44.紙トンボ
一番初めに気づいたのは、外回りの警護の者達ではなかった。
「あれ?」
「どうしたの、後輩ちゃん。」
なんだかんだで周囲に馴染んでいたラルポン師団長扮するシオウポン氏を含め、ジュリエッタさんの警護を固めていた深夜2時。さすがにちょっとダレてきて、最近団内で流行の“魔法のバナナ”の言葉遊びが始まりかけていたところ。
さすがに人手の減った通りには、偶に通りがかる深夜番の騎士の鎧がガチャガチャと響くぐらいである。確かあれは、わざと音が立つように作られた鎧を着ることによって騎士の存在をアピールし、犯罪を抑止しようとしているのだったか。火の用心の拍子木的な。
近隣住民からすれば喧しくて眠れなさそうなものだが、この村の人々の場合は、むしろ逆に騎士に守られているという実感が得られるので安眠できるのだという話だ。
それはともかくとして。
静寂の中、夜番のものではない、明らかに異質な足音が耳に届いたのである。
これはFPSプレイヤーあるあるだと思うのだが、ゲーム内で足音を気にしているうちに、現実の世界でも足音に感性が鋭くなる気がする。どっちの方角から聞こえたとか、何人分の足音とか、そういった情報が気になってくるのだ。少なくとも俺はそう。
今しがた聞こえた足音はちょうど1人分。屋敷から見て西側、距離から考えると裏通りと呼ばれている路地の、さらに裏にある細道の辺りからのものではないだろうか。石で舗装されている裏通りからは聞こえないはずのザラザラした砂利音を考慮してもまず間違いないだろう。足音はまごついているのか何なのか、行ったり来たり止まったりを繰り返している。
「ほう…。クラーダ卿にも、先のが聞こえましたかな。随分と耳が宜しいようじゃ、もしや、聴覚にも強化術をお使いになっておるのかな?」
シオウポン氏にも聞こえていたようだし、俺の聞き違いではないだろう。ちなみに、こちらの世界に来てから聴覚は特に変化していないような気がする。耳朶は物理的に強くなってるだろうけど。
「襲撃者ですか? であれば、総員所定の位置に…」
ジュリエッタさんちの執事長が速やかに反応する。彼は警備に当たっている人たちのリーダー的立ち位置なので、異常があったら他の使用人たちに指示を出してくれることになっているのだ。
判断が早くて頼もしいことこの上ないのだが、シオウポン氏はそれを制止した。
「いや、どうじゃろうな。ちょいとクラーダ卿、確認してきてくださらんかな。」
「俺っすか?」
名指しされたのは俺だった。
まあ確かに確認は必要だ。足音が件の暗殺者たちだったとすれば、足音が1つしか聞こえなかったのが気がかりだ。かといって、1人だからと油断して本当に暗殺者だった場合は彼らの思う壺だ。
仮にそうでなかったとしても、こんな夜更けにコソコソと怪しい動きをしている人物である。気付いておいて咎めないというのは騎士団員として職務放棄となろう。
どうせシオウポン氏がいればジュリエッタさんたちに危害が及ぶことはないだろうし、そう言った意味では俺以外に適任者がいないのかもしれない。
「ということなんですけどジュリエッタさん、いいすかね?」
「なんで私に聞くの?」
いちおう持ち場を離れることになるので確認してみた所、ジュリエッタさんは怪訝そうな顔を送ってきた。なんだよ、さっきまで家主面してきたくせに。
というわけで1人、裏路地を確認しに行くことにしたのだった。
▽ ▽ ▽
かといって夜番の人に見つかってしまうと色々と面倒が起きそうな気がする。なぜか第4師団長が参加してはいるものの、冷静に考えればジュリエッタさんの警護は本来ならば騎士団の力を頼るべき案件である。それをあえてこちらだけで解決しようとしているのだから、怪しまれそうなものだ。
ゆえに、夜番が巡回してくる表通りを通過しないように遠回りして、通りとも呼べないような細道を回っていく。図らずも裏取りする形になったようだ。
しきりにジュリエッタさんの借家を気にしながら物陰に隠れているその男性は、ちょうどこちら側に背中を向けながら裏通りを警戒している様子だった。広々とした背中や丸太のように太い腕はがっしりとした筋肉に覆われているようで、彼の職業が農家か建設員のような肉体労働であることの証拠となるだろう。帯剣していないのでまさか騎士ではあるまい。
かなり至近距離にまで寄ったのだが、俺が足音を殺して近付いたせいで、こちらの存在に気付けていないようだ。驚かすことにはなると思うが、背中から声を掛けさせてもらうことにする。
「あのー、こんばんは、お兄さん。自分は騎士団の者なんすけど、こんな時間に何してるんすかね?」
「ヒィッ!?」
ガチムチの巨体が跳ね上がる。ビビらせてごめんやで。
「ち、違うんだ騎士さん俺はただ届けるように頼まれただけで俺はナンも悪かねえんだよ! この紙トンボだって変なモンじゃねえし俺が触っても無事なことがその証拠じゃねえか! なあ!」
「うわ。」
裏返る声、飛んでくる唾。
物凄く早口に脈絡なく弁明された。どうやら、極度に緊張しているところで驚かしてしまったために一瞬でパニック状態に陥ってしまったようだ。マジですまん。
ひとまず持ってきたカンテラに灯りを着け、落ち着かせようと試みる。
「大丈夫っすよー、事情はわかんないっすけど、大丈夫っすよー。漠然と、大丈夫っすよー。」
このカウンセリングが届いたのかどうかは分からないが、挙動不審に騒ぎ立てていた彼は次第に落ち着いてきた。
いや、落ち着いてきたというよりかは、漫然とした様子になってきたようだ。漠然とか言ったのが悪かったのだろうか。目が虚ろに、表情から力が抜けてきたように見える。
その気力の失われた表情のままくるりと踵を返した男性は、ぽかりと口を開いて言葉を吐きだした。
「すみません、帰ります。」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいな。」
そのままフラフラと立ち去ろうとする彼の向かう先はジュリエッタさんの借家。帰るも何も、そこは他人のお家ですよと。
それにしても、この男性の様子はおかしい。錯乱していた時は普通だった…いや、錯乱してる時点で普通ではないけど。
なんというか、錯乱している時には仕草や声色に人間味があった。だが、今や操り人形の如く人間らしくない所作が目立ちに目立つ。喋り声など合成音声のようだ。こう言いたかった。
しかも、今気づいた。この男性は昼頃にニアさんの茶番に付き合わされていた彼だ。向こうは俺があのときの騎士クラーダであることに気付いていないようだが、こちらはきっちりと見覚えがある。その腫れた瞼は昼間の涙のせいだろう。
異世界モノあるあるだが、彼はもしかしたら洗脳されているのではなかろうか。洗脳魔法とか他人の身体を操る魔法に関しては詳しくないのだが、こんな世界なのでその手の魔法や魔道具的な奴があってもおかしくはない。彼はもしや、暗殺者集団にその手の魔法をかけられているのではないか。
そうだとすれば、なおさら止まってもらわなくてはならない。
「聞こえてるんなら止まれ。止まらないなら実力行使っすよ。」
男性の肩を掴み揺さぶる。進行を妨げようと試みる。
ぜんぜん駄目だ。ガタイを見て分かってはいたことだが、モヤシの筋力では止めようがない。体重を掛けてみても引きずられるばかり。やはり操られているかのように歩み続けるばかりだ。
仕方がないので筋収縮の魔法を使うしかないか。でも、この男性はまだ何をしでかしたわけでもないので、ワンチャン骨折してしまうような魔法を使っちゃってもいいんだろうか。案外、またニアさんと組んでドッキリを仕組んでる最中だったりするんかもしれんし。
などとこちらが逡巡していると、男性は突然足を止めてくるりとこちらを向いた。
「死ね。」
かと思うと、彼は呪詛の言葉と共に手に持っていた何かを投げつけてきた。いきなりすぎて回避はとても間に合いそうもない。
緩やかな放物線を描きながらかなりのスピードで飛んできたそれは、俺のちょうど心臓辺りに当たった。先が尖っていたものの、やはり俺の身体を貫通することはできなかったようだ。
否、貫通しなくて当然か。俺の胸に弾かれて地面にひらりと落ちたのは、古紙を使って折られた紙飛行機だった。この国では紙トンボと呼ばれているタイプの紙飛行機で、鋭いシルエットと縦に立った尾翼が特徴だ。
「なんだ、やっぱりドッキリか…。不謹慎っすぎて炎上するっすよ。」
釈然としないながらも安心して男性の肩をポンと叩く。
すると、どうしたのだろうか。彼の身体はぐらりと力を失い、そのままこちらに倒れ掛かってきたのだ。
さすがに彼の体重を支え切れる自信はなく、筋肉布団の下敷きになるのも御免だったので、頭を打たないように水魔法でクッションを作って支えた。
念のために脈を診てみると…。
「し、死んで…。」
脈は無かった。
まあ、後で確認しなおしてみると、俺が血管の位置を勘違いしていただけで死んではいなかったのだが。
それでも急死したのではないかと思ってしまう程、彼は急に意識を失ってしまった。
▽ ▽ ▽
急に人が倒れた時の対処法はなんだかんだであやふやだったので、とりあえず屋敷内が手薄にならない程度の応援を呼んだ。
応急処置を行っている間に夜番の騎士が周ってきて少々焦ったが、事前に『キャプレット邸で前任務のお疲れ様会を行う』と虚偽の報告していたので、何とか誤魔化すことが出来た。観光地であるこの村では酔っ払いが路上で眠っていることも多いらしく、気絶した男性もその類だと思われたらしい。あの様子だと上に報告が向かうこともないだろう。
倒れた男性は敷地内に運び込まれ、かつて庭師が使っていたという物置小屋に寝かされた。
「そいで、これが例の紙トンボか。」
「はい。」
倒れる前の男性の様子が明確におかしかったので、シオウポン氏、すなわちラルポン師団長に報告を通す。彼女は倒れた男性よりもむしろ紙トンボの方に興味を示していた。
蛇足だが、俺に認識阻害系の魔法が効かないことは分かっているが、紙トンボは念のために防御魔法で覆っている。急に爆発しても被害が出ないようにしてあることを述べておこう。直接触らなくてもいいいように、アイテムストレージの中にあった私物のお盆の上に載せてある。
彼女は、証拠品取り扱いのためか手袋を取り出すと、それをなんと3重にして着用し始めた。これはもしやツッコミ待ちなのだろうか。めちゃくちゃ指の関節が動かしにくそうだが。
こちらが突っ込まずにいると、彼女はその動かしにくそうな手で紙トンボを持ち上げて観察し始めた。無表情のままそれを多角的に眺めていた彼女は、ふとその内側の谷折りに目を付け、眉毛を剃った眉根を寄せた。
「皆の者、ちいと離れてくれるか。」
彼女はそう言って周囲の人間を遠ざけると、今度は逆再生するかのように折り目を丁寧に解き始めた。いやに慎重な手つきは爆弾解体でもやっているかのようだ。
しばらくして紙トンボが長方形に戻った。材質は一般的に手紙に使われるような古紙であり、その中央には円形に固められたような赤黒い文字列が書かれていた。遠目にもそのインクは血液であると分かる。それほどまでに禍々しいのだ。でも爆発はしなかった。
師団長は円形の血文字を見て唸り、同時にジュリエッタさんは小さく悲鳴を上げた。
「こ、これって…。」
「うん、呪符とか呼ばれておる魔法陣の一種じゃ。しかし、既に効力を失っとって読めんくなっとるようですな。」
あまり詳しくはないが、どうやら呪符という単語から連想できる通り、あまりよろしいものではなかったようである。聞けば、呪符というのは名前の通り“呪いのお札”のことらしい。触れるだけで相手に体調や精神状態の悪化を促すタイプの魔法陣だとか。こっわ。
成程、師団長が手袋を3重にもして紙トンボに触れていたのは、ただ単に証拠品を汚さないようにするためではなかったということだ。あらかじめ呪符の可能性を考慮して予防していたのだろう。
ちなみに呪符は無効化することが出来ないらしく、どうやっても発動はしてしまうらしい。ただ、それは防御不可能という意味ではなく、何らかの理由で対象が呪いを防いだ場合には術者の方に跳ね返って発動してしまうということだ。
そんな危険物をだいぶん無警戒に持って帰ってきてしまったわけだが、もう使い物にならないという状態らしいので一安心である。
「馬鹿者、何を安心しとるか。既に魔法陣がガラになっとるということは、お前か先ほどの男かのどちらかが呪われたということじゃぞ。」
「あっ、そうか。」
そのことを全く考えていなかったので、感心して右手の拳で左手のひらを打ってしまった。ガッテン!
呪いを食らったものは呪符の模様と同じ痣が浮き出るということだが、倒れてしまった男性の身体にはその類のものが見当たらなかった。さっき危険物を持っていないか確かめるために、ひん剝いて髪の毛の中から玉の裏までチェックしたので間違いないはずだ。そもそも彼も手袋をしていたので、呪いには掛かりにくいはずだ。
ん? そうすると、次にひん剥かれるのは…。
「ようし。クラーダ卿、ちょっと共にあっちの部屋に行こうかの。なあに、ちょいと優しくしてやるだけじゃ。」
こちらの想像を裏付けるかのように、ラルポン師団長がにっこりと口元だけで笑いながら手をワキワキさせて近づいてきた。
待ってくれ、今のところは体調が悪くなったりしてないし、気分も爽快だ。
というか、なんでジュリエッタさんはちょっと嬉しそうなんだ。上司に後輩がひん剝かれる図がそんなに面白いのか。
いや、よく考えてみろ。俺以外から見ると、ラルポン師団長はシオウポンという男性に見えているのだ。つまりそういうことなんだろ、ジュリエッタさん!?




