序6.
頭上を炎の塊が通り抜ける。
まるで恒星を撃ち落としてこの場に持ってきたかのような、明るく熱い塊だ。
周囲の空気を吸い込んでますます燃え上がる炎の球が通り抜けると気温の低い夜闇に、日中の砂漠の熱風が吹きすさぶ。
幸いにもグラバーが放った2発の火球に誰かが巻き込まれることはなかった。
だが、彼らの後方には、大事な馬車とマーウーがあった。
「アイラ!!」
「駄目、間に合わない!!」
アイラの魔法で火球を包み込み、鎮火しようと考えたヤタラの狙いは決して悪くなかった。
だが、アイラの防御魔法はあらかじめ準備していないと発動しない。
自分たちの身を守るための魔法は用意できたが、とっさに馬車を守るための手立てを備える余裕はなかったのである。
高速で撃ち出された火球は馬車に着弾し、哀れな2頭のマーウーと馬車を燃え上がらせてしまった。
暗闇の中、自身が燃え上がる炎で照らし出されたマーウーたち。
彼らは焼け落ちた手綱を引きちぎると、表面に火が通ってしまって上手く動かせない脚を狂ったように動かしながら、必死に逃げ出そうとした。
だが、燃え上がる馬車の傍に、ずしりと重たい音を立てて着地した巨大な影が一つ。
赤銅色の硬い鱗がびっしりと集まった甲殻に、種名の由来ともなった鈍い金属色の棘が生えている。この棘は、実際に金属で出来ているのだ。
それを裏付けるように、長いワニのような頭部の後方に生えたひときわ大きな2本角は先端の方から錆びている。
大きな翼は長きに渡る戦いによってボロボロに穴が開いているが、その代わりに筋肉が異常に発達しており、瘤のように盛り上がっている。
太い尾は意外にもしなやかで、鞭のようにくねりくねりとのたうっている。
老いたメタルホーンドレイクのグラバーは、その名前の由来にもなった後ろ脚の大きな爪で、こんがり焼きあがったマーウーをがっしりと掴むと、おもむろにそれを貪り始めた。
腹に噛みつかれたマーウーは、まだ死に切れていないのだろう。分厚くて火の通りが悪い腿肉をビクンビクンと痙攣させている。
食い破られた腹の肉からは、ぬめぬめと生々しい、草食動物に特有の長い小腸がぶるりと零れ落ちた。
彼が首を振る度、周囲に破れたはらわたから零れ落ちた消化途中の植物や赤い血が飛び散る。
「食べ方汚っ。」
あまりにもきれいなフラグ回収に思考が停止していたサクラダは、思わず場違いなセリフを吐いた。
「馬鹿!逃げるぞ!!」
そんな彼を縛っているロープを素早く切ったヤタラは、彼の腕を引っ掴んでその場から逃げ出した。
「あぁ…ロクサーヌにヴェリオット…。」
グラバーの糧にされた2頭のマーウーの冥福を祈るオリビア。
冥福を祈りつつも彼女の足は速い。
あっという間に逃げ出した4名のトップに躍り出た。
「せっかく色々準備したのに、全部無駄になっちゃったわね…。あ、クラーダさんも乗っていきます?」
ふわふわと横向きに浮かぶ大杖に横座りするアイラ。
魔女が箒に乗るように大杖を乗りこなす彼女は、相変わらず魔素切れでふらふらしているサクラダをヤタラから奪い取ると、ひょいっと持ち上げた。
小柄で細身なのに、どこからそんな力が出てくるのだろうか。
「あ、ちょっと!ズルいですよ、弟子!!」
重たい甲冑をガチャガチャ言わせながら必死に走るオリビアは、滑るように自身を追い抜いた箒を見て唇を尖らせた。
「おいトロール!!消音魔法使えやボケナス!!!」
異様に足の速いオリビアになんとか追いついたヤタラは、彼女の肩を殴って自身にも適用している消音魔法を発動させた。
鎧の金属音が無くなり、グラバーの気を引きにくくなったはずだ。
「いや、めっちゃ見とる!!めっちゃこっち見とるが!!!!」
だが、当のグラバーはマーウーを齧りながらもこちらへ向ける視線を切らない。
金色の双眸がサクラダのことを捉えており、「これを食い終わったら次はお前だ」とでも言いたそうだ。
「…クラーダ君ばっか見とるし、こいつ置いてったらワンチャンわたし達だけでも助からんか?」
額から汗を垂らしながら悪魔じみた発想を零したのはヤタラである。
オリビアとアイラから非難の籠った目線が送られていることに気付いた彼女は、また別の汗を垂らしながら肩を竦めた。
「いや、冗談よ?うん。」
「冗談じゃなかったら師団長に殿を務めていただこうかと思っていた所よ。」
「師団長。冗談というものには言っていい冗談と言ってはいけない冗談の2種類があるのです。」
文句を言う2人の騎士。
「ちょ、アイラ先生!?」
少女がお気に入りの人形にそうするように抱きしめられたサクラダは、体全体で柔らかな…。
…嘘だ。
アイラのごつごつとした金属鎧と籠手の感触を、背中やお腹で感じたのだった。
「でも、なんだかんだで逃げ切れそうですね。今度は馬車に積んでいた塩漬け肉を食べていますよ。」
姿勢よく腕を振って走るオリビアは、息も切らさず冷静に、焼けた馬車を指差した。
マーウーの内臓だけを喰らったグラバーは、棘だらけの尻尾で器用に馬車を打ち壊している。
そして、尻尾の先のカギ形の棘で塩漬け肉の塊を引っかけると、オーバーとも言える火力の炎魔法でそれを炙った。謎にグルメである。
「妙だな、ヤギには手を出してないのか…。それに、なんというか…。」
遮蔽になりそうな岩の陰に身を隠したヤタラは、腕組みをして言い淀んだ。
「…なんか、人間みてえな動きっすね。」
まさか死後、蘇った挙句、本物のワイバーンを見ることになろうとは思いもしなかったサクラダでも、違和感を感じた。
老飛竜グラバーの動作は妙に人間臭いのだ。
勿論、体の構造の関係上、人間の行動を完全に模倣しているというわけではない。
だが、でかい図体なりにその行動の要所要所に人間の意思のようなものを滲ませているのである。
例えば肉を炙る時の勿体ぶった動きや、明確な殺意の籠った視線を向けて来る所等。
まるで、グラバーというワイバーンに人間的な精神をブチ込んだかのような違和感を感じるのである。
日本人にわかりやすく言うのであれば、白米の中に麦粒が混じっているかのような違和感を……。
……ただの麦飯だコレ!!!
「あの、ヤタラ卿さん。」
「なに。たぶん同じことを考えてるだろうけど、取り敢えず言ってみ。」
サクラダは岩陰で顔を寄せ合っている3人の騎士の顔を見た。
3人ともおそらくは同じ結論に至っているのだろう。
「たしか、魔族って後天的なもんなんすよね?」
「…少し語弊がありますが、そうですね。魔族のうち“始祖”と呼ばれる者たちは、魔王自身が魔物を改造することで生まれると言われています。」
サクラダの質問をオリビアが肯定した。
「っすよね。そんで、魔物に色んなものを混ぜ込んで、言う事を聞くようにしたのが魔族なんすよね。」
「はい。一説によると、人間の魂を埋め込んでいるとかなんとか。」
サクラダの質問をアイラが肯定した。
「ところでヤタラ卿さん、そのメッシュって地毛なんすか?染めたんすか?」
「えっとね、これ地毛なんよ。って関係ないやろ!」
ヤタラの髪に8束ほど混じっている青色のメッシュは、なんと地毛らしい。
本当に今はなんの関係もない。
要らぬことばかり言うから、また頭を小手で殴られた。
「殴んなくてもいいじゃん……。それはさておき。」
やはり痛まない頭を掻きつつ、サクラダはようやく結論を述べた。
「アイツ、魔族にされてませんか?」
ブルーチーズゴートを好むグラバーが、ブルーチーズゴートそっちのけでマーウーや塩漬け肉を喰らっている。
臓器移植を受けた結果、食の好みが変わるなんていう噂話もあるが、それはこの世界でも同じなのだろうか。
ワイバーンと呼ぶにはあまりにも回りくどく人間臭い所作は、ワイバーンの身体に人間を埋め込んで操っているかのような違和感を醸し出している。
現在も視線だけはこちらに向けたまま、勿体ぶって炙り肉を齧っているのだ。
恐らくグラバーは、住処にしていた山を去った後、魔王軍に捕獲されて“魔族”へと改造されてしまったのであろう。
「見てください、背中に縫合痕があります。恐らく、改造手術の名残なのでしょう。」
オリビアがブロードソードの切っ先でグラバーの背中を指し示す。
両翼の付け根の中間がギザギザに割れており、そこから不気味な蒼白い光が漏れている。
恐らくはそこが、彼女の言う“縫合痕”なのだろう。
「まあ、それが分かったところで状況の悪さには変わりないもんなぁ…。」
ヤタラはそう言ってため息をついた。
むしろ強大な力を持つグラバーに魔族特有の搦め手が加わり、さらに厄介なことになっているのではないだろうか。
少なくとも簡単にこちらの事を逃がしてくれそうにはない。
「せめて俺がもう少しだけ魔法を使えれば…。ちなみに、魔素?が足りなくなった時って回復する方法とかないんですか?」
攻撃魔法が使えるようになったばかりのサクラダが出来る事など少ないだろうが、彼が全力で魔法を放った場合、現状でかなりの火力が出るのではないかとアイラが言っていた。
もし仮に魔素の残量を回復する方法があれば、いざという時の布石となり得るかもしれない。
そういう意図を込めての発言だったのだが、何故かその場の空気が凍り付いてしまった。
「そ、それは…その…。く、変質者!!」
サクラダがナニを晒していた時のように狼狽え始めたオリビア。
「…。」
無言で顔を逸らしたアイラ。
そして、無表情になったヤタラが呟いた。
「セッ〇ス。」
「はい。…はい?」
可憐な女性の口から唐突に飛び出た言葉に、サクラダは首を傾げた。
「セ〇クスすれば男の魔素が女の子に受け渡されるヨー。」
死んだ目をしたヤタラは何故か片言でそう言った。
原理は未だに判明していないが、その…行為を行えば魔素を男性から女性への一方通行で分け与えることが出来るのだそうだ。
男女を陰陽の関係に例えるという考えや、サバトのオルギアと呼ばれる悪魔崇拝の儀式は、地球上でも存在していた。
だが、この世界ではそれが有性生物の法則として成り立っているらしい。
なんでも、産まれてくる子どもに渡すための魔素を母体が準備する際に合理的な手段なのだとか。
そして、それゆえに大昔の魔法使いたちは戦争の際に男女一組のペアを作っていることが多かったのだとか。
なんにせよ、魔素が空っぽなのは男のサクラダだけなので、何の有用性も無い情報である。
ただただ空気を悪くしただけの最低な質問であった。
「…すみませんでした。」
だから、サクラダは土下座した。
せっかく縄を解いてもらったのだから、両手を揃えた綺麗なフォームで土下座した。
「…一応、魔素回復速度を早める薬というものもあるんですよ?ただ、それも馬車と一緒に燃えてしまったんですけども…。」
気まずそうにそう言ったアイラは、彼に少しだけ近付いてきてしゃがんだ。
そして、慰めるように彼の頭を撫でながら言った。
「クラーダさんは何も悪くないのよ…。頑張って何か出来る事が無いかを考えてくれたんですものね…。」
意図したものではなかったとはいえ、失言をかました上、おそらく自分よりも年若い少女に憐れまれてしまった。
既に一度死んだ身ではあるが、サクラダはもう一度死にたくなってしまった。
▽ ▽ ▽
グラバーと睨み合った状態で既に30分が経過した。
グラバーは変わらずこちらに攻撃を仕掛けてこようとしないが、4人が妙な動きをすると低い唸り声をあげて威嚇してくる。
「交渉出来たり…しないっすかね。」
魔族とは、言葉が通じる魔物だ。
上手くあちらが求めるモノを提示できれば交渉の場に立ってくれるかもしれない。
まあ、そうは言っても現状で交渉の場に出す事の出来るモノなど“人間”ぐらいしかないのだが。
「…言い出しっぺの法則。」
恐らくそんなことを考えたヤタラがボソッと呟いた。
「確かに。ちょっと行ってきますわ。」
未だに頭が混乱しているサクラダは、岩陰から身を乗り出してグラバーの元へと歩き出した。
先ほどの失言が頭から離れなかったのも大きい。
するりと何の恐れもなく踏み出した一歩からは少しの敵意もにじみ出ていなかった。
そして、その動きがあまりにもナチュラルだったせいで誰も彼の事を止めることが出来なかった。
「おーい、グラバー!ちょっと喋ろうぜ!」
じっとしている間に多少の魔素は回復したので、火球一発ぐらいなら相殺できるだろう。
仮に自分が殺されても彼女らのために何か残せるのであれば…などという殊勝な心掛けがあったわけではないが、むやみやたらに頑丈になった身体のこともある。
それに、グラバーの方もまさかサクラダが無防備に歩いてくるとは思っていなかったらしく、呆気にとられた様子で、すぐさま魔法を撃ってくるようなことはなかった。
「ば、馬鹿!!本当に行くやつがあるか!?」
のんきにグラバーに手など振っている彼の背中に、ようやく呪縛から解かれたヤタラが叫んだ。
「ぐ、動きたい……、でも、下手に今行くと奴を刺激してしまいかねません…。」
苦々し気な顔で剣の柄に手をかけているオリビアは、混乱したように唸り声を上げているグラバーを睨んだ。
「せ、せめて炎抵抗魔法だけでも…。」
大杖を振るってサクラダに魔法を付与したアイラのオッドアイは涙で潤んでいる。
「おーい。この際、馬車を焼いたことはたぶん許してもらえると思うからさあ。ちょっとでいいから話に付き合ってくれよ。」
もはやヤケクソ気味にグラバーに近づいていくサクラダ。
『………愚カナ。』
そんな彼の様子を見たグラバーは、シュルシュルとため息にも似た息を吐きながら、初めて言葉を発した。
サクラダ(24)
オリビア(18)
アイラ(17)