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51.霧は晴れたが

 聖アルビー騎士団では、騎士が軍用ワイバーンに騎乗する際に専用の資格を要求される。


 その理由は、故郷の世界において、公道を自動車で走る際に運転免許を必要とされたのと同じだ。


 騎乗用に生産され馴致されたワイバーンは、人間に対して非常に従順であり、かつ操縦性も非常に高い。彼らは手綱を通して騎乗者の指示にきっちりと従い、縦横無尽に空を駆ける。


 いや、むしろ人に対して従順すぎるほどなのである。

 彼らは生物としてどうなのかと思う程に、騎乗者の指示を脳からの指令と同じぐらいに重要視して行動するのだ。


 例えば、一般の商人たちが利用しているワイバーンは安全に関する自己判断ができるように訓練されているようだ。

 進路に障害物があったら自発的に回避するし、明らかに着地に不適そうな場所であれば、指示されたのとは別の開けた場所に降りようとする。


 対して、軍用の個体はその真逆であると言える。

 セーフティが作戦の妨げになりかねないということで、本能的な部分に至るまでそれを無くすような品種改良を行い、また、騎手のいうことに従うように過酷な訓練を積んでいるのだという。


 軍用生物と聞くと、攻撃的な性格なのではないかと想像してしまいがちだが、ワイバーンに関してはその真逆だ。一般の個体よりも、騎士団のワイバーンの方が大人しくて素直な気性をしているのだという。


 このように、彼らの飛行の安全性は、背に跨っている騎士達に完全に委ねられていると言っても過言ではない。

 なんせ、騎士が手綱を引かなければ、彼らは眼前に障害物があろうと突っ込んで行くし、森の中に降りろと指示された日には、翼膜を引き裂きながらでも着陸しようとするのだから。


 要するに、軍用ワイバーンの交通事故は完全に騎乗している騎士の責任であるということだ。

 事故を防ぐために団内で飛行ルールなども定められてはいるのだが、自動車免許の学科試験なんてレベルじゃないぐらいに難しいし、そもそも空中で動物を操ること自体が難しいらしい。


 結果的に、竜騎士は限られたエリートしかなれないので、聖アルビー騎士団の竜騎士は数が少ない。その代わりに粒は揃っている。

 そうでないものたちがワイバーンを使って移動する際には、専用の荷籠に乗り込むか、はたまた飛行資格者と二ケツするしかないのである。


 うん。だから、資格を持っていない俺が女性の腰にしがみついているのも仕方のない事なのだ。



「クラーダくん、照れてないでもっとちゃんとしがみ付いててください? 落ちても痛くはないのかもしれませんけど、ここらへんは底無し沼も多いですからねー。落下先が底無しだった日には、救出もできないぐらいに埋まっちゃうんですよ。」



 薄い翡翠色の髪を夕陽に煌めかせながら、“俺にしがみつかれている女性”ことグレイス書記官が振り向いた。


 よそ見運転は勘弁してほしいところだが、彼女はまるで側頭部にも目が付いているかのように安定した高度をキープしている。



「そういえばそうだった……。いくら体が硬くても、やっぱり窒息はするもんですかね?」


「キミの身体のことを私に聞かれても知りませんよ……。でもまあ、窒息死してもしなくても、回収が大変なので落ちないように気を付けてくださいねー。」



 フライトゴーグルに巻き込まれた前髪を片手運転しながら直した彼女は、そう言うと肩を竦めて前に向き直った。パラシュート代わりの風魔法が込められたフライトジャケットが、風に煽られてバサバサと翻った。


 眼下に広がっているのは、水たまりと緑の陸地が交互に入り混じる湿地帯だ。カリバーフォード村の周囲に広がっている『演習場』である。


 昨日まで立ち込めていた深い霧が今日になって完全に晴れているが、それは1年に5度あるかないかぐらいの非常に珍しいことらしい。

 見晴らしがいいので竜騎手にとっても好都合な天気なのだという。


 好天だからか湿地内で作業をしている工兵の数も多く、土魔法を使える人々が整備した通路が浮き立っているように見える。

 だが、せっかく整備した通路も、また霧が出れば底無し沼へと徐々に沈んでいってしまうのだという話だ。


 湿地整備は防衛兵長の管轄と聞いているので、工兵たちの殆どは彼女の配下なのだろう。

 あの中にウィリアムさんも混じっているのかもしれないが、高所からでは全く判別が出来なかった。


 ……実を言うとあんまり高い所が得意ではないのだが、ちょっと訳あって地上の景色へと目を逸らしている。

 状況が状況であるだけに、目に入ったら猛毒となりうるものを避けなければならないのだ。


 こんな時でも、煩悩は消えないのが人間の不便な所だ。



「例えば、クラーダくんがズボンのチャックを閉め忘れていたとします。」


「……はい?」



 と、遊覧飛行(違う)を楽しんでいると、グレイス書記官が肩越しに語り掛けてきた。



「相手が無配慮な人だったら、すぐに『チャック空いてますよ』とか言って指摘してくるかもしれないですね。でも、配慮のできる人ならどうするでしょうか。」


「えぇ……? そうっすねぇ、指摘はしたいでしょうけど、ちょっとためらうんじゃないですかね。躊躇った後、遠回しに指摘するかも。いや、そもそもスルーするかな?」



 よくわからないが、『例えば』と置くぐらいなのだから例え話なのだろう。おそらくは“一般的な意見”で返答しておく。



「そうでしょうね。でも、クラーダくんはその“配慮”のお陰で、指摘されるよりも先に自分のチャックに気付くことが出来るかもしれません。多くの場合、そういう人々は挙動不審になりますし、避けようと思っていても無意識に“開いたチャック”に目を向けてしまうからです。」


「そう……ですかね?」



 いや、基本的には指摘されるまで気付けないんだよなぁ、チャックって。

 指摘されずにスルーされて、トイレに行ってようやく『やべっ、チャック開きっぱなしだった! バレてなきゃいいけど……』と恥ずかしくなるパターンが多いと思う。


 男性ならわかってくれるはず。


 そもそもあんまりチャックを閉め忘れない? それはそう。



「まあチャックはどうでもいいんですよ。大事なのは、『相手の視線でチャックが開いていることに気付いた』ってことなので。相手はバレてないと思ってても、クラーダくんは『相手が自分の股をチラ見してくる』ってことがわかるでしょ。」



 ……おっとぉ?



「だから、ね?」



 ちょっと怖いぐらいに穏やかな、脳が痺れるような、微笑みを湛えたような声色でグレイス書記官は語りかけてくる。

 これねえ、マズいやつかもです。



「私のお尻が気になるのはわかりますけど、ちゃんと密着していくださいね。それとも、『密着しちゃったら不味い状態』だったりします? 結果的に“押し付けられる”ことになっても、私は別に気にしませんよー。……ふふふ。」


「謹んでくっ付かせていただきます。何も不味くなんかないので。」



 そうだ、くっ付いて問題になるようなことなんて何にもないんだ。今ので肝が冷えたので、『問題になりそうなこと』も起こりえない。何の問題もないんだ。

 ちょっと疲れだって溜まってるけど、所謂“疲れアレ”ってR-18な創作の中だけの話だろうし。


 ……と強がってはみたものの、自然の摂理というものは意志力だけで制御できるわけではない。大いなるうねりの中には、人も動物も、植物すらも同じであり、そこに境目と言うものは何もない。


 何言ってんだ?



「ああ、書記官殿にクラーダ卿! お待ちしておりました。……ワイバーンが肩で息をしていますが、随分と飛ばしてきたご様子で。その割には遅いご到着でしたが、何か、問題でもありましたか?」


「な、なんでもないですよー。……いや、ちょっと寄り道して魔物を討伐してきまして。ねっ、クラーダくん。」


「アッ、ハイ、スミマセンデシタ」



 事情の読めない衛兵が首を傾げているが、情事、いや事情を説明するわけにもいかないのだ。


 ともかく、目的地である駐屯所別館に到着した頃には、澄んだ夕方の空気が、なんだか『湿った』空気へと変化してしまっていたのであった。


 霧も出てないのに、不思議だなぁ……。




 △ △ △




 事の始まりは、レーカへの尋問中の出来事だった。



「……ああ。目的までは分からないが、1/6程が()()()()の方へと展開していた。拠点設営が大方の狙いだろうとは思うが、立地的有利の無さには私も疑問しかないがね。」


「なーるほど。報告通り、ですね。」



 自身の間の抜けた敗因を理解して以来、レーカはますます尋問に協力的だった。


 彼女はもはや俺を煽る気力すら無いのか、入力されたワードに対応した情報を提示するだけの検索エンジンのような、機械的とも言える態度になっていた。俺は悪くないぞ……。



「こんなところですかねー……。レーカさんもお疲れのようですし、休憩前の最後に1つ。」



 既に尋問を始めてから3時間。かくいうグレイス書記官にも疲れが見える。

 クッションの敷かれた椅子とはいえ、座りっぱなしでは居心地が悪いのだろう。足を何度も組み替えたり伸ばしたりして密かにストレッチしているようだ。


 俺も同様に疲れてはいたが、その『最後の1つ』の答えを知りたかったのだ。意識して姿勢を正し、散漫になりつつあった意識を引き戻す。


 そんな俺の緊張とは裏腹に、グレイス書記官は他の質問の時と同じぐらい軽い口調で問いかけを口にした。



「騎士団には、ネヴァン勢であるモンテルジュ直系の家の者や、その分家等の関係者が何名も在籍しています。彼らも『モンテルジュ家』として、我ら騎士団に、いや、聖ヴァイオレット王国に仇を為す者達と見なければならないのですか?」



 そうだ、これである。


 俺が気にしているのはウィリアムさんの動向だけである。彼は騎士団の敵なのか、モンテルジュ家の敵なのか。

 楽観的ではあるが、仲良くなってしまったのでどちらであってもほしくないと思ってしまう。


 だが、ウィリアムさんはモンテルジュ伯爵家の人間だ。


 既にモンテルジュ家次期当主は長男に決まっているらしく、3男である彼の継承順位は消滅していると言ってもいい。


 しかし、である。


 それでも彼は伝統あるモンテルジュ伯爵家の3男坊なのだ。

 本家の人間というだけで親戚たちからは重要視されているだろうし、領地内でもある程度の力を持っていることだろう。


 すなわち、彼がモンテルジュ勢力ならば騎士団にとっての敵がズラリと増えるし、彼がモンテルジュ勢力から離れているなら敵の数が減る、といえるだろう。


 昨晩のことを思い出してほしい。

 ジュリエッタさんの仮屋敷に泊まり込みで張り込んでいた時のことを。


 レーカらが襲撃してくる少し前、ラルポン師団長が羊皮紙の書簡を送ってきたのだった。まあ、実際はその配達人が師団長本人だったりしたわけだが、今は関係がない。


 ラルポン師団長からの手紙には、信じ難く、そして信じたくないことが記されていたのだ。


 曰く、『ジュリエッタ・キャプレット卿を付け狙った暗殺者たちは、その恋人たるロミア・モンテルジュ卿と繋がりを持っている可能性が高い』、と。

 直接的には書かれていないが、これは『ジュリエッタ卿を殺そうとしている暗殺者たちの首謀者はロミア卿である』、もしくは『ジュリエッタ卿を殺そうとしている敵勢力に情報を流しているのはロミア卿である』という意味である。


 あれだけ仲のいい恋人たちが表面上だけの関係だったとは考えられないが、そうだとすれば納得のいく場面にも何度か遭遇していた。


 例えば、ロミアさんは野宿中に何度も腹を壊していた。

 (シモ)のことなので誰も疑問には思わなかったが、もしも彼が、トイレと偽って隊列を離れている間に暗殺者たちと連絡を取っていたのだ、とすれば辻褄が合う。


 例えば、暗殺者の攻撃は俺とジュリエッタさんを排除しにかかるものばかりだったが、ウィリアムさんとロミアさんに対してはさほど苛烈でなかった。


 こう書くとウィリアムさんも怪しく見えるが、ウィリアムさんは奴らのターゲットではないし、戦闘能力も低いので脅威度が低い。それに、たまに流れ弾を食らいそうになっていた。完全に無関心だった証拠となるだろう。

 何より、ジェフスフィア家は本件に無関係のようだ、と報告を受けている。


 完全に無視されていたのはロミアさんだけで、彼はゴーレム魔法という珍しい魔法を持っているために警戒されてもおかしくは無かったはずだ。

 なのに、攻撃の方から避けていたかのように、彼は無傷だった。


 そして何よりも、節穴じみた俺の観察眼だけでなく、優秀であって然るべき“騎士団諜報部”が、ロミアさんの動向に対して注意喚起をしてきていたのである。


 ただでさえ慣れぬ対人戦に憔悴していたであろうジュリエッタさんに、彼女の敵が最愛の恋人であろうとはとても言えなかった。そもそも箝口令が出されていたのもあるが。


 そして、そんな彼女を気遣い続け、渦中のロミアさんと親友のウィリアムさんにも、相談することはできなかった。


 せめて、少しでも早く2人に『疑いは間違いだった』と伝えてあげたかった。


 いや、それはひょっとしたら、かすかな希望に縋っていただけだったのだろう。

 本当は、秘密を守り続けることから逃れたかっただけなのかもしれない。新入りに任せられるものとしては、大きすぎる秘密から。


 なんにせよ、俺は早く真実を知りたかったのだ。


 当事者であるレーカの口から、ウィリアムさんがこの件に関わっているのか関わっていないのか、はっきりと聞きたかったのだ。



「あんたら騎士団にとっては残念なことだが。」



 淡くも儚い希望は、しかしながら彼女の前置きの時点で破壊されてしまった。



「モンテルジュ家は、()()()()当主に従っていると聞いた。私の配下たちも、モンテルジュ家3()()の私兵だ。ほら、クラーダ卿なら分かるだろう。彼らの戦いは、とても暗殺者と呼べるものじゃあなかった。貴族じみたお行儀のいい戦いだっただろうよ?」


「……。」



 覚悟していたつもりではあったが、何も言いようがなかった。

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