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第01話 私の大嫌いな人

 年末年始の休みが明けたので会社に出社した。


 すっかりなまってしまった身体に早起きは辛かったが、気合いを入れていつもより早めにアパートを出た。地下鉄で会社の最寄り駅まで行き新年の清々しさと休み明けのけだるさをないまぜにしたような人の波に巻き込まれつつ社屋まで辿り着く。


 人の良さそうな老齢の守衛さんに新年の挨拶をし、エレベーターではなく階段へと足を向けた。


 私の勤務する第二事業部があるのは八階。


 三階の踊り場まで昇ってから少し後悔した。ヒールでなくパンプスを選んでおいたのは正解だったと思う。


「大野」


 背後から声と革靴のコツコツという音が近づき私をどきりとさせる。私は一つ息をついて彼に振り返った。


 一八〇センチの高身長の彼、三浦拓也(みうら・たくや)第二事業部部長が階段の途中で足を止めて私を見上げている。やや長めの黒髪の彼は切れ長の目を鋭くさせていた。すぐにでも叱責が飛び出しそうなへの字の口は罵詈雑言砲だ。彼がその気になったら私のような平社員はひとたまりもない。


 でも、この人うちの女子社員に人気があるんだよね。


 三浦部長は口の悪さを十分にカバーできるルックスの持ち主だ。女子社員の中には彼とお近づきになりたいがために口実を作り第二事業部を訪れる者さえいる。三浦部長が社員食堂を利用したときには彼のまわりが女子社員だらけになるという噂まであった。


 けど、私には口うるさい上司だ。それ以外の何者でもない。


「部長、明けましておめでとうございます」


 緊張が悟られぬよう気をつけながら年始の挨拶をする。三浦部長の口の端が僅かに緩んだ。ひょっとしたら私が自分でも気づかぬミスをしてしまっているのかもしれない。そう思うと不安がむくむくと膨らんできた。


「明けましておめでとう、ゆっくり休めたか?」


 何てことないただの質問だと判じたい自分と、いやこれは私を叱るための材料探しなのではという自分が短時間のうちに議論する。どこかの国会の質疑応答のようにこの議論はまともな答えが出ぬまま時間切れとなった。


 ふっと三浦部長が笑んだ。


「ま、どうせ君のことだから実家でごろごろしていたんだろ? いつまでもお休み気分でいないでしっかり働いてくれよ」

「はい」


 わぁ、何て嫌な上司だろう。


 新年早々嫌味を言わなくたっていいじゃない。


 そうそうと言いつつ三浦部長がスーツの内に手を入れた。


「実は知り合いから映画のチケットをもらってね」


 クリーム色の封筒を取り出して彼は続けた。


「ペアチケットなんだが残念なことに僕は独り身だ。君、悪いが付き合ってくれないか?」


 ぞわり、と背中に悪寒が走った。


 全力で断ろうと口を開きかけたとき彼が付け加える。


「あ、年末に君がやらかしたミスなら気にしなくていいから。別にそれをネタに強要しようとかそんなつもりはないよ」

「……」


 えーと。


 それ、逆に「ミスったんだから言うこと聞けよ」ともとれるんですけど。


 というかやっぱり強要だよね?


 わぁ、とんでもない上司。


 最低。


「わ、わかりました。お供します」


 私の会社はブラック企業だ。


 これは仕事、と割り切ることにした。


「そうか、じゃあ今度の日曜にでも……」

「いえ、今日でいいですよ。平日のほうが映画館も空いてますし」


 休みの日にまで三浦部長の顔なんか見たくない。

「わ、わかった。なら終業後にということで」

「はい」


 私は話の終わりをきっかけに「では、失礼します」と一声かけてから背を向けた。変じは待たなかった。


 あーあ、朝イチで嫌な目に遭っちゃったなぁ。


 無言でつぶやいて盛大にため息をついた。


 *


 午後。


 取引先の挨拶回りから戻ると三浦部長に呼びつけられた。


 彼のデスクは窓際にあり青空の先に小さなスカイツリーが見える。外はとても良い天気なのに私の心はどんよりと曇っていた。


 私、また何かやらかしちゃったかな?


 これといった心当たりもなく頭に疑問符を並べながら三浦部長の表情をうかがう。


 やはり怒っているらしく顔が赤い。


 というかこれはかなり怒ってる?


「大野」


 しかめ面で睨まれ私はびくりとする。何もしてないはずなのだけど、もしかしたら自分でもわからないうちにミスっていたのかもしれない。


 無意識のうちに手に汗をかいていた。


「実はさっき秘書課の山口くんから香水をもらってね」

「はぁ」


 三浦部長がデスクの引き出しから紙袋を取り出す。有名ブランドのロゴがついた紙袋だった。私にはとても手の届かないような高級ブランドだ。


「良かったら使ってくれ」


 紙袋を差し出され私はどうしようかと逡巡する。怒られるとばかり思っていたので意表も突かれていた。


 私が受け取らずにいると三浦部長の声が一段低まった。


「ん? こういうもらい物は駄目かね?」


 いや、駄目というか……。


 私は紙袋を受け取った。そうせざるを得ないと思った。もしここで断ればまた余計に目をつけられてしまうかもしれない。それは御免だった。


「部長、ありがとうございます」


 一応お礼を言っておく。もちろん頭を下げるのも忘れない。おかしな難癖をつけられても困るし。


 三浦部長が表情を和らげた。


「きっと君にぴったりの香水だと思うよ」

「はい、ありがとうございます」


 部長にそう言われても全然嬉しくない。


 むしろ「あんたに私の何がわかるのよ」って感じだ。


 もう一度お礼を言って背を向けた。


 三浦部長が「クリスマスプレゼントには間に合わなかったからなぁ」と意味不明なことをつぶやく。あまり興味もないのでつっこまずにおくことにした。


 あーあ、これどこかに捨てようかなぁ。


 でも高級ブランドだし、もったいないかな。


 思わぬもらい物に困り果ててしまう私であった。

 


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