48.仮面の下には
「物凄い音がしたようじゃが、無事かな。」
倒れてもなお固く握りしめられているレーカの手から剣の柄を引き剥がそうと躍起になっていると、夜戦用マント姿の見知らぬ騎士たちが裏通りの方からやって来た。その数、およそ15名。
ここの駐屯所の騎士であれば、特徴的な制服か羽根型の金カフスで判別できる。彼らはそのどちらも着けていないので、おそらくは外部の騎士だろう。
「師だ……えーと、シオウポン卿ですか?」
声から察するに、騎士達を率いているのはラルポン師団長か。顔が見えずとも、この特徴的な声だけは聴き間違えない自信がある。
……あれ?
彼女はずっと屋敷の中に居たはずだと思うが、一体、いつの間に外へと出ていたのだろうか。しかも、屋敷のある方向とは反対側からやって来たように思えるが、どういうことだろうか。
「今は“ラルポン”の方で構わんよ。ふー、暑……。」
フードを取ったラルポン師団長は額を拭うと、マントの襟をパタパタと仰いだ。なんだか随分と汗をかいているようである。時期的に見て暑苦しそうな服装ではあると思うが、それにしても汗をかきすぎている。
それに、今気づいたけど、彼女の後ろで隊列を組んでいる騎士たちのマントもべっとりと濡れている。さすがにこの人たちのは汗じゃないってことぐらいわかるよ。だって、べっとりしすぎなんだもん、粘度的に。マントから地面へと滴り落ちた雫の色が赤なんだもん。
物凄く気になりはするが、下級騎士風情が尋ねていいような事なのだろうか。
「ん? なあに、こちらはこちらで色々と忙しかったものでな。」
迷いながら古傷だらけの顔を見つめていたら、彼女はにやりと笑いながらそう返してきた。深く聞くな、という事なのだろう。ならば、非常に気にはなるが、これ以上の詮索は止しておこう。
たぶん、村に近付く魔物でも狩っていたのだと納得して、拘束作業を再開することにした。
会話はそこで止まった。だが、師団長たちは立ち去るでもなく、なぜか、俺がロープと格闘している様子をじいっと見つめていた。
ボーイスカウトでも経験しておけば良かったのかもしれないが、生まれてこのかたインドア派なものである。捕縛術に関するレクチャーは外周都市の駐屯所で受けたが、それはただの座学。いかんせん実戦経験がほぼゼロなもので、ロープの端の行き場がすぐ迷子になる。おまけに、圧のあるマント集団(師団の最高責任者もいる)の視線に曝されている。
……やりにくいったらありゃしない。
やがて、師団長がぼそりと呟いた。
「手際が悪いのう。」
成人してから久々に泣きそうになった。
誰のせいだと思っているのか、と文句は言えない。だって、仮に彼女たちに監視されていなかったとしても、効率自体はそれほど変わりそうにもないし。ともかく、いつもは優しく扱ってくれる上司に呆れられる時ってつらいよね。
なんぞと考えながら四苦八苦していると、血濡れマント騎士の1人がつかつかと歩み寄ってきた。
騎士はマントに土が付くのも厭わず、俺の傍にしゃがみ込んだ。というか、俺の傍に置いてあったロープを拾い上げるために腰を落としたようである。
「お手伝いさせていただきましょう。」
若い男性の声だった。少なくとも面識のある人ではないと思う。
見知らぬ男性騎士は、手慣れた様子で倒れ伏した暗殺者たちを縛り始めた。まずはロープを適当な長さに切ると、対象の意識が失われていることを確認する。手首を後ろ手に縛り、足首を揃えて縛り、仮面をはぎ取って口の中を覗き込み、最後に猿轡を噛ませる。
後に口の中を見ていた理由を尋ねてみた所、自決用の毒や、拘束を切るための刃物が仕込まれていないかを確認していたのだそうだ。
男性騎士が隊列に穴を開けたのに釣られて、という訳ではないと思う。だが、彼と同様に俺の手際の悪さを見かねたらしいマント騎士たちは、瞬く間に暗殺者の殆どを縛り上げてくれたのであった。
さて。手足を縛られて芋虫のように転がる暗殺者の中、拘束されなかった者が1人だけいる。
「こやつが“ヤタ”か。」
ぐったりと伸びている(死んではいない)レーカを靴の先でつんつんと突っつき、ラルポン師団長はこちらを見た。
「本人であるならば大金星、じゃな。」
「少なくとも本人はそう名乗ったっす。“ヤタ”の“レーカ”って。」
加えて、“レーカ”とも名乗っていたことを報告しておく。
「ふーん。魔素胞が空っぽになっておるのか、エネルギーを殆ど感じんな。魔法の使い過ぎでエヴリーナ失調症が出た所を、脚部に無色魔素暴走術の一撃、か。」
そんなに重要な情報ではなかったのか、特に何も触れられなかった。
一通りレーカの状態を確認した師団長は、“ヤタ”についての情報をほんの少しだけ教えてくれた。どうやらこいつは以前から騎士団にマークされていた人物らしい。どうして目を付けられていたのか、までは教えてくれなかったが、暗殺者とか傭兵とかそういう感じなんだしなぁ。それだけで危険視されていてもおかしくはない。
ともかく、指名手配犯というかお尋ね者の捕獲に協力したという事で、ボーナスが貰えるらしい。ラッキー。
「何買おうかなぁ。冷蔵庫買ってみよっかなー。」
「ニアも喜ぶじゃろうのう。……うん?」
と、俺が1人で喜んでいたところ、師団長がふと首を捻った。
いったいどうしたというのだろうか。画家が画角を探しているときのように、指でフレームを作ってレーカの全身を収めている。
「むむむ……。」
かと思うと彼女は、おもむろにレーカの右胸の上に手を置いた。
そして、そのまま五指をわきわきと伸縮させた。
有体に言えば乳を揉むような動作だ。有体というか、身も蓋もない言い方になってしまった。
もみもみ、むにむに、と。あんなに乱暴そうな手つきでは、野郎であっても痛そうだ。しかしレーカはピクリとも動かない。
……ん? 『乳を揉んでいる』?
レーカの胸から手を離した師団長だったが、今度は奴の被っている烏マスクに手を掛けた。
あ、力業。
マスクはどうやら外れにくい構造になっているらしく、師団長がグイグイと引っ張ったことによってレーカの頭部もグラグラと揺れた。
面倒くさくなったのか、師団長はとうとうマスクを繋いでいる紐やら帯やらを切り離し始めた。物凄く強引だが、その手並みは鮮やかだ。マスクにもし罠が仕掛けられていたら、とヒヤヒヤするが、そこは師団長のやる事だから抜かりはないのだろう。
1分も経たないうちに、頭の後ろを止めていた最後の革帯が切り離され、マスクは完全に顔と分離した。そのまま師団長は、カラスの嘴のようなとんがりを持ち手にし、マスクをすっと上にずらした。
細い目をさらに細めた師団長は、現れた相貌をじっと見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「女、か。」
戦闘中にも、もしや、とは思ったが、やはりそうだったか。
マスクの下にあったのは男性の顔ではなく、明らかに女性の顔であったのだ。それも、厳ついゴツゴツしたゴリウー的な感じじゃなく、なんというか、こういう女優さん居そうだよねって感じの線の細さだ。
線が細いと言えば、この国の人々も線が細い部類に入るか。だが、どうもこの国の人々とは人種からして違うように見える。パーツの形が全然違うし、何よりも、日焼けとはまた少し違うような浅黒い肌をしている。同じ地黒のダークエルフ、例えばラルポン師団長とはまた違うベクトルの、少し薄めの小麦色なのだ。
それに、かなり若そうに見えるが、ひょっとしたらこいつは少女と呼べる年齢なのかもしれない。外人さんの年齢は見た目ではわからんけど、騎士達もそんな感じの反応だし。
そういえば、騎士団で指名手配されている“ヤタ”は男性の剣士であるようだ。オーカ卿の幽霊も、彼女自身を殺したのは“ヤタ”という男性剣士であったと証言していた。しかし、俺が今回倒したこの“ヤタ”は、どうやら女性である。
さすがの魔法の世界にも、まさか1/2的な性転換術が存在しているとは考えにくい。幻覚魔法の類であれば俺には通用しないし、姿を変えている訳でもなさそうだ。あとは……、そう、いくらレーカの動きが早かったとて、一瞬のうちに他人とすり替わったりすることは出来ないだろうし。
もしかしたら、今回のヤタ=レーカと、騎士団の追っているヤタ、ともすればオーカ卿を殺したヤタすらも同一人物ではないのかもしれない。
「ふうむ……。」
師団長が考え込んでしまった。さすがの彼女にもこれは予想外だったのだろう。
……もしや、ボーナスの話もなかったことになってしまうのでは?
さて、師団長が悩んでいる間にも、数人の騎士たちがレーカを取り囲み、あっという間に武装を解除してしまった。どうやら奴は体中にアクセサリーや金具の形にした『霊結晶』とやらを仕込んでいたらしく、それらが全て取り外された時には殆ど下着姿となっていた。
やはり、女性の身体だった。拘束具の上から毛布でぐるぐる巻きにしていたのはせめてもの情けだろうか。
騎士達が盛んに首を捻っていたのだが、レーカは体に埋め込むタイプのアクセサリーを着用していなかったようだ。つまり、差し歯とかピアスみたいなものを身に着けていなかったということである。霊結晶そのものが人体に影響を及ぼすことはないようなので、ここまで徹底しているならば装備していない方が不思議なのだとか。
ともかく、レーカの武装解除を以て、ノックアウトしておいた暗殺者たち全員が身動き出来ない状態になったのであった。
「……まあ、今はよいか。」
丁度、それと同時に、師団長の方も結論が出たらしい。
どこか釈然としない様子ではあるが、彼女はこちらを向いて俺の肩をポンと叩いた。
「クラーダよ、お手柄であったな。」
「あ、はい。」
ジュリエッタさん防衛作戦は、これにて一件落着のようである。
▽ ▽ ▽
一件落着と言ったばかりであるが、訂正させてもらいたい。全く落着してなかったわ。
レーカら暗殺者集団を縛り上げ、気絶した執事たちを屋敷へと搬送した所まではよかったのだが、そこから後もまた大変だったのだ。
まず、地に這いつくばっている総勢13名の暗殺者たちを退かす必要があった。いくら裏通りであると言えど、此処は大前提として人様の通り道なのだ。
もしも住民が起きてくる時間に暗殺者たちが目を覚ましたら、そのどさくさに紛れて逃げ出してしまうかもしれない。住民に危害を加えるかもしれない。なので、なんとか日の出までに移動させる必要があったのだ。
幸いなことに、人手はある。
そう思って背後を振り向いたら、いつの間にか師団長と騎士たちは影も形もなくなっていた。怪我人の救出までは手を貸してくれていたのだが、いちばん面倒な場面の直前に、何も言わずに去ってしまったのである。
彼らを責めることは出来ない。というのも、彼らは何らかの作戦行動の途中でこの村へと“極秘裏”に立ち寄っただけであり、ついでに物音がしたから覗きに来ただけだったらしいのだ。物音というのはまあ、戦闘音のことだろう。
……余談ではあるが、騎士たちの目的というのは『師団長と合流すること』だったのではないかと推測している。師団長自身も長官ら駐屯所の管理者たちに訪問の件を話を通していなかったようだから、彼らにすらも知られてはいけない“何か”をやっていたのだろう。
そんな人たちがどうしてわざわざジュリエッタさん保護作戦に首を突っ込んできたのか。謎は深まる。
まあ、謎を深めていたところで、人手不足という問題は解決しないのだ。こちらの男手はレーカのせいでほぼ全滅しているし、かといってメイドさん達にこういう事を頼むのも申し訳ない。
気は進まないが、駐屯所のみなさま方に力を借りざるを得ないのだ。
「後輩ちゃん。確か、書記官のグレイスさんはここの所属じゃないのよね?」
と、いざ重い腰を上げようとしたときに口を挟んできたのはジュリエッタさんだった。
「あー、そういえばそうらしいっすねー。俺らと同じ第4の所属だとか。」
何の雑談かと思ったが、ちゃんと話を聞いてみれば納得であった。
要は、『いちばん初めに誰に対して声を掛けるのか』という話である。
俺は何の気なしに“手の空いている人”に助けを請おうと考えていたのだが、そういえば駐屯所は絶賛内部分裂中であった。“手の空いている人”が長官陣営と防衛兵長陣営のどちらであるかということ次第で今後の村内での立ち位置が決まりかねないのである。
そして、任期中だけとはいえ俺はグレイス書記官の下に就けられているのだ。ならばその上官にまず話を通した方が良いだろう、ということらしい。
「中立立場のグレイスさんだったら、長官と兵長さんのどっちにも話を付けてくれるでしょ? こういう時はね、相手が上に居る人であろうと、上手く使うのが大事なのよ。」
ロミアさん絡みのあれこれで侮っていた節がないでもないが、そこはさすがのジュリエッタ“先輩”であった。
というわけで、騎士寮舎で休んでいたらしいグレイス書記官を叩き起こして事情を説明した。
グレイス書記官、夜は熟睡するタイプだったのか、着崩れたミニスカスーツにナイトキャップを被って表に出て来た。とはいえ、そこはさすがの上位騎士。直ぐに諸々の手続きを行ってくれた。
こんなふうに、一見して順調そうにも思えるが、細々としたこと自体にもまた時間が掛かる。
そこから戦闘中に壊れてしまった民家の家主に謝罪しに行ったり、町中に暗殺者が入ったことを予知していながら駐屯所を通さなかったことについて叱られたりしているうちに、なんと朝が来てしまったのである。
現在時刻は朝の8時だが、これからまた聴取が始まるのである。朝飯を食う時間もない。
今回は少しばかり特例的だが、騎士の朝は早いのだ。




