49.バクテリアの光魔法
カリバーフォード村駐屯所の牢屋と言えば、湿地帯の奥地にある、通称『別館』の地下牢だ。ウィリアムさんが一夜を過ごした懲罰房もそこにあるし、賊や重犯罪者を王都外周都市にある裁定所へ護送するまでの間、確保しておくための一時房もそこだ。
だが、それとは別に村内で起こった軽犯罪や有事の事態に対処するための牢も存在しているのである。それは、常に騎士が何名か常駐している駐屯所に設けられている地下牢である。村の子どもたちは『悪い事ばかりしていると地下牢に放り込まれるぞ』と躾けられるんだってさ。
暗殺者たちの襲撃からさらに一夜明け。いや、すでに二徹だから日を跨いだ実感はないんだけど。ともかく、寝る間もなくグレイス書記官に呼び出された俺は、そんな地下牢へと続くジメジメとした階段を降っていた。
戸板で地上と隔絶されている石階段には、松明とかカンテラみたいな人工物の灯りが存在していない。さほど使用頻度が高い場所ではないため、燃料を節約するためにあえて置いていないのだそうだ。代わりに、ヤシの木みたいな形をした草?コケ?みたいなのが壁のくぼみやら石段の隙間から生えていて、それがぼんやりとした光で通路を照らしている。最近はテラリウムとかコケリウムとか流行ってるらしいけど、俺はその手の趣味に明るくないのだ。
「“マイネドラゴヌスノマンネングサ”っていうんだそうです。万年草なんて名前なのに苔の仲間だそうで。変ですよねー。」
「へー。」
聞けば、コケ自身がホタルイカなどの生物が光る仕組み“ルミノール反応”とかいう化学反応で光っているんじゃなくて、コケの表面に共生しているバクテリアが光魔法を使っているのだそうだ。コケ自身はバクテリアの光魔法を利用して光合成しているそうで、魔素のある場所ならば光が届かなくとも生育できるという珍しい光合成植物なのだとか。バクテリアが魔法を使うというのはびっくりだが、そういえばそういう仕組みで回ってる世界だったわ。
そんなことをベストタイミングで話してくれたグレイス書記官のスカートは、今日も極めて短い。今日はとりわけ短い。なんなら半ケツと言っても過言じゃない。あのチラつく布はガチだろうか、はたまた見せパンというやつだろうか。Undariaちゃん呼ばわりには実年齢的にも身長的にも大人びすぎてるだろうし、なんなら布の見た目もカボチャどころかレースな感じだ。raceというか、laceという意味で。
もしも前者ならばただの痴女なので、個人的にはむしろ後者であってほしいところだ。
何の話だよ。
「おっと。」
と、黒い布と白い太腿のコントラストの事を熟考しているうちに、前を歩くグレイス書記官にぶつかりそうになった。というか、彼女がふいに足を止めたのである。この駐屯所の人々に特有の読心術を使われたのだろうか。まずい。非常にまずい。今、セクハラで訴えられたらシームレスに投獄されてしまう。
……と内心で大慌てしていたのだが、何のことは無かった。
グレイス書記官は、目的地に到達したため歩みを止めたに過ぎなかったのだ。
じめじめとした階段は、じめじめとした雰囲気をそのままに、直線状の少し広い廊下へと繋がっていたのである。廊下の両脇にはまるでラbじゃなくてビジネスホテルのような感じで部屋が設けられており、各部屋は頑丈そうな金属扉で厳重に封鎖されている。ここが件の地下牢のようである。
牢屋のあるビジホ通路と階段との間は鉄格子によって仕切られているのだが、そこには南京錠とシリンダー型の鍵の2種類が設けられている。鉄格子の階段側には椅子と机が置いてあり、鍵番をしている騎士がそこで雑誌を読みながらくつろいでいた。
俺たちの足音に気付いて騎士は顔を挙げた。若い男性の騎士だ。
彼に対し、グレイス書記官は何かの教科書に載せたくなるような敬礼をした。何の教科書かは知らんけど。騎士の教科書とかじゃない?
「おつかれさまでーすー。」
キッチリした敬礼とは打って変わってへにゃへにゃとした挨拶が飛び出した。
「ハッ! 伺っております。どうぞお通り下さい。」
慌てて雑誌の読んでいたページに折り目を付けた騎士は、それを閉じて右腰のポーチから鍵束を取り出した。いや、多いな鍵。今必要なのはたった2つの鍵なのに、その数はおかしいのでは? この牢の房数もせいぜい10部屋ぐらいだろうし、明らかにその10倍以上の鍵を束ねているように見えた。
まあ実際のところ、万が一に鍵束を奪われてしまった時の事を考えて、ダミーを用意していたのだろう。本物の鍵の見分け方を知らない限りは総当たりで試すしかないので、有事の時には時間稼ぎになるはずだ。たぶんね。
そんな鍵束の中から淀みなく正解の鍵を選び出した牢屋番の騎士は、ひとまず南京錠に鍵を刺しながら俺の方を向いてきた。
「それにしてもクラーダ卿、お手柄でしたねえ。“ヤタ”は神出鬼没でどこに潜伏してたのかわからなかったと聞きますし、騎士の前に現れたら現れたで不意打ちして逃げていくという卑怯者なのだそうで。結果的に民間に被害が出たとはいえ、自らを囮にしてまで奴を捕らえようとするその心意気に、なによりもその発想力に感服しましたよ。」
「は。あ、そ、そうですかね? いやあ、照れるなぁ。」
馴れ馴れしく背中を叩かれる。たぶんこの人は防衛兵長系列なんだろうなぁ。ノリがそんな感じだ。金ボタンも着けてないし。
さて、この騎士の発言を聞いて、何か含みがあるように感じたかもしれない。だが、実際のところ、彼は本当にその発言内容が真実なのだと信じているのだ。
なぜ俺が他人の内心を断言できるのか。それは簡単な話なのである。
というのも、この駐屯所では何故か昨日の出来事に関するフェイクの情報が流れているのだ。
『ジュリエッタ・キャプレット卿を狙った暗殺者に、何故か“ヤタ”という傭兵が混じっていた』というのが真実なわけだが、実際に伝わっているのは『傭兵“ヤタ”が、暗殺者たちを率いて、ジュリエッタ・キャプレット卿を狙った』というふうに捻じ曲げられた噂なのだ。ついでに、それに関するすべての手柄はクラーダ卿にあるという事になっているらしい。なんで?
考察中の悪い癖というわけではないが、自分にも関係がある噂である。個人的にその発信源が気になったので、仕事の傍らで情報収集を試みてみたところ、浮かび上がってきたのは意外な人物だったのだ。
そう、目の前で半ケツを丸出s違う違う。違わないけど違う。ええと、俺がこのカリバーフォード村に滞在している間の直属の上司であり、真っ二つに分かれている駐屯所のたった1人の第3勢力である、目の前で半ケツを丸出しにしているグレイス書記官がそれに該当するのである。またケツに言及してる。ケツに執着しすぎだろ、我ながら。
思い返してみれば、暗殺者たちを倒した直後に俺たちの事情聴取に当たったのはグレイス書記官ただ1人だった。誰かが『お供も付けずに単身でやって来るのは珍しい』と言っていた記憶がある。その時は他の騎士たちも忙しそうだったし、手が足りなかったのだろうと流したのだった。
そういえば、グレイス書記官に聴取をされて以来、少なくとも俺は他に聴取を受けていない気がする。ジュリエッタさんがどうなのかも気になるが、彼女は別の仕事をしているらしくて話を聞く暇が無いし、当日その場に居合わせなかったウィリアムさんは噂以上の事を知らないだろう。
以上の事から、グレイス書記官が新たな情報をせき止め、偽の情報を村内に流したと推測できるのだ。
また、あの夜はラルポン師団長やその部下たちが、極秘裏にこの村を訪れていたのだった。存在を匂わせたくない彼女らにとっては、フェイクの情報が流れていた方が好都合だろう。グレイス書記官も所属は第4師団だし、師団長とわりかし親密であるようなので、彼女に情報攪乱工作を指示したのはもしかすると……。
まあ、今はどうでもいいことだ。
鍵番の騎士は2つの錠を外し終えたらしく、重たい鉄格子の取手を引いた。勝手にこの手の牢屋の格子って引き戸なんだと思ってたけど、ここのは階段側に開くようになっているみたいだ。
鍵番騎士は重そうな鉄格子を軽々と開くと、籠手を嵌めた人差し指を立てた。
「荷物検査等は割愛させていただきますが、くれぐれも振る舞いには気を付けてください。罪人たちの前で刃物を抜かぬように。その手の“差し入れ”をして騎士団を敵に回したくはないでしょうし、そうでなくとも武器になるようなものを彼らに奪われたくはないでしょう。」
「ええ、肝に銘じておりますよー。クラーダくんも、ね?」
「イエス。」
唐突な“名前+くん”呼びについては突っ込まない。これまで半ケツスカートにツッコミを入れなかったのと同様だ。
こちらの淡白な反応が詰まらなかったのか、グレイス書記官は肩を竦めると、すたすたと房の方へと歩き始めてしまった。
それに続こうと鉄格子を潜る。しかしその時、肩をポンポンと叩かれた。
「どうしたんです?」
振り向いて小声で問い返す。当たり前だが、呼び止めてきたのは鍵番の男性騎士だ。いったいどうしたのだろうか。
階段側に立っている彼は、俺の背後、すなわち牢の奥の方を指し示した。角度的にいまいちどこを指さしているのか分かりにくい。彼の隣に立って目線を合わせてみることにする。
どれどれ。
指先を辿って牢を奥へと進んでいくと、突き当たったのはグレイス書記官の背中だ。
いや、背中? 背中というよりかはもうちょっと下の。
……ああ、なるほど。
「……素晴らしいですね。」
右頬の横で籠手に包まれた親指を立てつつ、彼は良い笑顔で言った。
▽ ▽ ▽
「き、貴様ァッ! よくもおめおめと私の前に顔を……ッ! 何をしたッ!!」
扉が開くや否や、物凄い剣幕である。唾が飛んできた。いくら下着姿の美少女のものであっても、唾は唾なのでばっちい。
独房は意外にも6畳間ワンルームぐらいの広さがあった。先述したように、この地下牢の主な利用者はトラブルを起こした村民であるため、ある程度は過ごしやすい作りになっているのだそうだ。
まあ、過ごしやすいとは言っても牢は牢だ。やはり苔が生えるぐらいじめじめしているし、設えられている家具の類も味気ない作りになっている。机の上には娯楽用に3冊の本、そしてノートとペンが置かれている。このコケ灯り?バクテリア灯り?の下では暗すぎて到底満足に利用できないだろう。
何よりも、この房の壁からは長い鎖に繋がれた手枷足枷が伸びているのだ。これが村人相手に使われることはまずないらしいが、それでも拘束具があるだけで場の威圧感が増す。
そして、今回の場合は房の利用者が凶悪犯であるため、手枷も足枷も本領を発揮している。
得物や魔法の触媒を仕込んだ衣服を取り上げられ、素性を隠していた変声器付きマスクを奪われ、鎖によって自由な移動を奪われ、ただ生身のみを許されたレーカは、囚われ人というよりも捕らえられた猛獣のような剣幕で俺に迫ってきたのであった。
彼女の手足首は、頑丈な大蛇革の枷に擦れて血を滲ませている。限界まで引き延ばされた鎖はギチギチと悲鳴を上げているが、当然ながら引きちぎれる様子はない。むしろ、勢い良く引かれた鎖の方が反作用をレーカに伝えている。
「落ち着きなさいな、鎖に引っ張られて転びますよ~?」
相変わらずふわふわした感じでレーカを窘めたグレイス書記官は、俺の背後に隠れて飛沫を回避した。
鎖の反動で尻餅をついたレーカは、歯を剥き出して顔を顰めると、忌々し気にこちらを睨んで来た。ペターンっ!!つって転んでたし、あれは尻が痛いだろう。また尻の話してる。
「あらあら。素肌に石畳は冷たいし痛いでしょう? コレ、使っていいですよー。」
そんなレーカに、グレイス書記官は畳まれた布の塊を投げ渡した。かなり面積のある布帯である。実は鍵番の騎士も立ち会っているのだが、彼はこの差し入れについて特に文句を言わなかった。
レーカが布を体に巻き付け終えたのを確認して、グレイス書記官は入り口で拝借してきた椅子に腰掛けた。
「ご自身の境遇は分かっていると思いますが、あなたはソコに立ってるクラーダくんに敗北しました。つまりは囚われの身ですねー。ここは騎士団の地下房ですけど、ゆくゆくは別館の地下牢へ移ってもらいます。最終的には外周都市まで行ってもらうことになるんですかね? 私が決める事じゃないんでよく知りませんけど。」
「……布には感謝しよう、名も知らぬ騎士。クク、敗残兵は何をされても文句を言えんよ。せいぜい、騎士の高潔な仮面の下にある野蛮をぶつけてくるがいいさ。ンなあ、クラーダ卿?」
「いや、俺に言われても。」
憎悪の籠った目を向けられる。もしかして俺が剥いだと思われてんの? 超心外なんだけど。
それを宥めるようにパタパタと手を仰いだグレイス書記官。何と言ったら良いんだろう。おばちゃんが『アラヤダー』っていう時の動作だ。
「まあまあ、あなたが思ってるよりもずっとこの国の騎士団もクラーダくんもちゃんとしてるんで、安心してくださいな。あなたには利用価値がありますからねー。特に大事にされると思いますよ。例えばですけど、野鳥について知りたい時なんかに。」
彼女はそう言って、カラスの紋様が描かれたデッサンをひらりと取り出した。例のネヴァンファミリアとかいうやべえマフィアもどきの紋章である。
そう、俺とグレイス書記官がこの地下牢を訪ねたのは、ここに仮収容されているレーカとその取り巻き暗殺者に聴取を行うためなのである。聴取とは言ったが、相手の態度次第では尋問になる可能性もあるそうなのでちょっとこわい。
カラス紋をその鋭い目に収めたレーカは、口の端を吊り上げた。嫌な笑みだ。そして彼女はその嘲笑のような笑みを浮かべたまま、口を開いた。
「何でも答えてやるさ。なんせ、奴らにはもう義理もないからね。」
“マイネドラゴヌスノマンネングサ”という苔のモデルはコウヤノマンネングサという実在するコケ植物です。本種は光りません。




