポーズをとる三浦部長の声は私には届かなかった。

 


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