50. 間抜け
「……。」
「……あら? どうして黙るんですか? もしかして、質問を聞き逃してしまいました? K地点における本隊の動向、及び地点確保の目的をお聞きしたんですけど。」
グレイス書記官の聴取に対し、レーカは異様なまで協力的だった。
もしかすれば、調査に協力することによって減刑を期待しているんだろうか。
減刑はたぶん無理だろうけど、刑務所に送られてから先の待遇改善ぐらいならば期待できるかもしれない。
俺は捕まったことが無いので、想像で物事を語っているのだが。無責任極まりねえ。
まず、レーカの言葉を信じるならば、そもそも彼女自身はそれほど重要な情報を知らされていないのだという。
というのも、彼女の正体はなんと『ネヴァン傭兵団の構成員』ではなくて『ネヴァンファミリアによって雇われた傭兵』であり、ネヴァンからすれば外様なのだという。
なんつうか、傭兵団が傭兵を雇うというのも素人にはよくわからない話だ。だが、金で動く外部の人間というのは便利なものかもしれない。
とにもかくにも、レーカは元よりネヴァンファミリアの“尻尾”であり、いざという時には切り捨てられても仕方がないという立ち位置の人員であったようだ。
それゆえに本人も組織に対して愛着が欠片もないらしく、本人が知っている限りの情報であれば、保身のためになんぼでも吐いてくれたのであった。
そんな彼女が、今になって答える口を閉ざしてしまったのだ。
今言った通り、外部の人間であるレーカはネヴァンファミリアから重要な情報を持たされていない。
彼女は自身の雇い主が聖ヴァイオレット王国に対して反逆行為を行う理由すらも知らないし、そもそもどうして自分が、わざわざ暗殺部隊を率いて優先順位がかなり低そうなジュリエッタさんを狙うことになったのかすらも知らないのだという。
気にならないのかと突っ込みたくもなるが、理由を深掘りせずに仕事をするのが傭兵なのだろう。知らんけど。
まあそういうわけで、こちらが組織の内部事情を尋ねても、その内部事情を深く知らされていない彼女が必ずしもすべてに答えられるわけではなかった。
ただ、その代わりに俺に向けての煽り文句が飛んでくることはあったが。
負けてから煽るのはどの界隈でもダサいぞ。微塵もピキってねえし。
ただ、今回に限っては、そんな彼女がよく回る口を閉ざし、黙りこくってしまったのである。
まさか煽りのボキャブラリが尽きてしまったということもないだろう。不審である。
「うーん。お酒とか煙草ぐらいなら構いませんけど……。アナタの場合はまだ余罪が判明していませんし、スウィートルームにご案内、という訳にはいきませんよー? わたしに交渉されても、というところもあります。」
同じように訝しんだのか、グレイス書記官は唇にペンの先を当てながらそう言った。
「いいや、私が求めるのは別のものだ。」
レーカが返した。
「……?」
しまった。2人のやり取りにあまりにも脈絡が無かったので、思わず疑問符を声に載せてしまった。牢番の騎士も俺と同じように首を傾げているので、セーフだろうか。
グレイス書記官は右眉をくいっと上げると(俺が座っているのは彼女の右隣なので、俺に対してジェスチャーを行ったのだと思われる)、肩を竦めながらドヤ顔でこう言った。
「『情報を小出ししておいて、任意のタイミングで止める』。交渉術の基本中の、基本中の、基本ですよ。『こちらは先に対価を払ったのだから、これ以上のものが欲しければこちらの条件を同じだけ飲め』という訳です。クラーダくんはメモしとけばいいと思いますよー。」
「え、あ、なるほど。」
職業柄、とっ捕まる危険と隣り合わせの傭兵は、看守との交渉に慣れているのだろう。そしてそれは逆もまた然りなのだろう。
「それで? 待遇の事じゃないなら、何がお望みで? お仲間の助命に関しては、確約できませんけど。」
「フッ、あいつらが私の助力を請うかよ。」
どこか呆れたように口の端を吊り上げてグレイス書記官を嗤ったレーカは、そう呟いて鉄格子の方を見た。
そっちの方向には、レーカと共に襲い掛かって来た暗殺者たちが詰め込まれたタコ部屋、というかタコ牢がある。
しかし、どうも彼女の目が彼らのことを映しているようには見えない。もっと別の、遠くの……?
「1つ、答えが欲しいだけさ。なあ、クラーダ卿。」
「えっ、俺すか。」
とかなんとか考えていたら、まさかまさかの俺指名である。
なんだ一体。何を求められるんだ。
思わず牢番騎士に目を向けるが、彼は首を左右に振るばかりだ。そりゃそうだよな、すまん。
それでは、とグレイス書記官に救援依頼の眼差しを注ぐ。
「まあ、いいんじゃない? 聞くだけ聞いてみて、団に不利な内容だと思ったら、答えなくていいと思いますよー。」
「あ、曖昧……。俺ってまだ研修期間中のペーペーの新人騎士なんすけど? 情報の価値判断とか騎士団のための損得勘定とか、あんまり自信が無いっていうか……」
「……(ニコッ)。」
責任から逃れようと思ったが、一閃が如き真一文字の唇に黙らされてしまった。これも閉口の交渉術なんだろう。たぶん。
なんで味方同士で争ってんですかね?
「クク、言い淀むほどの秘技、というわけか。」
勝手に1人で納得してニヤニヤしているのはレーカである。お前はお前で何の話をしているんだ。
「勿体ぶるなよ。それとも、察しが悪いのかな? 我が秘奥義、『流星斬』を如何にして防いだのか、と聞いているんだ。軌道は確実に首を飛ばすものだった。防御態勢を取る時間もなかったはずだ。だが、アンタは現に無傷でそこに立っている。そして、私は逆に倒れた。いつ、どうやって反撃したんだ?」
「いや、流星斬て何ぞ。」
よくわからん固有名詞を勝手に共通認識にしないでほしいものだ。イタいって。
「流星だか何だか知りませんけど、クラーダくんと交戦した時の事を言っているんでしょうかね。……罪人レーカ。まさか、今更『知らなかった』なんて言わないでしょうけど、騎士団長の剣技であろうとも、彼には傷を負わせられなかったんですよ?」
グレイス書記官も半目になっている。よかった、俺だけが知らないヤツじゃなかったんだ。
「……聞いたことがあります。」
と、ここでおもむろに口を挟んだのは、まさかの鍵番騎士の彼である。知っているのか、鍵番騎士。
「確か、地の果ての、そのまた果て。我らが住まう空間と、古き神々がおわす“隔絶地帯”との間には、神のご加護を受けた人々が死後の生活を送っている『狭間』があるのだそうです。『狭間』の人々は数百年に一度、増えすぎた悪人を粛正するために現世へと戻るのだそうですが、その際に、『狭間』から我々の住む現世へ出てくるために流れ星の力をその身に宿すのだそうです。次元を切り裂くその力を、死後の世界から帰還した武人が武技としてしつらえたものこそが『流星斬』なのだとか。そうすると、まさかこの者は……。」
感極まったようにそう言った騎士は、怖れを含んだ声色を震わせながら、レーカの顔をじっと見た。
「え、いや、違う……。」
「あっ……、失礼。」
違ったらしい。
死ぬほどどうでもいい。
変な空気になったところで、レーカが咳ばらいを1つ。
「ゴホン。クラーダ卿の絶対的な防御力については、当前だけれどもネヴァンに前もって聞いているさ。奴ら、妙にそのことを気にしていてね。『後に障壁となる可能性がある』とか何とかで、わざわざ私を寄越したのさ。」
「……彼があなたにとっての標的だった、と? キャプレット卿ではなく?」
「まあまあ、それに関してはしっかりと後で話すとも。まずはこちらの説明を聞いた方がいい。」
新たに生じた疑問を封殺され、グレイス書記官はムッとした表情でペンをくるりと回した。だが、ここでレーカの機嫌を損ねるのも時間の無駄でしかないからか、特に何か反論することもなかった。
「何度でも言うが、私とて、剣技には絶対の自信があった。だが、如何に剣技があろうとも、対策もなしに全てを斬ることができるわけではない。刃を研がねば切り口が荒れ、鍔が緩めば軌道が逸れる。鎧ごと相手を斬ることが出来たとしても、二の太刀が出ないのであれば意味が無い。」
FPSに例えれば、撃ち勝てないオートエイム野郎に対してでも、馬鹿正直にエイム勝負を挑むのではなく、グレネードやフラッシュバンを利用して攪乱してこちらに少しでも有利な戦いを作り出せば戦いが出来る、というような事だろう。
まあ、チーターどもは大体の場合は複数個のツールを積んで来るので、立ち回りだけで抗うことすらムリなこともあるが。そういう時には運営に泣き寝入りだ。
あー、ゲームやりたくなってきた。この際、コンシューマーでもいいから。
「つまり、俺を斬るために何か対策をしていた、と?」
ともかく、あまりにもノーダメージすぎて気付くことが出来なかったが、ここで彼女がその話を持ち出したということは『そういうこと』なのだろう。
あの時は無策に切り結んでくるばかりだと思っていたが、実は何らかの策があっただろうし、それが何かイレギュラーゆえに果たせなかったのだろう。
わりと自分の防御力を過信しているところがあるが、レーカほどの達人ともあらば、そこに隠された“穴”に気付くことが出来るのだろうか。
今後、そこを狙ってくる輩がいないとも限らないし、是非とも教えてほしいものだ。
そんな純粋な気持ちで問いかけたのだが、しかし彼女は何故か『分かってるくせにぃ~』みたいな感じで歯を剥き出した。うぜえ。
「ククク……、敗者を愚弄して楽しいか?さぞかし楽しかろうな。気付いていたのだろう? 呪いの痣に。知っていたのだろう? その攻略法を。」
「……?」
歌うように言われても、これには首を傾げざるを得ない。
これもまた何かの例えだろうか。伝わらない例えは痛いばかりなのでやめてほしいが。
しきりに首を捻る俺を見たレーカは、嘲笑、というか自嘲の表情をさらに深めた。
「なんと嫌な奴だ。敗者にその敗因を具体的に語らせようとは! だが、私は敗者であるがゆえに拒否できない! ああ、なんたる恥だろうか?」
「いや、そんなつもりじゃ」
「理解しているとも! 騎士団なんぞと高潔な名を騙ろうとも、人の本質に蓋をすることは出来ないのだから!! どうせ、あの青年も殺してしまったのだろう? 只、私に操られただけの善良な村人の彼を!!」
「えぇ……?」
マジで何の話だよ。
いや、もしかしてあの紙飛行機の彼の事か?
師団長の前でぼ……大恥をかいたショックの方が大きかったが、そういえば、ジュリエッタさんを守っている間に呪符を折った紙飛行機をぶつけてきた青年が居たのだった。
彼はたしかこの建物の医務室で寝かされていると思うが、彼を巻き込んだのはレーカだったという事なのだろう。
「察しがついたようだな? 彼に持たせた呪符には、我が一族秘伝、『脆弱化の呪い』が書かれていた。そう、アンタのその忌々しいぐらいに硬い身体をトーフにする呪いだ。」
「トーフ……? ああ、豆腐。」
英語のTofuみたいな変なイントネーションなので一瞬分からなかったが、豆腐か。この世界にも豆腐があるんだなぁ。
ともかく、この世界には、敵の防御力を豆腐のように脆くするという呪いが存在しているらしい。そして、あの青年がぶつけてきた紙飛行機に本来書かれていたのはその呪いだった、ということだ。
「さすがに、呪いで防御力を突破しようとした、なんてことはないっすもんね。あの紙トンボに書かれてた呪いは最初から無効化されてたし、あれをダミーとしてなんかしようとした、で、あってます……?」
恥をかきながら師団長に確認してもらったので間違いがないはずだが、呪いを食らった際に体表に発現するという『呪いの痣』はどこにも見受けられなかった。
また、紙飛行機の材料となっていた呪符は間違いなく効果を発揮した後だったし、呪符を運んできた青年の体にも痣は見当たらなかった。
なので、『初めから無効化された対象指定型の呪符を渡してくることによって、こちらの動揺を誘ったのではないか』という結論に至ったのであった。
ちなみに、これはつい昨日に判明したことなのだが、俺には『対象に直接作用する類の魔法』が効かない。
当然、その仲間に分類される呪いも効かなくて当然だ。
この情報があの短期間で漏れていたのだとすれば、あえて無効化された呪符を送ってくることで、まるで『俺に呪いが発動した』というような錯覚を覚えさせるつもりだったのかもしれない。
現に、痣を探すために体を精査する必要があったため、時間を稼がれてしまったのは事実だ。ついでにプラシーボ的な効果も狙っていたのかも。
つまり、時間稼ぎには成功したものの、時間を稼いでまで待っていた『何か』が起こらなかったということになる……?
うーん、さすがにこれ以上は情報が無いと考察できない。諦めて白旗を揚げるしかないか。
そう思ってレーカの顔色を伺ってみると。
「えっ、大丈夫?」
何故か彼女は真っ青になっていた。
「無効化、だと?」
レーカはそう呟いた。ガチャリ、と金属製の枷が音を立てる。
「えっ、ちょっ!? お、男衆、出ていきなさい!!」
慌ててグレイス書記官が声を荒げる。
弾かれるように立ち上がった彼女は、俺と鍵番騎士を庇うように……、いや、レーカを庇うように俺たちの前に立ちはだかった。
書いていてなんだが、立ち「はだか」ったというのも、今になってはなんというか示唆的に見えてくる。
というのも、なんとレーカは急に身に着けているものを脱ぎ捨て始めたのである。
まあ、虜囚である彼女が身に着けているものなんて、下着とそれを隠すマント、あとは手枷足枷ぐらいなんだけど。
まあ要するに、全裸になってしまったのである。
そして、下心云々があったわけではなく、単純に反応が遅れたせいで目に入ってしまったのだが、レーカの身体の下着に隠されていた部分。
上下セパレート式のシンプルな布のうちの上部分に隠されていた、隠されているべき場所。
左右で言うと“左側”の方を象るように、這うミミズのような真っ黒な文字列が円を描いていたのである。
「呪詛返し、ですか……。」
背後から(俺と鍵番兵士は牢に背を向ける形で立っているため)、グレイス書記官がそう呟いたのが聞こえた。
呪詛返し。
呪いが何らかの原因で本来の対象に発動しなかった場合、呪いの先が逸らされたのでなければ、術者へと呪いが跳ね返ってしまうという現象らしい。
ん、待てよ?
レーカのちk……左胸に浮かんだ怪しい紋様が“痣”だというのであれば、レーカは何らかの原因で呪われている、ということになる。
こちらの手元には、効力を失った呪符がある。
呪符は俺に対してぶつけられたものである。
この呪符が俺に当たるように差し向けたのはレーカである。
以上の事から導き出されるのは……。
「あ、あ、あああああああああああああああああ!!!!!!!」
頭を抱え込んだかのようにくぐもったレーカの叫び声が地下牢を反響し、その声で奥の牢に詰め込まれていた暗殺者たちの数名が目を覚ましたようだった。
【蛇足的回顧、レーカ視点】
1.適当な村人に催眠術を掛けて操り、紙飛行機を利用してクラーダに“脆弱化の呪い”を掛ける。この催眠術は魔法的なものではなく心理学的なものなので、魔術的痕跡がほぼ見当たらない。
ただ、実際にはクラーダに呪いは効いておらず、この時点で既にレーカが呪詛返しをモロに食らっている。
2.“脆弱化の呪い”が効果を発揮するまでには決まった時間が掛かるため、配下を仕向けて時間稼ぎする。彼らが万が一にもクラーダやジュリエッタ・キャプレット卿を討ち取ったならばそれはそれでよし。彼らが全滅したならばそれはそれでよし。
3.予想通りに配下が全滅したので、満を期して登場。クラーダ以外の執事を片付けてイレギュラー要素を排除した。そこからは自身がダメージを食らわないようにしつつ、剣技で翻弄して時間稼ぎに専念する。
4.呪詛の発動時間直前に、クラーダ側から攻撃してくるように仕向ける。止めを刺す瞬間が大きな隙となりうるため、そこを狙っていた。
恐らく、止めとして放たれる一撃は彼の出来る範囲で最高の一撃であると予想されたが、それまでの戦況から、回避できないほどの攻撃を放ってくることはないだろうと考え、防御を放棄。自身の奥義『流星斬』を確実に急所へと当てられるように回避体勢を整える。
5.攻撃を完全に回避したつもりだったが、想定していないバグ的な謎の加速をしたために僅かに被弾。だが、万が一に被弾した際の事も考えていたため、そのまま攻撃を敢行。それと同時に呪詛返しされた“脆弱化の呪い”が効果を発揮。
アドレナリンが出ていたために痛覚が鈍り、自身のダメージの大きさに、ひいては自身が呪いで脆くなっていることに気付けなかったのだろう。
6.攻撃がクラーダの頭部に着弾。
クラーダは呪詛を回避したために当然無傷だったのだが、レーカは脆弱化の呪いで増化された攻撃の反動をそのまま食らった。
身に纏っていたのが特殊な戦闘服であったために外傷は少なかったが、脳の揺れまでは抑えられずに脳震盪を起こした。脆弱化で感度N倍状態になっているため、クラーダから受けた『筋肉が勝手に収縮する魔法(後遺症なしバージョン)』の痛みも同時に増幅され、気を失ってしまった。




