序9.
グラバー襲撃から一夜が明けた。
徒歩で6時間かけて最寄りの村まで辿り着いた一行は、そこに構えられた騎士団の駐屯地を訪ねた。
訪問の目的は、馬車などの物資を借りる事と、伝書鳩ならぬ伝書蝶なる魔物を聖都へ送る為である。
村ごときにわざわざ部隊単位の騎士が常駐しているのは、なんとこの村に聖剣が安置されているからなのだという。
聖剣の名は、まさかの“エクスカリバー”。
“選定の岩”なる台座に刺さったエクスカリバーは、ここ数百年ほど誰かの手に渡っていないのだという。どこかで聞いたような話である。
さておき、過去にエクスカリバーの精霊に見初められた者たちは、勇者と呼ばれていたらしい。
というよりも、エクスカリバー以外の聖剣を使う者も含め、聖剣使い全体を勇者と呼ぶのだそうだ。
このエクスカリバーは聖剣の中でも特に古い歴史を持つらしく、また、聖剣は古ければ古いほど力を持つと言われている。
それにしても、魔王と対を為す存在と言えば勇者なのに、現在勇者は現れていないのだ。
アーサー王は果たしてどこへ行ったのやら、である。
ちなみにヤタラも以前、エクスカリバーを抜けるのではないかと試してみたことがあるらしい。
異世界人特有の主人公補正でなんだか行けそうな気がしたのだそうだ。
だが、岩の一部のように固く突き刺さった聖剣はビクともしなかったのだという。
魔法で腕力を強化して無理矢理引っこ抜こうとしたら、台座の方がミシミシと悲鳴を上げ始めたので中断したのだとか。
「まーねー、私には魔法も権力もあるからねー。別にいーし。今更、聖剣使いとかサムいだけだしー。」
唇を尖らせながらそう言ったヤタラからは未練しか感じられなかった。
異世界人の補正云々という話であれば、同郷のサクラダはどうか。
彼もまた、この世界に来てからは、よくわからない体の頑丈さや魔法の才能といった恩恵を受けているのだ。
だが、そもそも彼は『一応』記憶喪失の身元不詳人ということになっている。
下手に村の中に入って狼藉を働いたら第3師団の責任問題になるという話だったので、今回のところは遠慮しておくことにしたのだった。
さて、そんな正体不明の異邦人であるサクラダと、その隣で不貞腐れているグラバーに対して、村に駐屯する騎士達は好奇の目を向けてきた。
王都にもめったに戻ることが出来ず、なまじ自己完結している村内には外部からの刺激がもたらされることも少ないという話だ。
1人と1頭は、ヤタラ達が用事を済ませている間に、『事情聴取』という名のお茶会に強制参加させられたのだった。
なかなかに気の良い騎士達は、記憶を失って空中に投げ出されたサクラダの境遇に同情してくれたり、巷を騒がせていた老飛竜が何故か亜人姿で女装しているという意味不明な事態に腹を抱えて笑ったりしていた。
苛々が最高点に達したグラバーが小火騒ぎを起こしてしまったのだが、それもまた彼らの良い思い出となったのだという。
あまりにもポジティブすぎる。
別れ際に仲良くなった男性騎士たちが、ヤタラの服を借りているサクラダに下着やまともな服を恵んでくれた。
女性騎士たちはソワソワしていた村人たちから贈られた野菜を手渡してくれたり、グラバーに大量の甘味を送ったりしていた。
魔族を目の敵にしているはずの騎士団たちだが、友情と可愛いものには弱いらしい。
そう考えれば、魔王による亜人化作戦は、ある意味で成功しているのかもしれなかった。
さて、聖剣を守る村から暫く馬車に揺られていた一行。
馬車の乗り心地はお世辞にも良いとは言い難かったが、サクラダはこれまでの疲労や昨晩の寝不足ゆえに船を漕いでいた。
女性だらけのこの馬車内で意識を手放せば、どんな失態を犯してしまうかわかったものではない。急ブレーキで痴態を晒すこととなったアイラの記憶は新しい。
だが、ここにはエナジードリンクなんて便利な目覚ましは存在しないのだ。
アイラやオリビアと話しをしたり、無言で甘味を貪るグラバーを眺めるなどして、なんとか気を保とうとしていたサクラダ。
だが、それでも眠気には抗えないものだ。
ウトウトして頭を揺らす度に、隣に座るヤタラの鎧へと頭をぶつける事となった。
そのたびにはっと目を覚まして「すみません」と謝罪していたのだが、そもそも当の彼女が腕組みしながら寝息を立てている。
いくら知らぬ仲ではないとはいえ、さすがに気を緩ませすぎなのではないかと思う。
正面に座るアイラを見てみると、彼女は声を殺して肩を震わせていた。何かツボに入ったらしい。
そんなふうにのんびりと進んでいた馬車は、その日の昼過ぎごろに目的地まで辿り着いたのだった。
◇ ◇ ◇
「うー、っん…。あっ、ほら!ご覧なさい、弟子。聖都が見えてきましたよ!」
御者台で伸びをしていたオリビアが前方を指差した。
彼女の指先を目で追ったサクラダは、思わず車窓を開けて上半身を乗り出した。
ちょうどなだらかな山道を下っているために見晴らしがよく、『聖都』の全景を目に納めることが出来た。
「おおーっ! あのでっかい切り株の周りがそうなんすか?」
サクラダの目に映った『聖都』は異様でありつつも神秘的であった。
まず目に付くのは巨大な木の切り株のような構造物である。
褐色というよりも緑色がかった灰色とでも形容した方がよさそうなその切り株は、はたして直径何百メートルあるのだろうか。
サクラダにはド田舎で住んでいる祖母がある。その祖母に連れられて山へ山菜取りに行った時、雷に打たれて裂けた木を見せられたことがあるのだ。
その木と同じように、巨大な切り株は瘤だらけの幹の途中で、斜めにぱっくりと口を開いているのである。
幹にある瘤や地上部に張り出した根から枝が生えており、それは碧というよりも蒼の葉をつけている。
生命豊かな表面とは裏腹に、幹の中はどうやら朽ちて空洞になっているらしい。
ただ、その中には数々の立派な建物が建てられているのだ。
ズラリと並んだ美観の中、ちょうどそのど真ん中に荘厳な宮殿が建てられているのである。おそらくはあれが王城なのだろう。
切り株の側面にも建造物が建てられており、ロープウェイやリフトのような乗り物で昇降している様子が見える。
だが、やはり王を下に見るようなことがあってはならないからだろうか。王宮よりも高い位置には、何もないのだ。
巨大な緑灰色の切り株の周辺にも数多くの建物が建てられており、それは外周へ近づくほどみすぼらしくなっているようだ。
町並みはいつか写真で見た、エディンバラのような黄土色の建物で統一されている。
そして、町の外周の縁には、真っ白な漆喰で装飾された外壁がぐるりと巡らされているのである。
「厳密には、聖都というのは、“世界樹”の洞に囲まれたあのエリアを指す言葉です。ウロディニウムという名もそこから来ているという話が……いえ、冗談ですので真に受けないで下さい。」
珍しくもダジャレを零したオリビアは、長時間手綱を取っていたがために疲れているのだろう。
軽く肩を回せばボキボキと音が響く。
「あそこに見える、王宮の次に立派な建物が、騎士団の本部です。なかなか立派なものでしょう? ですが、わたし達がこれから向かうのは、聖都の外周都市にある駐屯地ですよ。」
「なるほど。」
聖都から離れたこの場所からでも見えるほど、広大な運動場のような広場を伴った奇麗な施設がサクラダの目に入った。
おそらくは、あれが目的地である駐屯地なのだろう。
『…フン。』
忌々しげに失笑したのはグラバーである。
ヤタラに騙されて亜人形態が解けなくなり、まんまと騎士団の総本山まで連れてこられた彼は、もはや諦観を抱いているのかもしれない。
「グラバー殿も、お疲れ様でした。ご不安になられるのは理解いたします。ですが絶対に、我ら第三師団の誇りにかけて、あなたを悪いようにはしないと誓います。」
座り心地の悪い馬車に、慣れない亜人姿で座らされていたグラバーも疲れていることだろう。
オリビアは相変わらず機嫌の悪そうなグラバーににっこりと笑いかけた。
『…ドウダカ。詐欺師ノ部下ノ鼻血女ナド…。』
「は、鼻血女…。」
しかし、グラバーの暴言にその笑みが引き攣ることとなるのであった。
▽ ▽ ▽
「とうちゃーくっ、と。オリビア、長時間お疲れ様。」
一行の乗った馬車が聖都の外壁に辿り着くと、待ち構えていたかのように鎧姿に武装した騎士たちの隊列が馬車を取り囲んだ。
おそらく、ヤタラ達が聖剣の村で飛ばした伝書蝶が、サクラダやグラバーの事を知らせていたからであろう。
その証拠に、馬車の周りにいる騎士たちは一貫して剣を胸の前で掲げる謎ポーズを取っている。
恐らくは、敬礼に相当するものなのだろうか。
馬車から降りた3人の騎士達も同様のポーズを返している。
「騎士団長閣下、並びに各師団長のご到着!」
騎士達の後方、外壁の門側からそんな声が飛んだ。
それを聞いた騎士たちが、揃った動きで左右に分かれていく。
モーセが海を割ったように、人の波が道を作っていく。
そして、騎士たちの道を通って、10人の騎士たちがヤタラ、オリビア、アイラの前に並んだ。
10人の騎士の一番先頭を歩いていた、壮健そうな男が一歩前に出て口を開いた。
「ご苦労だったな、ヤタラ第3師団長殿。」
ハキハキと歯切れのいい声で3人を労ったこの男こそが、聖アルビー騎士団の騎士団長のようだ。
騎士団長は、複雑な紋様入りの金鎧を身に着けた、深緑色の短髪が物珍しい偉丈夫である。良くも悪くも体育会系のイケメンといった感じで、さぞかしモテることだろう。
サクラダは身勝手にも彼のことをそう評したのだった。
「あー、はい。戻りました。…イレギュラーが多すぎて疲れたんで、さっさと休みたいんですが。」
面倒くさそうな顔でヤタラが受け答えた。
その態度からは敬意の欠片すらも感じられない。
厳めしい顔をしていた騎士団長は、それを聞いて噴き出した。
「ぶはっはっは!そうだな。聞けば、随分と苦心したようじゃあないか。遠足にしては色々なことが起こりすぎだな。さすがは『幸運なる第8王女』殿下といったところか。」
「…張っ倒しますよ筋肉ダルマ。その呼び方したら、ぶっ殺すっつったでしょう。」
何やら、聞き逃せないワードが聞こえたようだが、一旦は置いておこう。
2人は憎まれ口を叩き合っているが、険悪な様子には見えない。
喧嘩腰の両者を止めに入る者もいないし、これがデフォルトなのだろう。
ヤタラの口から出た罵詈雑言を豪快かつ爽やかに笑い飛ばした騎士団長は、ヤタラの後ろで姿勢を正しているアイラとオリビアに顔を向けた。
「フォーサイス卿とフリズバーグ卿も、もう少しだけお付き合いいただけるかな?お疲れだとは思うが、証人が多いに越したことは無いのでな。」
「御意に。」
「も、もちろんです!」
かしこまった様子でオリビアが、少し慌てた様子でアイラがそれに返事をした。
「舎の方にうまい食事を用意している。お客人たちも、寛いでいってくれたまえ。」
窓から様子を窺っていたサクラダと、興味がなさそうに飴をかみ砕いていたグラバーに視線を向けた騎士団長は、そう笑って再び騎士の道を戻って行った。
彼の後ろに付き従っていた従者や師団長たちも彼の後ろを追った。
だがその中に、1人だけ流れに沿わなかった騎士が居る。
灰色の甲冑に身を包んだ、中性的な顔立ちをした女騎士だ。
他の人々とは違い褐色の肌をしていて、何本か走っている古い切り傷痕の部分だけが白っぽくなっているのである。
糸目というほどではないにしろ、目が鋭く細まっていて、シャープな顔の輪郭も相まって鋭利な印象を受ける。
真っ白な髪から少し覗く耳が、人間にしては長く尖っているのが目を引く。彼女の種族はいわゆるエルフなのだろうと予想が付く。
エルフの騎士は、トコトコと馬車に近づいて来ると、美しい古傷だらけの顔をサクラダが覗いている窓に近付けた。
「…老眼なものでな。ちょいと失礼するぞい。」
喉が焼けたかのようにガラガラな低い声でそう言ったエルフ騎士は、細まっている目をさらに細めた。
若々しい見た目の割に、年寄り臭いというか、爺臭い喋り方をする女である。
「…なるほどのう。面白い因果もあったもんじゃい。」
サクラダの顔を様々な角度から凝視した彼女は、納得したように一度頷いた。
そして、踵を返して騎士団長や他の師団長たちの後を追いかけたのだった。
「なんだったんだろ…。」
サクラダは、思わずグラバーに問いかけた。
『……。』
我に聞くな、と視線で返されてしまった。
騎士団長達が去ってからは、サクラダとグラバーの護送が始まった。
ヤタラ、アイラ、オリビアの3人の騎士達は、騎士団が用意した別の馬車に乗り換えていった。
少しグレードの高そうなその馬車には、労わりの意味が込められているのだろう。
サクラダとグラバーが乗っている馬車には、全身をフルプレートで覆った甲冑騎士が両脇を固めるように乗り込んできた。
どうやら、サクラダとグラバーを手錠なしで拘束するという意図があるらしい。
御者台にも新たな騎士が座り、彼の鞭によって馬車は走り出した。
そのまま門にしつらえられた巨大な金属扉を潜り、馬車はとうとう町へと足を踏み入れた。
騎士がこんなところにこれだけ集まるというのが珍しいのか、住民たちが道脇に列を作ったり、家の窓から身を乗り出したりして騎士の列を物見しようとしている。
なんだか異様な空気感であった。
ワイワイと何が起こっているのかを語り合っている住民たちだが、騎士の列が近づくと、たちまち静かになるのである。
馬車の中にぎゅうぎゅう詰めに座る甲冑騎士達も、駐屯地の敷地に入って馬車を降りる時まで何も言わなかった。
第3師団の3騎士たちがお喋り好きなだけだったのかもしれないが。
次話か次々話ぐらいでやっとタイトルが回収できそう。
要するに、序章が終わらせられそうです。
関係ないですが、オリビアは騎士の家の娘、アイラは商家の娘です。